第55話 忠告
夜十時の街。普段の俺ならこんな時間に出歩きはしないが、今はネオンが輝く下を歩いている。歩道には仕事帰りのサラリーマンだけでなく俺と同世代の奴らの大勢いる。みんな群れ楽しいそうに笑い合ってなす人壁に俺は切り込んでいく。
ええい、ごちゃごちゃと道に広がるな、もっと速く歩け。
アルコールで理性を麻痺させて一時の間辛いことから逃避する。惰弱とは言わない、その気持ちは理解できる。俺も酒に逃げることが出来ればどんなにいいか。酒でもヤクでも心が壊れたからなのか、体が酔うことはあっても心が酔ったことは無い。いつも心はどこか醒めている。廃人覚悟のヤクを決めればトリップできるかも知れないが、流石の俺も其処まで人生捨ててない。
酔っ払いに苛つきながらもキョウ経由できたメール(時雨さんや前埜さん経由で無いところに音羽の微妙なプライドを感じ取れる)で指定された場所に辿り着いた。
「来たか」
「来たわね」
景観型ガードパイプに寄りかかる音羽と昼間俺に絡んできた女がいた。
ちっ女連れで仕事かよ。
こんなヤリチン野郎が時雨さんに言い寄るなんて虫酸が走る。
ここで始末しておくか。
「待て誤解だ」
女が俺に向かって慌てて言ってきた。
「ああ、どこがだ。
それともお前は男だとでも言うのか」
ちっ怒りのあまり知らずに声が漏れていたようだ。俺としたことがなんたる失態。ここはいい人モードで笑顔で近寄って後ろから突き落としてやるのがベストだというのに、警戒させてしまったか。
失態を取り繕うべきなのに怒りで自制が効かず不機嫌な態度の声で言い返す。
「何処までもゲスな男だ」
昼間の反応を見るに音羽とこの女はあの時始めてあったはず、それから僅か数時間で懇ろになるとは、イケメンはおさかんだな。旋律士よりホストの方が天職なんじゃ無いか。此奴を再起不能に追い込んだら紹介してやろう。
「ゲスね~、ゲスで結構。それでも仕事に女連れで来るような奴よりはマシだと思うがね。
仕事が終わったらホテルで一戦でもするつもりか?
それとも既にその可哀想な虐められっ子をその体で慰めてやったのか?」
女は昼間見た服装から変わったかどうかは、興味が無かったので記憶してない。取り敢えず今は黒のタイトスカートに白のセーター、セーターの胸元には三日月型の金のネックレスが胸に乗せてあるように輝いている。体は引き締まっているような感じだったが、胸はかなり柔らかに膨らんでいるようだ。最期にその体を包み込むように白のコートを羽織っている。
「それがゲスの勘ぐりだというのだ。
私は事の顛末を見届けに来ただけだ」
「ならもういいだろう。帰れ」
「断る。まだ何の解決もしてないだろ」
ちっ五月蠅い女だ。
めんどくさくなってきたから、当初の予定通り音羽に嫌みをタップリとまぶして旋律具を叩き返して帰ればいい。
だが、気が変わってしまった。
「一度だけ忠告してやる。これ以上関わると日常を失うぞ」
こんな女がどうなろうが関心は無い。死のうが気が狂おうが俺の心に漣一つ立たないだろう。なのに俺の長年被ってきたいい人モードのプログラムの残滓がめんどくさいと思いながらも、一度だけ口を開かせる。
共通認識の歪みから生まれる怪異ユガミ、これに出会ったら最低でも今までの常識は崩れ去る。下手すれば明日から地面を歩くことすら疑うことになる。
俺の忠告を真っ直ぐに受け止めて、なお女は揺らぐこと無く瞳を俺に真っ直ぐ向けてくる。これは俺の忠告を馬鹿にしているんじゃ無い、真摯に受け止めている。
「最悪命すら失う。今までの日常を送りたければこれ以上関わること無く帰れ」
俺は女を殺すつもりで睨み付けるが女も負けじと睨み返してくる。昼間喧嘩に割り込んだ時と違って何がそうさせたのか肝が据わってやがる。
「そうまでして色男の気を引きたいか」
恋する乙女は恐ろしい。
まっ俺も人のことは言えないがな。時雨さんに惚れて何度死線を潜ったか。
「誤解があるようだが、私は処女だ」
「はあ?」
張り詰めた気が穴の空いた風船の如く抜けていく。
「だから音羽とホテルに行ったとか無い」
「ならこれから行くんだろ」
「皇 悠衣菜の名に賭けて誓う、私は処女だ。
そして私の処女は顔がいいだけの男にやるほど安くは無いぞ」
「なら何のために命を賭けるんだよ」
「私はお前に何かを感じた。それを確かめる」
くっこの女訳が分からない。
「おいっ」
俺は傍観者になっていた音羽に呼び掛けた。
「なんだ」
「お前自分の仕事を分かっているのか? それとも昼間言ったことは嘘か、旋律士としての自覚も無いのか」
「俺を愚弄するかっ」
「ならこの女を帰らせろ」
怒る自尊心があるなら、まずは仕事を果たせってんだよ。
「俺も帰らせようとした。撒こうとした。だが振り切れないんだよ」
「ふふっ、本気を出した私から逃げられる男なんていないさ」
得意気な顔をする皇。
ほんとかよ。ただ単にこの女の体から漂う色香を振り切れないだけだろ。この女、間違いなく昼間は隙だらけの素人だったぞ。
「!」
俺がいきなり皇の腹に向かって放ったノーモーションのアッパー。喰らえば鳩尾に突き刺さり苦悶に沈むが、ユガミに出会うよりはいいと一度きりの情けのつもりで放った。
それを皇は見事に受け止めていた。
「おいおい、いきなり女を暴力を振るうとは君はDV男だったのか」
何でこんなに化けた。まさか俺同様一度の実戦が此奴を覚醒させた? そういえばこの女は昼間木刀のような物を持っていた。武道の素地は出来ていたのか。
「そうさ俺はゲスでDV男の嫌な奴。そんなクズ男に引かれるお前はクズ男コレクターか」
「母性が強くて困っているんだよ」
冗談を交ぜて返す余裕の皇に、これ以上は時間の無駄だと悟った。
「ちっ。音羽、さっさと現場に案内しろ」
俺は受け止められていた拳を引いた。
「あっああ」
呆気に取られていたようだが音羽はこの場では自分が主体であることを思い出したかのように、先頭に立って歩き出した。その背を皇が続く。
その背を見て俺は思う。
忠告はしたぞ。
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