第7話 海の底

 目の前にはその高さが富の象徴、下層部の娯楽エリアが人を富を掻き集める熊手の如く広がるビルがあった。

「へえ~凄いね」

時雨さんは其処の一階のエントランスにある掲示板を見上げている。見上げるその顔は子犬がおもちゃに惹かれるような顔をしている。俺はその時雨さんの横顔をずっと見ていたいが堪えて、その視線を盗み見る。その視線の先がレストランかイベントフロアかどっちにより多くの興味を注いでいる。

見極めろ。

「でっ何処に連れて行ってくれるの?」

「3階にある水族館に行く」

 そうデートなんぞしたこと無い俺。それでも時雨さんの趣味を知っていればそれなりに凝ったところを選べただろうが、全く知らないのでそんな賭には出れない。そこでネットで初デートに相応しく且つそれなりに人気のある、普段の俺なら絶対にしない最大公約数的選択をしてしまった。これならベスト好感度は得られなくても、そこそこの好感度は得られるはず。ベストを狙うのはもう少し時雨さんのことを知ってからだ、これはリセットやセーブポイントのあるゲームじゃ無いんだ。

「へえ~楽しみだね」

 お世辞でも笑顔で時雨さんにこう言って貰えたとき、俺の堅くなっていた心が少し疼くのを感じた。


 水槽という人口の海の底を色鮮やかな魚達が群れを成して泳いでいる。

 最近の水族館らしく、ただの水槽に魚がいるわけで無く。工夫を凝らした形状の水槽が数多くあり、その内の螺旋階段のような水槽をレーザーでライトアップされキラキラと輝く熱帯魚が上に昇っていくのを見ていると、万華鏡を見ているような気分になる。

 水族館と言うよりフィッシュアミューズメントパークと改名した方がいいような水族館の中は中々に混み合っている、それもカップルばかりだ。好きな物を好きなだけ見ていたい俺としては一人で見るのが当たり前で、他人と来てどうするんだと思う。今日だって、俺は魚を見て反応をする時雨さんを見に来ている、だから幾らでも時雨さんのペースに合わせられるからいいだけのこと。もし本当に見たいのが展示品にあるのなら俺は一人で来ているだろう。

 そっと時雨さんに視線を向けると時雨さんは目を輝かせて水槽を見ていた。良かった、気に入ってくれたようだ。

 時雨さんのペースに合わせて色とりどりの趣向を凝らした水槽を見て歩いて行くと、海底に誘われた。

 一直線に走る通路の左右はつなぎ目の無い一面のガラスで仕切られた水槽になっていて、通路の下は今までの堅いフロアで無く白い砂利が敷き詰められ歩くとじゃりじゃり音がする。そして何より素晴らしいのは水槽のガラスに光が全く反射していない、照明の光が全く映り込まないでそのまま水槽の向こう側が見え、まるで境など無いようだ。

本当に海底を歩いているようだ。気のせいだろうが湿度も高く肌に纏わり付いてくるようだ。

なのに肝心の魚はいなかった。ただ深い海の底が広がっているのみ。その果て無き海の底に吸い込まれそうになると耳に悲鳴が響いた。

「きゃーーーーーーー」

「どうしたの」

 俺が声の方を見た時には時雨さんは悲鳴を上げたカップルの傍に駆け寄っていた。流石時雨さんこの混み合う通路?

 気付かなかった。通路に入ったとき、ここには俺達と悲鳴を上げたカップルを合わせて数名しかいない。あれだけ混み合っていた人は何処に行った? 入場制限など無かったはずだ。

「人が人が」

 腰を抜かしてへたり込むカップルが指差す先には、水槽の中海草に絡まれ水中の中裸でゆらゆら漂う女。

 その横の方には裸にされコンクリで両足首を固められ海の底に突き刺さっている女。

 その脇にはばらばらにされた女の手足が散らばっていたりする。

 水族館が奇をてらってお化け屋敷を演出した、ようには見えない。

 あの海草に絡まって漂う女の肌は死蝋化して真っ白になっているのが妙に生々しい。そして顔はこの世への未練が刻み込まれたような顔をしていて、その目が見開かれた。

 ぎょろっとこちらを毛細血管が浮き出た瞳で睨まれた。

 ざーーーーーーーーーーーーーーと何かお風呂が溢れたときのような音が響いてきた。上を見れば水槽の上から水が溢れてくるように水で出来た腕が溢れ出て、水槽を伝って落ちてくるのが見えた。

「ユガミ!」

 今まで天使のように暖かった時雨さんの声が凜と硬化した。

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