case2. 紅い水面を眺めながら/SCP-3401


 調べる為には遺灰が必要だと言われた。

 つまり、故人を火葬しなければならないということだ。

 この国では土葬も火葬も執り行われているが、既に土葬を済ませてしまっていた。

 再び火葬をやり直すには、それ相応の費用が必要になる。

 今の私に金銭的余裕はあまりないが……真偽を確かめるには必要なのだろうと自分に言い聞かせ、彼女を火葬場へ届けたのが先月の話。


「こちらです」


 助手だと思われる若い女性に導かれ、私は部屋の奥へと進んだ。

 現代ではすっかり廃れ、物語の中だけの職業となった『探偵』の存在を、私はあまり信用していない。

 今時の探偵は人探しやペット探しがもっぱらの仕事であり、小説の中のような難事件を華麗に解決に導くなんてまさに夢物語だ。

 探偵業は地味で儲からない、それが私の中のイメージ。

 しかし、私が今いるのはその探偵事務所と呼ばれる場所だった。

 住居の一角に事務所を構えているのかと思っていたが、随分と家賃の高そうな家に通されてますます胡散臭い。

 私は懐疑心が顔に出ないよう気を付けながら、出された紅茶に口をつけた。

 そしてふと、もしかしたらここの探偵業とやらは金持ちの道楽で、ひょっとしたら私は騙されたのかもしれないと思った。

 ただの顧客に出すのに、この茶葉はないだろう……と。


「お待たせしました、スミスさん」


 挨拶と共に隣の部屋から現れたのはその探偵様だった。

 今時の探偵といえば女性とてスーツなんじゃないかと思ったが、その手の探偵とは事情が違うのだろうか。

 私は探偵ではなく、占い師に会いに来たんだっけかと少々首を捻る。


「どうも」


 私が短く返事をすると彼女は向かいの椅子に腰かけ、助手が紅茶を持って来た。

 茶色のティーポットと空のカップを。


「それではスミスさん、遺灰は持って来られましたか?」

「……えぇ、ここに」


 遺灰を持ってこいと言ったのは彼女、探偵だった。

 数か月前、この探偵事務所に〝亡くなったある女性の死因を調べて欲しい〟という依頼で電話をかけた時、「それでは遺灰をお持ち下さい」と言われたのだ。

 故人の死因を調査してくれる。

 それがこの事務所の売りらしく、おかしな売り文句だなと思いつつも、私も噂に聞いてやってきたクチだ。

 警察に調べてもらえなかった故人や、自殺で片付けられてしまってなあなあにされた、納得のいかない遺族の為の探偵……。


(なんて、そんなの聞かされてもますます信じにくいが……)


 遺灰があれば居場所がわかる? どうやって?

 魔術でも見せてもらえるのだろうか?

 と、まぁ心の内では好き勝手言わせてもらっているが、結局のところ私はその探偵の元へ来ている。

 それが現実だ。

 頼れるものを全て失うと、人は血迷うものなのだろう。


「どれだけ持ってくればいいかわからなかったんで、とりあえずこれだけですけど……足りますかね?」

「えぇ、それだけあれば十分です」


 ジャム瓶に入れられた遺灰を取り出すと、探偵は頷いた。

 葬儀場の神父とは付き合いがあった為、事情を汲んで遺灰を瓶に分けてくれたが、一体これで何をしようというのだろう。

 私と探偵のちょうど真ん中の距離に瓶を置くと、探偵は手を伸ばして瓶を自分の方へ寄せた。

 そして助手が先程運んで来たティーポットを瓶の横へ並べ、蓋を開ける。

 カップのソーサーに載っていたスプーンで遺灰をすくうと、それをポットへ入れた。

 まるで茶葉のように、当たり前のように遺灰をポットに入れたのだ。


「……まさか、それを飲むっていうんじゃ……」

「えぇ、最後には飲みますよ」

「……はあ?」


 この女は何を言っているんだ? という戸惑いを隠しきれなかった。

 思わず本音のリアクションが出てしまうが、そもそも依頼主に何の説明もなしに遺灰をポットに入れた時点でおかしいのだ。

 やはり、私は騙されたのかもしれない。


「お湯を」


 探偵がそう言うと、助手が別のポットを手にやって来た。

 遺灰の入っている茶色いポットへ湯が注がれると、湯気が立つ。

 ポットの中ではただ灰がお湯に舞うだけだった。

 灰が水に溶けるものか、と私は思わずため息を漏らす。


(やっぱりか……魔術とやらでも見せられるのか、私は)


 その手のものは信じていない。

 もっと早くから気付くべきだったと悔いるが、目の前の光景をこうして突きつけられるまで信じていた私も私なのだ。

 何の根拠もない、たかが噂に踊らされてしまった……。


「スミスさん、顔を上げて下さい」

「……何ですか」

「カップの中を」


 今更何を見させられるのだろうか、と辟易する。

 だが始まってしまった以上、私は彼女達のこのお遊戯が終わるまで付き合わされるのだろう。

 もう本心を隠す必要もないなと私は開き直って、渋々顔を上げた。


「……ん?」


 カップの中を、と探偵は言っていたがどのカップだろうとしばし考えてしまった。

 今テーブルにあるカップは私のか、探偵の手元にあるもののだけだ。

 しかし思い返せば向こうのカップは空だったはず……。

 カップにはいつの間にか紅い液体が注がれていた。


「……いつの間に」

「ではポットの中を確認して下さい」


 探偵はそう言うとポットの蓋を開けて私に見せた。

 ポットの中では先程の遺灰が、まるで茶葉のように水分を吸って膨らんでいたが、そこに満ちている液体は紅かった。

 仮に灰が水に溶けたとしても、紅くはならないはずだ。


「……何かの手品ですか?」

「どうして探偵が依頼主に手品を見せるのですか? 確かに、手品に近い類かもしれませんが……」


 暗に魔術だとでも言いたげに探偵は微かに笑ったが、私は笑えなかった。

 遺灰の入ったポットから注がれた紅茶からは微かに香りがする。

 その香りが何だったか思い出そうとしていると、その紅茶の次が起きた。

 カップの中の液体は突然意思を持ったかのようにぐにゃりとうねり、ある形へと変化していく。

 まるでゼリーで型を取られたかのように、紅茶は小さなヒトになった。

 これが手品でないのなら、一体何と呼べばいい?


「この方の死因を、貴方は求めているのですね」


 探偵はカップの中のヒトを差して私の方へカップを寄せ、確認を促した。

 カップの中には、彼女がいた。

 実に精巧な作りの、ミニチュアのフィギュアのような彼女が。


「……リリー」


 彼女の名前を口にすると、カップの中の彼女はこちらへ振り返った。

 髪の毛、鼻、口、目まで、全てが正確にかたどられている。

 全て紅茶で出来ている彼女の表情を詳しく見ることは難しかったが、私に向かって軽く手を振ったのはわかった。

 その控えめな手の振り方は、まさしく彼女の癖だった。

 感動と驚きと、信じられなさとで頭の中では軽いパニックが起きている。


「これは私の力などではなく、このポットがしていることなんですよ」

「ポットが?」

「えぇ。私はこれを使って、依頼主の大切な人の死因を……どのようにしてこの世を去ったのか。本当にただの事故なのか、事件なのかを、真実を調べています。さあ」


 探偵は私にカップを手に取るようにと促し、私は微かに震える手で持ち手も握った。


「飲んで、どのような味か聞かせて下さい」

「……あんたが飲むんじゃないのか?」

「飲めないと断る依頼主の時には私が飲みます。ですが、それはやはり依頼主が飲むべきものです」


 大切な人の一部なのですから、と探偵は目を伏せて呟くように言った。

 カップの中では彼女がこちらを見ているが、やはりその外見は紅茶のゼリーと呼べるものだ。

 恐る恐る彼女の頭を指で軽く押すと、紅茶はヒト型ではなくなりドロリとしたゼリーそのものになった。

 ゆっくりとカップに口をつけると、それは熱い紅茶だった。

 決して美味しいとは言えない味の、紅茶。


「……」

「いかがですか?」

「……紅茶の割には、臭いが……そうだ、塩素の臭い。甘みもあまり感じない」

「他には?」

「……ピーチの、酒の香り。……彼女が好きだった酒の香りがする」

「なるほど……わかりました」


 一体、今の言葉だけで探偵には何がわかったのだろうか?

 私はただ正直に風味の感想を言っただけだが、それが一体死因とどんな関係があると言うのだろう。


「スミスさんが持って来られたこの方の死因は、溺死でしょう。恐らくプールで発見されたのではないですか?」


 占い師のような言葉運びと、まるでその現場を見たかのような発言に言葉が詰まった。

 どうして、彼女の発見場所までわかるんだ? と。


「他にあげられる特徴というと、桃のお酒ですか……。もしかしたらその方は、酔ってプールへ転落したか……もしくは自ら……」


 探偵はそこで言葉を止めて、続きは言わなかった。

 わかっている。その可能性はもちろん浮上した。

 遺体の血中からアルコールだって出た。

 それでも、彼女の死をそうだとは認めたくなかった。

 自殺だなんて、そんな簡単に受け止められるものではない。

 しばしの沈黙があったが、探偵は瓶の蓋を閉めて私の元へそれを返し、助手に新しい紅茶をと指示した声が聞こえた。

 確かに故人の死因調査は探偵の仕事と呼べるかもしれないが、これではカウンセラーに占いでもしてもらっているかのようだ。

 今目の前で起こったことも、そこにある茶色いポットも、私の妄想だと言えるものなら一蹴してしまいたかった。

 ポットに手を伸ばしてまじまじと観察していると、底面に文字が書かれているのに気付いた。



 ――紅茶愛好家のための忘れ形見よ 永遠に



 一体何に対するメッセージだろうか。

 このポットには、どんな想いが託されているのだろうか……。

 私はそんなことを考えながら両手でポットを包み込み、目を伏せた。

 新たな紅茶が運ばれて来たのは香りでわかった。

 やはり、この探偵事務所が出す紅茶は少々値段の張る上物だ。

 依頼が来る度に出していたら、とんでもない出費じゃないかと呆れてしまう。


「スミスさん」


 声をかけられて顔を上げると、探偵はまっすぐとこちらを見ていた。


「私が出来るのはここまでです。今回は情報が少なくて申し訳ありません……人によってはもっと具体的なことまでわかるのですが」

「いえ、ここまで聞けただけで充分です。ありがとうございます」

「そう言って頂けますと、助かります」


 新しく入れられた紅茶は湯気を立て、紅く輝いていた。

 水面には、私の顔が映っている。


「……今日はありがとうございました。正直ほとんど信じてませんでしたが」

「誰でも最初はそうです。ですが、アレを見られてからは皆さんも信じてくれますから」

「流石にあんなのを目の当たりにしてはね……」


 ハハハと軽く笑うと、私は「では」と頭を下げた。

 新しいお茶はありがたいが、今はもう一杯飲める気分ではない。

 しかし椅子を引いて立ち上がろうとした時、探偵から「あの」と声をかけられた。


「? 何ですか?」

「いえ、その……そちらを」

「?」

「『?』ではなく、その……ポットを、置いてください」


 探偵が指差したのは私の手だった。

 正しくは、例の不思議なポットを持ったままの両手。


「それは私の、いわば商売道具ですので」

「あ、あぁ……これは失礼しました」


 私はポットをことりと置いて、申し訳ないと頭を下げてから探偵へと向き直った。


「こちらのポットは、我々財団の方で預からせて頂きます」



 × × ×



 例の異常性も持ったポットがケースに入れられ探偵事務所から運び出されて、ようやく私の任務は終わった。

 つまり、しばしの自由を手に入れたということだ。


「今回は大変でしたね~エージェント・スミス」

「大変って、いつも大変だろ」

「いやいや、遺灰の用意。時間と金がかかるのなんの……」

「あぁそんなことか、これくらいいつものことだろ。むしろ簡単な方だったよ」


 探偵事務所を営んでいた探偵とその助手、関係者には記憶処理が現在行われている。

 何だかんだと控えていた職員らが作業をしている間、私は淹れ直してもらった紅茶をのんびりと飲んでいた。

 やはり、この事務所に置いてある茶葉は一級品だ。

 どうやら探偵自身が紅茶マニアだったらしい。

 やはり金持ちの道楽という私の読みは間違っていなかった。


「で、リリーちゃんの死因はわかったんですか?」

「おいおい、お前にとっては先輩だろ? リリーは私の部下だぞ」

「だってぇ! あんなに可愛い子が!! まだ若かったのに!!」

「財団で働いてて若いも可愛いも気にしてたらキリがないぞ……」

「うぅ~~~~~~! ……ところで、その灰は大本の方へ戻すんですよね?」

「当たり前だろ」


 遺灰の彼女は私の部下で、優秀な研究員だった。

 だがある日、彼女はプールで発見された。

 事故か自殺かはわからず、ちょうどその時にこの探偵事務所の噂を聞きつけ、私が確保任務に当てられたわけだ。


「んで、事故だったんですよね? リリーちゃん」

「……そう思ってたいなら、それでいいんじゃないか?」

「あれ、ちょっと、何ソファに寝てるんですか? 帰るんでしょう? ねえ!」

「すまないが、私は仮眠してから行くよ」

「え~~~~~~~~~」


 ブーイングが聞こえて来たが、いつものことだ。

 任務と任務の間の自由時間くらい好きに使わせてもらわなければ、割に合わない仕事だろう。

 私は重たい瞼についに負けて、ひと眠りすることにした。

 塩素の香りとピーチとアルコールの香りがしたあの紅茶。

 あれを飲んでから、酷く眠たいのだ。

 理由は何となくわかっている。

 彼女の死因が事故か自殺かも、わかった。

 眠りに落ちていく感覚と共に、彼女もこんな気持ちで沈んでいったのかと考えながら、私は肺一杯に空気を吸った。




-CREDIT-

SCP-3401「ジェイドやアール、ジャスミンを1杯いかが?」

http://www.scp-wiki.net/scp-3401

©Penton

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