log4. それではまた、7年後に/SCP-831-JP


 耳にこびりついて離れない音。

 コレは一体何の音だっただろうと記憶を掘り返す。

 そして音の正体を思い出すのと同時に、学生の頃に眺めた青い空と白い雲が目に浮かんだ。


「そうだ、この音は……」


 暑い夏の日に聞いた、セミの声だ。



× × ×



 D-831909という番号を与えられた男は小さな部屋に入れられていた。

 オレンジ色のジャンプスーツに身を包む彼に与えられるものは「D-831909」という番号と、「Dクラス職員」という役職。

 名前と自由と死刑判決を差し出す代わりに得られたものはその二つだけだった。


「いてぇ……頭が……」


 小さな部屋には白い壁と大きなガラス窓、それとパイプ椅子が一つだけ置かれている。

 しかし男は椅子に座らず、苦痛に顔を歪め頭を抱えて床に転がっていた。

 先程から「頭が痛い、頭が痛い」という言葉しか発していないが、それは彼にとってもう半月も続く苦痛だった。


『D-831909、話せますか?』

「あぁ……? 何だ、だれ……だ?」


 男は頭をおさえたままゆっくりと顔を上げる。

 しかしマジックミラーの窓では声の主を確認出来なかった。

 平淡な女性の声がスピーカーから聞こえてくる。


『頭痛が始まってから半月が経過したそうですが、現状を報告して下さい』

「報告? ……見りゃ、わかんだろ」

『主観的な感想を』


 頭に来るほどの冷たい声に眉間のシワを深くしたが、頭痛は治らない。

 この施設において自分はモルモットなのだということを思い出し、彼は渋々現状の感想を述べた。


「頭が……割れそうなくらい、いてぇ。……痛くて、……暑い。……インフルエンザか」

『感染症の検査は十日前に陰性と結果が出ています』

「くそ……あぁ、……うるせえ!」


 ガン、と床を殴っても頭痛も発熱も治らない。

 彼はもうそんなことを考えられる状態ではないのだ。


「くそが! やっと思い出したぞ!! このっ……頭ん中、脳みそ掻き回すみてぇな音! セミが頭ん中に湧いてやがる!!」

『レントゲンの結果に異常は見られませんでしたが』

「うるせえ! だったらテメェがコレをどうにかしやがれ!!」


 あまりにも平淡で冷淡な女性の声に、男はガラス窓を思い切り殴った。

 だがヒビが入ることはなく、拳に伝わる痛みに頭痛が和らぐ錯覚を覚えるだけ。


「くっそ……あぁ、うるせえ……うるせえ……。いつ、いつ終わんだ?」

『……いつ、とは?』

「こんなとこ閉じ込めるって……こたあ、わかってんだよ! テメェらが調べてる気色悪ぃ……何かが、関係……っ」


 頭痛に耐えられず、男の声は尻すぼみに消えていく。

 その様子を見て、窓の向こうの人物はマイクのスイッチを再度入れる。


『そうですね、終わりがわかっていれば耐えられる……というのでしたらお教えしましょう。頭痛が始まってから半月経過したと担当の者に聞きましたので、……あと半月耐えればおさまるはずです』

「……本当、だろう……な」

『えぇ。長引いてももう一ヶ月です』


 まるで頭の中に数十匹のセミがいるかのような頭痛が始まってから半月。

 あともう半月というのも堪えがたい話だし、今日まで何度死を覚悟したかわからなかった。

 しかしこんな頭痛、……セミごときに死ねるかとも彼は思っている。

 せっかく死刑を免れてモルモット生活だろうと生きていられているのだ。

 せめて三十路は迎えてやると他のモルモット仲間と話したことを思い出した。


『ところでD-831909、少し記憶をさかのぼっていただきたいのですが』

「……はあ?」


 頭痛と脳内の騒音のせいで会話がままならないのに、まだ続けるのか? 

と訝しんだが、顔の見えない女性は続けた。


『あなたが二十二歳の九月。何か不思議なことはありませんでしたか?』

「……何でそんな……昔のこと」

『もっと具体的に話しましょうか。可笑しなセミを見かけませんでしたか? 例えば、そう……触ると消えてしまう、とか』


 その言葉に男は目を見開き、静止する。

 脳内で鳴り続ける音の正体を忘れていたように、七年前の出来事も忘れてしまっていた。

 だがセミの声を思い出し、眩しい夏の空をぼんやりと思い出したのと一緒に、ソレも思い出した。


「……何だ、それが……関係あんのか?」

『ただの事実確認ですが、そうですね。関係はあるでしょう』

「じゃあ、あの……セミが、何だったんだ!?」


 二十二歳、大学四年の九月。

 彼は当時イジメていた同期の鞄に仕込もうと、友人と一緒にセミを探していた。

 だが電柱にとまっているセミを見つけて捕まえた時、何故かセミは消えてしまったのだ。

 あれが原因なら、やかましいセミの声に納得出来る。

 だが、どうして今なんだ? と思わずにはいられなかった。


『〝何だったんだ〟という問いには、我々が保護しているものとでも言いましょうか。次に、あなたの顔に書いてある〝どうして今頃〟という問いの回答は簡単です。あなたの触れてしまったセミにはある伝染性があり、それは七年周期で活性化するということ。初期段階は触れた直後、三十分が経過すると一匹のセミの声の幻聴と発熱が発生します。一ヶ月程度でこの症状は収まり、医療機関を受診しても原因は特定出来ず。第二段階は七年後の九月に現れます』


 それを聞いて、ちょうど今がその七年後だと男は顔を蒼くした。


『第二段階は今あなたが体感している通りですよ、D-831909。それもまた一ヶ月程度で解消されます。そして第三段階ですが……恐らく、今よりもひどい幻聴が聞こえるかと。前例が一人しかいませんので断言は出来ません。耐えられずに数時間で死亡していますし』

「お、おい……! これを、これを……治す方法はねえのかよ!?」


 自分の行く末を聞いた男は窓を力の限りに殴るが、その努力は無駄なものだった。

 脳内の騒音のせいで彼自身は理解出来ていないが、部屋のスピーカーからは騒音に消されないように大音量で女性の声が流れている。

 また視覚は正常のはずだが、パニックからか壁を赤く汚す自分の手にも気付いていない。

 壊れていくD-831909の姿をガラス越しに眺めながら、女性は続けた。


『進行を防ぐ方法ならありましたよ。まずは初期段階、最初のセミの声が消えてしまう前に財団が使用する薬を使えば進行は止められました』

「じゃあそれをっ、今っ……!」

『しかしあなたに死刑判決が下され、財団があなたを見つけた時には既に初期段階から4年が経過していました。薬を投与したところで、もう進行を防ぐことは出来なかったんですよ』


 飲み会ばかりしていた当時はアルコールが原因の幻聴だと笑い話にしていた自分を怨み、失望するしかなかった。

 D-831909は唖然としたまま、ゆっくり膝を折る。


『また初期段階から第二段階の間に進行を防ぐ方法はありました。七年の間に〝プロトコル831-JP-09〟を実施するのですが……あなたには実施されなかったんですよ、D-831909』

「なっ……何でだよ。もう救いようが……ないって……ことかよ」

『いえ、私が止めたんです』


 その言葉にD-831909は目を剥いたが、女性は間髪入れずに答える。


『〝プロトコル831-JP-09〟は不自然に見えないような病気・事故・行方不明として処理することですから』


 つまり、殺されるということ。

 そう胸の内で繰り返し、その処置を外されたことに感謝するべきだろうかと考えていると女性は無感情に付け足した。


『大変だったんですよ。〝プロトコル831-JP-09〟は義務付けられた処置ですから、それ相応の理由がないと取り下げることは出来ません。あなたが第二段階に入る前にと急ぎましたが、結局ギリギリの許可でした』

「……俺を生かしたのは……何でだ?」


 彼女が苦労したのはわかった、しかし目的がないわけがない。

 義務を覆すということはリスクがついてくる。

 割れそうな頭ではそこまでを考えるのが原因だった。

 何故、どうして、の先までは考えていられない。


『……どうして、これも簡単な話です』


 大音量の蝉時雨の隙間から聞こえる彼女の声に、少しばかり動揺が感じられた。

 冷淡な女が、簡単な話でどうして動揺するのか。


『……』


 しかし女性は沈黙してしまった。

 ガラス版一枚を隔ててD-831909と向き合う彼女は口を結び、どこか遠くをぼんやりと眺めている。

 D-831909には聞こえているらしいセミの声は彼女には聞こえない。

 あの大嫌いな虫の声が、聞こえない。

 どんなに耳を澄ませても、どんなに原因を調べようとしても。

 彼女の耳には聞こえない。

 何度七年前を思い出しても、何度当時の自分をせめても、何度やり直したいと願っても。



 あの暑かった夏の日は、虫が大好きだった弟を返してはくれない。



『……嫌がらせです』

「……は?」


 ようやく答えたと思ったら、ろくな答えではなかった。

 自分を救ったことは、自分に対する嫌がらせだということか? とD-831909は首をひねる。


『これは私個人的な嫌がらせなんですよ、D-831909』

「……意味が」

『あなたを第二段階まで進めさせ、一ヶ月間耐えてもらう。そうすれば次の第三段階まで七年の時間が生まれます。その間にあなたの脳内や体内をあらゆる手を使って調べさせて、このオブジェクト……SCP-831-JPについて徹底的に調べ上げる。その間の実験ならどんなに非人道的であろうと、非倫理的であろうと私は全てに承認の判を押します。どんな手を使っても、SCP-831-JPの駆逐方法を見つける為、財団に見つけさせる為の……嫌がらせです』


 彼女の赤裸々な告白に言葉を失いながら、D-831909はゆっくりと話の内容を痛む頭で考えた。

 突然、半月後にはモルモットとしての実験生活が待っていると伝えられて、素直に飲み込める人間等いない。


『なので、あと半月頑張って耐えて下さい。自害を謀る際には絶対に止めるようにと担当者に伝えてありますので』

「……お、お前……俺のこと……殺す気か?」

『どうだっていいんです、D-831909。あなたが死のうが生きようが、財団にとっての利益になろうが。私には関係のない、どうでもいいことなんです。どの道あなたは死ぬ予定でした。それが死刑か〝プロトコル831-JP-09〟によってか、オブジェクトによるものなのか……差はたったそれだけです』


 救ってくれたと思った人物の手によって打ち砕かれた希望は、セミの声を更に大きくする。


『あぁそれと、今回の面会後には記憶処理を受けてもらいますので、私と話した内容は目が覚めた頃には全て忘れているでしょう。忘れないように自分の肌に彫り込むという手段も良いと思いますが、その頭痛では難しいでしょうね。あと面接内容の録音データも私の方で削除しておきますからご心配なく』


 女性が手元の資料から視線を上げると、D-831909は最初と同じ体勢に戻っていた。

 床の上で頭を抱え、頭の中で鳴くセミ達から逃れようと現実逃避の妄想を始める。

 いたいいたいとうわ言を繰り返し、段々と目が虚ろになっていく。

 もうどんなに音量を上げても、彼女の声が届くことはないだろう。

 だが彼女にとってはそんなことすらどうでもいいのだ。

 一時間後になればD-831909は元の好戦的で我慢強い性格に戻る。

 彼女が大嫌いな先輩職員から、SCP-831-JPに曝露したというDクラス職員のスカウトを聞いた時は悔しいながらも感謝した。

 絶対に〝プロトコル831-JP-09〟を受けさせるものか。

 どんな手を使ってもそれを阻止し、研究させてやる。

 自分の持つ権限を使い果たしても……そう彼女は誓っていた。

 


 六年前、学校の希望制夏季補習に出ていたせいで彼女は弟を失った。

 うだるような暑さと、蜃気楼、大嫌いなセミの声に飲まれるように。

 まだ七つだった弟は熱いアスファルトに横たわっていた。



 D-831909の観察を終えた彼女は外にいる研究員に声をかけ、彼を処理へ連れて行くよううながす。

 その時、研究員にひっくり返ってますよと指摘を受けて、彼女は裏返しの名札に気付いた。

 〝倫理委員会 不破〟と書かれたその名札は、復讐の第一歩を証明するものだ。

 二名の研究員に連れられて行くD-831909の後姿を見て、不破は柔らかく笑って一言もらす。


「それではまた、7年後に」



[CREDIT]

SCP-831-JP「隠れ潜む夏」©mizuno

http://ja.scp-wiki.net/scp-831-jp

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