エピローグ 書類整理/SCP-657
「空木(うつぎ)さーん、どうせここにいるんでしょ~? この書類どこに置いとけばいいですかー?」
一般職員の青年はそう声を張りながら資料室へと足を踏み入れた。
このデジタル時代に似つかわしくない紙の束が山程保管されているここ、資料保管室は段ボールの箱で溢れ返っている。
全報告書をデジタル化させるべきだという声は毎年上がっているのだが、そのデータを紛失したり、最悪盗まれでもしたらとんでもない! とアナログ至上主義の職員複数名の声によりこの資料室はまだ存続している。
セキュリティクリアランスレベルが低く、またあまり出世を望めない職員が大概この部屋に配属されるのだが……誰だってこんな仕事はあまりしたくないものだ。
地味だし外に出られないし、何よりオブジェクトと関わることが一切ない。
目にするのは既に収容されたオブジェクトの報告書と、それに関する資料くらいだ。
「報告書ばっか読んだってなぁ……それよりはもうちょい職員として華やかな仕事がしたいっての」
「そんなことないですよ」
「おわっ!?」
思ったよりも近くから声がかかり、青年は思わず飛び跳ねた。
段ボールと段ボールの隙間からこちらをじろりと覗く眼が1つ。
「も~……いるんなら早く返事して下さいよ、空木さん」
「えへへ、すみません。ちょっと報告書まとめるのに読み耽っちゃって」
「仕事して下さいよ、し・ご・と!」
「ごめんなさい……」
段ボールの影からしょんぼりと現れたのが青年の探していた空木という頼りなさそうな男だ。
渉外部門の末端に配属し、もう何年もこの保管資料室から他へ移ったことのない資料室の住民。
誰だってしたくない仕事を好き好んで続けている、変人だ。
「で、これどこ置けばいいですか? 適当に置いたら他のと混ざるでしょ」
「あー、それはええと……あ、あっちです。あっち!」
あそこの椅子に、と空木は指差したがその先に椅子らしきものは見当たらない。
適当に置いておけってことだな、と勝手に解釈して青年は資料の箱を適当に置いた。
「また仕事ほっぽって、何読んでたんですか?」
「あぁ、研修生の報告書ですよ。ほら、今年から実施された研修期間の」
「あー……ってそれも管理してるんですか?」
「一応渉外部門の人間なんだから人材調査はやっておけーって、言われちゃいました」
えへへと困り顔で空木は頭をかいているが、そんなだからこうして何でもかんでも押し付けられるんだろうと青年は自分のことではないのに憤慨した。
この人を見ているとイライラする。だからあまり長居したくないのだ、とも。
空木研究員は頼りなさそうな見た目にふらふらとした挙動、温和な顔も相まって呑気な人間に見えてしまう。しかし彼は優秀とは聞かないが、入団のきっかけとなったオブジェクトのせいで自分の片目を失ったという話はここでは有名な話だった。
辛い思いをオブジェクトに味合わせられてもなお入団するなんて、自分には到底出来ないことだと青年はいつも思っている。
「面白そうな新人はいましたか?」
「うーん……まぁ僕のとこには後輩とか滅多に入って来ないから関係ないんですけど、事故記録は多いですねぇ。問題児が多かったのかな?」
「うわ、勘弁して下さいよ……そういう人材こそ大事件起こしたり収容違反起こしてパニックになって、巻き添え喰らうのこっちなんですから」
「そこは先輩が指導すればいいんじゃないんです?」
「はっ! いいよなあ、あんたには他人事なんだもんなあ!」
もういい! と青年はぷりぷり怒って資料室のドアへと手をかけた。
しかし、「あぁそうだ」とあることを思い出して空木の方へと足を止める。
空木の手にあるファイルには「収用研修報告ファイル」と書かれたテープが貼られていた。
「こないだの騒ぎ、あれ何とか収集着いたそうですよ」
「騒ぎ? っていうとー……どの騒ぎです?」
「ほら、まさしくその研修生が起こしたアレ。ボールペンをSCP-039-JPだと思い込んで、同僚を刺殺したっていう奴」
「……あぁ」
思い出した、というように空木は段ボールに腰を下ろし、膝の上に報告ファイルを載せた。
「一命は取り留めたらしいんですけど、もう駄目っぽいらしいって話です。精神的に」
「そうですかぁ……」
「にしてもその新人に配布されてた039-JPの報告書だけが一部改竄されてた、なんて。誰の仕業なんですかねぇ……っていうか何が目的でそんなことしたんだか」
「うーん、……実験だったんじゃないですか?」
「実験?」
空木は下がった眼鏡を上げて緩く答えた。
「まだ039-JPがこの施設に存在すると思い込ませて、見た目そっくりなものを渡して、自己暗示による自発的な異常性が起きるかどうか……」
「……」
「……的な?」
空木のその推論に、青年はうへぇと顔をしかめる。
「もしそうだとしても……そうじゃなかったとしても、そんなこと考える奴の趣味が悪いですよ」
「ですよね~」
ま、俺は荷物届けたんで戻りますよ。と青年は言うと資料室をあとにした。
青年の背中を見送った空木はドアがしまったことを確認すると、新たにやって来た資料の箱へと早速手を伸ばす。
箱の中身は新しく収容されたオブジェクトの報告書と、それに関する実験報告書の束だった。
「ホント、趣味悪いですよね~…………僕」
そんな独り言をこぼしながら、彼は手際よく報告書をまとめていく。
この紙の報告書とPCの中に入っているデータとに齟齬がないかを調べるのも彼の仕事だ。
整理した報告書を片手に、青白いモニターへと向かい、画面を次々スクロールしていった。
「でもしょうがないじゃないですか。僕、オブジェクトの異常性より人間の異常性の方が気になるんですよ。こないだの事件だってビックリですよね、あの新人2人……。片方は一方を『自分よりレベルの低い家庭で育ってしまった可哀想な奴』と思っていて、もう片方は一方を『大事な家族を亡くしてしまった哀れで不幸な、支えてあげなきゃいけない奴』と思っていて……互いが互いを下に見ていたなんて、やっぱり〝親友〟なんて言葉は信じちゃあいけませんね」
誰に言うでもない言い訳は空気に溶け、誰の耳にも入らぬまま見えなくなってしまう。
空木の1つしかない目は規則正しく左から右へと流れ、画面上の報告書を読み上げていった。
「それに、いくら039-JPが精神に影響を及ぼして人を殺してしまうオブジェクトだとしても、それそっくりなペンを握ってキャップを外してしまった段階で『しまった、これはSCP-039-JPだ。殺人衝動が出てしまう、自分より社会的地位が低いと思っている奴を、殺したくもないのに殺してしまう』って強く思い込んで、そういうものなのだからそうしなければならないって自発的に動かなくたって……いい話ですよね~?」
あれ? これってやっぱり改竄した報告書とペンを紛れ込ませた僕のせい?
と空木はすっとぼけた声を上げて首を傾げた。
資料保管室には彼以外の人間はいない。他の職員は今休憩中で外に出ている。
「でも~僕だって好き勝手やりたくなりますよ。僕ももうあと██年しか生きられないって聞いちゃあ」
数年前、財団の職務でアメリカへ出張した彼はその時に自分の余命を知ってしまった。
その時に変わってしまったのか、それともそれ以前から変わっていたのかは彼自身にはわからないし、正直今となってはどうでもいいことだった。
データの確認を終えると報告書を脇に置き、膝の上のファイルを再び開く。
「自分が終了される日がもうとっくにわかってるんですから、だったら思う存分悪足掻きして抵抗して、好き放題実験させてもらわないと!」
自分が発案した人事調査のファイル、「研修報告ファイル」を鼻歌混じりにめくっていく。
彼は〈オブジェクトが人間にどんな影響を与えるか〉ということよりも、〈オブジェクトに接触、もしくはオブジェクトを認識してしまった人間がどう変化していくか〉に興味がある。
財団の意志とは真逆なことへ興味を示し、隠れて実践し、そしてそれを記録しているのだ。
財団に終了されるには十分な根拠が揃っていた。
「でも、こんな最高の実験材料の山を前にして……皆さんの協力を仰がないわけにはいかないでしょう」
さて次は何を使って実験しようかなあ……と、そんな赤裸々な空木の告白は、残念ながら誰の耳にも入らなかった。
[CREDIT]
SCP-657「死を予言する男」©Luxtizer
http://scp-wiki.net/scp-657
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