case16. 仮初めの殺意/SCP-039-JP


 新しく財団へ入って来た新人職員の中でも、その2人の青年はとても仲が良かった。

 というのも、2人は高校からの親友らしく大学も就職先もずっと一緒だったらしい。

 もちろん小さなことで喧嘩をすることもたまにあるが、それでもその2人は気が合い、お互いのことを認め合い、尊敬しあっていた。


「Safeのオブジェクトは大体このロッカーに収容されていますが、取り扱えるのはもちろんレベルの高い職員だけですので安易に近付かないようにして下さい」


 研修指導員にそう案内されながら新人職員達は収容ロッカー室から次の施設へ移ろうとしていた。


「ロッカーで収容していいもんなんだな、オブジェクトって」

「まぁそのオブジェクトの形状によるんじゃない? 生き物じゃなければ普通のものと同じ扱いが出来るはずだし……」


 青年2人がそう話しているとロッカー室に入ろうとしていた職員と肩がぶつかり、ファイルが床に散らばった。


「あっ、すんません!」

「あーいやいや、こっちこそゴメンねー。僕がボーっとしてたから……」

「こっちがよけなかったのが悪いんです。本当にごめんなさい……」


 新人2人は散らばったファイルや書類をかき集めると、綺麗にまとめて先輩職員に手渡した。

 頼りなさげな職員は山程あるファイルを抱え「ありがとー」とフラフラしながらロッカー室へと入って行く。

 ファイルの山で足元が見えないんだろうなと青年達が話していると、ドアを隔ててファイルを床にぶちまける音が聞こえてきた。


「あーあ、せーっかく集めたのに」

「そう笑わない方がいいって……。そこに出入り出来てるってことはそういうレベルの職員ってことなんだろうし」

「でもあんな情けない先輩じゃあ笑いたくもなっちまうって」

「……まあ、そうかもね」


 咎めていた青年もくすりと笑い、2人は先に行ってしまった研修生の群れへと合流しに駆け出した。




 それから数日経ち、財団生活にも徐々に慣れ始めてきた頃。

 片割れの青年が休憩室でコーヒーを飲んでいると、その親友が休憩室へ駆け込んで来た。


「? どうかした?」

「どうかしたじゃねぇよ、お前どこ行ってたんだ?」

「どこって……さっきまで自分のデスクで報告書の読み直しと、あと午後からの収容研修のおさらいを……」

「俺待ってろって言ったよな?」

「あー……ごめん」


 でもそんなことで怒らなくたっていいじゃないか、と青年は主張したかったが言葉を飲み込んだ。

 その一言は親友の怒りを膨らませるものだとわかっているから。

 どうして彼がそんなに怒っているかはわからないが、この頃彼の様子がおかしいことは青年にもわかっていることだった。


「……いや、俺も今の言い方はアレだったけどよ……心配してんだから」

「心配って、え、何で?」

「何でって……こんな施設をふらふら歩かれちゃあな」

「……それ、きみの同僚に向かって言ってるってわかってる?」

「あぁもちろん」


 そう2人が話していると、同僚の女性職員が「あーあー」と声を上げながら休憩室へとやって来た。


「痴話げんかなら他所でやってよねーそれか家に帰ってからでもいいんじゃなーい?」

「んだよ痴話げんかって!?」

「え、何? あんたらそういうんじゃないの? どう見てもそうにしか見えないんだけど?」

「何でそんな話になんだよ!?」

「僕等はただ仲が長いだけなんだけど……」

「え~本当かな~~~?」


 しかしどう抗議しても女性職員からの冷やかしは止まず、青年の怒りは収まらず、休憩室は騒がしくなる一方だった。

 だがそんな言い合いをしている最中でも、青年2人は楽しそうに笑い合っていた。




 彼等はタイプの違う人間が長くつるんでいることに不自然なことはなく、むしろ互いにタイプが違うからこそ仲良くやっていけているんだとお互いに思っていた。

 劣悪な家庭環境で育ったせいでやや消極的な青年を、親友は理解し彼に自信をつけさせた。

 大切な家族を不幸な事故により失った激情型の青年を、親友は痛みを共感し彼の傷を共有した。

 持ちつ持たれつの支え合いをしながら、互いに足りないところを認識して埋め合う。

 それが2人の歪な人生の生き抜き方だと、そう話し合ったのは大学生の時だった。


「まさか職場まで一緒になるとは思わなかったけどね」

「前の職場じゃあ部署は違ったのにな、今は結局また一緒だし」

「でもこの後配属先の決定とかあるらしいし、適正さえあれば引き抜きもあるらしいよ?」

「じゃあ俺が引き抜かれるんだな、お前は今の部署に留守番だ」

「それじゃあきみが留守にしてる間に僕はせっせと出世することにするよ」

「そう簡単に出世出来るかよ……あんな特殊な職場で」

「僕は器用だから何とかなるよ」

「ふざけんな」


 飲み屋の喧騒に紛れて2人は笑いながらそんな話をした。

 突然変わってしまった環境にも、彼がいれば何とかなる。

 2人は互いにそう思い、頼り合い、支え合っていた。



× × ×




「それじゃあ、覚えていることをもう一度」

「……あんまり、覚えてないんです」


 机を挟んでカウンセラーと向かい合っているのは青年だった。

 青年の目はどこを見ているかわからず、彼の指先と唇は微かに震えている。


「覚えている範囲でいいんですよ。まずは記憶の整理をしないと」


 カウンセラーに再度そう言われ、青年は水の中を泳ぐ魚のようにゆっくりと黒目を泳がせる。


「……いつの間にか、あのペンが入ってたんです。白衣のポケットに」

「それはいつから?」

「さあ……気が付いたら、ですかね」


 青年の右手は握っては開いてをゆっくりと繰り返した。


「それであの時は、ちょうどペンをデスクに忘れて……何か書くものを持ってないかとポケットを探して、……あのペンを、手に」

「そう。……それで? あなたはそのペンを手に取って、どうしましたか?」

「……キャップを、取りました」


 黒いボールペンのキャップをひねり、それを取った。

 何故か。紙にメモを取ろうと思ったからだ。

 指導員の説明を聞いていて、今の部分はメモをとっておこうと思ったのだ。

 だからボールペンのキャップを取った。


「でも、キャップを外してから気付いたんです。このボールペンは……ボールペンじゃない、って」

「では、何だったのですか?」

「…………資料で見た、SCP-039-JP」


 青年がその名を口にすると、彼の指先が一瞬激しく痙攣した。

 その瞬間を今、思い出したかのように。


「……殺したくなんかなかった……殺したくなかったんです」

「そうですか……」


 青年の震える声が2人きりの部屋に消えていく。

 青年はやり切れない思いを押さえ込むように自分の頭を抱えた。


「SCP-039-JPはキャップを外した人間に影響が出ますから。外した時に気付いたとしても、もう遅い」

「……わかってます」

「ところで、あなたはきちんとSCP-039-JPの報告書を最後まで読みましたか?」

「……え?」


 一体何の話だ? と顔を上げると、カウンセラーは報告書のコピーを取り出してそれを青年へと差し出した。

 渡されたコピーに目を通していくと、虚ろだった青年の目は徐々に大きく開いて行く。

 そして最後まで読み切ると、信じられない、信じないという顔をしてカウンセラーを凝視した。


「な、なんですかこれ。こんな報告書……知らない、知らない……!」

「あなたのファイルに入っていたコピーを調べましたが、どうやら一部改竄されていたようですね。SCP-039-JPは今、この地球上には存在していません」

「嘘だ……! そんなこと、あるはずが……アレはただのボールペンじゃない! オブジェクトだった!」

「同じメーカーの、異常生を持たない個体でしかありませんでした。あなたの所持していたボールペンで実験もしましたが、SCP-039-JPに見られた現象は一切起きませんでしたよ」

「嘘だ、嘘だ嘘だ! じゃあどうして、どうして殺したんだ!? 殺したくなんかなかったのに! 親友だったのに!」


 取り乱した青年は椅子を倒して立ち上がったが、カウンセラーは平静のままゆっくりと手を組み、落ち着いた声で続ける。


「私は初めにあなたに質問しましたね? 彼に対して恨みはありましたか? 動機があるんじゃないですか? と」

「そんなこと……おれは、ない……」

「あなたがあのボールペンをSCP-039-JPだと認識したのはただの思い込みです。あのボールペンには、殺意を湧き上がらせる精神影響能力はありません」

「違う違う違う! あのペンのせいだ! オブジェクトのせいでおれは、あいつを……一番大切な親友を……殺したくなかった!」

「あなたはあのボールペンをSCP-039-JPだと思い込み、それを利用して彼を殺したんじゃありませんか? そもそも、SCP-039-JPは軽度の刺し傷でも人を死なせる効果がありますが、彼の首には致命傷となる深い傷が……」

「違う……おれは、あいつを、あいつを信用して……違う……大事だった……恨んでなんか、ない、違う、恨んで……違う。違う違う、違う違う違う、違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがううううううあああああああああああ!!!!」


 半狂乱の青年は喉を鳴らし、声を上げ、髪をかき乱し、カウンセラーへと腕を伸ばした。

 カウンセラーは冷静に青年をいなそうとしていたが、青年の腕はカウンセラーの胸元ではなくその手元、握っているペンへと伸びていた。


「待ちなさい!!」


 次の行動に予測がついたカウンセラーはすぐさまそれを止めようとしたが、気付くには遅すぎた。

 カウンセラーの手から奪い取ったボールペンを、青年は迷うことなくペン先を自分の方へ向け、勢いよく突き刺した。

 自分の首に。何度も何度も、何度も。

 刺しては抜き、刺しては抜き、赤い液体が机の上に散らばり、痛みに嗚咽し、涙と唾液が溢れ、警備員に押さえつけられ救命措置がとられるまで。

 青年は「ごめん」と何度も唱えながらペンを首に突き立てていた。



[CREDIT]

SCP-039-JP「だれかのペン」©SenkanY

http://ja.scp-wiki.net/scp-039-jp

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