case15. 隠し味に愛情を/SCP-1234-JP,旧SCP-201-JP


 真っ暗な狭い空間に押し込まれたまま、青年はただ静かに丸くなっていた。

 朝食後、研修として派遣された北海道のある施設へ向かおうとしたのだが、急な眠気に襲われて気がついた時にはもうこの状態だった。

 きっと朝食に睡眠薬でも仕込まれていたのだろうな、と青年はぼんやり考える。

 こんなことは慣れっこだった。学生時代から何かといじめられてきた彼にとっては。


「―――」

「―――――――」


 くぐもった会話が聞こえると、青年が押し込まれている箱はまたゴロゴロと音を立てて揺れ始める。

 何かに詰め込まれてどこかに移動しているのだろう。

 犯人はきっと先輩職員2人のどちらかか、もしくは両方だろうと予想がついたが青年は抵抗する気すら起きなかった。

 どこかに放置され、運よく発見されたところで上司のそのまた上司からも無断欠勤について説教されるだけだ。いや、下手をしたら解雇かもしれない。

 流石にそれは嫌だなと青年はため息を吐く。

 ゴロゴロという音が止まると、青年の入っている箱を開ける音が聞こえてきた。

 箱が開かれ光に目を細めると、青年を見下ろす2つの影が……。

 どうやら先輩職員は2人共グルだったようだ。


「……どこですか? ここ」


 青年の声は弱々しかったが、それは彼の素の声だった。

 睡眠薬で眠らされてトランクケースに押し込まれ、廃墟のような場所に連れて来られた青年の顔は、落ち着いたものだ。

 そんな彼の顔を見て、先輩達は面白くなかった。

 ここまで悪質な、いじめにしては行き過ぎたことをやってもこの青年はちっとも音を上げない。

 だから彼はこうしていじめられる。

 それは青年自身も自覚していたが、それでも彼は憎む気にも怨む気にもなれない。

 影のある雰囲気に反して、彼の心は常に穏やかだった。


「どこだと思う?」

「……どこかの、厨房かと。まだ北海道ですよね?」

「あぁ、俺達はこれからこのまま自分の仕事に戻る」

「僕は」


 尋ねると、面白そうに先輩2人が喉を鳴らし始めた。


「俺さ、ちょっとお前のこと調べたんだよ。きな臭いと思ったら案の定……お前どうやって書類検査くぐり抜けたんだ?」

「……過去の経歴のことですか? 特に、僕は何もしてませんが……」

「嘘吐けよ。何があったか知らねぇけど、お前みたいな奴が財団の職員になるなんてあり得ねぇ」


 書類検査、精神鑑定、その他もろもろの試験や検査を終えてようやく職員として入団することが出来る。特にレベル1以上の職員を目指すならなおさらだ。

 なのにお前みたいな奴が職員として、しかも自分らの後輩になるなんて信じられない。

 そう先輩職員らは主張した。

 青年はただ、そうか……とだけ思った。


「まぁせいぜいここで反省することだな。きっとお前なら一職員のくせにあのオブジェクトが出るだろうから」

「そんでお前の正体を記録に残して、上に直訴してやる」


 青年が座ったままのケースを蹴り飛ばすと、2人はそのまま厨房から去って行った。

 ドアの向こうからはまた話し声が聞こえて、鍵の施錠音が部屋に響く。


「……どこの厨房だろう?」


 ふらりと立ち上がると、厨房を見回した。

 もう使われていない雰囲気を感じる錆びれた厨房は、放置されているにしては清潔すぎる。

 誰かが定期的に掃除しているのかと考えたところで、天井の隅にカメラがあるのを発見した。


(あぁ……財団の管理下なのかな)


 だとするとここに置いて行かれたのは完全な嫌がらせだ。

 ここには危険なオブジェクトか、またはレベルが一定以上の職員しか入ってはいけない場所なのだろう。

 新人職員である青年はまだレベルを所持していない「研修生」だ。


「こんにちは」

「?」


 自分しかいないはずの厨房で、背後から男の声が聞こえた。

 青年が振り返ると、後ろにはギャルソンのような何かがいる。


「ようこそ、いらっしゃいませ」

「……?」


 青年はただ首を傾げて、どうなっているんだろう? と考える。

 確かに目の前にいるのはギャルソンのはずで、礼儀正しそうな穏やかな男の声が聞こえるのだが……。

 それに頭部はなく、首の断面からは紫色の花が咲いている。

 花に詳しくない青年には花の種類がわからなかった。


「……あなたは?」

「さあ、こちらをお召し上がりください」


 青年の問いに答えることなく、ギャルソンは料理を提供する。

 しかしギャルソンは厨房のどこかから料理を運ぶのではなく、おもむろに懐からスパゲティを取り出したのだ。

 それを見て青年はあぁなるほどと再度納得する。

 このギャルソンこそオブジェクトなのだろう、と。


「ミートソースですね」

「お口に合えば良いのですが」


 白い陶器の皿に盛られたミートスパゲティ。

 懐から出したにも関わらずソースはこぼれず綺麗に盛られている。

 湯気も立っていて、大して空腹でもないのに美味しそうだなと食欲をそそった。

 だが、青年は近くの椅子に腰を落ち着けてもそのスパゲティをただじっと静かに見つめるだけだった。


「いかがなさいましたか?」

「……いえ、ただ。……ミートソースが嫌いなので」


 と言いつつ、青年は皿の脇に置かれたフォークを手に取りスパゲティを小さく巻き取る。

 そして嫌いと言ったソースを載せて、そのまま口に運んだ。

 何度か咀嚼して、それを飲み込む。


「ソースが苦手でしたか……それは、申し訳ありません」

「いえ、肉が嫌いなだけなので」


 うつむくギャルソンの声が暗いものになったが、青年は何も気にしていないと微笑んだ。


「嫌いなんですけど、克服したんですよ。夢の中で」

「夢?」

「はい。夢の中で食べたことのあるお肉が美味しくて、それで嫌いなイメージはなくなったんです。……けど、現実の肉はどれもあの夢の中のものには及ばなくて」


 飲み込んだスパゲティのソースの肉はやはり美味しいとは思えなかった。

 それでも懐かしい味のするミートソースだなと青年は同時に思う。

 また懐かしさと共に過去のことを思い出した。

 久し振りに父のことを考えるなあ、と青年は口元を緩める。


「僕、先輩達にいじめられてここに閉じ込められたんですけど、こういうのはよくあることなんで慣れているんです」


 青年は華奢な体格と影のある雰囲気から幼少期よりよくいじめられていた。

 主に同性からいじめられていたが、異性も味方にはなってくれなかった。

だが青年は特に気にしなかった。


「僕が小さい頃に母は死に、父と2人で暮らしていたんです」


 自宅で仕事をしていた父は亡き母の代わりに青年をしっかりと育てた。

 難しい育児にも奮闘し、いつも母のように優しく、時に父として厳しく青年を育て、いじめられていた時もそんなことは気にするなと守ってくれた。

 もちろん行き過ぎたいじめの時は学校へ足を運ぶこともあった、よき父だ。


「でも僕、昔からどうにも肉が苦手で……肉料理の時はいつも残してしまったんです」


 好き嫌いをするのはよくないことだと言いつつも、父は怒らなかった。

 肉を摂取しないと筋力がつかず体も大きくならないとわかっていても、青年は何口かしか肉を食べられずいつも大半を残してしまう。

 それでも父は何口か食べたことを褒め、残した料理を代わりに平らげてくれた。


「でもある日、……その夢を見たんです」


 父に連れられハイキングに出掛けた際、ある廃墟を目撃した。

 こんなところじゃあ閉店後にこうなってしまうのも無理はない、と思える立地の廃レストラン。

 ハイキングの帰りに近所の人に聞いたところ、廃墟マニアがよく訪れると聞いた。

 その時青年は父に「廃墟は好き?」と尋ねた。すると父は照れ笑いして頷いていたのを覚えている。

 だからあんな鬱蒼とした木々に隠れた廃墟を見つけたのか、と父の意外な一面を見た瞬間だった。

 そしてその日の晩、青年は夢を見た。


「夢の中ではあの廃レストランが営業していて、そこで料理を食べていたんです。まだ中学生だったのによりにもよってフルコースで出て来たから、テーブルマナーなんてわからなくて……」


 もちろんメインには肉料理が出て来たが、不思議なことに夢の中では肉料理を前にしても嫌な気分にならず進んで食べていた。

 目が覚めてからも夢の内容を鮮明に覚えていて、味まで覚えていたことが不思議でたまらなかった。

 そしてその日の夕食に出て来たハンバーグを意気揚々と食べてみて、青年はやや落胆したのも覚えている。


「夢の中で食べたハンバーグの方が美味しかった……なんて、父には言えなくて」


 それでもある日を境に肉料理に対する苦手意識が吹き飛び、箸を進める我が子のことを父は褒めちぎった。

 それが嬉しくて、青年にとって肉料理は嫌いでも嫌いじゃないものとなった。

 そしてもう一つ、その日を境に変わったことがあった。


「好きでなかった父を、好きになったような気がしたんです」

「しかし、いいお父様だったのでしょう?」

「えぇ、凄く優しい父でした。手を上げられたことも、家を追い出されることもなかったですし、近所付き合いもよくて…………ただ、僕。知ってたんです」


 肉料理が嫌いな気持ちと父が嫌いな気持ちが一緒の〝嫌い〟だってことを。

 何となく、特に理由はなく、どうにも苦手で嫌い……。

 その日まではそうぼやかしていたが、実のところ青年はその理由をしっかりとわかっていた。

 ただ、見ていたのに見ていないんだと自分に言い聞かせていたから。

 だからその理由がわかっていなかった。


「父はいつも手料理を振るってくれて、ハンバーグとか肉じゃがとか、肉がゴロゴロ入ったシチューとか……料理上手な人だったんです。学生時代から自分で料理をしていたから、と」


 父の手料理は美味しかった。

 ただ、どの肉もあまり美味しくなかった。

 小学校の給食で出て来た唐揚げを食べてみて、首を傾げた。


「肉って、こんな味だったっけ? って」


 父が作る特製カレーはビーフカレーでもポークカレーでもチキンカレーでもなかった。

 カレーはカレー。肉の種類なんて関係ないよと教わってきた。


「父は人間の肉を調理していたんです。父は人殺しで、昔から当たり前のように人間を食べていて、同棲時代には何も知らない母にもその料理を振る舞って、僕は生まれてからその日まで普通の肉の味を知らなかったんです」


 人間の肉の味を覚えてしまった彼にとって、給食で出される牛肉・豚肉・鶏肉は食べられなかった。

 こんなにも乳臭く油にまみれた肉なんて食べられない。

 でも家で出される肉も好きになれないし嫌いで苦手だった。

 ただ美味いとか不味いとかはわからず、肉とはこういうものなんだとしか感じなかった。

 そう話す青年の話を、ギャルソンは嗚咽をもらしながらうんうんと聞いている。

 同情しているのか哀れんでいるのかは、花に表情はないのでわからない。


「でも夢を見てから僕は肉料理も父も嫌いじゃなくなったんです」


 苦手じゃないと思えた、嫌いじゃないと思えた。

 今なら、今なら好きになれるかもしれない。


「だから僕は父を殺して、父を食べました」


 でもやっぱり、夢で食べた肉には到底かなわない味だった。


「つらかったですね……苦しかったでしょう」

「……どちらかというと、肩透かしをくらった気分でしたよ」

「でも、それだけではなかったんじゃないですか?」

「?」

「ほら」


 そう指摘されて、青年はやっと涙を流していることに気付いた。

 ただ涙が勝手に流れているような顔で、青年はあれ? と首を傾げる。


「……不思議ですね」


 父を食べた日に泣いたかどうかは覚えていない。

 ただ、自分が初めて父とハンバーグを食べた日に父が泣いていたことをぼんやりと覚えている。

 もしかしたら、自分も父を食べた時に泣いていたかもしれない……。

 中学生の頃の記憶は曖昧だった。


「僕はやっぱり父の子で、父のやっていることを見て見ぬふりをして……。結局僕も父と同じようになってしまいました」


 しかし父の死、もしくは父を食べたことにより何かが吹っ切れたようで異性や年上から親切にされるようになった。

 一度異性の友人に聞いてみたことがあるが、雰囲気が明るくなったからと教えられた。

 だがそれでも禁忌を犯したからだろう、相変わらず同性からは嫌われ、いじめられることは今も変わらない。


「もっと早い内に父に気付いていると打ち明けて、やめてもらうか……もしくは僕が殺されて食べられてしまった方が、よかったのかもしれませんね」


 そう青年がこぼすと、今まで相づちを打っていたギャルソンが顔を……首を上げた。


「それでも貴方はお父様を愛していたのでしょう? だからこそ、許されない道だとわかっていてもお父様と同じ道を進み今こうしてここにいるのです。お父様は貴方に同じ道を歩ませようとしていたかもしれませんが、それは悪意からではなく愛情からではありませんか?」


 どうだろう、今となってはわからないことだ。

 ただ、父に大切に育てられたことだけは事実である。


「貴方がお父様のことを思い出して涙を流しているということは、貴方はお父様を愛していたのでしょう。そして子が親を愛しているということは、親は子へ愛情をたくさん注いだに違いありません」

「……そうですか?」

「えぇもちろん」

「……そうですか」


 青年の目からは勝手に涙が流れる。

 涙を流したのはいつ振りだろうと考えながら、目の前のスパゲティを眺めた。

 どんなに愛情があっても、父の料理は苦手だった。

 あの料理があってはならないものだとわかっていても、父の笑顔は親の顔だった。


「懐かしい味のスパゲティでした」

「光栄なお言葉、ありがとうございます」


 嗚咽混じりなお礼を述べて頭を下げると、ギャルソンはそのまま厨房の奥へと消えてしまった。

 青年は結局それ以上スパゲティに手を付けることはなかったが、やはり肉料理はどんなものでも美味しく感じられないなとミートソースの味を思い出していた。



× × ×



 青年がその厨房、SCP-201-JPから解放されたのは程なくしてからだった。

 カメラの映像を確認しに来た職員が気付き、入り口に常駐している警備員らに保護されたのだ。

また青年を置き去りにした先輩職員2名の姿を見ることは、その後一度もなかった。




 記憶処理をされて今日のことはおろか昔のことまで忘れてしまうのかなぁと青年は相変わらずぼんやりと考えていたが、施設へ到着しても一番簡単なカウンセリングを受けただけで終わってしまった。

 カウンセリングを終えた青年はカウンセリングルームで待たされ、しばらくするとレベル3の職員がやって来て向かいに腰を下ろす。

 どこか冷めた雰囲気のする職員に、青年はそっと問いかけた。


「あの……記憶処理はいいんですか?」

「本来なら直ちに処置するのだが、君の経歴は元々我々が把握していたしエージェントとして配属させるつもりだった」

「エージェント……ですか」

「あぁ」

「それは、経験からですか?」

「そこは君の解釈に任せよう。ただ言えることは、今回君に接触したオブジェクトは君には良い影響しか及ぼしていないということだ。つまり、記憶処理をする必要性がないと判断された」

「……それじゃあ」

「通常通り、君は研修システムに戻り、期間中しっかりと学ぶことだ」


 それだけ言うと職員は立ち上がり、ドアを開けて早く戻りなさいと青年を急かす。

 拍子抜けしつつも青年は立ち上がり、自分の持ち場に戻ろうと足を進めた。

 だが部屋を出る直前、職員から声をかけられた。


「そうだ、1つ」

「?」

「映像を見ていて気になったのだが、君は何に対して自己嫌悪を感じたんだ? 父の死か? それとも食人行為か?」


 ただの質問、興味本位だという声で尋ねられ、青年はええとと考える。

 どこか影のある雰囲気だった彼は、今となっては大分マシになっていた。

 そして多分……と何とか見つけた答えを、苦笑しながら声に出す。


「父のように、美味しく料理出来なかったこと……ですかね」



[CREDIT]

SCP-1234-JP「偏食家達のフルコース」©apple3

http://ja.scp-wiki.net/scp-1234-jp


SCP-███-JP「ざんげのキッチン」©不明

URL://不明

参照:https://nn5n.com/index.php?language=Japanese&story=&prefix=scp&object_number=201&postfix=jp&page=object&range=1-99&page_type=current

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