【強いひとには弱いひとの気持ちはわからない】

「――おやおやぁ?」



 いっとう高く響いたその声は、縣暁のものだった。片手で俺を指差し片手で笑いを堪えるかのように口もとを隠すその仕草は、哀れすぎるピエロの笑い。よっ、と槍の先端に足をつけて乗り、羽多の耳に近づくとなにかを耳打ちしているようだった。羽多は、うん、うん、と軽いうなずきを繰り返し、最後は重たくうなずいた。

 縣は器用にも槍の先端に立ったまま、ほんとうにピエロみたいに両手を広げた。槍の先端にくくりつけた拡声器を持ち上げ、口もとに当てる。



「――みなさぁぁぁん!」



 きぃん、と。



「本日のメインメェェェインイベントさまがなぁんと向こうからいらっしゃいましたよっと? いやはや。狩る手間も省けたということでございますね。……準備のためのカーニバルなどしなくともよかったのかも? なーんて!」


 ははっ、と苦笑が漏れつつあった。でもそれよりも場の雰囲気が冷めていくほうが早かった――みんなが俺を振り向く。温かい眼差しなどない。祭りみたいな明るい雰囲気が一転、みんなが憎悪ともいえるくらいの視線を俺に向けてくる。

 喧騒はしぼんで、ついには沈黙となる。

 縣の調子に乗った声だけが場に響き渡る。



「泉水先輩。言っちゃってやってくださいよ!」



 羽多は染みついてしまったかのようなその笑顔のまま、視線を伏せた。

 俺は戸惑う。

 羽多のことを、まあ、かわいいと思ったことはあっても、――きれいだ、と思ったことなどいまこの瞬間がはじめてなわけで。

 俺がこんなことを思っていいのかはわからないが――あえて言うなれば、白無垢の花嫁のようだった。じっさい着ているのは桃色のひらひらした服だし、俺は羽多のことを妹のようにも姉のようにも思いはすれど、……結婚したい、などと思ったことはいちもどないのだから。

 いつのまにコイツはこんなにおとなになっていたのだろう。

 ……こんなはにかむような顔を、いつのまに、覚えていたのだろう。

 羽多は空中に浮いたまま俺を見た。



「……ごめんね。それでもあたし、悦矢が間違ってると思う」

「……謝ることかよ? いまさらじゃねえか。おまえはいつもそうだ。俺が間違ってるって言う。冷蔵庫のプリンだって俺は食ってやしないのにおまえはほかのヤツじゃなくて俺だ俺だって騒ぐんだ。……まったくいい迷惑だよ」

「そうだね。冷蔵庫のプリンは、だいたい先生が犯人だったよね。先生さ、おとななのにね。あたしのおやつを取るなんて意地汚いと思うな。先生には言えないけどさ」

「ああ、……そうだな。でもおまえもちゃんと言わないから先生が図に乗るんだぜ?」



 まるで、平和でむかしを懐かしむだけの他愛ない会話みたいだ。……こんな状況でなければ、じっさいそうだった。不毛すぎるたとえばの話。高校生になった俺たちが先生の研究所のあの学校を訪ねて、そこで遊びまわる子どもたちを見て、俺たちもむかしはこうだったんだなって困ったように笑いあって、才能もちの――つまり言い換えれば【タレントもち】の、新たなタレントもちのきらきらとした未来を安易に描ける、――そんな状況だったらこの会話は、無意味であることが最高に幸福な意味をもったに違いないんだ。


 でももちろんいまはそうではない。

 俺たちは、むかしを懐かしみたいわけではない。


 羽多は天女になって浮いているし、俺はその敵として羽多に対峙している。




「……悦矢は強い子だからねえ。あたしはそこまで言えないもんな。……悦矢はむかしからそうだったよね。あたしたちぜったい言えないことを、先生にもがんがん言ってくの。すごかったなあ、笑っちゃうよ」

「俺だってだから先生と戦ったよ。子どもがわの勝利を勝ち取りに行こうとしただろ」

「……守ってくれようとしたんだよね。そのことはわかってるし、ありがとうって思ってる……それはほんとだよ。でも、ね。それってさ、悦矢が強かったからできたんだと思うんだよね」


 羽多はわずかに首をうつむける。

 生徒たちはいま完全に聴衆となっているようで、羽多へ俺へと視線を動かしつつ、縣も含めて邪魔するヤツはひとりもいない。ただ、動かす頭や身体だけがさわわわわという波みたいにはなっている。


「……俺だってべつに、言うほど強いわけでもない」

「ううん。悦矢は強いよ。……あのときのあたしたちのなかで先生のお気に入りはぶっちぎりで悦矢だった。悦矢はあたしたちのリーダーだったじゃない、そしてトップだったの。……悦矢のタレント。感情兵器。……悦矢が選ばれたのも、わかるのよ、あたしたちだってそこまで馬鹿なわけではないの」

「でもその結果俺は、」

「……それでも悦矢は、強いの。あたしのタレントなんか比べものにならないくらい」


 そんなことないと嘘をつくのもそうだよと事実を肯定するのも、どちらもおなじくらい不誠実な気がしたので、俺はその言葉には反応を返さなかった。

 ぽつり、と雫を垂らすようにして羽多は言う。



「強いひとには弱いひとの気持ちはわからない」

「……そんなこと、」

 ない、と――言えるのか。俺が。




 不遇な生まれだったが、

 実験体としてでも超一流の矢野深海に見初められて、

 矢野研究所にも数いた実験体の子どもたちのなかでも力だけで生き残り成り上がり、

 エモーショナルプログラムのプロトタイプ第一号に選ばれ、

 ――その気になればこの星を滅ぼせるほどの力をもった、

 それほどの力をもった俺が、なんだかんだ、……よりどころにしていた俺が、




【強いひとには弱いひとの気持ちはわからない】

 その言葉を、簡単に否定できるものだろうか。

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