エモーショナルワールド

「……ほら。困ってるじゃん」



 羽多は疲れたように笑う。



「悦矢はいつもそういう顔をするよね。……悦矢はすごいねって言うと、そういう、苦い顔をするんだもんな」

「――苦いっていうか、」

「――【タレントは直訳すれば才能なのだから鬼ヶ原のみんなの才能を最大限引き出す】!」


 羽多は強く言い切った。声真似をすることもなく、ただ昴のマニフェストを忌々しいものであるかのようにして、吐き捨てるかのようにして。

 柔らかい笑顔だったその表情も負もあっけなく歪んでいく。


「……強いひとだから、そんなの言えるんだよ。悦矢も、……高柱さんも。あたしたちが……毎日どれだけの思いをして、内申書の点稼ぎをしてるのか、悦矢も高柱さんもぜんぜんわかってないでしょ。点稼ぎくだらないって言うけど……あたしたちにとってはそれだけが希望なんだっていちどでも考えたことがあるの!?」



 そうだそうだーっ、と野次が飛んできた。

 羽多はもう取りつくろっていなかった。

 言うなれば、キレていた。――研究所を離れてから、俺に対して、はじめて。

 空中で天女のようにしてそこに存在しながら、そのじめっとした怒り顔はやはり羽多だった。



「……卒業生の講演でも言うけどさ。この学園を【卒業】して、世界人類社会で生きることだけが、あたしたちの希望なのよ、……【放校】になるってことは、……わかるでしょ?」


 羽多は空中にいるというのに恨めしそうな上目づかいで。


「――あたしだってこんな歳で死にたくないのよ! だから……だから……」

「泉水先輩。ありがとうございます。泉水先輩はさすが、鬼ヶ原の新生にて真の生徒会長としての任務を果たしてくださいました……。――もういいでしょう矢野さんよぉ」



 縣は槍の持ち手がわの先端から飛び降りると、槍をふたたび手で掴む。そして槍を用い棒高跳びのようにして、ひょいひょいひょいとこちらに跳んできた。

 カキン、と目の前の地面に槍の鋭い先端が突き刺さる。縣が槍に片手でぶら下がったまま、俺を軽蔑しきった目で俺を見下ろしてくる。光を受け入れない、瞳だ。



「……あんたらのやってること非現実的なんですわ。タレントを拡大だの拡張だのしていいわけがないでしょうがよ。本能のままですか獣ですか。タレントは極力セーブして、管理してくのが、世界人類社会の一員であるわれわれの義務でしょう。自分、なにかおかしいこと言ってますか?」

「……いや。おかしくないと思うよ。だがひとつ質問していいか」

「なんですかね」

「――昴は、どうした?」


 縣は引きつったように笑った。


「あんなひとはもう知りゃしません。……とっくに【放校】になりましたぜ」

「そうか」



 俺は、安心した。

 遠慮なくここをぶち壊せるから。――俺と、俺の世界を、諦めることができるから。

 昴は、もうここにはいない。……昴自身がそう言った通りに。

 生きているのか。それすらもわからない。

 ――けれども昴はかならず俺に会いに来てくれると、

 ……信じている。昴は、テレポートだってテレパシーだって、鬼ヶ原のヤツらがもつタレントだったらほとんどをコピーしているのだから。

 たとえ彼女が感情ということをなにひとつとして知らなくとも、

 ……俺はおまえに感情を教えてもらった。

 ありがとう。

 ありがとう、昴。

 感謝の言葉をいつまでもいつまでも唱えながら。

 俺は往くよ。

 ……いつかはおまえが俺を見つけてくれると信じているから。

 俺は、わらった。

 おまえに笑いかけるかのように。




 さあ、終わらせよう。


「……鬼がしあわせになるなんてことが最初から間違っていたんじゃないか?」



 俺は目を閉じ、胸に手を当てる。

 自分では見えないが、俺の身体はいままたしても、感情の色に輝きはじめているはずだ。



「なっ! ――まさかコイツ。……危ない! みんな早く走って離れろちょっとでも遠くに! ――なんでだ、なんだだよ、コイツまだ――感情兵器を起動させられるっていうのかよ!?」



 縣の声。中庭の喧騒。鳥の鳴き声とか。

 そういった音はゆっくりとフェードアウトしていき、

 カチン、とエモーショナルプログラムモードになる。

 感情が感知できる。

 きらきらきらきらとそれは小さくとも痛いほどに輝いていて。

 ……先生。

 なあ、先生、アンタ甘かったなあ。

 正の感情の伝達可能性、だっけか。

 俺がそんなに簡単にそんなことができると思うか?

 それなら俺に生の感情を教えてほしかったよ、

 人類の幸福に寄与するとかなんとかの、

 ……愛を、教えてほしかった。あなたに。俺は――

 星に、手を伸ばす、

 そして掴む。

 ――あれはすなわち【絶望】と名のついた感情。

 ……ああ。これで終わるんだ。

 あとはこの星をせかいに向けて投げるだけ、

 終わる、終わる、終わっていく、

 俺の鬼としての人生も俺のつらかったこともなにもかも、






「――悦矢っ!」

 りん、と鈴の音が鳴った。

 りりんりりんとしつこいほどの鈴の音。身体の振動。

 エモーショナルワールドに、

 昴が――いる。

 昴が、俺の肩を強く強く揺さ振っている。

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