ひとつの真実
「深海は言ったよ」
角谷先生はまるで旧友を嘲笑いたいかのように唇を歪めてその言葉を再現した、
『だいじょうぶ。廃棄はする。……でも。私はあの子を死なせない。たとえ、
角谷先生は、続ける。もっともっと大げさに、まるで先生を馬鹿にでもしているかのようなものまねの口調で。
『……エゴだって? そうだね。私の研究で勝手にあの子を犠牲にして勝手に【鬼】にしちゃったんだから、そりゃまあ私の責任だしエゴだ。……でも。私は、責任を取る。エモーショナルプログラムは感情兵器になるだけではない……幸福にも使えること。私は、証明してみせる』
じっさい話しているのは角谷先生。でも、俺の耳にはもう先生の声がそのまま聞こえている。
『だから累子……お願いがあるの。私がお願いをすることなんてめったにないでしょう。だから、お願い。三年間。……三年間、私に時間をください。私はそのあいだ全身全霊をかけてエモーショナルプログラムの修正をする。……だから悦矢を鬼ヶ原学園に入学させてください』
角谷先生はそのまま、続ける。
「ふざけんな、って私は言ったよ。そりゃそうだろう。……鬼ヶ原に入学して、世界人類社会に復帰できる生徒がどれだけいると思ってるんだと、統計を見ろ馬鹿研究者、って私は言ったよ。……それに三年間も待っていられない。三年ものあいだ世界人類社会を脅かすことはできないと、思った。私は……そしていまもじつはそう思ってるんだ」
俺はまっすぐ立ったまま角谷先生を見ている。
「……もうわかるだろう。一連の騒動はすべて、おまえを【どうにかする】ためのものだったんだ」
角谷先生は、ははっ、と弱々しく笑った。
「どうだ。矢野。……【気さくで話しやすい】担任教師の正体がこれで絶望したか? ――感情が、揺れるか?」
俺はまっすぐに角谷先生を見ている。
「……いや。べつに。ただ、言いたいことがある」
「ああ、なんでも言ってみろ」
「昴にちゃんと謝ってください」
背景。さんさんとした光は、なんでだろうどうしてだろういま俺は叫びだしたくなるくらいに、過剰だと感じる。
「……アイツは関係なかったはずです。ほんらいは。……だって先生たちは俺の動作確認をするためだけに、昴も利用したってことですよね。そういうことですよね。わかりますよ。昴のタレントは近道装置ですからね。……ゆるしません。そのことだけは、俺はゆるしません。……これしか俺は言いたいことがないけれど」
角谷先生は、ゆっくりとうなずいた。
自分を嘲笑うかのように、苦しそうに、必死らしい笑顔で。
「……ごめんな、悦矢。ごめんな。私はおまえを殺そうとしたんだ……未来永劫、その事実は変わらない。世界人類社会のためとはいえ……私のメンタリティはつまるところ殺人者、いや、独裁者とおなじだよ」
「べつにいいよ。いま、俺生きてるし。……累ちゃんはそれを言いに来たのか」
「ああ、そうだ。――いまから高柱昴のもとに行くんだろう」
俺はうなずいた。
「中庭だ。あの人だかりはそういうことだ。……でも彼女のもとに行く前に私はどうしてもおまえに深海のことを話さなければならなかったから」
目の前のおとなの情けない笑顔は、背後の光よりもぴかぴかで。
「私のことはどうでもいいんだ。……深海のことを赦してやってくれ。頼む」
「……先生のことを恨んだことなんか、ないしさ」
俺はそう言いながら、カツンカツンと歩きはじめた。
角谷先生とすれ違ったその一瞬だけあとに、言う。
「……べつにアンタのことも恨まないよ。アンタはすごく立派な教師なんだなって思った。それだけのことだ」
それ以上は、べつにここにいて語るべきこともなかった。
歩調を速める。いっぽ、にほ、さんぽ。
そのうちひとつひとつの歩数をいちいち数えることなどやめて、タンタンタンとただただ走りはじめる。
やがては駆ける。足音など聞こえなくなるくらいに、
光がきっと強すぎる中庭へ、
はるかはるかその鈴だけを目指して、
俺は校舎だけは平凡すぎるほどの廊下を駆ける駆ける、
――廊下ダッシュもたしか校則違反だったよな、と、いまさらすぎることをふと思った。
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