ジャンク

 裁判室の外に出てみればそこは、廊下だった。後ろ手に裁判室の扉を閉めてしまえば、信じられないほどに平凡な校舎といった感じの、くすんだ白色を基調とした廊下だった。



 しかし歩いているうちに、まあやはり鬼ヶ原、そんなに平凡な廊下というわけでもないとわかってくる。なにせ、無限に続いているかのように果てしなく長い。廊下の果てが見えない。それに、ふつう校舎の廊下というのは片側が教室などの部屋でもういっぽうの側が窓という構造のはずだが、この廊下は両側とも部屋であるらしかった。緑の掲示板は教室棟とおなじように並んでいるが、掲示物はなにひとつとしてなく、取り残された画鋲すらここにはない。


 この廊下。……まるで迷宮だ。【鬼ヶ原は鬼でも迷う】と口ずさまれるのはほんとうだ。



 やけに静まり返っていた。すこし歩いてみても、生徒とも教師ともすれ違うこともない。部屋はいくらかあるようだ。だが、ほんらいならば【1-A】とか【音楽室】とか書いてあるはずの、部屋の上にかかった札を見てもすべてローマ数字が書いてあるばかりだ。しかも通常見るローマ数字だけではなく見慣れないアルファベットもあって、おそらくは大きな桁なのだろうという表記ばかり。……そういえばさっきの部屋はなんという名前だったのだろう。確認しておけばよかった。そうすりゃちょっとは推理でもなんでもできたかもしれないのに。


 後ろを振り返っても、俺が出てきた裁判室はどこなのかというのはもはやまったくわからない。いま目の前にある部屋の扉を引っ張ってみたが、開いてはいなかった。



 仕方がないので歩く、歩き続ける。だれもいないしおなじ景色。やがて俺は駆け出す。苛ついているわけではない。焦るべき状況のはずなのに、むしろ延々と走っていけるこの廊下は爽快だとさえ思った。

 ……テレポーテーション系のタレントやテレパシー系のタレントをもっているヤツはこういうとき便利なんだろうな、と思う。瞬時に知っている場所に移動すればいいだけだし、だれかに助けでも求めればいいだけのことだ。俺のエモーショナルプログラムなんて、実生活においてはなんら役に立たない。……兵器として使えば国単位で滅ぼすことのできるタレントだなんて、大層だが、じっさいの俺は長すぎる廊下から抜け出すことさえもできないのだ。



 俺はそのことがわかってよかったと――思う。

 それでも走る走る、走っていくと、――終わりはあった。



 ぱっくりと目の前に現れたのは、螺旋階段。真っ黒な螺旋階段は、くすんだ白色のこの廊下において、黒色だというのにひときわつやつやと輝いていた。そのくせひとつひとつの線が華奢といえるほど細い。……真っ黒なハイヒールってこんな感じなのだろうか、と思う。



 見上げると、螺旋階段はけっこう上のほうまで続いているみたいだ。折れてしまわないかとふっと思ったが、けれども上らないことにははじまらない。

 足を踏み出すと、きしむ。けれども俺はひとつひとつの段を、強く、強く踏みしめていく。

 その歩みにしたがって、俺はぼんやりと思う。



 ……ああ。そういえば、螺旋階段を上っていったのは、これがはじめてではないなあ。些細で、おぼろげすぎる記憶で……とくにこだわりもしていなかったのだが。

 あの螺旋階段も……たしか、こんな感じにつやつやと真っ黒だった。俺は鬼ヶ原学園に入学するとき、たしかに、ひとりきりであの螺旋階段を上っていった。これから先生と離れて暮らすのだ、という事実は、文章として頭のなかにあってもやたらつるりと上滑りするだけで、実感はまったくなかった。



 どろっとした笑顔が三日三晩、俺の前にあらわれた。いろんなことを質問され、身体面も精神面もさまざまな検査をされ、最後の最後によくわからない書類に指紋を押すように言われた。迷ったけれども、そこにはたくさんの【教師】たちがいた。どろどろどろどろとたくさんの笑顔が溶けていくような気がして、抗うことは無理だった。



 やっと【入学許可】が下りた俺は、ひとりで、あの螺旋階段を上っていった。そして俺は、鬼ヶ原学園に【入学】した。



 鬼ヶ原には鬼の棲む場所。教師であり、看守であり裁判官でもある世界人類社会の人間以外は、ここにいるのは鬼だけだ。……けれども【鬼に成る前】、鬼はなんだったのか。――鬼も、人間であった。すくなくとも、人間として扱われるべき存在だった。……サイキックも、アンドロイドも、ロボットも、クローンも。どのタイプのヤツだっておそらくは、多かれ少なかれ。人権や社会権をもつという意味でもそうだったかもしれないが……たとえそれらを有していなくとも、彼らは、……俺たちは、感情と思考をもった存在だと、そう認められていたはずだった。そう、すくなくとも、



 この鬼ヶ原に【廃棄処分】される前までは、みんな、人間だった。

 あるいは開発者から、あるいは研究所から、あるいはパトロンから、……呼びかたなんてどうでもいいが、俺たちにとっては家族にも等しいその相手に。そして、【恒久平和で絶対幸福な世界人類社会】とやらに。

 つまり、家族と社会、から。……俺たちにとってのすべてから。

 俺たちは【廃棄物ジャンク】という烙印を押された。


 だから、鬼に成っただけ。

 それも、望まず。



 ……だからみな、人間に【戻る】ことを望む。鬼ヶ原学園にはそのための制度――【内申書制度】もある。だからみな、内申書を稼ごうとする。内申書を絶対視するヤツは鬼ヶ原ではけっして軽蔑されない。……そんなのはごく自然な帰結だからだ。

 内申書がよければ、人間に戻れる。【世界人類社会】にとって有益だと認められ、人間として生きていくことができる。開発者も、研究所も、パトロンも。もうだれも、タレントのせいで迫害しない、いやむしろ、そのタレントがあるからこそあなたは必要な存在だと認められ、拍手喝采を浴びながら、【復帰】していくのだ。……そんな卒業生の話だって、俺たちは暗記してしまうくらいに聴かされている。

 簡単なことだ。

 ……俺たちだってふつうに生きたいって。

 ただそれだけを願うというだけのこと。

 がんばれば……もしかして、もしかしたら、抱きかかえるようにして、社会に、家族に、歓迎してもらえるんじゃないかと、

 ――そんな夢想を血を流しながら夢見ているというだけのこと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る