プログラムモード

 俺はプログラムモードにシフトする。

 通常の五感のどれにも当てはまらない、俺だけの感情世界エモーショナルワールド

 俺の感情そのものである七色の光は、ちかりちかり、と俺のこころの奥底でただただ遊ぶようにしてたゆたっている。

 それぞれの光に手を伸ばし、手のひらで包むようにして掴んだ。……もう乱暴にわし掴みなどしなくともよいのだ。



 感情は感情でしかない。それ以上でも以下でもない。そんなことはわかっているが。

 ひとつひとつの光は以前とは比べることもできないくらいに煌々と輝いていて。

 もしもこの感情の光が言語をもったのならばありがとうと言ってくれるようなそんな気さえ俺はしてきて――。

 そう思いながら俺は。

 ちゃんと、掴んだ。

 かたちが……曖昧な靄みたいではなく、ちゃんとふれることのできる宝石のようなものになっていることに、びっくりした。



 感情的存在、つまり人間は、エモーショナルプログラム起動時にはそこにいるとわかる。彼らの感情も読み取れる。ほとんどの感情はややダウナー、だが概して見ればフラット。

 宇宙に風があるとしたらきっとこんな感じだ。宇宙は真空、だから風は起こりようもない。そんなことは知っている。でもやっぱりこの遠く遠くゆったりとした流れは宇宙の風だとこうしてここに立つたびに思う。

 感情の光を、投げる投げる投げていく。宇宙の風を次々見切っては、ここだいまだ、と乗せていく。すう、すう、すう、と光は乗っていく。……紙ひこうきにもたとえられるのかもしれない。



 どうか共有してくれ。俺のこの感情を俺はいま、渡していくから。



 すべては間違っていなかったのだと俺はそう説明してみせるから。たとえ【すべては間違っていなかった】ということそのものが間違いなのだとしても俺は、そうする。

 最後のひとかけをたしかに相手に渡したことがわかった。

 俺は俺の感情を感染パンデミック》させることができる――。

 そう。それが【どういった感情であれ】。




 エモーショナルプログラムを終了させる。

 五感は現実に戻ってくる。裁判室、大きな鳥籠の出入り口と水のベール。




 落ちていく水の量が、ふいに激増する。きゃらきゃらと笑うのではなく、水は、だだだだだ、と雷のようにして駆け抜けていく。

 だから向こうにいるその相手のすがたが俺に見えるはずもない。



「……受け取りました。あなたの感情を。いつのまにかあなたはエモーショナルプログラムの【正しすぎる】用いかたに気がついていたようですね」



 俺は、その声にのみ耳を澄ませる。だだだだだと流れる水の音があっても、音響装置に工夫でもあるのか、なぜだろうどうしてだろう、俺の耳にその声はまっすぐ届く。



「あなたの感情は私の胸のなかにダイレクトに届きました。だから、よくわかりました。悦矢。……あなたは愛を知ったのですね」



 俺はどうしようもなくてうつむいた。

 ――そんな気恥ずかしいことを言うなんて、先生、……ありかよ。

 仕方ないなと言わんばかりに俺は、顔を上げ、もういちど笑った。……たぶん不器用すぎる笑顔だったと思うけど、

 言い切る。



「……はい」



 肯定する。

「……そうですか。それでは高柱昴さんによくよくよろしく」

「はい」





 閉廷っ、と声がして、カンカンカンと金属を叩くような音もする。足音も。いろんなひとが動いていく気配も。

 俺は目を閉じて音を聴いていた。……ひとつの終わりを示す音。

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