先生だけが人生だった
「どのように責任を取ります?」
りん、とそんな無責任なことをその声は言う。
「あなたが故意ではなかったとして。そのことは認めるしましょう。……それであなたは、矢野悦矢さん。あなたはどのようにして責任も過失もない被害者たちに責任を取るおつもりなんですか?」
しん、とふたたび静まり返る裁判室。
……このベールの向こうには、俺の言葉をいまかいまかと待ちかまえるおとなたちばっかりなのだ。きっと、手ぐすね引いて、俺にひとつでもなにか不足があれば流れる水より速い手つきで鳥籠を閉じようと、……そういう意味で俺の言葉を聴こうと待ちかまえているのだ。
俺はそっと目を閉じた。
きゃらきゃらきゃらといまも水の音は変わらずにうるさくて。聴覚なんかそう簡単に変わってくれるものでもなくて。
まぶたの裏に俺はかすかな先生の笑顔を思い浮かべる。
……ああ。先生。先生……。
鬼ヶ原学園は特殊なところだし、
俺はこの特殊な学園を早いところ卒業してしまいたいし、
俺にとっては先生だけが人生だ。
そのことは変わらない。……この子どもの笑い声のような水の音といっしょで、俺の十六年間の人生の意味だってそう簡単に変わりやしない。
けれどもひとつだけ過去形にしてもいいといまなら思える。
――俺にとっては先生だけが人生だった、と。
鬼ヶ原学園は特殊なところで、けれどもここには俺が知らないことが山のようにあって、
俺はこの特殊な学園を早いところ卒業してしまいたいし、けれども卒業までは俺はここにいてもいいといまなら思えて、
――そして。先生は、俺にとってかつては人生のすべてだったのだ、と。
先生。先生。
……あなたは俺に謝りかたのひとつも教えてくれなかった。
でも。――でも、さ。
俺は目覚めるときのようにゆっくりと目を開ける。
裁判中だなんて、もしかしたらこの場で俺がいちばんそんなこと信じられないくらいのもんで、ただ、ただただ、水が笑っている、笑い続けている、音も流れも残酷なほど無邪気なんだ。
――よりにもよって鳥籠ぶったきれいな斬首台のなかで、新しい夜明けだなどと歌うようにしてうそぶきはしないさ。
「……矢野悦矢?」
訝るような声に、おなじ程度のとげとげしさで返すつもりはもはや、ない。
「矢野悦矢。返事をしなさい。――それとも黙秘ですか」
まさか。俺は笑いそうだった。……まさかそんなこと。
「矢野悦矢。――矢野悦矢!」
そんなに呼ばずとも、わかっている、俺は応答するからさ。
だってさ。すこしだけだけど、わかったんだよ。
『まもるべきもののためには仕方ない』と言って俺にしがみついて号泣した先生の気持ちが、いま俺には、すこしだけ、わかったんだよ。……はじめてだよこんなの。あの先生のすがたを、怒りをもってして思い出さないなんて。
りん、と鈴が鳴る。べたべたに子どもっぽいツインテールの先端でりりんと鳴るふたつの鈴。
呆れたようなはにかむ笑顔。
天にも届くほどの高すぎて遠すぎる理想を抱いた小さな小さな大きすぎる生徒会長。
――悦矢。
驚くべきことに、俺をそう呼ぶひとはもう、先生だけではないのだ。
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