現代の闇と、自分たち

 つまりは、裁判。



「……それでは故意でなかったと?」



 はい、と俺は答える。すぐに気づいて、故意ではありませんでした、とつけ加えるのも忘れずに。こういった細かいことでも、記録を取られている。はい、という意味が曲解されてはたまらない。

 流れる水のベールの向こうがわの【裁判官】たちの顔を俺が見ることはできない。だから、だれが俺に質問しているのかはよくわからない。教師がその役目を担うはずだが、いまのところ知っている声はない。俺とかかわりのない教師たちがいま、ベールの向こうにいるということなのだろう。



 ここは裁判室、だ。【裁判所】ではない、【裁判室】だ。



 噂には聞いていたが、なるほどたしかにここも独特な部屋だ。講堂のようにずらりと並んだ座席。あいだを空けて、ちらちらと教師たちが座っている。一部は、生徒も。知った顔ばかりだ。生徒はひとところに固められているようだった。


 昴は当然、いない。昴もいまごろ裁判を受けているはずだ。もしかしたら俺とおなじような、海の底のような、そっくりだが別の【裁判室】で。

空間の大きさは体育館ほど。座った者たちが向いた方向、通常の教室で言えば黒板があるところには、人間がすっぽりと入る籠が吊るされている。どう見ても鳥籠のかたちをしている。


 その鳥籠のなかで俺は、立っている。俺がこのなかに入って、鍵はかけずに裁判がはじまったが、裁判がはじまる前に言われた。……裁かれる逸脱者は例外なくここに立たされるのだと。無罪となればこの扉は即座に開くが、有罪となればこの扉には鍵がかけられるのだと。……【鍵をかける】という、面白半分のあの言い回し。そうか、鬼ヶ原特有のものなんだな、と俺ははじめてわかった。


 俺はあくまでも、立っているのだ。自分の意志で、ここに。だから俺は、立たされている、とはけっして言わない。




 俺は質問によどみなく答えつつ、この部屋を観察する。

裁判をするための部屋だというのに、どこか、子どもの見る夢のような部屋だ。

床も座席も天井も、全体が水色で統一されていて、寒色なのに明るいその色はどことなく、子どもの世界を思わせる。幼稚園や小学校にこういったべたべたのパステルカラーがあったような気がするから、そう思ったのかもしれない。でもこの部屋を子どもの世界にたとえるならば、そこにいる子どもたちは永遠の幽霊みたいにもの静かで口を閉ざしていることだろう。……ここは喋らせるための裁判室だというのに。

 壁が確認できないという点も変わっている。壁の代わりに、天井からさらさらとベールのような水が垂れている。ベールのようなその水が重なりに重なって、部屋の区切りである壁は見えないのだ。……つまり、感覚としては、この部屋は無限の海の底の一角にぽつんと存在する椅子と鳥籠、という感じ。

 ――鬼ヶ原は特殊だから。

 鬼ヶ原学園は自治が原則だ。校内の揉めごとは校内だけで解決する。外部社会の法律はここでは関係ないし、外部社会の法律とは矛盾する判決もしばしばある。倫理観の欠如が問題だと嘆いてくれる心優しい外部社会の人間もいるらしいが、安全なところからなされるそんな嘆きは、鬼たちのこの学園では紙くず程度の意味すらもたないのだ。



「ふむ。それでは、矢野悦矢、あなたはあの事件にかんして、故意ではなかったと主張するのですね」


 三度めの質問。「はい、故意ではありませんでした」と返す俺も、三度めの台詞。


 中性的でどこか人間らしくない声が、ベールという膜越しにくぐもって届く。

「故意ではなかったということですが、あなたのエモーショナルプログラムの影響で、多くの生徒たちが被害を受けました、そしていまなお後遺症に苦しむ生徒もいます、……彼らに対してなにか言いたいことは?」

「……被害情報を教えていただけますか。具体的に。……その程度の情報も俺には届かないんですよ」



 沈黙。向こうの返事がないと、さらさらという水の音だけが子どもたちのはしゃいだ笑い声のようにうるさい。



 そして嘲笑うかのように声は、

「そんなのわかるでしょうあなた、だって、」

「わかりませんよ……」


 どうにかどうにか、気持ちを抑えて、声を荒げたりなどしないように。


「……俺にはわからないことだらけなんです。なんでも。世界のこともですし、学園のことも、たぶん感情のことだってわかっちゃいないんです。なにも……たぶん、だいじなことも。……そもそも俺はここに来たのがどうしてだかわかっちゃないし、『高校に行けるからね』と、先生がそう言ったから通ってるだけで、……俺は、感情兵器をコントロールできるようになれば卒業できるって、そのことだけ、知ってるんです」


 またしても、沈黙。きゃらきゃらと。水の音だけがきゃらきゃらと。

 そして問いがすっすっすっと、それぞれ異なる声で、連続して投げかけられる。だから俺も答える。


「……【先生】というのは、あなたの親権と開発権をもつ矢野深海博士のことで間違えないですか」

「間違いありません」

「……いまその話は裁判に関係あることなのでしょうか」

「関係あります、俺はなにもわかってないんです、知らされてないし教育されしなかった、だから故意ではなかったと主張します、……俺が知ろうとしなかったのは悪かったと思う、いまならすごくそう思うけど、……俺はそれでもそんなつもりはなかったんです。多くの……おなじ学園の生徒たちを苦しめるつもりなんてなかったんだ」

「……それでは私のほうから説明させていただきますが。もちろんのこと被害者によっていろいろな後遺症があることはまず、わかってくださいね。しかしいちばん多く確認されている後遺症というのはいわゆる【感情機能障害】……そのまんまですね、感情がうまく機能しなくなる状態です。悲しむべき状況で笑ってしまう。喜ぶべき状況で顔をしかめて手近にあるものを割ってしまう。感情と身体表現が一致しなくなる。そしてやがては感情そのものを見失っていきます。……まあ現代病ですな、現代の功罪の罪のほうです、科学文明である現代の闇ですな」



 わかったような口ぶりだが俺はぐっと堪える。



 感情機能障害だと。現代病だと。功罪の罪だと。

 そんなのは俺だって昴だってそうだ。

 俺たちはあたかも、俺たちが悪いかのように言われてきた、……いまもむかしもずっとずっと変わらずにずっと、石を投げられてきた。

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