母上
「違う。違う……これは僕の独断、例外的判断で、」
「――もうそういうのやめろよ!」
俺は昴の肩を揺さぶった。昴は、泣きそうな顔をしている。
「……感情機能を破壊して人体を構築することなんて、可能なのか? ……いや。あのバグインザワールドだったらもしかしたら、できるのかもしれないな。でもそうやって生み出された【人間】が、人間とともに生きて暮らして、感情をもたないなんて言いきれないだろ、……そんなのはたとえあのバグだって、わかんないことだろ?」
「できるんよ! あのひとなら……できる! それくらいのこと、いともたやすく!」
「じゃあなんでおまえはいま泣いてるんだよ!」
「これは!」
昴は溢れ出る涙を、セーラー服の裾で強引に拭う。
「……これはそういうもんなんよ、僕は僕で感情のあるふりをしなくちゃいけないし、僕は母上に徹底的にそう教育されただけで!」
「――おまえが、高柱天に、感情機能をぶっ壊されたんじゃなくて、【自分には感情がない】と思い込ませる教育……いや、洗脳をしただけだったらどうだよ?」
「……ち、がう、あのひとはそんな生半可なことはしない!」
「いいや、俺はむしろ、高柱天だからこそそっちのほうがやると思うぞ。【快】であれば笑う。【不快】であれば泣く。でもそういうふうに感情の論理が結びつかなかったら、自分のなかだけに感情が残って、けっして外に出すことはできないだろ?」
「……僕は感情の論理をもっていないだけよ、」
「じゃあこう考えろ、無理にでもこう考えろ! ……高柱天はおまえを感情機能なしに生んだのではない。感情機能がうまく働かないように教育しただけだった。バグインザワールドだったらそのくらいたやすいだろ、心理学だの脳科学だのなんでもプロフェッショナル以上なんだから、事実なんかどうでもいいんだよ、――後づけでもいいからそう考えてみろよ!」
「なんのために!」
「おまえの感情を取り戻すためだよ!」
「だから僕は感情なんかないって言ってるだろ!?」
「もういちど訊く、しつこかろうがなんどでもなんどでも俺はおまえに問うぞ、――じゃあなんでおまえは! いま! 泣いてるんだよ!」
「だから僕はっ……!」
俺は昴の肩をそのまま強く揺さぶろうとして、手を離し、うなだれた。
「……俺には、おまえが、苦しがっているようにしか見えない。高すぎる遠すぎる理想を前に、堂々と笑顔を見せながら、泣いているようにしか、見えないんだよ」
どう反応が来るかと思ったが、昴は、戸惑ったようにか細い声で呟いた。
「なんだい急に詩でも書くみたいに……そんなガラじゃないだろうに」
「ああ、ガラじゃないさ、おまえを前にすると、俺はガラじゃないことしかできなくなる。だいたいだれかの面倒を見るのなんてまっぴらなんだよ、……感情兵器の感情が、揺れるからな、俺はなるべく感情を動かさないようにして生きてかなきゃならないからな……」
「だったら、なおさら、僕の言う通りその感情兵器を取り除いて生きたまえよ、僕は、僕だけが悦矢にそうすることができるんよ……!」
「おまえはその前に自分の感情を自覚しろって言ってんだよ!」
俺が勢い込んで顔を上げると、昴は困っていた。
ほんとうに困っている、というような表情をしていた。
俺は一転、静かな声で、語りかける。
「……俺は信じない。バグの言うことなんか、信じないぞ」
「……きみ、母上のことを……」
「バグだ。おまえの母親なんか俺はただのバグって呼んでやる。娘を愛しすぎた単なるバグだ。モンペだ毒親だ。おまえの人生を束縛し続ける共依存願望の機能不全なただのバグ親だ」
「ちょっと悦矢なに言って……」
「おまえには! 感情があるだろ!」
昴はもう否定するのも疲れたかのように俺を見る。
「ある、あるんだ、あるったらある! おまえは【それが感情だと】自覚できていないだけだ……感情機能がない? ペーストされた感情に耐え切れない? だったら表情なんかいらないだろ、涙腺だって笑顔だって目の輝きだって、なんもかも、いらないはずだろ!」
「だから僕は! 僕は、――」
昴はいよいよむっとして、なにかを言おうとした。
しかし、その言葉は途中でぽかりと止まった。
むっとした表情が、静止し、ゆっくりと消え、なにかほかの感情がじわりじわりと染み渡るようにして広がっていく。……なんと言えばいいのか。困惑。驚き。近い、だがすこし違う。
いま昴のなかに満ち満ちているのは、きっと、透明な色をした新鮮な感情だ。
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