悦矢の話(2)感情機能がないってどういうことだよ

「……先生、かい。矢野深海さんのことかいね」

「そうだ。……やっぱり知ってたか」

「ああ。僕もあのひとから彼女についての話は飽きるほど聞いた。……母上が、僕以外に、話ができる相手として認識していたのは、矢野深海さんだけだったいな」

「先生は地味なひとだった。おまえの母親……高柱天とは、違う。たとえばな。少年漫画と少年向けの小説が棚にずらりとあったんだ。現代のじゃない、古いやつだ。現代の漫画も小説も社会問題を解決するためだけのものだが、前は単純に楽しいだけっていう漫画や小説があったんだ……。すげえんだぜ。先生の寝室にあるんだ、それも先生のベッドの横の棚一面が漫画と小説。夢だったんだって、あのひと、珍しく笑ってた。……いつかちゃんと社会人になって、自分でちゃんと稼ぐことができたら、広い寝室の壁を一面本棚にして、夜とか休日とか、寝転びながらいくらでも漫画や小説を読みたかったんだと。笑っちまうよな。……ちゃんと稼ぐ、どころじゃないんだぜ、あのひとの収入といったら。なんせ【スーパーギフテッド】だ……世界じゅうの漫画でもラノベでもその気になれば買い占められるだろうよ。でも先生はあれで満足してた。……あの寝室が先生の夢だったんだと」

「なあ、悦矢」


 昴はどこか呆れたように、でも柔らかく微笑んでいた。


「きみは彼女の話をするときには……ずいぶん優しい顔をするんね」


 なんだかなにかを言い当てられたような気がした。ばつが悪い。


「……いや。そういうわけじゃないけど。――とにかく、かつての若者たちには、中二病ってのがあったんだ」

「はいな、中二病。……そんで?」

「そうだ。……で、だ。中二病のヤツらが好んだ題材っていうのはいろいろあるんだが、【感情】っていうのも人気だったんだ」


 昴はわずかに顎を引く。


「……感情、かい?」

「ああ。感情がなかったり希薄だったり自覚してないヤツがいてさ。主人公だったり、ヒロインだったりすんだけど。なんかの事情でうまいこと感情がなくてさ、感情を取り戻していく話。……そんなのもありがちだったな」


 昴は引いた顎のまま、睨むようにして俺をうかがう。


「……なにを言いたいんね」

「おまえはいまそれだよなーって」


 昴はふっと視線を落とすと、ため息を吐いた。


「きみならそこらはわかってると思っていたが。……僕ぁそーいうんとは違うよ。僕はもともと感情機能がない。そういうふうに【創られた】んよ」

「感情機能がないってどういうことだよ」


 俺の若干強い声に、昴は弾かれたように俺を見た。


「感情機能が、ないない、っておまえ、言うけどさ。……それって具体的にどういうことなんだよ?」

「まんまの意味よ、僕には感情を感じる機能が欠けていて、」

「――演説するおまえを見て俺はおまえがなんて感情豊かなんだろうと思ってた。そのあと、おまえが近づいてきてさ。おまえはころころ表情が変わるんだ。おまえの笑顔も怒り顔も泣き顔もなんもかも、うっとうしくてうるさかった。おまえの感情は……それほどすごかった」

「だからそれはそういうふりなんだって、」

「俺にとっちゃおまえは感情豊かな人間なんだよ!」


 びくっ、と怯えたような顔を見せる。……はじめて。


「おまえがほんとのほんとに感情のない機械、いや、ただの物体だっていうなら、おまえは理屈だけで合理的に動くべきなんだ……高柱天という親のためだけに動くべきだろう? それじゃあなんで俺を助けに来た? ここまで俺を助けに来たんだよ! 理屈じゃないよなあ、合理的じゃないよなあ、メリットなんざほとんどねえのにリスクだらけだよ。それは高柱天の望んだことなのかよ。……違うだろ、なあ、違うんだろ!?」

「ああ。……僕の独断だ」




「それがおまえの感情だよ!」

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