カスの感情、そして雑音

 前の列で、――ローマの兵士が、隣に並ぶ取り巻きに耳打ちした。二年四組の列で、さわさわ、と波のような小声の集まりが起こる。伝染するかのように、隣の列へ後ろの列へ、ざわざわざわざわ、と止めようのないほどの、ざわめきが、発生する。発生していく。


 校長先生の話を邪魔するのは校則違反。――だがそれはつまり、校長が邪魔と思わなければ、校則違反ではないということを意味する。悪趣味なんだ。いつもの流れ。そう、いつもの。



 けれどもいつもと違うことは、



『それでは申しちゃってくださいよ高柱昴、生徒会長!』



 校長の慇懃な物言い、実質的には命令に対して、



 ぴん、と興味津々な沈黙が張りつめたあとに、

 高柱昴がぴっと手を上げ、

 述べる名前が、



「――矢野悦矢」



 りん、と、

 体育館に響く名前が――ほかならない、俺の名前だということだ。




 ああ。まったく。どうしてくれるんだ。……どうしようもない。



「……ですよねえ、角谷先生が担任している二年四組の生徒で、かつ、超能力者で、かつ、強い能力をもった生徒ってえなると、ほかはひとりもいないんですわ――なあ、そうよなあ、どう思うかね、二年四組の諸君らよお?」

「――そうですそうです、生徒会長サマ!」


 ローマの兵士が両手をおもねるように握りあわせ、嬉しそうに叫ぶ。……実際、おもねっているのだろう。


「ねえ生徒会長サマ、お優しく賢くていらっしゃるあなたならわかってくださいますよねえ、矢野悦矢っていうこのサイテーの超能力者は、自分の能力がちょっと隠されててヤバそうってのをいいことに、われわれの教室をいーっつも脅かしてるんですよぉ!」

「そうそうデキムスさんの言う通りなんっす! ほんとこいつ凶暴で」

「泣かされた女子とかもいて」

「きのうもデキムスさんに暴力振るったんですよこいつ! チョーいっぽーてきで、いじめっすよねそれって! ぼーりょく、はんたいー!」


 取り巻きどもも吠える吠える。

 ずっと、矢野さん、とか言ってたくせに、

 ――状況が変わればあっというまに、こいつ呼び、に転落か。……まあ、そんなもんだ、いまさらこいつらに、――カスみたいなヤツらに形の上だけでも尊敬されたいなんざ思わねえが。



 ……しかし、

 そっと、目を閉じた。


 ……ああ。痛い。痛いなあ。

 粘つく視線というのはこんなにも、不愉快なものだったんだなあ。


 ……消し去ってやりたい。

 あるいは、呑み込み去ってやりたい。

 どちらだって、おなじことだ。

 おなじこと……。



 カスの感情というのはカスでまったく不愉快だ。





『よろしいそれではおまえが犯人なんですね二年四組矢野悦矢くん、』



 そしてどこか甲高く相変わらず慇懃な校長の声、

 ……そこに、その瞬間、

 ざざざざっ、と強いノイズ音が入った。



 俺は目を開ける。スピーカーは、壊れることもなく、変わらず壇上にある。

 校長の声がすさまじいざらざら音のなかで断片的に聞こえてくるが、なにを言っているかはもはや聞き取れない。教師たちが何人か、外へ走っていく。




 ぶつん、と容赦のない音を立てて、通信は途絶えたらしかった。




 ――いままでに、なかったことだ。こんなことは。校長との通信は、なにがなんでも、完遂されるものだった。……たとえ流血沙汰になろうとなんだろうと、校長というのは、最後の最後まで喋り通す人間のはずなんだ。

 けれども通信が途絶えた。



「……矢野くん」



 声が、聞こえた。頭のなかで、ではなく、耳もとで、はっきりと。



「あの、あたし、です。飯原凪奈、です。……いまの、あたしが、やりました」






 ――耳もとに直接声をテレパスしている。

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