ロボット少女のお礼

「……あ、の」


 だいたいな、

 ローマ兵を中心としたあいつらはいつも、ぎゃあぎゃあとうるさい。あいつらがいないだけで、二年四組の教室はこんなにも静かだ。喧騒さえもさざ波のようで。……俺のほうには決して寄ってこないさざ波は、距離を取れるから、まだ許せる。


「あ、の、」


 とりあえずこの後は、夕の給食だろ。机と机を馬鹿みたいにくっつけて、うまくもない飯を食って。男女別そして種族別に、入浴の時間があって。入浴前と入浴後は自由時間で。夜の十一時までは起床していていいことになっているが、十時も近くなれば、机を移動させて布団を敷いても、クラスメイトも警備員も、うるさく言うことはない。



「あのっ!」



 大きな声がした。

 俺はそこで初めて、目の前の――飯原凪奈が、声を上げたことに気がついた。

 うずくまっていたはずがいつのまにか立ち上がっていて、かたく握った両の拳は震えている。


 普段はがっちりとつけている印象しかない眼鏡が大きくずれ、覗いている瞳は両方とも、――金色だった。俺は、初めて、気づいたかもしれない。あまりにも眼鏡が分厚いし、いつもうつむいているから。……もしかしたら、その瞳を隠したいのかもしれない、となんとなく思った。鬼ヶ原には、特性ゆえ、……そういうコンプレックスを持ってるやつは珍しくない。


「……なに?」

「あ、あの、あ、あっ、あのあのあの、あ、あのっ!」

「……あの、しか言ってないぞ」

「ありがとうごひゃまひっ、ま、まひっ、――ありがとうございまひたっ!」


 飯原凪奈は最後も噛み噛みでそう言うと、勢いよく頭を下げた。

 俺はぽりぽりと顎を掻いた。

 ……こういうのはどうも決まりが悪い。


「いや、べつに。悪いけど俺は、飯原さんのためっていうか、静かにしてほしくてそうしただけだから。べつに、感謝とかいらないから」


 俺はそれだけ言うと、さっさと自分の席についてしまおうと思った。

 背中を向けたが、飯原凪奈の声はなおも飛んできた。


「あひゃあたっ、あ、あひゃあたし、あたしっ、――恩返し、したいですっ! 矢野くんに、恩返し、させてほしいです! 矢野くん、いま、――生徒会長に利用されそうになってるんですよね!? それで、あの……そんな気持ちになって!」

「――なっ」


 俺は振り向く――なんでそのこと、


「なんで……そのことを言うんだよ。それに、そんな気持ちってなんだよ、――まさか心のなかでも読めるのか?」


 ――まるで、脅しみたいに。


「あひゃしっ、あたし、の、能力です、特殊能力です、――いままで怖くてあたし、利用されるのも怖くてあたし、言わなかったんですけど、でもっ、――あたしを助けてくれて、名前まで覚えてくれていた、矢野くんになら、――捧げられます!」


 ここはあくまで教室であって、

 こんな場所で、

 しかも飯原凪奈はなぜか顔を真っ赤にしていて、


「――あたし、飯原凪奈! 世界コミュニケーション媒体同盟のっ、研究員、飯原聡子さとこの、第五実験体、トランシーバー型ロボット、ですっ、……廃棄、されちゃったけど、もとはそうで」


 今まで見たこともないほど積極的に喋る喋るその顔は、ちょっとうつむきながらも喋る、その顔は、――人間みたいに恥じらっているかのようで。


「――凪奈、って名前も、凪のように穏やかな海のように、世を平和にしてねって、奈っていうのは、神聖な果樹のことで、――あたしは、あたしは、トランシーバー――無線機として、ひととっ、ひとのっ、無線をつなぐための、ロボット、なん、です……だから!」


 ぴこん、と、まるで動物の耳のように、二本のアンテナがその頭に生えた。


「矢野くん。――あたしを、使ってください!」

「……あー」



 俺は、こめかみに手を当てた。



 トランシーバー型ロボット――どういう仕組みなのかとかどういった電波ならば受信可能なのかとかどの程度の範囲なら感知できるのかとか、そのあたりはきちんと話を聴かないとわからないが、――そういうロボット、つまり相手の心理を科学的に読めてしまうようなロボットなどあっけないくらいにありうる、ということを、俺はもうちょっと承知しておくべきだった。


 

 教室は、ざわざわざわっと騒がしい。……ちょっと、喧騒のさざ波がこっちに寄ってきてしまってる感じもする。



「……飯原さん。ちょっと話が」

「はい! なんですかっ! 矢野くんのお話なら、あたし、なんでも! 喜んでっ!」

「……えーっと」

 なにをどう言えばいいのか。





 そのとき、がらがらり、とドアが開く。恰幅のよすぎる金髪のおばさんは、鬼ヶ原学園の警備員だ――つまりは卒業生ということ。



「はいはーい、親愛なる、逸脱者のみなさん! きょうもきょうとてミンチにされたくなかったら、みっちりきっちり、私たちの言うことに従ってくださいねえぇぇー、そら! いち、に、さん、し、の拍子で座る!」



 指揮棒を振り回しながらオペラ声で、わけのわからないノリで指示をまくしたてる。そんな彼女はサイキックなのかクローンかアンドロイドなのかロボットなのかということや、どうしてまず生徒として鬼ヶ原学園に来る資格があったのかも、どうしていま警備員をやっているのかも、俺たち生徒に知らされることはまず、ない。



 そんなにがみがみ言わなくとも、警備員に意味もなく逆らうヤツなどさすがにいない。だって、警備員は、元生徒ではあっても今は教師がわ、人間文明がわ、――権力がわだ。二年四組の俺たちは、すみやかに着席した。ローマの兵士も飯原凪奈も、もちろん。

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