人間定義は環境による

 今日も俺は、鬼ヶ原学園の端まで行って景色を観ていた。三十メートルはあろうという過剰な柵越しでも、それでも、空は見える。


 鬼ヶ原学園は、宙に浮いた孤独な島だ。

 画期的な技術やなんやら、空を飛ぶというかつての人類の夢だかなんだか、そんな大層だったものをこんなことにつかうなんざ、前時代の人類も浮かばれねえなあとつくづく思う。

 そもそもそんなふうに俺たちを空に隔離しなくたって、

 タレントを使ったらそれはつまり校則違反ってなことで、すぐにどこからかヘリコプターが飛んできて、「回収」されてしまうんだから。


 柵の格子のわずかな隙間からは、いつも、紅色に染まった雲が見える。それだけの景色。

この景色を観ていると、どうも感傷的になっていけない。



 きーん、こーん……。



 チャイムが鳴った。五時五十分のチャイム、つまりは六時十分前のチャイムで、生活空間に入れ、ということだ。



 鬼ヶ原学園は特殊だ。

 日が暮れても、帰宅、という行為をする生徒はひとりもいない。……鬼ヶ原学園の生徒はみな、例外なく、家などもっていない。――学園が、イコール、家なのだ。

 昼間に暮らす空間と、いちおうは寝起きする寮というところが、……建前上は、分かれているだけ。


 鬼ヶ原学園の敷地はとても広い。全校生徒三百人強なんて、軽く収まる。広すぎるくらいだ。

 俺たちは寄り道というものの楽しさも知らなければ、自室などによるプライバシーというものも決して与えられない。


 理由はよくわかっていない。生徒たちを管理するためだとか、逸脱者に与えるスペースはないのだとか、いざってときにスイッチひとつでこの島を消し飛ばせるのだとか、いろいろ納得できそうな理由や噂はあるけれども、正確なところはこの学園の生徒は誰も知らないと思う。


 不満を言う生徒は多い。もちろんのこと。学園の外では強い力を振り回していたヤツも多いだけ、なおさらだ。しかし最近はもうそんな生徒もいなくなってきた。……そういうヤツらは、すでにほとんどがヘリコプターに連れ去られて消えた。

 だからここ最近の鬼ヶ原学園は、静かだ。



 天井があって床どころか布団まであって、毎日人間用の食事が出てきて、気が向いたときには隣のヤツと喋ることまでできる。痛い思いもしないし、日々淡々と過ごしていれば、深くなにかを考えてしまうこともない。



 俺に言わせれば、

 ……バケモンにとっちゃ涙が出るほどありがたい待遇だと思うが。





 生活空間の入り口では、

「おーいっ、矢野!」

 担任の累ちゃん――角谷累子が大きく手を振っていた。


 俺はいままで以上にゆっくり歩く。角谷累子はひょいひょいと背を伸ばしながら手招きする。

「急げ急げっ、矢野! 走れ走れ、なんだ矢野、こないだの体力テストで五十メートル走三位だったそうじゃないかあ!」

「……それ全部で六人ですが。六人中三位ったって、普通オブ普通」

「なんだ、聞こえないぞ! なんだなんだ、矢野!」



 ……めんどくさくなってきたので俺は会話を放棄した。



 石造りのアーチにたどり着く。角谷先生は、よしよしよくできた、などと言って、歩きはじめた。あんなことを俺に言っといて、ゆっくりと。中庭を突っ切って、俺を二年四組の生活空間に連れていくつもりだろう。


 なにを言われたわけでもないが、なんとなく、隣を歩く。……あのちびっ子が極端なだけだが、角谷先生も、俺よりは身長が低くとも、あんなにも見下ろす感じではない。




「……なあ先生」

「なんだその口の聞き方は」

「じゃあ、累ちゃん!」

「そっちじゃない! 先生に、なあ、とはなにごとだ、敬語を使う!」



 めんどくさいよな、相変わらず。……俺は、ため息をついた。まあ、ここは、……ゆずってやるか。



「……先生は、怖くないんですか?」

「んー? なんだいきなり、どうした」

「いやべつに。なんでもないですけど。……先生は人間なんですよね。ロボットでもクローンでもアンドロイドでもサイキックでもなく」

「そりゃそうだ。教師といえどもひとりの人間よ」

「……怖くないんですか。俺たちが」


 逸脱者、という――化けものが。

 好奇心だ。……俺は好奇心で訊いている、あくまで。



 だが角谷先生は、からからと笑った。



「なにおかしなこと言ってんだ。教師が生徒を怖がってどうするよ」

「でも先生は人間で、」

「おまえらだって人間だ。ひとり残らずな」

「……でも俺は。それに、……アンドロイドだっているくらいだし。俺もそうだし……。人類にとって危険なヤツとか、頭をイジられたヤツとかは、人間ってーか、」


 ふうん、と角谷先生はつまらなそうにうなずいた。


「矢野。……人間を人間たらしめてるのは、なんだと思う?」

「……そういう難しいの、俺、わかんね」

「なんでもいいから言ってみな。テストだと思って」

「はあー? 無理だよ」

「ほら、言え言えなんでも、内申点下げるぞ」

「……言葉、とか。……権利、とか。あと、……社会に生きてることとか」



「最後のは惜しかったな。答えは、――環境、だ。人間は生まれたての赤ん坊のときだって人間だろ? 言葉も喋れなければ権利も主張できやしない、社会に貢献しているわけでもないよな、――でも赤ん坊は社会的に生きている。……人間社会に生きるひとりの社会的存在として、そう扱われるから、……そういう環境だから人間というのは人間なんだ」



 ……わからないようで、わかるようで、でも、やっぱり。



「……よくわかんねえよ。やっぱり」



 ――その定義だとやっぱり俺たちは、……鬼ヶ原の鬼たちは社会から追放されているから人間では、ない?



 歩きながらだというのに、角谷先生は器用に、ぽん、と俺の肩に手を置いた。



「いいんだよ、それでいい。……教師の言うことなんて真正面から受け取りすぎるなよ?」

「それ先生が言っていいのかよ……」

「ほれ、着いた」



 二年四組の、生活空間――俺の教室、あるいは俺の生活するところ、あるいは俺たちが毎晩閉じ込められる檻。



 夜は、鬼ヶ原学園から教師がいなくなる。教師たちが夜どこに行って、どこで眠っているのかは、生徒のだれひとりとして知らない。俺たちが知っていることは、とにかく、教師は夜どこかへ消えていき、朝になるとどこからともなく現れる、ということ。

 警備員はいるけど、――あいつらは【卒業生】だし。



「……先生は、」

 どこに、行くんですか。これから。

 人間としての夜を過ごすんですか。



 鬼ヶ原の鬼たちのことは忘れて、人間世界で、安らぐんですか――。



「ん? なんだ?」

「……なんでもない」


 俺はそれだけ言うと、背を向けて、――振り返らずに教室に入った。




 こーん、こーん……。

 平坦な音のチャイムが鳴る。

 午後、六時。

 鬼ヶ原学園の、――<幽世時間かくりよじかん>がはじまる。

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