【不純異性交際】のごとく
ほう、と息をつく。
目を開ければ、すべてはすでに終了している。……いつも通りの校舎。
俺は、また、羽多の感情をもらった。よくない、よくないんだと思いながらも、――【本能】に抗うのは難しい。
羽多には、幼いころから何回もやったことである。あのころはまだ俺に人並みの感情があって、羽多の隣にしゃがみ込んで、共感、することで、その感情を引き受けていた、……すくなくとも俺は幼馴染の女の子にそれを【やってあげている】つもりだった。
そして俺がこうなってからは、ほんとうの意味において残酷な意味で――何回も何回も何回も、繰り返してきたこと。
涙の跡などぱさぱさに乾いているだろうに、羽多は、わざとらしく花柄のハンカチを目元に当てている。何回も何回もハンカチを目元に押し当てるそのさまは、苛立ちさえ感じさせる。
きーん、こーん……。
四限のチャイムだ。
きーん、こーん……ともういっかい繰り返し、余韻を残して、フェードアウトしていく。
「……悦矢はすごいよね」
「なにが」
「あたしだったら、そんなの、だって、耐えられないもん」
「そんなのって」
「……あたしの、感情? そんなのを直接感じて、引き受けるなんてさ」
幼馴染は、おどけていて。
「悦矢は強いな」
「……いやべつに。そういうわけじゃないけど」
ただ、――ほしくなってしまうだけだ。
そこに、目の前に、……感情があれば。
羽多がそうすれば俺がそうすると羽多はわかっているだろうし俺がわかっているということも羽多はわかっているだろうし、それでも羽多がこうやってくるということは、
自由の極端に少ない鬼ヶ原学園においてもこうやって俺を、移動教室ですれ違うときでさえ俺を、さりげなく呼び止め、幼なじみっていう都合のよい事実だけを取り上げて俺に過剰に近づいていき、さりげなく人払いをして、俺に泣きつき、一瞬にして済ます、羽多は最初からすべてわかっているというわけだ、……もちろん俺も。
ああ、言葉にするとややこしいな。
もっと、シンプルなたとえにしようか――もっともそれが、【健全な高校生】にとって適切なものかは、微妙だが。
たとえば【不純異性交際】。
恋ともいえず愛ともいえず、ずるずるといってしまういわゆる、いわゆる友だち以上恋人未満ってなやつ、そんでそういう関係、ひと晩のアバンチュールとでもいうのか、もちろん鬼ヶ原学園においてもそういったことはとくに固く禁止されているわけだけれども、まあつまり、そういうことだ、
……羽多は、日常の感情をさっと俺に渡す。
ふたりとも、短い時間で、慣れている。
それはまるで、短い時間で抱き合ってしまう男女の営みのように――。
学校生活における羽多の普段の明るく溌剌としたあの笑顔からは、そんなこと、わかりもしないだろう。
「……楽になったけど」
羽多は最後に指で目もとを拭うと、普段の底抜けに明るい笑顔でもなく先程の全力の泣き顔でもなく、照れたような笑いを浮かべて言う。
「でも、ほんとに、部活はどうにかしなきゃ」
「っていうかそれだけで泣いたのかおまえ」
「それだけとか言わないでよね、あたしら真剣なのよ! ……んー、でもまあそうね。それだけ、ってわけじゃないわ。……昼休みは生徒会室に行ったから」
「マジか。そんな危ないこと」
「生徒会長と話さなきゃだったもん、そんな横暴やめてって。それで話したけど」
「話したけど、なんだよ」
羽多は黙り込む。
……そうか。そういうものだ。生徒会長、そして生徒会室というものは。
「部長として、部員の未来は守らねばならない、ってわけか
「そりゃそうよ。……ジャンクのまま外で生きたくないでしょ? 内申書も、なんでもね、……社会復帰よ、人間復帰は、ま、あんたは、」
羽多はぷつっと口をつぐんだ。……急に電源が落とされたかのように。
そして、話題を逸らすかのように続けるのだ。
「……てか、悦矢は気づいてた? この騒ぎ」
「どういう意味だよそれ」
「取り乱してないんだもん。みんな。大騒ぎだよ……タレント禁止だなんて。もしかして、ニブすぎて周りが騒いでるさえ気づいてない?」
「んなわけねーだろ。さすがに気づくわこんな騒ぎ。……ってかチャイム鳴ったぞ。行かなくていいのか」
「行くよ。……行くけど」
「あ、おい、おまえらなにしてる!」
教師の声に階段の上を振り向くと、素行チェックで厳しい若い男性教師だった。いまも紙を乗せたボードとボールペンを持って、かちかちかちとノックしながら階段を下りてきている。
「もうとっくに四限ははじまっているぞっ。しかもなんだこんなところでこそこそと男女二人で怪しい非常に怪しいっ。クラス出席番号名前を言いなさいほれ早くっ!」
まあでもこの教師は生徒名簿に素行不良のバツをつけていくということだけが趣味なのであって、生徒の顔と名前などいちいち覚えちゃいないんだ。
俺は小声で言った。
「羽多、早く行っちまえ。次、音楽なんだろ」
「あ、うん……」
羽多はうかがうような曖昧な視線で教師を見上げたあと、こくりと頷くと、たったった、と去って行った。……もう俺にかまうなよ、幼馴染。
「あっちょっと待ちなさい! ……はあ。神聖なる授業を堂々とボイコットするとは、次会ったときにはこーってり絞ってやらねばならんな! ……おや」
俺の顔を見た教師は、楽しそうにじんわりと顔を歪める。
「おや。おやおや。おーやおや? 君は例のもーんだいじくんではないかい?」
実に楽しそうな教師で。俺の内申書がまた、減点されることは必至で。これ以上、減点する余地などあるのだろうか。もう俺の内申書だけマイナスという概念を取り入れてもいいのではないだろうか。
この後のおそらくは生徒指導室で起こるであろうめんどくさいことを想像しながら、
俺は意味もなく、踊り場の何もない空間を見上げる。ちらちらと舞う埃は、昼休みの後に一番よく見かける気がするが、なぜだろうか。
羽多はこういうときに躊躇なく自分だけ逃げる。俺が逃がしてやっているという側面もあるのだが、でも俺がそうしてやると、羽多は躊躇なくそうするということだ。
羽多は弱い。羽多はずるい。けれども。
――多分、本当にめんどくさいのは羽多ではなく、俺だ。
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