幼馴染、泉水羽多
俺は教室に戻るべく、急ぎ足で廊下を歩いていた。
先ほど成績表の貼られていた、いつも時間を潰している場所は普通棟と特別棟をつなぐ短い廊下にあって、そこから歩いていくと教室はけっこう遠い。
そういうわけで、わき目も振らず歩いていた。そもそも周囲など見ていたくない。二年生であることを表す青色のネクタイをつけたいま、歩いていたくなんかないのだ。
……とか思っていたら、いま、もっとも出会いたくないやつが廊下の向こうから歩いてくる。
「あれ、悦矢」
スルーしてそのまま歩き去ろうとしたら、ガッと首もとを掴まれた。くすくす、とそばにいた女子たちが笑う。先行ってんよー、とおどけたようにひらひらと手を振られること、こいつはとくになにも思わないのだろうか。それに対してきれいな笑顔で応じているこいつもこいつである。
……おまえはいま俺の首もとをひっつかんでいるんだよ。
「痛い痛い痛いからやめろやめろ首はやめろやめて」
「あたしにあいさつは」
「なんで」
「あたしにあいさつ!」
「……はあ、いやほら痛い痛いって目立ってるしやめろやめろ!」
ぱっ、と手が離される。俺はふらふらと廊下の窓枠に片手をついた。
「もーお。幼なじみに会ったらおはようなんて常識でしょー?」
両手を腰に当てて頬を膨らますのは、幼なじみの
あとは、研究所での思い出もあるが、まあ、……それはそれで。
羽多は、いつも。茶色がかった淡い髪を高い位置でポニーテールにして、俺にはよくわからんのだが、オレンジ色とピンク色のでかいゴムみたいなもので結んでいる。……シュシュ、だっけか。男子でも背の高い俺よりは小さいが、女子にしては背が高く、武道家にしては心もとないほどすらりと痩せている。……胸は小学生のころからあまり成長しなかったのだろうか、と羽多を見ているとしみじみ黄昏てしまう。全体的には、まあ、かわいいというか。それなりに評判ではあるらしい。活発なところとか活発的なところがいいんだと。……わかってねえなあ、と思うが、べつに俺には関係のないことだ。
じっさい、俺は、羽多のことがあまり得意ではない。だがそのことを羽多に言うとなんとなくめんどそうなので、言わない。
「……あいさつって、幼なじみとか関係なくないかそれ。あとまじで俺のことシメにかかるのやめて。おまえ黒帯だろ有段者だろ武道の有段者が技使ったら犯罪なんだぞ」
「なに言ってんのよ。あんたそうやっていつも痛いふりして。……あたしなんか本気出せばひと捻りのくせにさ」
俺はそれについてはなにもコメントしないことにした。
「……それに! 空手の技なんていまひとっつも使ってないですよーだもんねー。そーんなこともわかんなくなっちゃったの、なまったわねえ悦矢も! べー」
「子どもかよ」
「子どもよ。成人してないもん。……でさ、」
羽多は珍しく声をひそめた。周囲をちらりと見る。
「あんたさ。どうしたのよ。……生徒会長のこと」
「ああ。昴のこと?」
あえて呼び捨てにしてやればさぞ羽多の反応が楽しかろうと思って口にしてみたら、ええっ、と羽多は叫んだ。口に手を当て、よろける。
「……え、あんた、じゃあやっぱり生徒会長の、」
「反応がおおげさだぞ」
「生徒会長の犬になっちゃったってわけ? う、っそでしょ、かわいそー……いくら悦矢だってそれはかわいそうすぎよぉ……そっか、次の犠牲者は悦矢だったんだ…………」
「ちょっと待て生徒会長ってそんなやばい……の?」
「さよなら悦矢……」
羽多はひらっと片手を振ると、たたたっと走り去って行ってしまった。
「……なんだよ。情緒不安定かよ」
気がつくと、周りがざわざわとしている。
たくさんの視線とスマホが俺に向けられている。
いぬいぬいぬ、劣等の無能力の留年性が生徒会長の犬と、さわさわと聞こえる単語。
「――なんだおまえら、ひとを撮るなよ、肖像権絡みで訴えるぞ!」
俺がぐるりと声を張り上げても、やつらは驚く顔ひとつせず、くすくすと笑いながら撮影を続けていた。
俺は過剰なため息だけを置き土産にして、さっさとその場を後にした。
チャイムが鳴ってから、すでにすこし時間が経っていて。廊下にひとなどいないはずなのに。廊下を歩いているあいだにもだれかには見られている気がするんだ。
じっさいにそういうタレント持ちに見られている可能性はおおいにある――。
……やっぱおかしいだろ。この学校。
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