交渉、成立

「証拠が、ないだろ。証拠が」

「そうなあ。まあ、あんたは昨年の一回めの二年生のときはずっと学年最底辺圏内にいたんに、今回のテストで急に数十人抜きってーのがまあ、奇妙にいるひとはいるはずなんさねえ、でもねえ。現時点での確実な証拠ってーのを提出するんは難しいかもだけれど、でも、――じゃあもっかいテストやってみよっかねえ?」


 にこにこ、と。


「まーさかまさか、たかだか一週間前程度の知識、覚えとらんとはいわんよね? ああ、ああ、まあそりゃあすこし抜けちゃったかもしれんねえ。だったらちょろっと難易度は落としてさあ。加点するとかなんとか、そいだったらみーんなもっかいやりたいんと違うん? ――ゆいいつあんたを除いてね?」


 ……こいつ。


「……そんなの。できないだろ、」

「できるんよなあそれが。……僕の立場を考えてみーな?」


 嫌な女だ。つくづく。

 もともと嫌いなタイプだと思っていたけれど、話してみると、こんなにもか。


「……なんだよ。劣等生の年上同級生をいじめて満足か?」

「まあじっさい気持ちいいことではあるやいなあ」

「……性格悪いな。噂通り」

「そーに噂しとった子ぉら、名前教えてくれんとな? ちょいと僕からもお礼言わんといけんのでねえ」


 小さくて。かわいくて。黙っていれば、きっと可憐な花なのに。

 ――どうしてこんなからだにこんなたましいが詰まっているのか。


「悪いようにはせんよ」

 また、目を細める。まるで猫のように。

「あんたはこの学校にとってだいじな人間だいなあ、邪険には扱わんてな。……あんたが僕の言うことおとなしく聴いてくれとったら、僕はずーっとカンニング、なんて、なかったことにするさね」


 おとなしく聴いている、かぎり、ということ――。


「ねえ、矢野悦矢くん? わかるよなあ。あんた頭悪くないと僕ぁ思うよ。……期待に応えたかったんよなあ?」


 ぱっと浮かぶ家族の喜ぶ顔、顔、顔。


「たまたま、遠くもないけど近くもない親戚が、この学園の運営母体にいたってだけの話よなあ? ……なあ? ――ううん、僕はぜーんぜん悪いことだと思わんよ。配られたカードを使ってプレイするってーのは人生っていうゲームの基本だいな? ……僕はあんたを責みゃしない。僕は僕のカードで勝負してるんよ」


 にこっ、と――。

 俺は口のなかをわずかに噛む。ちりっと血の味が、する。


「……なんだよ。俺がなにをすればいいっていうんだ」

「よくぞ聴いてくれたいな。簡単よ?」

 高柱昴は、ひとりで大きくうなずいた。

「僕がきみの秘密を尊重する代わりに、きみは僕に忠誠を誓いなさいな」

「……なんて?」

「ここに誓約書もあるのでな。……ここにサインすれば契約成立ってわけさー」


 胸ポケットからさらりと紙を取り出す。そして俺に突きつけられるのは、高級そうな羽ペン。


「……いやわけさーじゃなくて。は? なに?」

「サインってーのの法的効力、知ってっかい?」

「……いや知らん。っていうか。俺はなにも知らん」

「――だから留年するんよねえ」


 やはり、にこにこ、としている。……こいつの喋りかたというのが少しずつ掴めてきた。


「まあいいからさっさとサインしなさいなー。僕はそのためにここに来たんよ」

「……いや、おまえ、まじ、なに、」

「矢野悦矢くん、僕ぁきみが頭悪いとか評判通りの乱暴者で劣等生だとはけっして思わんが、それでもね究極的には、いまきみに理解してもらわんでもいいのでなー。僕は僕の目的があるんよ、そのためにきみの力が必要なんよ」

「……取り巻きだっていくらでもいるだろが」


 高柱昴は、こくり、と首を傾げた。


「あー、残り少ない休み時間で、校長室に行ってこおちょおせんせえとお話してこよっかなー、優秀な生徒会長の僕がいけば、こおちょおせんせえいつでもまじめに話聴いてくれるんよなー、それがたとえチクリとかなんとかであってもなー」

「――サインすりゃいんだろめんっどくせえやつだな!」


 俺はその手から羽ペンをむしり取り、乱暴にサインをした。高柱昴は紙をもちつつ、そのあいだずっと俺を楽しそうに見上げていた。……こうしていればただの小さな女子なのに。



 高柱昴は、俺のサインを確認すると、満足そうに胸ポケットにしまった。



「悦矢は背が高いんなあ」

「百八十五だよ、まあ少しな……ってかなんで俺の名前!」

「きみは書面で僕に忠誠を誓ったんよ? このくらい当たり前さね」

「……はっ、ご主人サマーとでも呼べってか? 悪趣味なやつだな」

「ううん。そんなこっ恥ずかしい呼びかたはやめておくれな。……昴、でいいんよ」

「……なんで親しくもない女子を名前呼びしなきゃなんねえんだよ」

「じゃあ、親しい女子なら名前呼びするってことかい?」

「……そういうことじゃねえよ」

「うん。まあ。ご主人サマはやめておくれなー、誤解されてしまうわな」

「忠誠だのなんだの言ったのはおまえだろが……」

「――悦矢は臆さないんね。……僕とも、ちゃんと話ができる」


 ひっそり、と笑ったその顔が、顔の造形に似つかわしくないほどさみしげでおとなっぽくて――俺は不覚にも、ぞくり、とした。



 きーん、こーん、かーん、こーん……。

 昼休み終了五分前、のチャイム。



 高柱昴は、ふいに口をにーっと引っ張ると、ぶいっ、と言いながらブイサインを繰り出してきた。……子どもかよ。

「なあなあ、悦矢。いーっ。にーっ」

 なにかおどけているが、わけがわからない。

「……はあ? なにそれ」

「それじゃあ放課後なー、悦矢!」



 そしてだぼだぼのブレザーをひらりと翻すと、そのまま背中を向けて廊下の遠く向こうへ駆けていった。

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