カンニングしたろ?
昼休み。ひと気のない廊下。きょうも俺は、掲示板に張り出された成績表をぼんやりと眺めていた。中間試験が終わってすでに一週間近く。いまさらわざわざ掲示板を見に来る生徒はいない――はずだった。
ぺた、ぺた、と上靴で廊下を歩く音がして、すこし離れたところで止む。俺はそちらを見る。
この学校の、いちばんの有名人がいた。
「なあ、なあ。二年三組出席番号三十八番、――矢野
「……あぁ?」
「きみってばさあ。……カンニングしたろ?」
腕を組んでえらそうにして、八重歯というよりは犬歯とでもいいたくなる白い歯を覗かせ、強気な笑顔を見せていた。……相変わらずちまい。女子の身長ってよくわからないが、たしかこいつは百五十センチに届かない身長であるらしい。ボブカット、というのだろうか、おかっぱにしてはつるつるとこぎれいな髪型をしている。ブレザーの制服にはきっと、皺のひとつもない。
集会やなんやでこいつが演説するたびに思うが、子犬の女王といった表現は当たっている、と。女王だろうがなんだろうが、子犬は子犬なわけで。……この学校は子犬にすっかり支配されている。くだらない学校だ。
りん、と響かせるように喋る。ソプラノの声はしかし、かわいいというよりは声を張った演劇を想わせる。
「……高柱昴、だよな。……生徒会長サマが俺なんかになんの用だよ?」
「ああ。僕のこと、ご存知なんなー。ありがたいこっちゃねえ」
「高柱昴を知らないとかこの学校の人間じゃなくないかそれ」
ははっ、と目まで細めて笑う。……その本性に似つかわしくない、くしゃっとした笑顔。
「じつにその通りかもしれんな。状況把握はだいじであるぞな?」
大海原のように巨大に広がる成績表。
俺は今回、七十七位で真んなかあたり。数字として考えれば縁起がいいのかもしれんが、そういうこっちゃないからねえ、とつまらないことをぐるぐる思う。……まあ。いままで万年最下位争いだったってことを思えば、ってな感じだ。
首をわずかに上に傾ければ、一位は、いつもの通り、高柱昴。得点もいつものごとく満点。
そう、高柱昴。
わが鬼ヶ原学園の誇る天才生徒会長。校内どころか全国レベルの学力、いろんな運
動部に引っ張りだこな運動能力、文化部では部員でもないのにそれこそ三年だって指導したり、つまり文武両道もきわまっている。子犬のような外見や独特の喋りかたやありすぎて溢れすぎている才能、嫉妬でもされるかと思いきや、俺はなんでだかわからないのだが、人望はありまくりで男子女子問わずファンクラブがいくつもある始末。まあ顔もかわいいんじゃないだろうか。
そして。あのすさまじいタレント――。
なんというか。テンプレートもここまで来ると苦笑するしかない。
「……生徒会長サマがなんの用だよ?」
「そういう口の利きかたはよろしくなかろうよ?」
「生徒会長サマでござんすからねえ、失礼つかまつりましたこれはこれは」
「ひねくれてるねえ」
生徒会長は、眩しいものを見るかのように目を細める。
「きみのことは存じ上げていたけれどもさ。それじゃあ友だちいないん当然よな」
「あー、生徒会長サマはお友だちいーっぱいいていーなー」
「棒読みにもほどがあるんよな? ……っていうか、きみほんと表情筋動かないんね、しかもなんぞ言っても棒読みだし、面白いやっちゃですなあ、事実は噂よりも奇なり、ってか」
高柱昴はにこにこしている。
昼休みの喧騒は膜でも張ったみたいに遠い。
「……そいでもって。カンニングしたろ?」
「してないけど」
「だっておかしいよなあ」
その声調に責めるような響きはいっさいなく、どこまでも、おっとりとのほほんとしていて。
「僕は矢野悦矢くんの成績もなんも覚えているけど、」
「それってどこから流出するもんなんすか? 高柱ファミリーの特権?」
「ん? だっていまあんたも見てるじゃない目の前で。僕はそのまんま覚えるだけよねえ」
「……だって、二年だろ。今年からだろ」
「ああ、もし矢野悦矢くんの言ってることが『自分は留年したので昨年度においては成績発表は別の紙でおこなわれてたはずだ』ってーな具合の意味だったら、簡単なことよね。僕は全学年の全成績発表を覚えているだけってなこっちゃ」
「なんでだよ」
「必要上に迫られて、だいなあ。……だからこそこうやって実際的な対外交渉もできるんよ?」
昼だというのに、高柱昴の立つその後ろは変に埃っぽく薄暗い。
そして高柱昴は、にんまり、と笑う。
「……矢野悦矢くんがカンニングしたことはあきらかだいなあ。あんたはさ、成績不良で留年したんだもんなあ。……サボっただの努力がなんだりだの能力不足だの、そこまで僕は言わんけど、ともかく書類上は単位が取れず留年よなあ」
「……ああ。そうだよ。だからなんだよ」
「――この学校に入るの。ずいぶん苦労したげーだなあ。まあ大海原学園ったら名門私立だもんなあ、私立じゃあ日本で知らんひとそーにおらんてな」
「――だからなんだよ、」
「どーいって入ったん? 後学のために聴かせておくれな」
――馬鹿馬鹿しい。
俺は背中を向け、去ろうとした。
「いいんかい? ――僕ぁいますぐ校長室に突撃したっていいんよ?」
だん、と強く床を踏んで、仕方なく俺は、半分くるりと振り向いた。
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