あの感情の色をした夕焼け
大仰なアーチとなっている校門を抜ける。道は植木で挟まれた幅の広い一本道だ。俺たちにこの道以外の選択肢など、ない。
風は、校庭よりも涼しい。吊り橋が近づけば近づくほど、風の温度は下がっていく。
だが、帰り道のこの風も冷たく感じなくなってきた。……もうすぐ、五月か。
……どうせこのまま吊り橋を渡って、寮に戻るしかない。ゲーセンもファストフード店もない。そもそも街など鬼ヶ原にあるわけもなく。中途半端な時間だからほかの生徒のすがたもない。ほとんどのヤツは部活にいそしんでいるし、帰って勉強するようなヤツらはもうとっくに寮に戻っている。……ぜんぶ累ちゃんのお説教のせいだ。
俺はため息をついて、足を進める。吊り橋当番の教師がこちらに気づく。前年度の担任の工藤先生だった。たまたまなのだろうが、工藤先生はまだ新任の部類だからなのか、こういった当番に回されているところをよく見かける。
「ああっ、矢野くんだーっ、矢野くーん!」
ぴょんぴょん跳ねながらぶんぶんと手を振るすがたは、とても教師らしくない。白衣の胸元を大きく開けて見せるピンクのワンピース。文句なく似合っている。……これで女性だったらなあ。男が女装してるなんて信じられっかこれ。俺とおなじ男なんだぜこのひと。嘘だろ。
……だからこそいい、って
「……ちっす」
俺は工藤先生に学生カードを差し出す。下校のあかしだ。鬼ヶ原の生徒は、登校時と下校時、吊り橋を渡るときにかならず、学生カードにデジタルスタンプを押される。そしていっかいスタンプを押されれば、その日はふたたび吊り橋を通行することはできない。
工藤先生は真剣そのものの顔で、首に提げたバーコードを俺の学生カードに押し当てる。摘んだ花でも差し出すかのように、はい、と満面の笑顔で俺に返してくれた。
そのまま軽く会釈だけして、吊り橋を渡っていこうとした。が、ねえねえ矢野くんっ、と呼び止められる。俺は仕方なく足を止める。
「矢野くん珍しいねえ。いつもなら真っ先に吊り橋渡ってくるじゃない。僕はね、賭けをしてるんですよ、下校のときに、矢野くんが一番乗りの割合っていくらなのかなーって、ふふっ、変でしょ、理系の性なんだよね。そしたら矢野くんぶっちぎりで一番だったよ? 一番の日なんと六割、それ以外の日も矢野くんがトップスリー入りの日を数えてみたらなんと九割、すごいすごいっ」
「……べつに。俺は早く帰りたいだけ。部活なんかしてるわけでもないし」
「矢野くん集団行動嫌いだもんねーっ。僕もこれでけっこう孤高気取りってとこあるし、いいと思いますよ? ……でもきょうは角谷先生に呼び出されちゃったんでしょ」
「……なんで知ってるんすか」
「矢野くんのことは角谷先生と連携プレイだもーんっ、そりゃあ知ってるよー。……角谷先生って、ほら、ちょっときついとこあるけど、あれでもほんとに矢野くんのこと考えてるんだよ? ……教師ってのも難しい立場でさ。ほら、角谷先生は優秀な研究員でもいらっしゃるし……その、自由に振る舞えないとこあるんだよ。でも矢野くんを思いやる気持ちはほんとうだと思う。だからあんまり深く気にせず、でもね、考えることはちゃんと考えたほうがお得だよ、ねっ?」
「……そうやってカバーすることまで込み込みで連携プレイ、ってわけか」
「――ううん違うの違うそうじゃなくって、」
「俺早く帰って勉強しなきゃなんないんだよ、センセ」
俺はそう吐き捨てて、矢野くんっ、と工藤先生が呼ぶのをかまわず歩き出した、そしてやがては、駆けだす。
幅がたっぷりと広く取られた吊り橋。鬼ヶ原というこの地の、<
透明なガラスを通した世界は夕暮れ。足もとには雲海が広がる。雲の上なんてしょせんはこんなもんなのだ。浪漫もなければ天国もない。ただ、鬼たちの行き着く地があるというだけだ。
俺は吊り橋をひたすらに駆けていく。足がもつれそうになりながら、それでも。
俺は学校では【タレントがないことになっている】。タレントのない生徒というのが鬼ヶ原ではまず矛盾している存在なわけだが、なんらかの事情でタレントを持たずに放り込まれてしまったのだと思われている。蔑まれ、嗤われ、同情される。
この地ではタレントが強ければ強いほど生き残れる。タレントの強さはなによりもだいじな評価軸だ。だから鬼ヶ原学園にいながらしてタレントを発揮し誇示しないことなど【ありえない】、……ましてや、入学してから二年以上してもタレントを発揮しない俺はすでに、【タレントがないことになっている】のだ。
……面談室でも吊り橋でもタレント発揮不可能のどんな場所でも、俺は、ほかのヤツらが言うみたいに、タレントが制御される違和感を感じたことがない。その事実は、誤解として緩やかに漏れ出ている。矢野悦矢は鬼ヶ原にいるというのにタレントを持たない、かわいそうな例外なのだと、おそらくは多くのひとたちが俺のことをそう思っている。
……言う気もない。もういちどあの力をつかってしまうくらいなら俺は、蔑まれ嗤われ同情されたほうがいい。そして内申点など稼げずにやがて放校が決まって【処分】されても、俺は、そちらのほうがずっと幸せなのだと思う。
生活島の入り口はもう近い。
ご愁傷さま、ご愁傷さま、俺はすでに人間として終わっている。
人類の敵としてバケモノになってしまった俺をだれが、生かしてくれるというのだろうか。
生かしてくれないというのなら、生きているのもつらいから、どうか、俺を殺してほしい。憐れまないでくれ。……人間だった、しあわせだった、あの日々の記憶を抱えながら鬼として生きるくらいなら、俺は、殺してもらったほうが、らくなんだ。そうしてくれよ。だれか。どうか。どうせ俺なんかいらないんだろ。いないほうがいいんだろ。
――俺がいくらいくら謝ったところでけっして届きはしないんだ。広すぎる空に向けて、ひとりごとを言い続けるのとおなじこと。……それならば俺ができることなど、もう、この世界にはないじゃねえかよ。
立ち止まり、夕暮れを眺めた。
この夕暮れは、……あの感情の色をしている。
俺は、そんなふうにして、意味もなにもない学園生活をただただ消費している。
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