第73話 延暦寺焼討ち

 紅蓮の炎が舞い上がる。

 それをジッと見ている。

 大伽藍が燃えている。

 それを唯々、明智光秀はジッと見つめている。

 その光秀を、斎藤利三は静かに見つめている。

「あ、明智どの」

 声がするので、光秀が顔を向ける。利三も向ける。

 連行されている僧の一人が、周りの兵士たちを押し除け、光秀の前に駆け寄る。

「明智どの、お助けくだされ、何とぞ、何とぞ」

 初老の太った僧は、光秀の前で跪き、頭を下げる。

 おい、と言って、兵が僧を連れて行こうとする。

 それを光秀が手で制す。

「かつて私がこちらにいた際、皆様と多くのことを話しました」

 淡々と光秀は、老僧に語りかける。

「法論も交わしました」

 老僧をバッと顔を上げる。

「その時、私は皆様にこう申し上げた」

 光秀は冷めた目で、老僧を見つめる。

「酒色を断ち、女子を囲うのをやめ、御仏の道に精進しては如何かと・・・・」

 ああっ、と老僧は呟く。

「それをしないと、その内、仏罰が下ると」

 老僧は光秀から、顔を背ける。

「そうすると皆様は、私にこう申された」

 光秀は腰を下ろし、老僧に顔を近づける。

「我らに仏罰など降る訳が無い、我らが仏罰を下すのだ、我らが下すものが、仏罰だと」

 老僧の顔を両手で挟み、無理やり自分の方に光秀は向ける。

「これが仏罰だ」

 っぁああ、と老僧は震えながら呟く。

 光秀は立ち上がり、兵に、連れて行け、と命じる。

 老僧は抵抗を止め、そのまま兵に連行されていく。

 再び、光秀は燃え上がる大伽藍に視線を戻す。

 これで良いのだ、これが十兵衛さまの、そして道三さまの望んだ事。

 そう思いながら、燃え上がる大伽藍を眺める光秀を、利三は見つめる。

 ふと、顔を横に向けると、僧たちに続き、その僧が囲っている女子たち、その子供、寺の雑事をこなす寺男などが連行されていく。

 利三は目を瞑る。

 これで・・・・良いのだ。

 そう言い聞かせる。



 姉川の戦いの後、信長とその敵との戦いは激しさを増していった。

 またぞろ伊予に逃れていた三好が、摂津に侵攻する。

 信長が摂津に向かう。

 当然、その隙を浅井長政は見逃さない。

 既に長政の手勢と化している浅井浅倉連合軍を率い、京に進撃する。

 更に、かつて信長に居城を追われた六角勢にも、信長の攻撃する様、使者を送る。

 落ち延びていた先の甲賀の地侍を使い、六角勢も織田を攻撃。

 信長は同時に、三方から攻められたのである。

 一番厄介なのは長政であると見切った信長は、摂津の戦さを早々に切り上げ、反転、京の北、坂本で長政を打ち破る。

 長政はそのまま、比叡山延暦寺に逃げ込む。

 信長は延暦寺に長政の引き渡しを要請するが、延暦寺側はこれを拒む。

 寺社は御仏の場であり、世俗の力の及ばぬ神域だと、と言うのが延暦寺側の言い分だが、信長が領内の関所を壊し、市で商いを自由に行える様にしたので、本来、延暦寺の集まるはずの銭が集まらない為に、信長に反発しているのだ。

 仕方なく信長は比叡山を囲み、長政が出て来るのを待つ。


 この隙に、浅倉景鏡、前波景当らが、一万の兵を率い、琵琶湖の西岸の堅田に攻め込む。 

 堅田は琵琶湖の水運の拠点、東側の小谷を浅井に抑えられている織田にすれば、絶対に死守しなければならない。

 しかし叡山の包囲と、三好、六角との対応もある為、それほど兵は割けない。

 信長は坂井政尚に千の兵を与え、堅田の守りに付かせる。

 共に道三の旧臣である政尚とは、利三も親しかった。

 武略に秀でた男で、足軽鉄砲隊を率いさせれば、織田家中では、滝川一益に次ぐ武将である。

 しかし多勢に無勢、それに攻めての主将は浅倉景鏡。

 景鏡は光秀を介して織田に通じていた。しかし情勢が変わり手を切っている。 

 家中で裏切りの噂が流れたので、死に物狂いだ。

 前波景当は討ち取るものの、政尚も討たれ、堅田は奪われてしまう。

 

 その後も各地の対応に追われる信長は、叡山の包囲を解き、朝廷を通して和睦を図る。


 和睦はなったが、信長は当然、引く気はない。

 連合軍には、どう戦えば良いか?

 個別に叩いていくしかない。

 ではまずどこから叩くか?

「延暦寺を攻めるべきです」

 光秀は信長に、そう進言した。

「叡山を・・・」

「まことに?」

 織田の重臣たちは、ヒソヒソと囁き合った。

 尾張美濃の彼らからすれば、天台宗の総本山である延暦寺を攻撃するなど、恐れ多いのだろう。

 だが長く上方にいる利三には、違って見える。

 延暦寺の僧の堕落は、酷いものだし、何かと言うと武家と揉めている。

 足利六代公方義教や、管領の細川政元など、延暦寺を攻撃している者は何人もいる。

「徹底して、叩くべきでしょう」

 そう光秀は言う。

「徹底・・・・とは?」

 信長が眉を寄せる。

「叡山にいる者、全てを撫で斬りにするのです」

 えっ・・・・と織田の重臣たちは、声を失う。

「全て・・・とは、みな、全てか?」

 信長の問いに、はい、と短く光秀は答える。

「全て叩かねば、意味はありませぬ」

 光秀の言葉を、その背を眺めながら、利三は思う。

 これは道三さまの願いだ。

「で、あるか」

 信長の呟きに、黙って光秀は頭を下げる。

 おそらく信長も、その事に気づいたのだろう。

 光秀は試している。

 信長が、道三を継ぐ者に値するのかどうか。

「分かった、叡山を攻めよう」

 静かに信長は告げる。

「そして山にいる者は、全て撫で斬りにしよう」

 信長の決定に、家臣たちはざわめく。

 殿、と一人の家臣が声を上げる。

 なんじゃ?と信長が問う。

 その家臣、池田恒興が、前に進み出る。

「撫で斬りにするならば、朝駆けがよろしいかと思います」

 淡々とした口調で、恒興は言う。

「夜襲をかければ、夜陰に紛れて逃げる者が出るでしょう」

 此奴、と利三は恒興の横顔を眺める。

 利三は織田家中の者たちを、調べ上げている。

 池田恒興という男は、信長の乳母兄弟で、信長に対する忠義は厚い。

 しかしそれほど優秀な人物とは、見ていなかった。

 だがどうやら、利三が思っている以上に、信長に対する忠義が厚いのだろう。

 信長の為なら、平気で手を汚せるらしい。

 恒興の言葉に、そうだな、と信長が同意。

 そうなれば他の家臣たちも、従うしかない。

 こうして織田の延暦寺攻撃は開始された。



 延暦寺などの大きな寺社の高僧は、堕落し豊かな生活をしている。

 なぜそういう生活ができるかと言えば、寺社は関所を作り、門前で市を立て、その座の銭を取り、金貸しまでしているからだ。

 そういった連中を処刑するのは、利三もなんとも思わない。

 関所や座を無くし、自由な商いを行える様な世の中にする。

 それが斎藤道三の願った事であり、いま信長が目指しているものだ。

 だから大きな寺社を、叩き潰す。

 堕落した僧を、処刑していく。

 それは分かる。

 しかし・・・・・・・。

 痩せた貧しい身なりの僧が、連行されていく。

 多くの僧は、彼らの様に真面目に修行に励んでいる。

 堕落した僧に、批判的な者も多い。

 その彼らも処刑する。

 そして寺の雑事をこなす寺男や、高僧たちが囲っていた女、その子供まで皆殺しにすると、光秀は命じた。

 なぜそこまでするのか?

 その理由を、利三も理解している。

 だがやはり目の前にすると、迷いがある。

「・・・・・・・・」

 光秀はそれをジッと見つめている。

 迷いなく、それを受け入れている。

 そして果断に。決断できる。

 それが明智十兵衛光秀なのだ。


「ではいくぞ」

 光秀が歩き出す。ハハッ、と利三は続く。

 此度の延暦寺焼討ち、光秀は敢えて、一箇所逃げ道を作っておいた。

 兵法にあるとおり、敵は追い詰められれば、死に物狂いで戦う。

 そうなればこちらの損害も多い。

 そこで光秀は、地元の国衆、和田秀盛に、僧たちを匿う様に指示を出した。

 一部の僧たちは、秀盛を頼って逃げているはずだ。

 そこを叩く。

 それが光秀の策だ。

 見事な策だと、利三は思う。

 だが別に感心はしない。

 明智十兵衛光秀という人物にとって、この程度の事、造作も無いからだ。


 利三は光秀の後ろに、付き従う。

 その後に三宅秀満、藤田行政が続く。

 しばし山道を歩いていると、前方の茂みから、ザザザッと音がする。

 バッと秀満が前に出て、行政が横に立ち、身構える。

 再びザザザッと音がして、小さな影が一つ飛び出してくる。

「ご苦労さまでございます」

 小さな影は大きな声をあげる。

「木下・・・・どのか?」

 利三が問いかけると、はい、藤吉郎めにございます、と小さな影は答えて、こちらに近づく。

 確かに織田家の奉行、木下藤吉郎秀吉だ。

 織田家では奉行であろうが、兵を率いて出陣する。

 特に主君信長のお気に入りの秀吉は、働き者で、自ら買って出て、戦さにもでる。

「こちらは拙者が見回っておりました」

 なんの問題もございませぬ、と秀吉は直立不動で胸を張り、光秀たちに告げる。

「・・・・・・・」

 光秀は無言で、秀満を見る。

 秀満は黙って茂みに進む。

「ですから、こちらは何の問題も・・・・」

 そう言う秀吉の前を、行政が塞ぐ。

 殿、と秀満が声をあげる。

 利三たちが茂みの奥に進む。

 そこには予想通り、蜂須賀正勝ら、秀吉の家来と、延暦寺の者であろう女子供が数人いる。

 ふと利三は、秀吉の家来の中に、竹中半兵衛重治の姿が無いことに気づく。

 病がもう、だいぶ重いらしい。

 かつてその才に、あれほど嫉妬したのに、今はそれが失われるのが、ただただ惜しい。利三はそんなことを思っていた。

「これは、どう言う事ですか?」

 光秀の言葉に、あの、その、と秀吉は戸惑う。

「みな、捕らえる様にと申したはずです」

 静かに淡々と光秀は言う。

「こいつらは、わしらに通じておる者たちです」

 戸惑う秀吉の代わりに、正勝が答える。

「通じておる?」

 はい、と頷き、正勝は一歩近づく。

「敵に、こちらに通じておる者を作っておく」

 それがわしの仕事です、と言って、更に正勝は光秀に近づく。

「ご存知でしょう?」

 正勝が光秀の前に立とうとする。

 その前に秀満が立ちはだかる。

「何だ?左馬の字、言いたいことでもあるのか?」

 それとも・・・・と正勝が秀満に顔を近づける。

「鼻の傷が疼くか?」

 その言葉で、秀満が正勝に掴みかかろうとする。

「やめぬか、左馬之介」

 利三が二人に割って入る。

「お前もじゃ、小六、退がれ」

 強い口調で利三は言う。

 ふん、と鼻で一つ息をして、正勝は不敵な笑みを浮かべる。

「・・・・・分かった」

 静かに光秀が呟く。

「連れて行って構いませぬ」

 そう秀吉の方に向いて、光秀は告げる。

「あ、ありがとうござい・・・」

「ただし」

 秀吉の礼を、光秀が遮る。

 光秀が女子たちの方を見て、一人を顎で示す。

 行政が手の者を連れて、その一人に近づく。

 いや、いや、とその妊婦の様な、大きな腹をした女子は声を上げる。

 その声が明らかに、妙だ。

 行政は光秀の前に女子を連れてくる。

 顔を隠している笠を取る。

 髪の生えていない頭、そしてたるみきった皺だらけの顔。

 女子では無い、中年の僧だ。

 行政は服をむしり取る。

 当然、腹は子供で膨れているのでは無い、銭が大量にその場に落ちる。

「これはどう言うことでござる?」

 光秀は冷めた口調で、秀吉に問う。

 いや・・・その・・・と秀吉は顔を伏せ、頭を掻く。

 言わなくても分かる。

 秀吉は信長に命じられる任務の傍ら、家来の若い衆に荷運びの商いをやらせている。

 この延暦寺の僧は、おそらく取引相手か何かなのだろう。

 焼き討ちの命が下り、密かに逃がそうとしたのだ。

「他の者は構わぬ」

 光秀は正勝の方を向く。

「だが此奴は、だめだ」

 そう言って、震える僧を取り押さえる行政の方に命じる。

「連れて行け」

 行政に引き摺られる僧は、叫び声を上げる。

「藤吉郎、助けろ、助けてくれ」

「・・・・・・」

 秀吉はその声に、一度顔を上げるが、再び伏せる。

 利三も目を閉じる。

 だから光秀は、女子供も全て撫で斬りにしろと言ったのだ。

 特例を認めれば、銭を持つ者は必ず、銭の力でその特例の穴から逃げる。

 だから世を変える様な大事を為すとは、一切の特例を認めてはいけない。

 そうしなければ結局、何も変わらないのだ。

 だから世を変える者は、非情な決断が出来なければならないのだ。

 利三は目を開け、秀吉を見る。

 蜂須賀正勝や竹中重治は、この木下秀吉という男を気に入っている。

 なるほど秀吉は情に厚く、人として好人物であろう。

 だが人の上に立つ器では無い。

 秀吉は絶対に、非情な決断が出来ないだろう。

 優しすぎる、いや、甘すぎるのだ。

 利三には秀吉の行末が、大体予想がつく。

 いずれ秀吉は、信長の命と家臣や友人たちの情との板挟みになるだろう。

 今回よりも、更に大きな事で、そういう時が来るはず。

 結局、秀吉は何も出来ず投げ出すか、情に流され信長に処されるかどちらかだ。

 利三は光秀に目を向ける。

 光秀は決断ができる、上に立つ者だ。

 ただ・・・・・・。

 その時、ヒュッと音がする。

 何か黒い物が、光秀の頭部にあたる。

 うっと呻いて、光秀が膝をつく。

「と、殿」

 慌てて、利三が駆け寄る。

「大事ない」

 光秀が手を振る。

「ですが、血が・・・」

 大きな光秀の頭から、少し血が出ている。

「桂松、なんてことを」

 女子の声が響く。

「お前か」

 秀満が駆け出す。

 女子供の中にいた、一人の少年を捕まえる。

「お許しください、お許しください」

 少年の母らしき女子が、必死に秀満から我が子を取り返そうとする。

 だが大男の秀満にかなうわけもなく、子から引き離される。

「・・・・・・」

 光秀がゆっくり立ち上がり、少年の方に向かう。

 慌てて秀吉が光秀に駆け寄り、その前で土下座をする。

「子供のやった事です、何卒お慈悲を、お慈悲を」

 必死に秀吉が懇願する。

 当人は助けれなかった、せめて息子だけでもなんとかしたい。

 秀吉のこういうところに、正勝らが惹かれるのだろう。

「木下どの・・・・退かれい」

「何卒、何卒」

「退かれい」

 懇願する秀吉に、光秀が冷めた口調で告げる。

 顔を上げ、ああっ、と呻く秀吉を避けて、光秀は進む。

「・・・・・・・・」

 ジッと光秀は少年を見つめる。

 年は七、八才だろうか、少年も光秀を見つめる。

「小僧」

 光秀は少年に声をかける。

「わしが憎いか?」

 膝を付き、少年に顔を近づける。

「父を殺したわしが憎いか?」

 少年は何も答えない。硬い表情で光秀を見つめ続ける。

「ならわしを恨め」

 答えぬ少年に、光秀は続ける。

「それが、その恨む心がお前の生きる糧になる」

 そして・・・・・・と呟き光秀は、少年の母親を取り押さえている秀満に、顔を向ける。

 秀満が母親を離す。

 その母親の手を光秀は掴み、少年の頬にやる。

「この温もりを忘れるな」

 少年の表情が緩む。驚きと少しの安心を得て、目を見開く。

「これがお前の、戦う力になる」

 スッと光秀は立ち上がり、秀吉の方を向く。

「連れていかれい」

 そう言って光秀は歩き出す。

 どうだ、と利三は正勝を見る。

 非常な決断の出来るお方、だが決して無慈悲ではない。 

 誰よりも慈悲深い御仁なのだ。

 優れた知略と、英断の出来る強い意志。

 そして慈悲深い心。

 明智十兵衛光秀さまこそ、天下を差配するべきお方なのだ。

 利三の視線に、ああ分かっているよ、と正勝は苦笑を浮かべる。

「明智さま」

 歩く光秀の背に、秀吉の大きな声が向けられる。

「藤吉郎、このご恩、生涯忘れませぬ」

 

 

 

 

 

 

 





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