強く、ただ強く
幼き日、ただ飢えていた。
食う物に、そして強さに。
全てが許せなかった。
三河を我が物顔で歩く今川の代官、それに頭を下げる大人たち。
集まって唯々、南無阿弥陀仏と唱える門徒。
その全てを、忠勝は、鍋之助は嫌っていた。
今川の代官に頭を下げるのは、昔大人たちが戦さに負けたからだ。
弱いからだ。
弱いから戦さに負けるのだ。
門徒の教えは他力本願。
自分の力で極楽には行けぬ。己が非力なのを認め、唯々阿弥陀の慈悲に縋れと言うもの。
弱い者の弱い理屈だ。
戦いに負け、弱い者なったから、そんな弱い者の理屈に縋るのだ。
俺は違う。
俺は負けていない。
俺は弱く無い。
そう鍋之助は吠えた。
強くなる。強くなってやる。
それだけを、ただ思っていた。
鍋之助だけではなかった。
三河の少年たちは、皆強さを求めた。
大人たちを不甲斐ないと思い、ただ強くなろうとした。
大人たちの様な、弱い者のにならぬ様、唯々強さを求めた。
強くなろうとする者同士が出会えば、必ず喧嘩になる。
榊原の於亀とも、鳥居四郎左とも、内藤金一郎とも皆、そうして喧嘩をした。
喧嘩の後は、必ず仲良くなった。
皆、同じ様に強くなろうと思っていたからだ。
ある日、鍋之助は親戚の集まりで、ある事を耳にした。
父の忠高は、鍋之助が幼い時に戦さで死んだ。
その後、叔父の忠真が後見人になって育ててくれた。
しかし本当は、叔父が母の小夜と再婚し、鍋之助を寺に入れるつもりだったらしい。
理由がある。
そもそも叔父と母は許婚で、将来を言い交わした仲であった。
だが父が娶るはずだった相手が亡くなり、母が代わりに嫁いだと言う事なのだ。
だから二人が夫婦になるのは良い事だと、皆思っていたのだ。
しかし叔父と母は、それを断る。
母は髪を下ろし、叔父は後見人となったのだ。
鍋之助はそれが気に入らない。
叔父は母が好きなのだ。
母も叔父が好きなのだ。
叔父は戦さに出る時、手首に数珠を巻いている。
同じ色の数珠を、母が持っている。
揃いの数珠を持っているのだ。
好きなら、好き同士なら、一緒になれば良い。
鍋之助を寺に入れ、夫婦になれば良い。
それなのにそうしない。
それは叔父の弱さだと思った。
弱いから、好きな相手と一緒になれないのだ。
叔父が気に入らなかった。
何もかも気に入らなかった。
だが一番気に入らないのは、自分が寺に入れられず、侍として生きていられるのは、その叔父の弱さのおかげだと言う事だ。
強くなりたい、そう思った。
強くなれば、なんでも得られる。
強くなれば、望む様に生きられる。
強くなれば、好いた者とも居られる。
強くなれば、強くなれば、強くなれば。
それだけを思い、鍋之助は、平八郎は生きてきた。
ただ、強くなれば。
駆けた。
鳥居忠広を背負い、忠勝は駆けている。
「あああっ、あああああっ、あああああ」
声にならない雄叫び上げながら、忠勝はただ駆けた。
何も考えられない、何も考えることが出来ない。
ただ駆けるしか出来ない。
「・・・平八郎」
耳元で忠広が呟く。
「もう良い・・・・・もう、助からぬ」
「だまれ」
聞き取れないほど小さな忠広の呟きに、忠勝は大声で叫ぶ。
「叔父上が、叔父上が」
そう言いながら、忠勝は駆ける。
ゴホッ、と血を吐き、
「平八郎」
と再び、忠広が呟く。
「兄上に・・・っは・・申し訳・・・・ございませぬと」
途切れ途切れに、忠広が続ける。
「妻と子を・・・・お願いします・・・・と」
そう告げると、背中の忠広が軽くなった。
魂が抜けるのを、忠勝は感じた。
「ああああああああっ」
忠勝の足が止まる。
遠くの方から、
「本多肥後守、討ち取ったりぃ」
と言う声が聞こえてくる。
「あああああああああっ」
頭の中が、真っ白になっていく。
強くなりたい。
強くなれば、望みが叶う。
強くなれば、もっとこの世の中が好きになる。
強くなれば、強くなりさえすれば、みんなの事が、叔父のことが好きになれる。
感謝している事を、愛している事を、認めることが出来る。
強くなれば・・・・・・・。
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