第69話 家臣の務め
鳥居元忠は此度の戦さ、後方の酒井忠次の部隊に属した。
進軍してしばらくすると、忠次が城に戻ると言った。
「負けて帰ってくる怪我人の為、支度をしておくのだ」
その忠次に、
「やる前から負ける事を考えておれば、勝てる戦さも勝てませぬ」
とは言えなかった。
当然だと思ったからだ。
この戦さは負ける。だから怪我人の為に支度をしておくべきなのだ。
三河の者は勇猛果敢だ。
彼らが戦さをすれば良い。
元忠は武功を上げる必要はない。
こういう時に、お家の役に立つ。
それが自分の役割だ。
城に戻って少しすると、水野信元が出て行った。
勝てぬと思い、逃げたのだろう。
しばらくすると、兵たちが戻って来た。
予想どおり、皆ボロボロで傷だらけだ。
そのうちに服部正成と何故か織田の滝川一益に護られて、家康が戻って来た。
主君の帰還に、元忠はホッとする。
しかしへたり込み、放心状態の家康に、声を掛ける事は出来なかった。
続々と皆が戻って来る。
元忠はその対応に追われる。
弟忠広の姿は見えない。
その事は考えない様にして、動ける者に怪我人の手当てを指示していく。
忠次が家康と何か話し、家康は城の奥に入って行く。
その忠次が城門の前に立ち、大声を上げる。
「誰ぞ、篝火を焚け」
忠次の声に皆、エッと驚きの顔をする。
「ご家老」
元忠は近寄り尋ねる。
「どうされるおつもりですか?」
一瞥して忠次が答える。
「火を焚き、皆が戻れる目印にする」
「しかしそれでは、敵にも見つけられます」
構わぬ、と忠次は、何時ものムスッとした顔をする。
「あるいは武田が、まだこちらに余力があり、伏兵であるかもしれると、勘繰るかもしれぬ」
それは・・・・と元忠は眉を寄せる。
「信玄入道が、そんな策にかかるとは・・・」
「わしも思わぬよ」
静かに忠次は言う。
「そうなれば、僥倖・・・・・」
丁度、誰かが篝火を用意し、火を焚く。
「どちらにしろ武田が来れば、みな終いじゃ」
忠次は城門の外に出て、大声を上げる。
「わしらは皆、今日此処で死ぬ」
ボロボロになって、なんとか城に辿り着いた者たちは、ギョッとして忠次を見る。
「なぜならわしらは、死んで当然だからだ」
「な、何を言われる」
元忠が近寄り声を掛けるが、忠次は無視して大声で続ける。
「殿は国主として、国主の務めとして戦さに出られた」
「・・・・・・・」
足を止めて、或いはへたり込み、家中の者は、忠次の言葉を聴く。
「その殿が負けた、徳川が負けた」
誰を見るでもなく、少し上を見ながら、忠次は告げる。
「我らが殿を勝たせなかったのだ」
その言葉に、家臣たちはハッとする。
「国主の務めが国を守ることなら、家臣の務めはその主君を勝たせることだ」
ああっ、と呻き、家臣たちが下を向く。
「殿が国主の務めを果たしたのに、我らは家臣の務めを果たさなんだ」
誰も忠次の方を見ず、ただ顔を伏せてその言葉を聴く。
「家臣としての務めを果たさぬ家臣など、国主の務めを果たした主君には無用なもの」
少し間を置き、忠次が大声を告げる。
「だから我らは皆、今日、此処で死なねばならぬ」
「・・・・・・・」
誰も何も言わない。
皆、忠次の言葉がもっともだと思ったからだ。
家臣たちは心のどこかで、家康の事を軽んじていた。
古参の者たちは、なにかというと、
「善徳院さまであれば・・・・」
とか、
「善徳院さまにくらべ、今のお殿さまは・・・・」
とか言って、先々代の清康を引き合いにだした。
若い連中も、
「織田や武田に比べて、うちのお殿さまだらしないのう」
と陰でよく言っている。
それでも皆、家康をただの一人の主人としている。
門徒の一揆の折、家康は家臣の帰参を赦した。
本多忠勝が暴れても、本多重次が何か言っても、怒りはしても家康は二人を決して追放などしない。
何時も鷹狩りをしながら、領内を見て周り、家臣領民に声をかけている。
優れていなくても、だらしなくても、それでもそんな家康を、皆主君として愛しているのだ。
その家康が、決死の思いで国主の務めを果たす為に戦いに挑んだ。
その戦さで、自分たちは家康を勝たせなかった。
ここで死のう。
家臣一同が、皆、そう決心した。
「ご家老」
元忠は忠次に近寄る。
これは忠次の策だ。
戦さに負けたのを、家康の所為にせず、家臣たちに自分たちの所為だと思いおわせ、家康を、そして松平家を見捨てるのを防いだのだ。
策だという事は分かっている。
しかしそれでも、いや、策だからこそ、元忠の心を打った。
ここで死ぬ。殿の為に、ここで死ぬ。
元忠もそう心に決めた。
「拙者もここで・・・」
「お前は駄目だ」
元忠の決意を、忠次は一蹴する。
「はぁ?な、何を」
「お前は直ぐに、岡崎に向かえ」
戸惑う元忠に、忠次は淡々と命じる。
「織田の滝川どのが来ておる」
城の方を見つめながら、忠次が続ける。
「殿を尾張にお連れするつもりだ」
そうなのか、と元忠は驚く。
しかし忠次は岡崎に行けと言った。その供をしろと言っていない。
「殿はおそらく、行かぬと言うだろう」
そうだろうと、元忠も思う。
家康の性格上、ここで戦って死ぬと言うだろう。
「殿がそうなさりたいなら、そうすれば良い」
淡々と言う忠次に、えっ?と元忠は驚く。
「殿が尾張に落ち延びたくないというなら、ここで皆と死にたいというなら、そうなされたら良いと、わしは思う」
「しかし・・・・・」
元忠が言い返そうとするが、忠次は構わず話を続ける。
「岡崎に若さまいる、与七郎も付いている」
確かに岡崎には家康の息子、竹千代とその後見役である石川与七郎数正も居る。
「尾張に逃げれば、織田殿は舅、粗略にはせぬだろう」
その通りかもしれない。
だが元忠は、その松平の再興より、ここで家康の為に死にたいのだ。
「ご家老、それがしは・・・・」
「若さまが織田に身を寄せ」
元忠の言葉を、忠次は遮る。
「最も必要な物はなんだ?」
ジロリと忠次は元忠を見た。
「それは銭だ」
強く低い声で忠次は言い切る。
「三河を失った若さまが、松平を再興させるため、最も必要なものは銭なのだ」
その通りだと、元忠は思う。
そして忠次が何を言おうとしているのか、元忠は悟る。
「桶狭間の戦さの後、我らは岡崎の城で松平のお家を再興した」
「・・・・・・」
「何故出来た?」
「それは・・・・・」
「お前の親父どのが、蔵いっぱいの銭を用意したからではないのか?」
その通りである。
元忠の父親忠吉は、松平の宿老だった。
鳥居家は、忠吉の代から松平に仕えている新参の家だ。
それなのに忠吉は宿老になった。
何故か?
矢作川の水運を担う渡り衆として、銭を稼ぎ、それで松平家を支えたからである。
だから家康の父の広忠も、祖父の清康も、忠吉の功績を認め、宿老にしたのだ。
鳥居の者は、武勇を誇る必要はない、武勲を立てなくても良い。
銭を稼ぎ、それで松平を支えれば良い。
それなのに・・・・。
「それなのに、お前は何をしておる」
忠次の言葉が元忠に刺さる。
元忠は商いが楽しくて、それも儲けを生むより、商いが広がっていくのが楽しくて、銭をそれほど松平の家に納めていない。
家康はその事に無頓着なので、元忠は好きにやっていたのだ。
だが・・・・・・。
ジッとこちらを睨む忠次の目を見る。
「何をしておるのだ、お前は」
もう一度、強い口調で忠次が責める。
「・・・・・・・」
何も元忠は言い返せない。その通りだからだ。
「お前が殿の馬前で死ぬ事」
忠次は元忠の横を通り過ぎようとし、一度立ち止まる。
「わしは絶対に赦さぬ」
元忠は顔を伏せる。その元忠の横顔に忠次が重く、そしてはっきりと告げる。
「絶対にだ」
忠次はそのまま、城の奥に入っていく。
「・・・・・・・」
元忠はグッと目蓋を閉じ、ギュッと拳を握りしめる。
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