大和の国衆
かつての主人、徳川家康を討ち漏らした。
しかしその事を命じた今の主人である松永久秀は、特になにも言わない。
それが本多正信には気に入らない。
まだ、
「わしの言う通りであったろう」
とでも言う様な顔を、久秀がすれば良いのだが、それもせず、家康を討つ様に言ったことなど無かった様に、正信に接してくる。
気に入らぬ。
が、どうしようも無い。
もう一つ、妙な事になった。
家康を討ちにいった時、討ち手である雑賀衆の鉄砲撃ち、鈴木重朝が、一族の少年、七之助というのを連れて来た。
その七之助が狙撃の後、道に迷って、足手まといになりそうになった。
重朝は見捨てようとしたのに、魔が差し正信が助けてしまった。
「おれは、そいつが使えるかどうか試した」
京まで戻った後、七之助を顎で指しながら、重朝は正信に告げる。
「使えぬなら置き去りにしても良い、それを納得してそいつもついて来た」
「・・・・・・・」
七之助は黙って顔を伏せる。
「それをあんたが、勝手に連れて帰ったのだ」
プイ、と正信に背を向け、重朝は去っていく。
「あんたが、引き取ってくれ」
仕方なく。七之助を正信は引き取り、小者として側にに置いた。
仕方なく引き取ったが、この七之助、なかなかの者だ。
機転が利くし、飲み込みが早い。物分かりも良いし、物覚えも良い。
正信は以前、三河で門徒の一揆を裏から操っていたが、その時、伊奈忠次という若者と、板倉家の次男で、宗哲という小坊主を使っていたが、七之助はその二人にも、引けを取らないほどに役に立つ。
意外と拾い物だった。
そんな風に、七之助を使いながら、松永久秀の取り次衆として多聞城で、正信は日々を暮している。
「ようこそ、いらっしゃいました」
或る日、大和の国衆が訪ねて来た。
「ご機嫌よろしゅう」
四十過ぎで色の黒いその男は、大和柳生の庄の領主、柳生新左衛門宗厳だ。
古木の様に痩せてはいるが、貧相と言うより無駄なものが一切付いていないという身体つきだ。
「先日、倅が生まれましてな」
ニコニコと微笑みながら、宗厳は言う。
「今日はそれを、霜台さまに見せようと思いましてね」
宗厳が背後に目を遣る。正信もそちらを見る。
従者らしき男が、赤子を抱いている。
そうですか、と答えて、正信は宗厳を久秀の元に案内する。
妙な男だ。
宗厳の連れている従者である。
年は三十前後というところで、天を衝くようなという言葉の見本の様な大男だ。
エラの張った大きな顔をして、如何にも武辺者という顔付きだが、大きな黒目がちの瞳の為、幾分、優しげにも見える。
その従者が先程から、キョロキョロと辺りを見回している。
確かに松永家の居城、多聞城は珍しい城だ。
攻められにくいように、山の上に城を建てるのが一般的な世の中で、平地に建っている。
しかし地方の有力な守護の館の様な、防備があまり無いのではない。
確りとした石垣を組み、その上に高い櫓を建てている。
これは城主の久秀が、鉄砲で攻めるられる事、そして鉄砲で守る事を考えて建てた、謂わば鉄砲が主流になった世に合わせた城なのである。
だから物珍しいのは分かる。
しかし従者の視線は、何かが違う。
気付かれぬ様、チラリと正信は、従者を見る。
此奴・・・・・この城を落とす気か?
正信の目には、男の視線がこの城をどうやって落とすか、考えている様に見えた。
兵法というやつか。
そう苦笑しながら、正信は宗厳を一瞥する。
宗厳はニコニコと微笑んでいる。
少し前、上方では兵法という、剣術や城攻めなどの、駆け引きの術が流行った。
切っ掛けは前の将軍、足利義輝が好み、塚原卜伝や上泉秀綱など、高名な剣士を招き、手ほどきを受けた為である。
しかし義輝が、三好一党に殺害されると、兵法も寂れていった。
宗厳は上泉秀綱の弟子である。上方では知られた兵法者だ。
恐らく兵法の修行として、弟子であるこの従者に、多聞城をどうやって攻めるか、考えさせているのだろう。
そう正信は、一旦結論付ける。
だが、いや、あるいは、と首を振る。
本当にこの城を落とす算段を、つけているのかもしれない。
今、上方は混沌としている。
以前もそうだったが、織田信長によって一時もたらされた秩序が、再び崩壊しようとしているのだ。
その原因は第一は信長と、その主君である足利公方義昭が対立にある。
しかし曽呂利仁左衛門が言うには、少し違うらしい。
正しくは、義昭と、前関白、近衛前久が対立していると言うのである。
近衛前久は、関白近衛家などに生まれず、地方の豪族の家にでも生まれれば良かった様な男である。
昔、越後の長尾景虎が上洛した際、親しくなり、そのまま越後に行き、景虎と共に、北条や武田の戦さに付いて出ている。
そんな男だ。
その前久が京に戻り、しばらくすると信長が義昭を奉じて上洛する。
義昭は自分の兄義輝が、三好一党に殺された後、前久が三好の推す義栄を将軍と認めた為、前久を恨んでいる。
そこで上洛後、前久を関白の地位から追い落とし、更に京から追放した。
前久は摂津の本願寺に身を寄せているが、巻き返しを図り、信長に近づいている。
つまり義昭と信長が対立しているのではなく、義昭と前久が対立し、前久が信長を取り込もうとしているのだ。
しかし信長は、勿論ただの狗ではない。
義昭、前久の番犬で終わる気など、更々ない。
前久とよしみを通じながら、義昭とも切れていない。
信長がからすれば、義昭、前久、双方に使い道があるからだ。
義昭の使い道は勿論、将軍である事だ。
武家に対して、攻める時は大義名分になり、和睦する時も、将軍の命であると言える。
一方の前久は、京を追われたとはいえ、未だに朝廷第一の人物。
また、身を寄せている本願寺の門主顕如の嫡子を、自分の猶子にしており、寺社勢力にも影響力がある。
だから信長は二人とつながっている。
義昭と前久が信長の取り合い、そして信長が二人を利用しようとしている。
これが今の上方の中心であり、その周囲で浅井長政や六角、三好などの諸侯が動き、更に本願寺などの寺社勢力、そして堺の豪商たちが、それぞれ微妙な駆け引きを繰り広げている。
勿論、信長の勢力が群を抜いている。
他の者たちがち結集しなければ、信長に太刀打ち出来ない。
だがそれが出来るくらいなら、信長が上洛する前、京を灰にするまで争ってなどいない。
皆、信長を抱き込むか、あるいは出し抜くかしようとしている。
かく云う正信の主君、松永久秀もその一人だ。
信長に認められ、大和一国を任されている。
柳生宗厳はその久秀に従い、他の大和の国衆たちと戦っている。
だが二人とも、これからどう風向きが変わるか、慎重に様子を見ている。
いざという時の為、本当にこの城を攻める算段を、宗厳は立てているのかもしれない。
そう正信は思ったが、黙っている事にした。
なぜなら正信自身も、いざという時どう動くか、分からないからだ。
少なくともこの大和で、久秀と心中する気など更々ない。
久秀が失墜しれば、それまでである。
「よう来た、新左」
茶室で茶器を眺めていた久秀が、手を止め宗厳を迎える。
「倅が生まれまして」
伏して宗厳が告げると、従者が赤子を久秀に差し出す。
そうか、と従者を一瞥し、久秀は赤子を受け取る。
「おおっ、かわゆい子じゃ」
微笑みながら、久秀が赤子をあやす。
「肝の太い子じゃのぉ、全く泣かぬわ」
「いずれ、霜台さまのお側に・・・・・・」
「無用じゃ」
宗厳の言葉を遮り、久秀が赤子を従者に返す。
「今更お前さんから、質など取らぬよ」
「かたじけのうございます」
スッと宗厳が頭を下げる。
「兵助の代わりに、兵法を仕込むと良い」
ははっ、と宗厳が応える。
兵助とは宗厳の嫡子、柳生厳勝の事である。
数ヶ月前、久秀の命で戦さに参陣し、鉄砲の弾を受け、一命は取り留めものの、歩くのが不自由な身体になったと聞いている。
「ところで・・・・・」
久秀は従者に目をやる。
「お主、見たことあるな」
目を細めて、久秀は言う。
「筒井の者だろう」
久秀の言葉に、ほぉ、と正信は軽く驚く。
筒井家と言えば、興福寺の僧兵上がりの国衆で、いま久秀が争っている相手だ。
厳勝が傷を負った戦さも、筒井との戦いである。
「・・・・・・・」
従者は、宗厳の方を見る。
宗厳は久秀に向き直り、静かに告げる。
「ええ、この者は島左近と申し、拙者の門弟ですが、以前は筒井の禄を喰んでおりました」
ぬけぬけと言うな、と正信は苦笑する。
だがそうなれば、先ほど城を見ていたのは、真に攻める為ではないのかと、正信は思ってしまう。
ふぅううん、と久秀は声を上げ、島左近というその大男をしばし眺める、
「おい、左近とやら」
ニッと久秀は微笑む。
「わしに仕えい」
左近は、師の宗厳の方を見る。
「口が利けぬのか?わしに答えろ」
久秀の言葉に、一度頭を下げ、左近は答える。
「折角のご厚意ですが、お断りいたします」
「わしの禄は喰えぬか?それほど筒井が良いか?」
いえいえ、と左近は首を振る。
「今はお暇を貰い、筒井の家からは離れております」
「では良いではないか、わしに仕えろ」
微笑みを浮かべる久秀に、同じ様に微笑みを浮かべ、左近は答える。
「拙者、まだまだ未熟者で、今はお師匠さまの元で、兵法の修行をしておるところ」
胸を張り堂々と、左近は告げる。
「とても松永さまに、お仕えする値しませぬ」
「そうか・・・・・・」
冷めた目で左近を眺めていた久秀が、視線を宗厳に向ける。
くくくっ、と宗厳は苦笑する。
「今、左近めには、兵法の修行として、陣借りに行くよう、命じておるのです」
「陣借り?何処にじゃ?」
久秀に問われると、宗厳は答えず、左近の方を見る。
「甲斐の武田に・・・・・」
左近の答えに、ほぉ、と久秀は呟き、一度正信の方を見て、左近に問う。
「それで、相手は?」
はっきりと確かな口調で、左近は答える。
「三河の徳川にございます」
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