第56話 虎哉宗乙

 厠から出ると、武藤昌幸の隣に、弟の加津野市右衛門信昌が控えていた。

 二人は双子だが、瓜二つでは無い。

 顔立ちが似てはいるのだが、信昌に昌幸ほどの鋭さは無い。

 中身も同じで、二人とも切れ者だが、信昌に昌幸ほどのクセは無い。

「快川和尚がお見えです」

 信昌の言葉に、

「そうか、直ぐに行く」

 と答え、客間に向かう。

「よう、来られた」

 客間には僧が二人いる。

 信玄が入りながら、気楽に挨拶すると、二人は合掌して頭を下げる。

「信玄坊も、災息で・・・・」

「まぁね」

 前に座る僧、快川紹喜がニヤリと笑う。

 恐らく信玄の病に気付いているのだろう。

 快川紹喜は七十近い老僧だが、大柄で骨も太く、十は若く見える。

 若き日、京の妙心寺で修行を積んで、その後、斎藤利政に招かれ美濃の崇福寺の住職になった。

 しかし利政の息子、義龍に疎まれ、美濃を追われてしまう。

 京に戻ろうとしていた紹喜を、今度は信玄が招き、甲斐の恵林寺の住職になって貰ったのだ。

 僧侶、それも禅僧は、横のつながりが強い。

 それを当てにして、大名が使僧として側におきたがる。

 信玄も利政もそうだ。

「宗乙が、陸奥に行くのが決まってな」

「ほぉ、そうですか」

 快川紹喜の背後に控える僧、虎哉宗乙が頭を下げる。

 紹喜の弟子で、四十前の小柄な男だ。

 なんでも奥州伊達家の当主、輝宗の叔父が、大有康甫という僧で、この康甫と紹喜が親交があり、輝宗が息子が生まれたので、是非、紹喜に師になって欲しいと、頼んで来たのだ。

 しかし老いた紹喜が、陸奥まで行くのは厳しい。

 そこで代わりに、弟子の宗乙が行くと言うことになったのだ。

「伊達どのに宜しゅうな」

 信玄が言うと、ははっ、と宗乙が頭を下げる。

 礼儀正しく、真面目な男だ。

 しかしそれは表向きで、裏では酒を呑んだり女を買ったり、ほどよく遊んでいる。

 それを師の紹喜に見つからぬ様、上手く隠している。

 だが紹喜は気付いている。

 気付いて放っている。

 なぜなら紹喜も若い時、京で遊んだクチだからだ。

 ふっ、と信玄は笑い、

「ところで、和尚」

 と紹喜に告げる。

「織田の三郎に、手痛くやられましてねぇ」

「だから言うたであろう」

 ははははっ、と紹喜は笑う。

「三郎のことは知らぬが、彼奴を育てたのは宗恩」

 歯の抜けた口で、ニッと紹喜は微笑む。

「並の男の筈がない」

 信玄は苦笑し、そうでしたね、と答える。

 宗恩とは、快川紹喜の兄弟弟子の沢彦宗恩の事である。

 この禅僧は、幼き日の信長の師であるらしい。

 織田と手を結ぶ前、信長がどんな男か、信玄は紹喜に尋ねた。

 その時に答えた言葉が、先ほどの言葉である。

 信玄も信長を侮っていたわけでは無い。

 並の男では無いだろうと、見てはいた。

 しかしその勢いが、信玄の予想以上だったのだ。

 信玄は信長を、三好長慶程度の男と見ていたが、人物も勢いも、間違いなく長慶を超えている。

 敵にすれば厄介な相手。いや、敵に回すべきで無い相手だ。

 ふと、紹喜の背後に控える宗乙に目をやる。

 沢彦宗恩が、快川紹喜の認めた兄弟弟子なら、虎哉宗乙は、同じく認めた弟子だ。

 或いは伊達の嫡子は、信長に匹敵する男になるのでは・・・・・。

 思わず苦笑して、首を振る。

 産まれたばかりの赤児の心配をしても、始まらない。

 今は目の前の信長だ。

「虎哉和尚、達者でな」

 はい、と宗乙は合掌して頭を下げる。

「家臣を待たせているので、これで・・・・」

 信玄は紹喜に頭をが下げると、紹喜も、合掌して、それでは・・・・と頭を下げる。

 

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