武田信玄

 甲斐の武田家では、よく評定を行う。

 当主の武田信玄が、とにかく家臣たちに喋らせるのだ。

 それぞれに意見を言わせ、それを争わせる。何度もそれを繰り返させ、評定を重ねていく。

 意見が出尽くし、論争が大体同じところをぐるぐる回り出すと、信玄が決断を下す。家臣の誰かが言った意見である時もあれば、そうで無い時もある。

 家臣たちの意見と信玄の決断は別物だ。

 ただ意見を言わせる、それを聴いて信玄が決断を下す。

 そういう形を取っている。色々あってこういう形になった。

「如何いう事で御座る?」

 馬場美濃守信春が問う。

 静かな落ち着いた声だ、責めているわけでも、咎めているわけでもない。

 それでも問われた、美濃岩付城主、遠山景任は、

「いや・・・あの・・・その」

 と青い顔をして怯えている。

 信春は五十過ぎの筆頭家老で、痩せて長身。頬の骨とえらが張った、如何にも武士らしい顔をした武士である。

 その信春に問われれば、責められているわけでなくもて、景任あたりであれば怯えてしまう。

「まぁ待たれよ、美濃どの」

 次席家老の内藤修理亮昌豊が、穏やかに言う。

「ようは織田に、一杯食わされたということ」

 微笑みながら、昌豊は景任の方を向く。

「遠山どのも、騙されたのでござろう?」

「ええ・・・はい」

 助け舟を出されて安心したのか、景任の顔から怯えが消える。

「まさか遠山どのも、我らを謀ったわけではございますまい」

 笑みを消し、昌豊が景任を睨む。

「も、勿論にございます」

 慌てて景任が答える。

 内藤昌豊は、信玄と同じ五十手前。色が白く大きな頭をしている。

 平時は穏やかで人当たりも良いが、戦さ場に出れば、敵に一切容赦しない。

 その昌豊に睨まれ、景任は頭を下げる。

「拙者も、何が何やら全く分からず・・・・・」

 上座から景任の慌て振りを眺めて、嘘は無いな、と信玄は察する。

 だが、そうならば、さて・・・・・。

 うぅぅむ、と唸り、顎を撫でる。

 世の中、上手くいかぬな。

 そう信玄は思った。

 此度の事だけではない。

 五十年ほど生きてきて、いつも思う事である。



 武田信玄、出家前の名は太郎晴信。

 甲斐の守護、武田信虎の次男として生まれる。

 兄が夭折したため、長子となるが、父信虎は信玄を跡継ぎにはせず、弟の信繁に家督を継がせようとした。

 その事で、信玄は特に父を責めはしない。

 誰がどう見ても、自分より弟の信繁の方が、当主に向いていると思ったからだ。

 信繁は普段は温和で人当たりも良く、それでいて戦さ場に立てば勇猛果敢。我慢強いが、負けん気も強く、武芸にしろ学問にしろ飲み込みが早い。

 およそ欠点と言うものが、無い男である。

 強いて欠点を上げれば、欠点が無いところが欠点で、人間としての臭みの様なものが薄いところである。

 だが人の上に立つなら、そんなものあまり無い方が良いだろう。

 信繁が当主になるのが最善だし、信玄もそれを望んでいた。

 明朗快活で人に好かれる信繁と違い、信玄は陰気で人に好かれない。

 正しく言えば、陰気だと思われている。

 子供の頃のある日、何も考えず、ぼぉっとしていると、父信虎に、

「何を考えておる、不気味な奴め」

 と言われたことがある。

 何にも考えておりませぬ、と怒って言い返せば、まだ可愛げもあるだろうに、信玄はそういう時も、黙ってやり過ごす。

 人に好かれないから人が嫌いなのか、人嫌いだから人に好かれないのか分からないが、信玄は人付き合いが苦手だ。

 一人で書物を読んでいる方が好きだ。

 幼き頃から本の虫で、部屋に籠り詩経や左伝、史記などを読んでいた。

 人の上に立つ国主が、人嫌いでは話にならない。

 いつかは寺に入り、京の名刹で修行し、甲斐に寺を建て、当主となった信繁の使僧になる。

 そう信虎は考えていたのだろうし、信玄も同意していた。

 別に信玄も、当主になりたいわけでも無いし。


 ところがある日、事態が急変する。

 家中の重臣、板垣信方と甘利虎泰が、信虎を追放して、信玄に当主になる様、謀叛を進めてきたのである。

 正気か?と信玄は二人を疑った。

 父信虎は、その名の通り虎のように恐ろしい男である。

 無類の戦さ上手で、戦さ場に立てば残虐非道、そしてそれは戦さ以外のところでも同じで、自分に逆らう者など、絶対に許さない。

 その猛々しさに、周囲の敵も、家臣たちも信虎に恐れをなしているのだ。

 その信虎に謀叛を起こすなど、まして二人は優れた武者ではあるが、謀が得意とは思えない。

 無理に決まっている。そう言って信玄が首を振ると、

「今川と話がついております」

 と二人は告げた。

 どうやら二人が考えた、謀叛では無いらしい。

 先頃、信玄の姉が嫁いだ今川の当主、義元が言ってきた様だ。

 策はその軍師、太原雪斎という僧が考えたとの事。

 上手くいくのか?

 信玄の疑いは晴れないが、二人は直ぐに動き出し、否応無く事は進んだ。

 そして信虎は駿河に追放、信玄が当主となった。

 信玄が当主となる引き換えに、二人に出した条件は、信繁には何もしないという事。

 二人も同意し、信繁はそのまま信玄に仕えた。

 信虎を追い出した後、当然、重臣二人が実権を握った。

 そして二人の背後には、今川がいる。

 信玄はそれに逆らう事が出来ない。

 当たり前だ。

 もし信玄が今川に逆らえば、義元は信虎を甲斐に帰せば良いだけなのだ。

 そうなれば、今度は信玄が国を追われる。

 妙な言い方だが、信虎は信玄にとって、強力な人質となった。

 信玄は信方、虎泰の言葉に、今川の命に、唯々従うしかなかった。

 気に入らぬ、そして世の中、上手く行かぬ。

 信繁が当主になり、自分が使僧になる。それが最善だった。

 それなのに・・・・・。

 そう何時も思っていた。

 そして、何時迄もこのまま今川の言いなりでいるものか。

 そう考えていた。


 今川は武田に、北に向かへと、信濃を攻めろと言ってきた。

 それには従った。

 信濃は大小の国衆、地侍が入り乱れ、まとまりが無く、攻め込むには絶好の国だ。

 雪斎の指示に従い、調略を進め、戦さをしていく。

 信濃の名族、諏訪家の庶流で、伊奈の領主高遠頼継と言う男がいる。

 この頼継を抱き込み、諏訪の本家を攻め、当主の頼重を捕らえる。

 頼重を始末すれば、頼継は用無しだ。次に頼継を攻める。

 そういうふうに、国衆地侍の思惑、対立を利用し、次々に彼らを攻め滅ぼしていった。

 そして最後に北信濃の豪族、村上義清と激突した。

 そこで手を打った。

 信玄はわざと、無謀な戦さを仕掛け、窮地に陥る。

 そこで信方、虎泰に殿を任せたのだ。

「大事な役目、二人にしか任せられぬ」

 頼む、と家臣たちの前で、信玄は懇願した。

 若い当主にそこまで言われれば、信方らも断る事が出来ない。

 それに二人の表情に、少し安堵も見えた。

 信虎の強権を恐れて、追い出したは良いが、それで今川の狗に成っているのだ。

 二人も辛かったのだろう。

 死地に二人を残し、信玄は甲斐に戻る。

 今川のお目付け役だった二人は始末した。


 しかし勿論、今川が放っておく訳がない。

 直ぐに新たなお目付け役を、甲斐に寄越して来た。

 男の名は山本勘助晴幸といった。

 右目が無く、全身傷だらけ。足も不自由で杖を突きながら歩いている。

 駿河の地侍の生まれで、若き日から雪斎の実家、庵原家に仕えており、雪斎に命じられ、間諜として諸国を遍歴していたという事だ。

 試しに西国の事を尋くと、周防の大内義隆と、安芸の毛利元就の話しをして、

「近々、大内は毛利に喰われますな」

 と答えた。

 それから間も無く、義隆が謀叛に遭い、その謀叛人陶隆房を、元就が討ち取ったという報せが届いた。

 ほぉ、と信玄は感心した。

「それで雪斎師父は、わしに如何しろと?」

 目を細めて信玄が尋ねると、傷だらけの顔を歪めて晴幸が答える。

「村上は、謀で退けます」

 うむ、と信玄は頷く。

 確かに義清は強い、戦さではどうする事も出来ないだろう。

 しかし・・・・。

「上手くいくかね?」

 信玄が問うと、ゆっくり晴幸は首を縦に振る。

「海野の残党に、源太左衛門と言うのがおります」

 ふむ、と信玄は呟く。

 海野家は信濃の豪族で、父信虎が村上義清、諏訪頼重と手を組んで滅ぼした一族だ。

 義清の事を、恨んではいるだろう。

「使えるのか?」

「中々に」

 分かった、と信玄は承知する。

「その後は更に北に・・・・・」

「越後まで行けと?」

 ははっ、と晴幸は頭を下げる。

「長尾は手強いぞ」

 いえいえ、と信玄の言葉に、晴幸は首を振る。

「当代の左衛門尉は、先代弾正と違い、大した男ではありませぬ」

 うむ、と信玄が頷くと、

「大膳さまであれば、容易き事・・・」

 と晴幸は言う。

 越後の国は、守護代の長尾家が、守護の上杉を支配している。

 それを成し遂げたのは、長尾弾正こと、先代為景である。

 為景は戦さが強く、駆け引きも上手だ。

 国衆地侍をまとめ上げ、守護の上杉定実に妹と嫁がせ、外戚として権力を握っていた。

 為景は数年前に死去しいる。跡を継いだ息子の左衛門尉晴景は、確かに大した噂は聞かない。

 くくくくっ、と信玄は苦笑する。

「しかし何処までわしを、北に向かわせる気だ?」

 その先には海しか無い。

「その後はどうするねぇ?」

 信濃から西に行き、美濃に出るか?或いは東に向かい上州に向かうか?

「海に出れば、それで良いのです」

 信玄の心の内を読み、晴幸が静かに告げる。

「海に出れば・・・・・・・?」

 眉を寄せる信玄に、コクリと晴幸は頷く。

「海から北に向かえば、陸奥南部、南に向かえば若狭の武田・・・・・」

 晴幸の言葉に、信玄は、あっ、と声を漏らす。

 奥州の南部は武田の庶流、多少の行き来はある。

 若狭の武田の方は、それほど行き来は無いが、それでも同族。

「それらと手を結ぶ・・・・・・と?」

「手を結ぶというより、商いをなさいませ」

「あきない・・・・・」

 むむむっ、と信玄は思わず唸る。

 奥州の鷹や甲斐の馬などを上方で売れば、確かに大きな利益になる。

 悪くない。

 今川の言いなりになるのはしゃくだが、その策、とても壮大で、それでいて確かなものだ。

「雪斎さまは、大膳さまを高く買っております」

 ふん、と信玄は鼻を鳴らす。

 餌を与えるから素直に従え、という事か。

 悪くない餌だが、やはり従うのは気に入らない。

「時に・・・・・」

 信玄の不満を見透かす様に、一つしかない晴幸の目が、ジッと見つめてくる。

「甲斐は黄金が出るそうで・・・・・」

「ああっ、そうだ」

 黄金は馬と並ぶ、甲斐の産物だ。

「しかし金堀衆が足らぬ様で・・・・」

「そう・・・か?」

 それほど足りていないとは、信玄は思っていない。

 まぁ、もっと居ればそれに越した事はないが。

「拙者」

 己の潰れた右目を、晴幸は指差す。

「火吹きの業を、少々心得ております」

「ほぉ・・・・」

 火吹きとは、山の岩から黄金や銀、鉄を取り出す時に使う吹子の事だ。

 終日火の番をする為、目を焼き片目の者が多いと聞く。

「金堀衆を今の倍、いえ更にその倍集める事が出来ます」

「そんなに集めてどうする?」

 ニヤリと晴幸が微笑む。

「城を落とすのに、意外と使えます」

 ハッと信玄はする。

 穴を掘って地中から、城に攻め込むというのか。

 確かに有効な手だ。

「それにもう一つ」

「まだあるのか?」

 コクリと晴幸は頷く。

「越後の北の海に、佐渡という島があります」

「佐渡・・・・・?」

「そこには甲斐の数倍、いえ、それ以上、おそらく日ノ本で最も多くの黄金が眠っております」

「まことか・・・・?」

「はい、拙者が山を歩いて見て来ました」

 信玄は言葉を失う。

 もしそれが本当なら、佐渡とやらは黄金の島という事だ。

「佐渡を武田のモノとし、黄金を掘り出せば、大膳さまは巨万の富を得る事が出来ます」

 更にその富を使い、南部や若狭と商いを行えば、武田は日ノ本一、豊かな家になる。

「その佐渡を、わしが貰って良いのか?」

「勿論に御座います」

「今川の治部大輔は、気前が良いなぁ」

「先ほども申しましたが、雪斎さまは大膳さまを買っております」

 微笑みながら、晴幸は続ける。

「そのくらい、当然にございます」

 信玄は顔を顰める。

 それだけの富を武田が得ても、今川は何も困らない。

 信玄が今川に歯向かえば、信虎を戻せば良いだけ。

 そういう事だ。

「更に・・・・」

 信玄の心のうちの、怒りを他所に、晴幸は話しを続ける。

「雪斎さまは、小田原とも手を結ぶ事を、考えております」

「どういう事だ?」

 眉を寄せて信玄は問う。

「我らと手を切る気か?」

「いえ、そうでは無く」

 ゆっくり晴幸は首を振る。

「甲斐と駿河、相模の三家が手を結ぶので御座います」

 それは無理だろうと、信玄は呆れた。

 甲斐の武田、駿河の今川、相模の北条は、関東の覇権を巡り、争い続けているのだ。

 一時的に二家がむすぶことがあっても、三家が結ぶなどあり得るはずがない。

「結んで誰と戦う?」

「駿河は尾張に、甲斐は信濃、そして越後に、相模は上州、安房、常陸に攻めれば宜しゅう御座います」

 ああっ、と呟く。

 確かにそうだ。

 だが、なんと壮大な策だろうか。

 まさに大計というに相応わしい。

 これを太原雪斎という男は考えたのか?

 とんでもない男である。

 だが同時に、これこそ信玄が目指していたものだ。

 信繁が当主となり、信玄はその使僧なるつもりでいた。

 使僧となり他国と駆け引きをして、信繁に策を授ける。

 信繁は優れた大将だ。身贔屓かもしれないが、義元に器も武勇も劣っていないはず。

 その信繁が戦さ場に立ち大軍を指揮する、その帷幕で信玄が策を練る。

 それが武田のあるべき姿だ。

 だが自分は雪斎に劣っている。足下にも及ばない。

 今は・・・・・だ。

「勘助」

 信玄は晴幸を呼ぶ。

「わしに仕えろ」

「・・・・・仕えておりますが?」

「そうではなく」

 首を振る。

「今川を捨て、わしに仕えろ」

 信玄は雪斎に劣っている。

 しかし信玄には若さがある。

 十年二十年、知恵を磨けば、雪斎に劣らぬ策を練る事が出来る。

 そしてその為には、策を練る為には、諸国の事、様々な業に精通している者が必要だ。

 山本勘助晴幸が必要だ。

「家老に取り立ててやる、望む禄を、いや望む物を何でもやる」 

 はははっ、晴幸は笑う。

「剛気なお方だ」

「・・・・では仕えるか?」

 ゆっくり晴幸は首を振る。

「地位も禄も望みませぬ」

 静かに頭を下げる。

「大膳さまの為に、働くだけに御座います」


 信玄も分かっていた、晴幸が今川を捨てるわけが無い事を。

 不満だったが仕方がない。

 それでも晴幸は、信玄の役に立った。

 晴幸の推挙で、海野一族の生き残り、真田幸綱という男を召し抱えた。

 旧領の回復を条件に命じると、幸綱は見事に、策で村上義清を城から追い落とした。

 更に諏訪頼重の妹を信玄の側室にして、その産まれた息子に諏訪家を継がせ、信濃の国衆たちを傘下に引き入れていった。

 長窪の大井貞隆、福与の藤沢頼親、そして諏訪家と並ぶ信濃の名族、小笠原長時らを、皆攻め滅ぼした。

 こうして武田の信濃侵攻は、信玄が驚くほど順調に進んでいったのである。

 しかしここで、雪斎晴幸の策が外れる。

 城を追われた村上義清が、越後の長尾家を頼る。

 晴幸は越後の長尾晴景を、惰弱だと言った。

 確かに晴景は惰弱だった。

 しかし晴幸たちが思う以上に、惰弱だったのだ。

 晴景は謀叛に遭い、弟に家督を奪われたのだ。

 最初、晴幸は別に慌てなかった。

「家督を奪った弟の平三は、まだ十九とか・・・・・」

 赤子の手を捻る様なものだ、そう言いたいのだ。

 信玄も同感だ。

 家督を継いだのは信玄も同じ年頃。しかし板垣信方や甘利虎泰の傀儡だった。

 恐らく長尾平三景虎も同じで、国衆たちを抑える事は出来ないはず。

 そう見ていた。

 しかし景虎は違った。

 景虎は戦さ上手で、国衆たちを力で捻じ伏せたのである。

 その景虎が、義清を助け、北信濃に攻めて来た。

「どうする?勘助」

 自慢の策が破れたのだ。半分揶揄いながら、信玄は問う。

「こうなれば尚更、小田原と結ぶ事が、肝要かと・・・・・」

 ふん、と信玄は鼻を鳴らす。

 確かに小田原の北条が、関東管領上杉憲政を関東から追いやった。

 追われた憲政が頼ったのが、越後の景虎である。

 憲政の命を受け、景虎は関東に出兵、北条方を追い散らした。

 景虎と戦うなら、北条と手を結ぶべきだ。

 分かった、と信玄は同意する。

 これで太原雪斎の大計である、今川、武田、北条の三家の盟約は成った。

 もっとも今川主導である為、信玄は相変わらず、今川の軛の下だ。


 その軛の下、越後の長尾景虎と戦さを続けていると、大事件が起きた。

 雪斎亡き後の今川が、尾張に攻め込んだのだが、返り討ちに遭い、義元が討ち取られたのである。

 まさかの事だった、信玄も初めは信じる事が出来なかった。

 だが手の者たちの報告で、真の事だと知る。

 晴幸は何も言わなかった。

 ただ黙って、甲斐の暴れ川である釜無川を、治めるための堤を築いたり、今川の法度である仮名目録を元にした、武田の法度を作ったりしていく。


 そんな時、また越後との戦さが起こった。

 晴幸の献策で、北信濃の千曲川の湖畔に、越後勢への備えとして海津城を建てた。

 その海津城を越後勢が、取り囲んだのだ。

 信玄は兵を出した、

 しかし動かぬつもりだ。

 小田原の北条に使者を送り、上州に兵を出させる。

 そうすれば景虎は、越後に戻るしかない。

 それまで海津城を固く守り、後詰めをする仕草さえ見せれば、景虎は引くしかない。

 景虎は恐ろしい程の戦さの名人。

 信玄は勿論、信繁でも勝てない相手だ。

 無理に戦う必要は無い。

 ところが晴幸が、打って出ようと言ってきた。

 何かある・・・・。

 晴幸の策を、大概了承する信玄も、これには怪しみ取り上げなかった。

 しかし晴幸は、他の家臣たちに、そして信繁に根回しをして、再び言ってきた。

 こうなれば信玄も、取り上げざるを得ない。

 なぜなら先に作った武田の法度に、信玄は家臣領民の声に、必ず耳を貸す、という文言が入っていたからだ。

 怪しみながらも、信玄は晴幸の策を取り上げた。

 それは別働隊を敵の背後に回し、奇襲を掛けるというものだ。

 策自体は悪くない、しかし別働隊に兵を割き過ぎだと、信玄は思った。

 こういう中入りと呼ばれる策は、博打に近い。博打に勝つコツは、博打をやらない事だ。

 どうしてもやるなら、あまり張らない事だ。

 まして相手は、戦さ上手の長尾景虎。

 甘い相手では無い。

「長尾の平三を討ち取るには、このくらいの方が良う御座います」

 晴幸は押す。

 信玄は信繁の顔を見る、不安そうだが、頷いた。

 まともにやっても勝てないなら、博打を打つという事か。

 こう言うところが、信玄よりも信繁の方が、大将として優れているところだ。

 肝が座っているのだ。

 信玄はどうしても、損得を考える。

 それでは戦さには勝てない。

 そう言う事だ。

 が、結果は大惨敗だった。

 中入りは見破られ、景虎に守りの薄い本陣を、逆に強襲されたのだ。

 信玄は直ぐに逃げたが、本陣を守っていた晴幸、そして信繁までもが討ち取られた。

 信繁の亡骸を見たとき、信玄は気が付いた。

 初めから、これが晴幸の策だったのだ。

 義元亡き今川は、没落の一途を辿っている。

 信玄は今川を恨んでいるし、何をするか分からない。

 だから武田の支柱である信繁を、亡き者にしたのだ。

 勘助め。

 信玄は怒り狂った、そして後悔もした。

 予期はしていた、なのに止められなかった。

 何をしておるのだ、わしは。


 


 信繁が居なければ、武田を大きくする事も、強くする事も出来ない。

 そしてそうする意味も無い。

 なぜなら信繁こそが、真の大将だったのだから。

 

 世の中は上手くいかない、何事も上手くいかない。


 

  

 

 

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