第24話 曽呂利

三河の一向一揆で、主君元康の狙撃に失敗した後、本多弥八郎元信は尾張に逃げた。

共に一揆に加わっていた、加藤教明が当てがあると言う。

当てとは、尾張豪族、生駒家であった。

生駒家は美濃から三河まで、馬借と灰や油の商い行なっている。

酒井家の納戸役だった、教明は付き合いがあるのだ。

この屋敷には何度か訪ねたことがあるらしく、下女と男女の仲らしい。

「如何するね?本多どの」

教明は伝を使って、織田に仕える気らしい。

ふむ・・・・・・と正信は呟き、広い生駒屋敷を眺める。

閑散として、人があまり居ない。

当主の家長が信長の馬廻り衆として美濃に屋敷を貰い、こっちは数人の使用人が居るだけだ。

「わしはよい」

「ほぉ」

「尾張には仕えぬ」

そうかと頷き、教明はとくに理由を尋ねなかった。



信長は優れていると、無論、正信も思う。

しかし勿論、欠点もある。

信長の良いところは、物事を単純にし、目標を明確にして、そのために為すべきことを、迷い無く為すところだ。

これが上手くいったのが桶狭間の戦さで、上手くいかなかったのが美濃攻めだ。

信長は、蝮の道三こと斎藤山城守利政の娘婿だから、その仇打ちと言う名目で、利政を殺害した息子の斎藤義龍を攻めた。

しかし義龍の奮戦、美濃衆に比べ戦さ下手の尾張衆のだらし無さ、堅牢な稲葉山の城と、問題が沢山あり、美濃攻めは上手くいかなかった。

そのうち、四年五年と月日が流れ、義龍は死去、息子の龍興が跡を継ぐ。

こので一気呵成に信長は攻めるのだが、新加納という地で大敗を喫する。

正信は新加納に訪れ、近くの者に話を聞いたが、斎藤家の家臣、竹中半兵衛重治という者が、主君である龍興を囮にして、信長を誘き出し、伏兵で攻撃したという話だ。

見事な策だが、正直、正信でも同じことをしただろうと思った。

つまり信長という男が分かっていれば、わりと難しく無い策だ。

そういう意味で信長は、読み易い所がある。

信長は馬鹿ではないし、決断力もある。

しかし単純すぎる所がある。

もし様々な道を示すことが出来る人物が、信長の家臣に現れれば、信長は大化けするだろう。

しかしそれは自分では無いと、正信は思った。

おそらく竹中重治という男も違う。

正信にしろ重治にしろ、切れ者だ。

だが切れ者というなら、信長が既に切れ者なのだから必要ない。

信長に必要なのは、知恵者だ。

そしてそれは正信では無い。

ずっと三河で暮らしていた正信には、そこまでの知恵が無い、世の中ことがそれほど詳しくない。

諸国を巡り、諸侯に詳しい者が信長に付けば、信長は化ける。

そう正信は思った。

だから教明の、共に織田に仕えようという話を、断った。

まぁ断った最も大きな理由は、今の正信では雑人程度にしか、扱われないからだ。

それにある事が気になる。

絶対に信長がでは、天下は取れないのではないか?

そう思うある事が、引っかかるある事が、正信にはある。

どちらにしろそれを確かめる為、少し諸国を巡りたい。

世の事を知りたい。

妻子も故郷も捨てなのだ。

どうせ野垂れ死ぬなら、好きなように生きて、己を試して死ぬだけだ。

そう思い、上方に向かった。



上方で伝は、本願寺の空誓しか無い。

しかし空誓の方も、歓迎は当然しない。

もう全てを呆れめているのか、三河に戻りたいとも言わない。

取り敢えず、雨露をしのげる処は出来た。

早速正信は、引っかかっている事を含め、上方を見て回る。

都には余り興味は湧かなかった。

荒廃し、何もなかった。

それに対し、本願寺の本拠地がある、摂津大坂、そして摂津、河内、和泉の境にある堺の町には、土地から強力な力を感じた。

ここは天下の地だ。

正信は思った。

確かに、上方に来る前、尾張清洲、美濃の井ノ口などの信長が治める町を見て、その活気に驚いた。

しかし土地そのものから、力を感じるとは思わなかった。

あくまで信長が、街道の要所であるそれらの町を、発展させているだけに思えた。

土地そのものに、そこまでの力が無かった。

だが摂津や和泉と言う、瀬戸内の終点には、圧倒的な力があるのだ。

それに比べれば、清洲や井ノ口などは、よくある要所に過ぎないと思えてしまう。

この地に集まる、人や物は、清洲や井ノ口の何倍もある。

単純に量だけで無く、その多彩さが正信を驚かせる。

道行く、人々を見て、まるで異国の様だとは思わない。

世界そのものだと、思ってしまうのだ。

その地で正信は、様々な物を見て回る。

多くの事を見聞きする。

引っかかっていたある事を、調べて回る。

そして答えに辿り着く。

やはり信長では天下は取れない。

信長の素質では無い、尾張、そして美濃という領地が、信長に天下を取らせないのだ。

その考えが、確信にかわる。



信長は天下が取れない。

では天下を取れるのは誰か?

正信はそれを考え、ある答えに行き着く。

そしてその鍵を握る人物に、目星を付ける。

堺のある豪商の元を、正信は訪ねる。

大きな屋敷では無い、堺の豪商にしてはと言う意味でだ。

綺麗で、質素だが、品がある屋敷だ。

どうぞと、部屋に通される。

主人がそう言うものに、それなりの理解があるのだろう、それなりの調度品が、綺麗に、そして自然に置かれている。

「お待たせいたしました」

しばらくすると、男が入ってくる。

少し太っているが、あまり特徴のない顔だ。

上方の商人と言われれば、頭に思い描く様な顔をしている。

それが正信には、少し奇妙に感じられた。

もっとあくの強い男が出てくると、思ったからだ。

「本多弥八郎正信と申します」

スッと正信は頭を下げる。

「実は、今井どのにお話がありまして・・・・・」

「違います」

正信の言葉を遮り、男が静かに告げる。

「・・・・・・」

顔を上げ正信は、男を見つめる、男はニコニコと微笑んでいる。

「納屋の・・・・手代でござるか?」

「いえ、違います」

正信は眉を寄せる。

「わたくしは納屋の方ではありませぬ」

「では・・・・・」

なんでここに居る?ここは堺の豪商、納屋家の屋敷だ。

「何者だ?」

「わたくしは、貴方に興味のある者です」

微笑みながら、男は告げる。

正信は訝しみながら、男を眺める。

あくの無い顔が、逆に不気味に思えてきた。

「本多弥八郎正信さま・・・・・・・」

男はゆっくり喋り始める。

「三河の国、松平家家臣、その三河で門徒の一揆が起こると、一揆に加担、一揆の首領である、酒井将監、空誓和尚に近づき、取り入り、そして操って、二人を三河から追い出し、一揆衆の実権を握る」

饒舌と言うわけではない、その口調は少しゆっくりで聞き取りやすい。

「そうして主君松平次郎三郎元康の攻撃を、次々とかわし、逆に強襲していく、だが一揆に加わった松平家中の侍たちは、主君元康の首を取ることに、腰が引けている、業を煮やした貴方は、雑賀の鉄砲撃ちを雇い、主君元康を狙撃しようとした、狙撃は失敗し、貴方は三河を追われる事になった」

いや、と男は首を振る。

「追われると言うのは、正しくないですね、貴方は自ら三河を出たのですから」

男は、ジッと正信を見る。

「わたくしが貴方に感心するのは、これだけの事をやっておきながら、貴方はその証拠を残さなかった、貴方が一揆の指揮を取っていた事を、一揆に加わった者は、誰も知らなかった」

目を見開き、男は楽しそうに言う。

「素晴らしい、まこと見事の手並みにございます」

「・・・・・・」

正信は黙った、褒められているが、嬉しくもなんとも無い、それより相手の正体が気になるだけだ。

「貴方ほどの切れ者、そうはいません、日ノ本中を探しても、十人か、二十人か・・・・」

二十もおるのか、と正信は言いそうになった、それを察したのか、

「世の中は広いですからねぇ」

と男は言った。

「それでも貴方、優れた方です」

小さく頷き、男は話を続ける。

「その貴方が、納屋さんに興味を持ち訪ねてきた」

男は一度、ゆっくり瞬きをする。

「それで納屋さんに頼んで、こうして会わせて頂いたのです」

「・・・・・・・」

ジッと正信は相手を見る。

何者か?何が狙いか?

正信から奪う物など、命くらいしか無い。

その命を欲しがる者が居るとすれば、旧主の松平家康くらいだ。

しかし追手は無い様だし、この男もそうは見えない。

「なぜ、納屋さんに興味をもたれたのですか?」

男が問うて来る。

正信は答えない。

「何故です?」

更に、問う。

「・・・・・名も知らぬ相手に、答える義理はない」

背筋を伸ばし胸を張り、正信は応じる。

「そろり・・・・」

男は呟いた。

「何がだ?」

意味が分からず正信は聞き返す。

「ですから、わたくしの名でございます」

薄く微笑み、男は言う。

「そろり?」

正信が繰り返すと、ええ、と男は頷く。

「曽呂利新左衛門、それがわたくしの名です」

男はそう告げると、さぁ、と促す様に、正信に手を向ける。

「・・・・・・・」

正信はチラリと周囲を見る。

納屋の主人、今井宗久が様子を伺っているんだろうか?

考えられる話だ。

正信は、宗久に興味を持ち、本願寺の納戸役に頼み、宗久に会える様にしてもらった。

しかしいきなり浪人が訪ねて来るのだ、宗久が警戒するのも当然である。

それでこの妙な男である曽呂利新左衛門とやらを使い、様子を伺っているのではないか?

そう正信は考えた。

ならここは、その懐に飛び込もう。

正信は意を決する。

「これから戦さは変わる」

スッと背筋を伸ばして、正信が言う。

「鉄砲がその主役となる」

ほぉ、と曽呂利は言う。

「しかし鉄砲には、幾つか欠点がある」

ふむ、と曽呂利は頷く。

「まずは雨、湿れば、火縄に火は付かぬ」

確かに、曽呂利は応じる。

「そして次に値だ、鉄砲は多くを買い揃え、一斉に使う事で力を増す」

うむうむ、と曽呂利は頷く。

「しかし高価で、大量に買い揃えるのは難しい」

まこと、最も、と曽呂利は答える。

「しかしそれ以上に、一番の欠点がある」

それは?と問うて、ジッと曽呂利は正信を見る。

「・・・・・・玉薬(火薬)だ」

その答えに、曽呂利は微笑む。

嫌な笑みだ、人に好感を与えない、ねっとりとした笑みだ。

「玉薬が無ければ、鉄砲など、ただの鉄の筒だ」

笑みを絶やさず曽呂利は、黙って正信を見つめる。

「そしてこの玉薬は、日ノ本では生み出すことが出来ない」

少し正信は顔を、曽呂利に突き出す。

「唐土や南蛮から取り寄せるしかない」

「・・・・・・・・」

「だから・・・・・・」

ジッと二人は見合う。

「玉薬を商う者が、これからのの戦さを左右する」

納屋の今井宗久は、その名の通り、納屋、倉庫の商いをしていた。

港や大きな町に蔵を建て、他の商人の品物を保管して銭を取るのである。

その宗久が、新たに始めた商いが、玉薬の取引なのである。

博多の町から買い付け、上方から東では、宗久の手の物ではない玉薬は無いくらい、一手に集めているのだ。

「それで、今井どの訪ねたのだ」

ニコニコと微笑み、曽呂利は頷く。

そして、

「表具師でございます」

と突然言う。

意味が分からず、正信は眉を寄せる。

「いえ、本多さまが何者だと、問われたので・・・・」

静かに言うと、曽呂利は前にある茶を飲む。

「表具師と申すのは、刀の鍔や鞘を拵えている者ですよ」

そのくらいは、知っている。

「仕事がら、お公家さんや大店の旦那衆、そして各地の国主を相手にすることが多ございましてなぁ」

それはそうだろう、わざわざ、表具師を呼んで、鍔や鞘に凝るのは、それなりの身分の者に決まっている。

「そういう方に、たまに人も紹介するのです」

「・・・・・・・・・」

正信はグッと腹に力が入る。

つまり仕官の世話をしてやると、曽呂利は言っているのだ。

それは正信としても望むところ。

納屋を訪れたが、別に正信は商人になる気は無い。

今井宗久と知り合いになり、その事を売りに諸侯に仕官する気でいたのだ。

「本多さま・・・・・・・」

笑みを絶やさず、まるで空模様でも聞く様に、曽呂利は尋ねる。

「諸侯の中で、もっとも天下に近いのは、誰方だと思われますか?」

「・・・・・・・・毛利」

少し間を置き、正信が答えると、ほぉ、と曽呂利が声を漏らす。

「毛利は瀬戸内の水軍を、支配下に置いている」

淡々と正信は述べる。

「これで博多の町を手に入れれば、玉薬を運ぶ手段を、主べてその掌中に収める」

ふむふむ、と曽呂利は少しわざとらし動きで頷く。

「そうすれば、納屋の様な豪商を、御用商人にして、彼らに命じ例えば・・・・・」

正信は目を細める。

「尾張の織田三郎の様な者に、大量の鉄砲を安く売る」

勿論、玉薬もだ、と正信は付け足す。

「それで、織田の三郎に、武田や北条などと戦さをさせる」

正信は一度、身体を揺する。

「大量の鉄砲があれば、武田や北条に織田が負けることは無い、そうやって織田に東国を支配させる」

「ですが・・・・・」

「もし織田がこちらに牙を向けてくれば」

微笑みながら曽呂利が口を挟もうとする、それを正信は許さない。

「玉薬を与えないだけだ」

なるほど、と曽呂利は呟く。

「そうすれば織田の鉄砲は役立たず、なんなら武田が北条に鉄砲を売っても良い」

うんうん、と曽呂利は頷く。

正信が信長では天下が取れないと思ったのは、このためだ。

信長の資質では無い、尾張、美濃という領地が、信長に天下を取らせないのである。

上方より東の領主で、天下を取ることは出来ない、それが正信の考えだ。

とは言え、毛利が天下を取れるかと言えば、それも簡単では無いと思っている。

毛利の当主、元就は老齢だ、元就が亡くなれば、毛利はどうなるか分からない。

数年前であれば、天下は間違いなく三好のものだった。

阿波を本拠地にしている三好が、瀬戸内の水軍を抑え、博多を手に入れれば、天下は取れた。

しかし当主の長慶が亡くなり、お家騒動で衰退の一途を辿っている。

毛利も元就が死ねば、同じ事になるだろう。

そうなれば、誰が天下を取れるか?

一番近いのは、今、博多を抑えている大友だろう、当主の宗麟はまだ四十前、勿論、いきなり明日、死ぬかもしれぬが、それでも七十過ぎの元就よはましだろう。

瀬戸内の海をどうにかすれば、大友にも天下への道は開ける。

他にも土佐の長宗我部や、備前の宇喜多など、信長の様に、大きな戦さを一戦して武名を上げれば、道は開ける。

どちらにしろ、上方より西でなければならない、瀬戸内の近くかなければ、天下の道は厳しい。

それが正信の読みだ。

「まこと、見事な策です」

音のしない拍手をしながら、曽呂利が言う。

それでは・・・・と曽呂利が立ち上がる。

「・・・・・・・?」

「本多さまに、お引き合わせしたいお方がおります」

眉を寄せる正信に、曽呂利が告げる。

「毛利右馬頭ではありませぬが・・・・・・」



「これは・・・・・・」

正信は思わず声を漏らす。

しっかりとした石垣、長く続く白壁。

上方に来て、幾つか大きな寺院を見て回った。

しかしこれほど、立派な、と言うより力強いものは無かった。

そしてこの建物は寺院では無い。

城だという。

信じられない話だ。

城に石垣など用いない、普通は土塁だ。

それに何より、こんな平地の真ん中にある小高い丘の上になど建てない、険しい山の上に建てる。

なぜなら城とは、敵からの攻撃に身を守るために、建てるものだからだ。

それなのにこの城は守る気など無い、周囲にどうだと己を見せるための物の様だ。

正門から城内に入り、正信はその考えをさらに強くする。

城主の住んでいる本丸が、高くそびえる、塔と言うべきか、櫓と言うべきか迷う様な建物なのだ。

普通、本丸は平屋だ。

なぜならその方が、住みやすいからだ。

しかしこの本丸は住みやすさなど、考えていない。

ただただ己を、周囲に、世の中に見せるためのものなのだ。

「・・・・・とんでもないな」

そんな言葉しかでない。

しかし・・・・・よりにもよって。

正信は顔を歪めて、曽呂利新左衛門を見る。

「毛利右馬頭では無いと、申し上げましたでしょう」

ニコニコと笑みを絶やさず、曽呂利は言う。

堺の町を出て、曽呂利は東に向かった。

もし安芸の毛利に行くなら、当然、西だ。

何処に?と正信が首を捻っていると、大和に入る。

まさか、と思っていると、この城に来た。

「本多さまには毛利右馬頭より、この城のお方の方が良いと思いまして・・・・・」

「良い・・・・ねぇ・・・」

目を細め、曽呂利を見る。

「得るものも多いと思いますが、何よりも気が合うと思いますよ」

曽呂利の答えに、ふん、と正信は鼻を鳴らす。



櫓の様な本丸では無く、離れの茶室に通された。

正信は茶室というものは、初めてである。

四畳半の小さな部屋で、真ん中に囲炉裏が切られ、茶釜が置かれている。

主人は既にいた。

正信は男を見た。

鼻筋の通った整った顔立ちに、睫毛の長い切れ長の目をしている。

年は五十過ぎの様だが、若い頃はさぞ美男であったろうと思わせる。

しかしその美しさより目につくのは、右目にある大きな刀傷と、油断ならない目の光だ。

「久しいな、曽呂利」

この城の主人、松永弾正久秀は静かに言う。

戦乱の世である。

悪逆非道の表裏者は数多くいる。

例えば蝮と呼ばれた斎藤山城守利政や、主家の浦上家を乗っ取っている宇喜多和泉守直家などだ。

しかし一番の悪党と言えば、当然松永久秀になる。

なぜか?

ほかの者は利政にしろ直家にしろ、主家を乗っ取っただけだ。

しかし久秀は主家の三好家を乗っ取った後、武家の棟梁である足利公方義輝を殺害してる。

その上、東大寺の大仏殿にも火をかけたと言われている。

権威も神仏も何も恐れぬ男、それが松永久秀なのだ。

「お久しぶりです、霜台さま」

霜台とは久秀の官位、弾正忠の唐名だ。

そして久秀の渾名でもある。

「今日は霜台さまに、これはと言うお人を推挙しに・・・・・」

曽呂利の言葉に、ふぅうん、と軽く久秀は答える。

「この御仁は、本多弥八郎どのと申されまして、霜台さまと同じく、玉薬の道に興味を持たれたのです」

久秀が考えたのか、曽呂利が思いついたのか分からないが、玉薬の道とは、よく名付けたものだと、正信は感心する。

「あんな者、別に大した事はない」

冷めた口調で、久秀は言う。

「その程度の知恵者、日ノ本中を探せば、十人はおる」

曽呂利は苦笑し、正信を見る。

正信は黙って、表情を動かさない。

納屋の今井宗久は、大和の出だと言う。

ならば久秀の指示で、堺に行き、玉薬の商いに手を出したと言うことか。

正信がそんなことを考えていると、久秀が声をかけてくる。

「本多・・・・とか申したな、生まれは何処だ?」

「・・・・三河にございます」

「みかわ?」

久秀は小馬鹿にした様な、笑みを浮かべる。

「知らぬな、それは何処じゃ?奥州か?それとも九州か?」

「・・・・・尾張の東にございます」

淡々と正信は答える。

「おお、そうか、そうか、田舎のことは分からぬでの・・・・・」

「今、上方に向かって吹いている風の、尾張の・・・・隣です」

「・・・・・・・・」

久秀は黙って、正信の顔を見る。

「その尾張の風、お主、どう見る?」

一度、ゆっくり唇を動かし、正信は述べる。

「織田の上総介は切れ者にございます」

頷きもせず、久秀は正信を見る。

「それに運が良い」

ただ・・・・・と声を低くして、正信は続ける。

「上総介は、上方に不慣れでござる」

久秀の表情は動かない。

「公家や寺社、そして豪商との駆け引き、上方の地侍衆・・・・・・」

正信は鋭い目で、久秀を見つめる。

「上方の表も裏も知り尽くした人物が、力を貸せば、風は強く吹くでしょう」

例えば・・・・・と言って、正信は薄く微笑む。

「松永さまの様な・・・・・」

「・・・・・・・・」

ジッと二人は見つめ合う。

少しして、ニッと久秀は微笑む。

「わしはおべっかは嫌いじゃ」

「・・・・・・・拙者もです」

静かに正信は言う。

「拙者はまことの事しか、言いませぬ」

久秀は目を細めて、正信を見る。

「松永さまの様なとは申しましたが、その程度の者、上方に二十人はいるでしょう」

「・・・・・・・・・」

茶室はブクブクと、茶釜が沸く音だけがする。

しばし正信を見た後、ははははははっ、と久秀は笑う。

「面白い」

そう言うと久秀は、茶釜の蓋を取り、柄杓で湯を取り、茶碗に注ぎ、茶を点てる。

「曽呂利、気に入ったぞ」

久秀の言葉に、曽呂利が黙って頷く。

「知恵は大したことはないが・・・・・・」

茶筅で描き回すのを止めて、久秀は正信を見る。

「面が良い、悪人の面だ」

そう言って久秀は、茶碗を正信の前に置く。

「・・・・・・」

一度、久秀の顔を伺い、正信は茶碗を取る。

「拾ってやる」

スッと正信は茶を飲む。

「ただし使えぬ様なら、直ぐにほっぽり出すぞ」

ゆっくり茶碗を置き、正信が答える。

「ご安心を、その前に出て行きますから」

久秀は笑みを浮かべる、あくの強そうな笑みだ。

正信も微笑む、おそらく同じ様な顔だろう。

内心、正信は自分に呆れる。

正信が三河を出たのは、主君家康がつまらない男だからだ。

天下に野心も無く、親から受け継いだ三河半国を守れたら、それで良いと言ったらかだ。

だから己の才を活かせる主人に、仕えようと思った。

しかしだからと言って、よりにもよって松永久秀とは・・・・・・。

まぁ良い。

自分の才に、合った主君である。

自分と同じ笑みを浮かべる、久秀を見ながら、正信はそう思った。












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