第23話 罠
夜が明ける前に、元忠一行は美濃を立った。
近江今浜には昼前に着いた、ここからは船に乗り、夕方には京に着く。
元忠は船の手配を茶屋の手代、清十郎に任せ、町を歩く。
「大した賑わいだ」
行き交う人々の多さを見て、思わず呟く。
東国に通じる美濃への道と、北国に向かう若狭への道、そして勿論、京への道が結びつく近江今浜は、美濃や清洲を凌ぐ、交通の要所だ。
この地を治めるのは、織田信長の妹婿、浅井新九郎長政である。
年は元忠の主君家康の、二、三下のはずで、二十そこそこ。
十五の時に、南近江の六角との戦さ、野良田の戦いで名を上げ、若き闘将として近隣に知られている。
しかし今浜の賑わいを見るに、ただの猛将では無い。
義兄の信長にも劣らぬ、政の才覚があるのだろう。
少なくとも、瀬戸物が美濃に行くと、なんという名になるのだ?などと言う家康とは、雲泥の差だ。
「これは、手強い相手だ」
今浜の町を眺めながら、元忠は呟く。
織田の勢いが盛んになれば、それと手を結んでいる松平も浅井も強くなる。
そうなれば浅井は味方ではあるが、同時に競争相手でもある。
元忠の様に、信長の創った仕組みを利用して、家を大きくして、国を豊かにしてやろうという者が浅井に居れば厄介だ。
長政は家康と違い、そういう家臣の働きを認めるだろう。
「これは困ったな」
そう思いながら、元忠は町を歩く。
「いらっしゃい、いらっしゃい」
飯屋の前で、客引きの少年たちが、大きな声を上げる。
「おじさん、寄っていってよ、美味しいよ」
少年の一人が、元忠に近づき、その手を引く。
「いや・・・・・・どうするかな?」
断ろうとして、後ろに従う人足たちを見る。
「せっかくだし、飯にしましょうや、鳥居さま」
年嵩の男が、皆を代表して言う。
確かに夜が明ける前に美濃を出た為、途中、歩きながら握り飯を一つ二つ食べただけだ。
皆、腹が減っている。
ふむ、と少し迷う。
船の手配が済めば、直ぐに京に向かう、しかしそうなれば飯は夜遅くになる。
その前に少し、何か腹に入れておきたい。
「しかし・・・・・・・」
元忠は人足たちの方を向く。
「食うて船に乗ると、戻すぞ」
手で口から物を出す仕草をする。
「大丈夫でさぁ、琵琶の湖は穏やかで、船酔いなんぞしませんよ」
客引きの少年が口を挟む、年嵩の男が、だそうですぜ、鳥居さま、と言う。
「ああ分かった、飯にしよう」
「まいどあり」
少年は元気な声で店に戻る、元忠たちもそれに付いて店に入る。
だが入った瞬間、饐えた臭いを嗅いで、ギョッとする。
「なんじゃ、鮒寿司か」
しまったと思い、元忠が声を上げる、人足たちも、みな顔を歪める。
「なに言ってるんだい、近江で飯屋といえば鮒寿司だろう」
少年はニコニコしながら奥に入り、店主を呼んでいる。
鮒寿司は近江の名物だ。
春に捕った鮒を、夏まで塩漬けにして、同じく塩をまぶした飯を混ぜる。
発酵した鮒が、独特の臭いを放つ。
「・・・・・わしは船の手配の方を見てくる」
そう言って銭を置き、元忠は店を出る。
あっ、と言って人足たちが追って来ようとするが、店の者に捕まっている。
「あんなもの美味しいと思うのは、近江の者だけじゃ」
そう呟いて元忠は、港に向かう。
鮒寿司は駄目だが、近江には国友鍛治など色々な産物がある。
「なんとか三河でも、銭になる物を作らねば・・・・・」
信長が足利公方義昭を奉じ上洛した。
三好一党を上方から追い払い、その支配を確立しようとしている。
それはつまり、今まで三河から近江、そして京までだった、関所や座が無い仕組みが、上方全域にまで広がると言うことだ。
もし三河に銭になる産物があれば、その富は今まで以上になる。
「なんとか・・・・・なんとかせねばならん」
そう呟きながら、元忠は港に着く。
「如何した?」
茶屋の手代、清十郎が何やら船頭らしき男と、言い合をしている。
「ああ、鳥居さま・・・・・実は・・・・」
振り返った清十郎が、言いにくそうに答える。
「船が出せぬと・・・・・・」
「何故だ?」
元忠は清十郎では無く、船頭に問う。
「いやいや、実はですねぇ・・・・・」
真っ黒に日に焼けた船頭が、頭を掻きながら答える。
「空いている船が無いのですよ」
信長が関所を廃したおかげで、人や物の行き来が自由になった。
その為、大量の荷が運ばれる様になっている。
荷を運ぶ時、人や馬、荷車で運ぶより、船で運ぶ方が、当然、大量の物を運べる。
それも安価に、速くだ。
そうなれば皆、船で運ぼうとする。
だから船が足らなくなるのは、目に見えている。
「そこにあるでは無いか」
目の前にある船を、元忠は指差す。
「申し訳ないです」
振り返り船を見て、船頭は告げる。
「あれは昼過ぎに来る方の約束がありまして・・・・・・」
「誰だそれは・・・・・・」
銭を多めに出すから、わしらに譲ってくれ、と元忠は言おうとする。
しかしそれを察した船頭が、ニヤニヤ微笑みながら、首を振る。
「納屋の今井さまでございます」
その答えに、チッと元忠は舌打ちする。
納屋の今井とは、堺の商人、今井彦右衛門宗久のことである。
先年、信長は上洛した時、堺の町衆たちに矢銭を要求した。
それも二万貫という、途方も無い額だ。
堺の町衆と言えば、気概があるので有名だ。
大名の命になど従わない、会合衆という豪商たちが、話し合いで政を行い、浪人たちを大量に雇い入れ、町の防備に当たらせている。
当然、信長の矢銭の要求も、突っぱねた。
しかしその時、宗久だけは、信長に従う事を支持し、織田の武力を背景に、他の町衆たちを説き伏せ、信長の要求を受け入れさせたのである。
この事に信長は大いに喜び、宗久を堺の代官に任命したのである。
信長はその後、足利義昭を将軍にして、岐阜に戻った。
するとその隙を突き、阿波に落ち延びていた三好一党が、巻き返しを図り、上方に攻め込んできたのである。
この時、堺の会合衆の、臙脂屋宗陽や能登屋平久らは三好一党に力を貸したのだ。
しかし義昭の近臣たちが奮戦し、持ちこたえている間に、雪の中、急遽、信長が岐阜より攻め上がり、三好一党をまさに鎧袖一触、蹴散らしたのだ。
三好は再び阿波に逃げ、臙脂屋宗陽たちも堺の町から去った。
そうなれば宗久の天下だ。
堺の代官として町を支配する一方、信長に近づき織田家の御用商人として、その商いの一切を取り仕切っている。
茶屋清延の話では、ほんの数年前まで茶屋より身代は小さかったそうだ。
そもそも宗久は、元は大和商人で、商いの争い破れ、裸一貫で堺に流れて来たらしい。
それが信長という波に乗り、今では上方で一番の豪商だ。
織田の御用商人である納屋が、当然、近江の船も優先される。
「まぁ、そういう事で・・・・・・」
顔を歪めて笑い、船頭が断る。
しかしその複雑な表情を見て、元忠はふと思う。
おそらくは他所者の織田の御用商人が、幅を利かせるのを船頭たちはよく思っていないのかもしれない。
あるいは、近江の商人のため、船を隠しているのかもしれない。
どちらにしろ、元忠にはどうしようもない。
うぅぅむ、と元忠が唸っていると、一応、という感じで船頭が話す。
「明日は・・・・まだ無理でしょうが、明後日にはなんとか・・・・・」
チッと元忠は舌打ちをする。
「ゆっくり今浜の町を楽しんでくださいよ、美味いものもありますし」
どうせ鮒寿司しかないだろう、あんな物美味いなどというのは、近江の者だけだ、と心の中で言いながら、元忠は船頭を睨む。
「明後日になっても構わぬか?」
元忠は茶屋の手代、清十郎の方を見る。
「いや・・・・その・・・・・」
困惑しながら頭を掻く、どうやらあまり良くはないらしい。
うぅぅん、と元忠は考える。
まだ昼前だ、京まで陸路で運んでも夜には着く。
しかし陸路を進むのには、少々問題がある。
信長上洛する時、南近江領主、六角家に協力を呼びかけた。
しかし六角方は、これを断る。
近江守護、佐々木氏の流れを汲む、名門、六角家の当主は、右衛門督良治という人物だ。
しかし実権は隠居している父親、承禎が握っている。
前の足利将軍義輝が、三好一党と松永弾正久秀に殺された時、六角は三好と対立、まだ覚慶という名の僧だった、義昭を匿っていた。
当初は三好を攻撃し、京より追い払ったが、その後、和睦。
逆に義昭を捕らえようとした。
義昭は間一髪のところ、越前に落ち延び、その後美濃に移って、信長の力を借り上洛している。
その六角である。
信長の上洛に手を貸す筈が無い、それを阻む構えを見せる。
六角方は信長の上洛を、秋の終わり、あるいは春先であると考えていた。
当たり前のことだが、稲刈りの忙しい時期に、攻めて来るわけがないと、考えていたのだ。
しかし信長にそういう、当たり前は通じない。
信長の兵は銭で集めた牢人衆が主力だ、田植えも稲刈りも関係ない。
稲刈りの時期に、信長はいきなり攻め込んだのである。
当然、六角側に備えはない。
その上、六角家は先年、当主良治と父承禎の間に諍いがあり、それに重臣の後藤氏と蒲生氏の対立が加わった、お家騒動があったばかりだ。
とても織田の強襲を防ぐ事など出来ない。
僅か一日で、居城、観音寺城は陥落したのである。
しかし承禎、良治親子は甲賀に里に落ち延び、諍いをやめて和解。
その後、甲賀の忍びたちに命じ、南近江の織田の軍勢に攻撃を仕掛けている。
南近江は今、まったく安全な場所で無い。
どうするか・・・・・?
船で二日待てば、安全に運べるだろう。
しかし茶屋の手代、清十郎の顔を見ると、それは勘弁して欲しいらしい。
だが陸路を行けば、甲賀衆が出て来るかも知れない。
ただの商家の荷車でも襲って来る危険があるのに、織田と組んでいる松平の手の者と知れば、見逃してはくれぬだろう。
ううううううっ、と唸る。
しばし悩んで、よし、と決める。
「皆を呼んできてくれ、すぐに出発する」
清十郎にそう告げる。
「では・・・・・・・」
「そうだ、陸から行こう」
確かに甲賀の忍びは気になる。
しかし甲賀の忍びも、絶えず見張って待ち構えているわけでもあるまい。
元忠の荷駄隊の人数は三十人いる、襲うにはそれなりの準備がいる。
急遽、今、南近江を通る事になった、元忠の荷駄隊を襲うのは、難しい筈だ。
「よし、向かおう」
「あれは・・・・・?」
街道の先、小高い丘の上に人影が見える。
それも動いていない、ジッと立ってこちらを見ている。
「皆、油断するな」
そう告げて元忠は、ゆっくりと進んでいく。
「・・・・・・・・」
人影の顔が見える位置まで進む。
若い男だ、二十歳そこそこ、弟の忠広より若く見える。
はて、何処かで・・・・・・・。
元忠は首を捻る、相手に見覚えがあった。
「おい、盗っ人」
若者がそう声をあげた。
言っている意味が分からず、元忠は眉を寄せる。
「それはわしの事か?」
「そうじゃ」
そう胸を張って告げる。
小柄で鋭い顔つきをした、俊敏そうな若者だ。
「わしから盗んだ鉄砲を返せ」
その若者の言葉に、あっ、と元忠は声を上げる。
「お前、殿を狙った雑賀の鉄砲撃ち」
元忠がそう大きな声で言うと、周囲の手の者が一斉に騒ぎ出す。
「なんと?」
「あの時の・・・・・」
「此奴が」
そう言って皆が、若者を取り囲む。
人足として従っている者たちの多くは、身分が低く、一揆の時、門徒方に着いた者が殆どだ。
彼らにすれば、主君に弓引いただけでも後ろめたいのに、自分たちで手を汚さず、他国の者に、家康を狙撃させようとしたと言うのは、更に立場を悪くさせた。
その為、狙撃した雑賀衆を憎んでいる。
「わしがお主らの殿さまを狙ったのは、本願寺の坊さまに頼まれたからじゃ」
周囲の男らに臆する事なく、堂々と若者は告げる。
「ただの仕事じゃ」
「なんじゃと」
人足たちは詰め寄る。
「止めぬか」
元忠が割って入る。
「お主も、鉄砲を返せと言うが、此処には無い」
若者の方に向き、元忠が告げる。
「この仕事が終われば、三河まで取りに来い、返してやる」
「・・・・・終われば?」
雑賀の若者は眉を寄せる。
「ああ、そうだ」
元忠が頷く。
「京に荷を届けた後、三河に戻る、それに着いてこい」
若者は目を細める。
「心配せんでも、何もせんし、直ぐに返してやる」
ジッと若者を見て、元忠が言う。
「お主の言う通り、お主は仕事でやっただけ、恨んではおらぬ」
周囲の人足たちは、同じ気持ちでは無いらしく、顔をしかめている。
しかし元忠が目をやると、皆、仕方なく顔を下げる。
「駄目だ」
「はぁ?」
若者の言葉に、元忠は振り返って驚く。
「今すぐ三河に戻って、返してもらう」
「いや・・・・・こっちも仕事があるのじゃ」
顔を歪めて元忠が言う。
「そう急ぐな」
「そうでは無い」
若者は首を振る。
「ん?」
「このまま進めば、お前が死ぬからじゃ」
「死ぬ?」
淡々と告げる若者の言葉に、元忠は首を傾げる。
「どう言う意味じゃ?」
「この先に・・・・」
若者は道の先を指差す。
「甲賀の者が待ち伏せをしている」
「なんだと?」
元忠が声を上げる、人足たちも騒つく。
「待ち伏せとはなんじゃ?わしらがここを通るのを、甲賀の者が知っておると言うのか?」
「そうじゃ」
ばかな、と元忠は声を上げる。
元忠たちが陸を進むのは、さっき決まった事、それを甲賀の者が知る術がある筈ない。
だが考えてみれば妙だ。
目の前にいる雑賀の若者は、元忠を待ち構えていた。
となると、この若者は知っていたと言う事になる。
「なぜお前は、わしがここを通ると知っておった?」
「そんな事は簡単じゃ、甲賀の者に聞いたのだ」
素っ気なく若者は答える。
「お前らの中に、甲賀と通じとる者がおるからのう」
若者の言葉に皆が驚き騒ぐ、元忠は信じられず、一同を見回す。
人足たちは皆、三河の者だ、甲賀の者のつながりがある者など居ないはずだ。
見回しながら、元忠の目が止まる。
三河者の人足以外と言えば、茶屋の手代、清十郎だけだ。
「・・・・・・・」
無表情で清十郎は、元忠を見つめ返す。
「まさか・・・・・・」
元忠が呟いた瞬間、清十郎は身を翻す。
「そやつを捕まえろ」
元忠が叫ぶ、側にいた者が清十郎に摑みかかる。
しかし商人の、いや常人の動きとは思えない身のこなしで、清十郎はその手を逃れる。
「待て」
人足が二人、三人と清十郎を取り囲む。
しかし、うっ、と呻き、腕や肩を抑えて、その場に蹲る。
目で捉えるとが元忠には出来なかったが、どうやら何か刃物で清十郎は、皆を斬りつけているらしい。
そのまま囲いを破り、清十郎が逃げ出そうとする、まさにその時。
パァン、と音が響き、清十郎の動きが止まる。
見るとその足元に、銃弾の穴が空いている。
ハッと元忠が振り返ると、いつの間には雑賀の若者が、銃を構ている。
「これで分かったろう」
若者が静かに告げる。
「お前が死のうがどうなろうが、おれの知ったことでは無い」
銃を下ろしながら、若者は続ける。
「だが銃は返して貰う」
持っている銃を見ながら、若者は呟く。
「あれは大事な銃なんだ」
銃をしまい、元忠に向く。
「だからさっさと三河に戻れ」
人足たちに捕まって、清十郎が元忠の前に引っ立てられる。
その顔を見て、元忠は驚く。
さっきまでの茶屋の手代だった清十郎は、人当たりの良く、気の利く、温和な二十半ばの若者だった。
少し気弱なところもあり、荒くれ者の人足たちからは、からかわれながら、可愛がられていた。
しかし今、目の前にいる清十郎は、これが同じ人間かと思うほど、顔付きが変わっている。
鋭く、抜け目のなさそうな顔で、年も七、八歳、老けて見える。
「清十郎・・・・・・・おまえ」
元忠が呟く、しかし何も答えない、或いは名も、清十郎では無いのかもしれない。
ふと元忠は思い返す、あの近江にいた船頭も、甲賀の手の者なのだろう。
できれば急ぐと言ったのも、清十郎だ。
全部、罠だったのだ。
「おい、さっさと三河に行くぞ」
雑賀の若者がせっつく。
しかし元忠は、顔を前に向ける。
「皆、出発するぞ」
そう元忠が告げると、人足たちが荷を押し始め、京への道を進む。
「おい、待て」
雑賀の若者が声を上げる。
「何している、何処に行く気だ?」
「京に行くに決まっているだろう、それが仕事だ」
若者の方を見ずに、元忠が答える。
「ふざけるな、待ち伏せがあると言っているだろう」
「三河に帰る時に付いて来い、その時鉄砲を返してやる」
元忠は振り向き、告げる。
「そう言っているだろう」
また正面を向き、ズンズンと進んで行く。
「・・・・・・・・」
若者は元忠の背を、ジッと見つめる。
「居ました、この先の茂みです」
物見に行かせた者が、戻って来て告げた。
「数はどのくらいじゃ?」
「分かりませぬ、百はおらぬでしょうが、五、六十は・・・・・・」
こちらの倍以上はいそうだ。
「うむ、分かった」
元忠は他の者をその場に留まらせて、一人先に進む。
甲賀の者が潜んでいるであろう茂みの見える所で止まり、大声を上げる。
「そこに潜んでおられる、甲賀の方々」
まるで戦さ場の様に、堂々と名乗る。
「わしは三河、松平家家臣、鳥居彦右衛門元忠じゃ」
当たり前だが、茂みからはなんの返答も無い。
「確かに、松平と織田は手を組んでおる、織田と六角は戦さをした」
日は中天を超え、少しずつ傾いている。
「しかし我らと貴殿ら甲賀の者には、何の遺恨も無いはず」
ジッと茂みを見つめ、元忠は続ける。
「ここを通して欲しい」
ふぅ、と一つ息を吐き、元忠は再び大声を上げる。
「ただとは言わぬ」
懐から袋を取り出す。
「ここに三百貫ある、有り金の全てじゃ」
ゆっくりと地面に袋を置く。
「これを差し上げるので、このまま通していただきたい」
袋を置いて、そのままゆっくり退がる。
「・・・・・・・」
しばらくすると、男が一人、茂みから出てくる。
「鳥居どのといわれたな」
四十過ぎの大きな顔をした男だ。
元忠の方を見て、ニヤリと笑う。
「わしに良い考えがある」
男は近寄って袋を拾い、中を確認する。
「この銭を貰って、更にお前さんたちを皆殺しにして、荷も奪う・・・・・と言うのは如何じゃ?」
男は明るい笑顔で、そう告げる。
「それは無理じゃ」
ジッと男を見つめながら、元忠は答える。
「何故じゃ?」
男はわざとらしく、驚いた顔を見せる。
元忠は片手を上げる、人足たちが火をつけた松明を掲げる。
「もしお主らが掛ってくれば、荷に火をかける」
「ほぉ」
「くれてやるぐらいなら、燃やしてやるさ」
元忠の言葉に、なるほど、と男は微笑みながら顎に手をやる。
「それに・・・・・」
男から目を離さず、元忠が続ける。
「こちらの人足は皆、元は三河で戦さをしておった者たちじゃ」
人足が数人、少し前に出る、太刀や棒、短弓を構えた。
「お主の手下を、一人が一人、確実に仕留める」
笑みを消し、男は目細めて、元忠を見つめる。
「それにわしは、十人斬ってやる」
元忠と男は、ジッと睨み合う。
「わしが十人、他の者が三十人、合せて四十人お主の手下を斬って捨てる」
二人は視線を外さない、
「荷は焼け、手下を四十人失い、そして手に入るのは、その三百貫だけじゃ」
低い声で元忠は告げる。
「その銭を持って引け、それが利口というものじゃ」
「・・・・・・・・」
少しの間の後、甲賀の男はクククッと苦笑する。
「いや、大したものじゃ」
元忠は銭を払って命乞いをするのではなく、あくまで対等な取り引きするという態度を崩さなかった。
「お前さん、変っておるなぁ」
「そうか?」
「ああ」
男は頷く。
「三河の者は、頑固と聴いておったが・・・・・・少し違うようじゃな」
「そうかね・・・・・そうでもないさ」
元忠は苦笑する。
「たしかに、お前さんの言う通り、わしらはお前さんらに恨みはないしな」
男は袋を懐にしまいながら言う。
「わしらは甲賀の望月の者でな」
「望月?」
ああそうだ、と男は頷く。
「甲賀の中で、山中という家があってな、そこが六角のお殿さまに義理があってね」
ほぉ、と元忠は相槌を打つ。
「そいつらが織田と織田の仲間を襲えと、言ってきたのじゃ」
なるほど、と元忠が頷くと、そうなんじゃ、と男も頷く。
「まぁわしらとすれば、六角のお殿さまのお墨付きで、追い剥ぎができるというので、やっとるだけだ」
「・・・・・もうあまり持たぬと思うぞ」
元忠の言葉に、うん?と男は首を傾げる。
「六角のお殿さまじゃ」
はははははっ、と男は笑い、違いない、と答える。
ではな、と言って甲賀の望月の男が、その場を去ろうとする。
「またれい」
元忠が呼び止めると、男は振り返り、何か?と問う。
「手下をお忘れじゃ」
そう言うと、茶屋の手代に化けていた、清十郎を連れてくる。
「ああ、返してくださるのか?」
「無論じゃ」
戒めを解かれると清十郎は、元忠を一瞥して、男の方に駆け寄る。
「頭、すみませぬ」
清十郎は頭を下げるが、男は冷めた目で見つめるだけで何も言わない。
「その・・・・・雑賀の者が・・・・・」
「雑賀・・・・・・」
男は清十郎の言葉を聞いて、人足たちの後ろにいる雑賀の若者の方に目をやる。
「・・・・・・ふぅうん、そうか」
そう呟くと、男は歩き出そうとする。
「またれい」
元忠が再び呼び止める。
「まだ何か?」
「そやつ、如何するのじゃ?」
清十郎の方を見て、元忠が問う。
「殺すのか?」
元忠の問いに、男は目を細める。
甲賀の者は忍びだ、しくじりをすれば殺される、元忠はそう思っている。
「なぜそのようなことをお訊きになる?鳥居どのには、関わりのない事でござろう」
「いや、ある」
首を振って、元忠が答える。
「そやつは役に立つ、使える者だ、もし殺すのならばわしに譲ってくれ」
男も清十郎も、目を丸くして驚いている。
しかし元忠は本心から、そう思っている。
三河の木綿を商う様になって、茶屋は急に身代が大きくなった。
それに石川数正や天野康景などが、色々と御用を頼むので、人手が足りない。
それで清延は、大々的に人を入れた。
だから清十郎の様な、いかがわしい者も潜り込めたのだが、それでもまだ足りない。
特に役に立つ者がだ。
清十郎は役に立つ、船の手配や、人足の宿割り、帳面付けも出来るし、兎に角重宝する。
「頼む、今は無いが、銭は出す」
元忠は頭を下げる、銭を払って通ると言ったときは、命乞いでは無いと下げなかった頭を、今度は下げる。
「だから譲ってくれ」
クククッと、男が苦笑する。
「此奴が役に立つのはわしも知っておる、だから殺しはせぬので、譲ることはできませぬ」
そうか、と元忠は残念そうに呟く。
では、と男は去って行く、清十郎も後に続く。
「お前・・・・・・・・変っておるなぁ」
雑賀の若者が元忠に近づき、小さな声で告げる。
「そうか?」
「ああ」
頷いて、雑賀の若者は続ける。
「でもなんのかんので、助かっておる」
「そうだな」
うんうん、と元忠は頷く。
「わしの殿は、わしのことをゆからぬ者と言っておる」
「ゆからぬ者?」
雑賀の若者が目を細める。
「抜け目がないと言うことじゃ」
元忠の言葉に若者は、顔を歪める。
「では行くか」
そう言って元忠は人足達に、出発するよう命じる。
「そう言えば・・・・・・」
雑賀の若者の方を向く。
「名を聞いておらなかったな」
「・・・・・・・・」
「名乗って減るものでもなかろう」
っぁ、と小さな舌打ちをすると、若者は名乗る。
「鈴木孫三郎重朝だ」
そうか、と頷いた後、元忠は、ところで・・・・・・・と重朝に問う。
「雑賀には何か産物は無いか?」
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