第22話 元忠
「では行って参る」
抱きかかえていた次男を下ろし、長男の頭を撫でて、鳥居元忠は妻にそう告げる。
「いってらっしゃいませ」
緊張した顔で、長男が答える。
うむ、と頷きながら、そろそろ殿の小姓に上げるか、と長男の顔を眺めながら元忠は思う。
「四郎のこと、頼むぞ」
妻の方を向き元忠が言うと、身体の弱い無口な妻は、黙って頷く。
弟の四郎左衛門忠広は、門徒の一揆の折、一揆に加担し、主君家康、そして兄である元忠に弓を引いた。
なぜ弟が一揆に加わったのか、元忠にはよく分からない。
と言うより、弟が何を考えているのか、元忠はよく知らない。
元忠は松平家の宿老、鳥居忠吉の三男として産まれる。
しかし元忠が八歳の時に、長兄が戦さで亡くなり、次兄が眼が悪かった為、寺に入ると、嫡子となった。
鳥居の家は別に、松平家代々の譜代の家ではない。
矢作川の水運を担う、渡り衆の家でだった。
その才覚を家康の祖父、清康が認め、宿老として抜擢したのだ。
忠吉はその期待に答え、矢作川だけでなく、三河全土、そして東海の物流に手を伸ばしたのだ。
上方の物を駿河に送ったり、東国の物を美濃や尾張に運んだりと、商いに精を出し、大きな財を築いたのである。
おそらく忠吉は、駿府に人質として送られた、幼き主君家康、当時の竹千代の元に、長子を送り、何れは自分の跡を継ぎ宿老にさせ、三男の元忠には渡り衆の仕事をさせるつもりだったのだろうが、長子が亡くなったため、元忠はこの二つの務めを果たさなければならくなった。
だがそこまで大変な事ではなかった。
渡り衆の仕事として、品物を駿府に運ぶ時、竹千代に会って、そのご機嫌を伺えば良かったからだ。
そうやって少年の頃から、四方を飛び回っていた元忠は、あまり家に居ることが無く、弟とも、さほど顔を合わす機会が無かった。
元忠が十九の時、主君家康、その当時まだ元康だったが、その主君に従い、初陣を果たした。
その頃、七つ年下の忠広は、近所の悪ガキ、渡辺半蔵守綱や本多平八郎忠勝らと、遊び回っていた。
父忠吉も、
「彼奴はどうしようもない」
と匙を投げていた。
だがしばらく経って、同い年の内藤弥次右衛門家長が、家康の小姓になったり、年下の本多忠勝が戦さに出たりすると、様子が少し変わり、心を入れ替え出仕するのではと、なんとなく元忠も忠吉も思っていた。
しかし門徒の一揆が起こると、さして熱心な門徒でも無いのに、家を飛び出し、一揆に加わった。
「まっこと、どうしようもない」
忠吉はそう呟き、元忠に連れ戻すようには、特に言わなかった。
元忠も、討ち取るべきかどうか悩んだ。
目の前に立てば討ち取るしかない、実の弟だ、他人に任せるより、自分の手で始末をつけよう。
そう考えながら、一揆鎮圧に向かった。
だが結局、本多忠勝が忠広を、倒して捕らえた。
その後、忠広は蟄居し部屋に閉じこもっている。
家康からは帰参の許しは出ているし、忠吉や元忠が禁じているわけでもないのに、家から出ようとしない。
誰とも会おうとしない忠広に、先日、一度だけ内藤家長と榊原康政が訪ねてきた。
しかし忠広は会おうとしない。
「まったく・・・・・・」
元忠は、無理矢理にでも二人の前に、引きずり出そうとしたが、康政がそれを止める。
「そのうち出てきますよ」
白いぽっちゃりとした、康政の顔を眺めながら元忠は頷く。
この若者を元忠はあまり知らない。
先の一揆の時に初めて顔を合わせた。
しかし以前、本多忠真から少し聴いている。
甥の忠勝の幼馴染みだが、賢い若者であると。
ただ石川数正や天野康景のような、学問ができ、切れ者というのでは無く、機転が利く若者だと言う。
元忠はそんな康政のの言葉を信じ、ここは少し弟に時間を与える事にした。
元忠は渡り衆の仕事の為、三河を出る。
二十数人の手の者を率い、荷台に木綿と米を乗せ、一行は三河から尾張、美濃、近江を通り、京の茶屋を目指す。
「平和になったものだ」
街道を進みながら、思わず元忠は呟く。
尾張の織田と手を組んで五年、門徒の一揆を鎮圧して三年、三河は平和になり、そして急速に豊かになっている。
一つには毎年のようにやられていた、織田の刈田狼藉が無くなったからであるが、それよりも門徒の勢力を一掃したことが大きい。
小高い丘を進む。
「以前はここにも・・・・・・」
呟いて元忠は周囲を見回す。
何もない丘だ、しかし以前はここに関所があった。
領主のものでは無く、少し先にある寺院のものだ。
寺社はそれぞれ領地に関所をつくり、そこを通る人や荷車から銭を取っていた。
しかし門徒の勢力を一掃した時、それらの関所も全て、打ち壊したのである。
主君家康や家臣の者たち、そして門徒側の者も、皆、領地の田畑ばかりに目がいっている。
だが元忠や茶屋清延の狙いはそうでは無かった。
寺領の田畑などたかがしてれている。
それよりも関所が無くなる方が、元忠からすれば大きな利を産む。
それを家康は分かっていない。
先日、家康が鷹狩りから戻り、
「おい、関所が無くなっておるぞ、どうしたのじゃ?」
と、尋ねてきた。
暢気なお人じゃと、苦笑し、
「殿がお命じになったことです」
と元忠が答えると、家康は目を白黒させて、
「いつそんなこと命じた?」
と声を上げた。
その時の事を思い出すと、呆れて元忠は笑ってしまう。
三河を出て尾張に入る。
もしこの尾張を見れば、家康はもっと驚くだろう。
何故なら尾張にも、関所が無いからだ。
もっと言えば尾張だけで無い、三河から尾張、美濃、そして近江まで、関所が一切無いのだ。
尾張美濃の国主織田信長が、自国と義弟浅井長政の近江まで、関所を全て廃止したのである。
その為元忠が、三河から京の茶屋まで木綿を運ぶのに、関所を一切通らず、当然、関銭を全く払わないですむのだ。
これがどれほどすごい事か、主君家康は分かりもしないだろうと、元忠は思う。
これまでも例えば、南近江六角氏などが、領内の関所を廃止した事がある。
しかしそれは裕福な近江の商人が、領主六角氏に無理矢理関所の廃止を認めさせたのである。
信長のように、領主自らが廃止させたのでは無い。
それに六角は領地の南近江だけだが、信長は自領の尾張美濃、そして隣国の三川、近江、そして足利公方義昭を奉じて上った京の都まで、関所を無くしたのだ。
信長はすでに京と、その先の堺にも奉行を置いている。
つまり三河から堺まで、幾らでも物が運べると言うのである。
「まったく、恐ろしい事になった・・・・・・」
渡り衆の元忠からすれば、これはとんでもない事だ。
そのとんでもない事を行った、織田信長は、更に関所だけで無く、市での商いも自由にさせたのである。
たいがい市は、寺社の門前に立つ、寺社は神域でその門前は領主の法が及ばない。
それに大きな寺社の前に立てれば、参拝客も通って行く。
だから寺の前で、商人は市を開くのだ。
しかし当然、寺社の赦しがいる、それには銭がかかる。
大きな寺院が裕福なのは、寄進もあるが、この市の上がりを取っているからだ。
信長はその市を城下で開かせ、その上、銭を一切取らないのだ。
そうなれば商人は当たり前だが、寺社の門前では無く美濃の城下に集まる。
美濃の街は、大きく繁栄している。
だが元忠が、信長の事を恐ろしいと思うのは、その事だけでは無い。
尾張の国を進み、瀬戸の街を過ぎる。
瀬戸の古来より、陶器の職人たちの街である。
その陶器は北は奥羽、南は九州まで売られる、陶器の事を瀬戸物という地域まである。
しかしその陶器の街が、少し寂れている様に元忠には見える。
仕方あるまい。
領主である信長が、職人たちを大量に、美濃に移住させたのだ。
信長はそうやって、美濃に陶器の町を一つ作ったのである。
「瀬戸で作るから瀬戸物であろう、美濃ので作れば、美濃物と言うのか?」
もし主君家康にこの話をすれば、こんな返事が返ってくるだろうと思い、元忠は苦笑する。
家康はこの事がどれほどすごい事か、まったく理解できないだろう。
関所を廃止し、市で自由に商いが出来るようになっても、それではただ茶屋の様な豪商が幅を利かせて、富を独り占めするだけであろう。
貧しい者が美濃の城下に来ても、身体を売るか、物乞いをするか、あるいは盗っ人になるだけである。
元忠が信長を凄いと思うのは、瀬戸の陶工を美濃に住まわせ、彼らに仕事をさせ、その人手を集めた事である。
それだけでは無い。
美濃には元々、関鍛治という鍛冶屋と、美濃紙という産物があった。
信長はそれらも集め、町の一角を与えたのである。
それにより貧しい者が美濃に集まっても、物乞いをする事も、盗っ人になる事もないのである。
陶工や鍛冶屋、紙漉きの徒弟になるか、あるいはそれらを運ぶ人足になるか、そういった仕事をすれば良いのだ。
更に言えば陶器を作るにも、鍛冶屋が鉄を打つにも、大量の炭が要る、それを売る炭や、それらの者たちに喰わす飯も要る。
現に今、元忠が運んでいる米は、美濃の城下に売るために、三河から運んでいるのだ。
以前なら考えられない事だ。
米は自分たちが食べるために作る者であり、それを売る、それも他国に売るなど、領主が最も禁止する事であった。
それを銭になるからと元忠が売っている、その銭で鉄砲や武具を買い揃えようとしているのである。
世の中が変わる、織田三郎信長という男の手によって・・・・・・。
そう思いながら元忠は、その信長の居る美濃に向かう。
尾張の清洲に入る前、荷台と人足を先に行かせ、一人南に戻る。
「・・・・・・・・・」
桶狭間山に着くと、黙って手を合わせる。
あの日のことを思い出す。
今川義元に、一度だけあった日の事だ。
それは主君家康の元服の儀の時だ。
その時家康は、竹千代から元康になった。
烏帽子親である義元の前で執り行われる元康の元服の儀に、元忠たち家臣は立ち会えない。
次ぎの間で待たされていると、義元の近習、松井宗信がやって来て、
「鳥居の者はおるか?」
と尋ねてきた。
皆、妙な顔をしたが、答えぬわけにもいかない。
はい、と元忠が答えると、宗信は元忠の方を向き、
「御屋形さまがお呼びじゃ、ついて参れ」
と早口に言う。
元忠は驚き、酒井忠次の方を見ると、忠次が頷くので、ははっ、と答え、宗信に従い部屋を出る。
広間に着くと、今川の重臣たちが居並び、主座に義元が座っている。
元忠は広間の中心、義元に向かい合う位置に座る、主君元康の後ろに座る。
「お主が、渡りの鳥居の子か?」
座ると直ぐに、義元がそう呼びかける。
元忠は驚いた。
義元が自分に話しかけてきたのも驚いたが、義元の口から、渡り、という言葉が出た事には驚愕した。
「・・・・・・・・・」
顔を伏せたまま元忠は黙っていた。
驚いて言葉を失ったのもあるが、元忠は義元から見れば陪臣、もっと言えば義元は、足利公方にも繋がる名族、今川家の当主。
直後口を利いて良いわけがない。
「面を上げい」
元忠が困っていると、義元の側に控える宗信が声をかけてくる。
「直答を許す」
はっ、と返事をして元忠は顔を上げる。
義元と目が合う、色の白い大きな顔だ、品があり、優しげに見える。
「・・・・・・・・」
元忠が無言で義元を見ていると、宗信が声をかけてくる。
「殿にお答えせぬか」
「あ、はい」
慌てて元忠が答える。
「鳥居鶴之助にございます」
ふむ、と義元が頷き、再び問う。
「父は何という?」
「は、はい、父は伊賀守忠吉と申します」
うむ、そうか、と呟くと、義元はしばし思案してから告げる。
「鶴之助とやら、わしの元の一字をやろう、今日から元忠と名乗れ」
「・・・・・・・・」
義元が何を言っているのか理解できず、元忠は黙って義元の顔を見続ける。
前に座る元康も同じで、言葉を失い、義元を見ている。
周囲にいる今川の重臣たちも、驚き騒めく。
当然だ、普通、名を与えられるのは、余程の手柄を立てた者か、先祖代々の譜代の家の者だ。
陪臣の、それも何の手柄も立てていない元忠に、名を与えるなど、破格を通り越して、前代未聞の事だ。
「これ返事をせぬか」
宗信に言われ、元忠は、ハッとする。
「ありがたき幸せに御座います」
大声でそう言うと、元忠は顔を伏せる。
驚き、急いで三河に戻ると、父にこの事を告げた。
しかし父は大して驚きもせず、
「さすがは治部大輔さま」
と言うだけだった。
「父上は驚かれぬのですか?」
思わず元忠は問う。
「わしは今川の治部大輔さまを、英邁で物の分かっていらっしゃる御方と、以前より思っていた」
得意げな顔で、元忠は続ける。
「だからわしは亡き応政さまに、今川に与するよう助言したのじゃ」
応政さまとは、元康の父、松平忠広の戒名、応政道幹からくる、忠広の呼び名だ。
元忠はこの時、父の言葉の意味を、そして義元の偉大さを、半分も分かっていなかった。
しかし渡り衆の頭となり、その仕事を自ら差配する様になると、その事が十二分に分かってきた。
武士は戦さ場での槍働きに重きを置く。
それは主君もそうだし、家臣もそうだ。
だが実際に軍勢を動かすには、そして国を維持するには、銭が最も大切なのである。
銭が無ければ、戦さをする事も、領地を治めることも何も出来ないのだ。
しかしそれを分かっている武士は少ない、まして主君で、家臣のそう言う働きを認める者など皆無だ。
現に元忠の主君家康は、まったく分かっていない。
だが今川義元は違った。
元忠を渡り衆であるという理由で、己の名を一字を与えたのである。
その事で元忠は義元を尊敬してる。
自分に一字を与えてくれたからではない、銭の大切さを分かっているから、尊敬しているのだ。
その義元は既に無く、そして元忠の主君元康も、名を家康に変えた。
今川と手切れになったのだから、それは仕方がない。
家康も義元のことは慕っていた様だが、今川と敵対する以上、名は変えないと示しがつかない。
しかし元忠は変えていない。
一つには駿府や、今川と手を結んでいる北条の小田原に商いをしに行くには、元忠の名の方が良かったからだ。
しかしやはり、未だに義元への尊敬の念があるからというのが、大きな理由だ。
主君家康も、元忠が名を変えぬ事には、何も言わないで黙認してくれている。
元忠は何時も、尾張を通る時は、桶狭間山に立ち寄り、手を合わせている。
しばし手を合わせた後、荷駄を追って清洲に向かう。
清洲を出て少し行くと、荷台に追いつき、そのまま美濃の井ノ口に向かう。
今日はここで用事を済ませ、一泊するつもりだ。
先ず持ってきた米を売り、換わりに鍛冶屋で鍬や鍬を買い、人足の数人に三河に持って帰らせるのである。
鉄の鍬や鋤は、奉行の天野康景に頼まれた物だ。
昔から三河の農民は、木の鍬や鋤で田畑を耕していた。
当然、強度は無いので、深く耕せない。
それを刃の一部に鉄をはめ込む事で、鍬や鋤が丈夫になり、深く耕せない、田畑も広がるという話だ。
康景はこの鍬や鋤を使い、新たに田畑を切り拓くつもりらしい。
そのやり方は、まず山を削り、その出た土で海を埋め立てる。
しかしそれではその土地は、塩が残り田畑に適さない。
そこに綿花を植える、綿花は土地の塩を取ると言われている。
綿花を植えて土地の塩を取り、その後田畑にするのだ。
大量に綿花を植えるので、その儲けは茶屋にいく。
だから清延に、鍬や鋤を買う銭を出させたのである。
どちへんなしめ、やるな、と康景の手腕を、元忠は感心する。
戦さで怪我をして、奉行を命じられ、塞ぎ込んでいたという話だが、どうやら立ち直ったらしい。
仕事を済まし、井ノ口の町を見て回る。
井ノ口は活気に溢れ、物や人々が行き交っている。
何という町だと、元忠は感心し、岐阜の城を仰ぎ見る。
そこには、この町を作った、この活気を生み出した、織田信長という男が居る。
今に見てろ。
元忠は心の中で呟く。
別に慕っていた義元を討たれたからと、信長を恨んでいるわけではない。
勝った負けたは兵家の常だ、恨んでも仕方が無い。
それにそもそも元忠は今川の家臣でも無い、そのうえ主家である松平は、その今川と敵対している。
元忠は単純に渡り衆の頭として、国主である信長に、あっと言わせてやろうと思っているのだ。
つまりこの信長が作り出した、物が自由に行き交い、商いが簡単に行える仕組みを使い、信長よりも誰よりも、得をしてやろうと考えているのだ。
そして三河を、尾張や美濃に負けないくらいに豊かにしてやろうと、企んでいるのである。
この事は主君家康は当然として、家中の誰にも言っていない、元忠が自分一人の心に秘めている事だ。
もし誰かが聞けば笑うだろうし、信長の耳に入れば失笑されるだけだろう。
しかし元忠は大真面目だ。
大真面目に三河の国を、尾張や美濃より豊かにしようとしている。
「だが道は・・・・・険しいな」
活気に溢れる井ノ口の町を眺めていると、溜め息が出る。
それでもやるしか無い。
少なくとも松平の家中で、それが出来るのは自分だけだと、元忠は思っている。
先ずは兎にも角にも、三河に産物を作らなければならない、瀬戸物や関鍛治、美濃紙に負けない物だ。
とは言え、そう簡単には見つからない。
幾つかそれなりの物は見つけたが、どれも三河で産物にするには難しい。
元忠が最初にこれはと思ったのが、堺の町で見かけた春慶塗と呼ばれる漆器だ。
百五十年ほど前に、春慶という職人が編み出した独特の漆塗りで、木目が見えるほど薄く漆を塗り、素朴な風合いがあり、蒔絵などの装飾を行わないため、安価である。
安いが品があり、身分のそれほど高く無い武士や僧が、日頃使う盆や重箱には丁度良い品だ。
これを三河で作り、質素で品のある物を好む東国の武士たちに売れば、かなりの儲けになる、そう考えたのだ。
しかし問題は三河にそれほど漆の木が無いこと、それに堺の職人が、当たり前だが簡単にその作り方を教えてはくれないことだ。
やはり三河で獲れる物で、それに手を加えて他国に高く売る。
それが一番なのだ。
そこで三河で取れる物を考えたら、まず浮かぶのが大豆と木綿である。
商人や職人より、農民が圧倒的に多い三河では、田んぼで米を作り、土地の力が無くなると、大豆を植えるというのが、習慣になっている。
そのため、大豆はよく獲れる。
これを何かにして売る。
まぁ大豆を何かにするとすれば、味噌以外に無いだろう。
豆を味噌に変えて売る、それも大量に売る、悪くない案だ。
しかしこれにも問題がある。
味噌に必要な物は、豆と麹だ。
その麹、特に良質な麹は三河には無い。
何処にあるか?
尾張にあるのだ。
更に言えば尾張の者は、三河から豆を買い、赤味噌と呼ばれる独自の味噌を造り、三河を含め、近隣に売っている。
逆に言えば、三河の者は豆を作り、それを尾張に持って行き、銭を払って味噌に変えているのである。
農民が多い三河の者と、商人や職人が多い尾張の者の、それぞれの気質を分かりやすく示したようなやり取りだ。
元忠とすればなんとかして、麹造りの職人を三河に連れて行きたい。
だが当然、領主である信長が許すわけがなかろうし、尾張の職人たちも三河には来たがらない。
味噌が無理なら、あとは木綿だ。
木綿を高く売るとなれば、藍で染めて織物にする。
それを各地に売る。
藍と言えば阿波が有名だ。
阿波から藍造りを学ぶか、藍を取り出した藍玉と呼ばれるものを持って来るかすれば、三河でも織物が作れる。
しかしこの話は、茶屋清延が嫌がる。
今は木綿を京に送り、同じく阿波から送られて来た藍玉を使い、京で織物にして売っている。
京の織物は、応仁の時の戦さで荒廃した都で、町衆たちが一生懸命築き上げた物だ。
彼らにとって誇りなのだ。
その為、織物の仕事をおいそれと、他所には移さないのだ。
そんな事をすれば、清延は京の町衆たちから袋叩きに遭うだろう。
そして当然、商いの相手も失う。
清延にすれば、そんな事は絶対に出来ない。
茶屋は松平の御用商人ではあるが、別に家臣では無い。
そんな事をしようとすれば、松平から離れるだろう。
元忠としても、三河に何か産物を作るとして、客の当てはない。
茶屋に頼んで、売ってもらうしかない。
元忠に出来るのは、産物作りと、それを運ぶ事だけなのだ。
それにもう一つ、元忠には味噌や織物では無く、他の物にしたい理由がある。
「鳥居さま」
米を売り終わり、鍬や鋤を三河に運ぶ手配を済まし、茶屋の若い手代、清十郎が声をかけてきた。
うむ、と元忠は頷き、銭の入った袋を渡す。
それを両手で捧げる様に受け取り、清十郎は人足たちの方に走っていく。
美濃の町で人足たちが、酒を呑み、女を買うための銭だ。
人足たちは下品な笑顔を元忠に向けて、頭を下げたり、拝んだりする。
そして方々に去って行く。
その中の何人かは脚を引きずっている、腕が上がらない者いるし、片目の男、指が無い者も居る。
彼らは皆、戦さ場で傷を負い、身体が不自由になった者たちだ。
そういった戦さに出れない者たちを集め、元忠は人足の仕事をさせている。
だが人足の仕事も、手足が不自由な者たちには辛い。
そこで彼らが出来る様な産物作りを、元忠は考えているのである。
味噌造りも織物も、手足が不自由だとやりにくい。
出来ればもっと、簡単な作業の方が良い。
元忠が思い浮かべるのは、例えば木になっている身を取る作業だ。
これなら手足が不自由でも、それなりに働ける。
しかし木になる身と言えば、柿ぐらいしか元忠は思い付かない。
柿の木を植えるか?
或いこのあいだ京で聞いた話なのだが、菜種油の絞り粕が肥やしになるらしい。
なら菜の花を植えるか?
そんな事を考えながら、岐阜の城の方に向かう。
「・・・・・・・・・」
ジッとその山の上に建つ、城を見つめる。
今に見ておられい・・・・・・。
岐阜の城に居るであろう、織田信長に向かい、元忠は心の中で言う。
山の上のお城から、そうやって御料地を見渡しておられませ、わしは地を這い、諸国を回り、必ずこれという産物を見つけ、三河を、尾張や美濃より豊かにして、松平の家を、織田より大きゅうしてみせますぞ。
そう心の中で、啖呵を切る。
心の中で啖呵は切るが、実際のところは織田家中の者の所に。挨拶に行かねばならない。
その屋敷に向かうと、先客が有ったのか、門の近くに人影が見える。
どうするか迷ったが、あんまり卑屈に遠慮するのもおかしいとおもい、門に近づく。
ニュッと人影が前に出た。
「・・・・・っ・・・・」
こちらに全く気付いていなかったのか、相手は鉢合わせになって驚いている。
大きな男だ。
元忠も長身だが、相手は肩幅もあり、元忠より一回り大きく見える。
しかし粗野な風には見えない、着ている物も品が良く、顔立ちも顎が張って厳つそうだが、目元は穏やかである。
「・・・・・・・」
男は眉を寄せる、元忠が家中の者でない事に気付いたのだろう。
しかし直ぐに表情を和らげる、この屋敷の主人のことを考えれば、元忠が三河の者だと察しが付くはずだ。
ふと妙な間が、二人の間に生まれる。
名乗るべきであろうが、自分から名乗るべきか、お互いに迷ったのだ。
「・・・・・・あ・・・・」
「・・・・・・お・・・・」
互いに名乗ろうとして、声が重なる。
少し気まずくなる。
元忠が顔をしかめると、男は何が面白いのか、はははっ、と大きな声で笑い、
「失礼」
と言って軽く会釈して、そのまま名乗らず去っていった。
「・・・・・・・」
しばし男の大きな背を眺めていたが、追いかけるのもどうかと思い、元忠は屋敷に入る。「ようこそ、おいでくださいました」
屋敷の主人、生駒八右衛門家長が、愛想良く元忠を迎える。
「こちらこそ、お邪魔致します」
色白の品の良い丸顔の若者に、元忠は頭を下げる。
家長はただの織田の家臣では無い。
姉の於類が信長の側室になり、二男一女を産んでいるのだ。
「お姫さまは、大事ありませぬか?」
その娘、家長にとっての姪である五徳姫が、家康の嫡子竹千代に嫁いでいるのである。
「はい、健やかに過ごされております」
そうですか、と元忠の言葉に、家長は笑顔を見せる。
竹千代と五徳はまだ九つ、戦乱の世とは言え、幼い五徳は親元を離れ、他国に住んでいるのだ。
叔父である家長が心配するのも、当然である。
それに五徳の母である於類は、五徳を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、亡くなっているのだ。
引き取って育てた家長とすれば、大事に思う気持ちがより一層強い。
優しい御仁だと、姪を心配する家長を見て、心の底から元忠は思う。
「ところで・・・・・・」
何とは無しに、元忠は尋ねる。
「先に客人が居られたようで・・・・・」
「ああ、はい」
「いや・・・・・・」
少し顔をしかめて、元忠が言う。
「挨拶をせずに、行き違いまして・・・・・失礼になったのではと・・・・」
「あ・・ああ」
「生駒殿のお屋敷の前で申し訳ない」
元忠が頭を下げる。
「どなたであったか、名を教えて頂ければ、後で訪ねて行って、挨拶を・・・・・」
「気にすることはありませぬよ」
ニコニコと微笑みながら、家長は手を振る。
「しかし・・・・・」
「小六どのは左様なこと、気にいたさぬ御仁です」
「小六どの?」
元忠が首を傾げると、ええっ、と家長が答える。
「蜂須賀彦右衛門正勝どので、あだ名が小六と仰るのです」
ほぉ、と元忠は頷く。
「尾張の方では無いようですが、美濃の方ですか?」
あまり聞かない名なので、元忠が尋ねると、ええ、と家長が答える。
織田が美濃の斉藤を降した後、美濃の者の多くが、織田に仕える様になった。
その一派かと、元忠が思っていると、それを察したのか、家長が首を振る。
「小六どのは美濃のお方ですが、織田に仕える様になったのは、ずいぶん前ですよ」
「と言うと?」
「むかし小六どのは、斉藤山城守さまの小姓だったそうで、その後、尾張に来られ殿に仕えるようになったのです」
ああ、なるほど、と元忠は納得する。
ふとその時、元忠はある事を思い出す。
織田と手を結ぶ事になって、初めて清洲に向かった時、信長が鉄砲を百丁くれると言った。
その時、鉄砲を受け渡してくれたが、坂井右近政尚という男だった。
政尚は牢人衆の組頭で、本当は槍組なのだが、鉄砲組の滝川一益が人質として三河に居るので、代わりに鉄砲を受け渡すと言った。
髭面の鋭い目をした男で、滝川どのと同じ甲賀の生まれですかと、元忠が尋ねると、いえ、美濃の生まれで、むかし斉藤山城守さまに仕えていたが、主君が討たれ、上総介さまを頼って尾張に来た、と言っていた。
どうやら蜂須賀正勝という男も、同じらしいと元忠は思った。
「むかし父に世話になったとかで、よく訪ねてくるのですよ」
そう家長が告げると、元忠は少し首を捻る。
蜂須賀正勝や坂井政尚の旧主である斉藤山城守利政は、奇妙な人物である。
本人がでなくその父親が、変わっているのだ。
斉藤利政の父親は、上方と美濃を行き交う油の行商人であったと言われている。
それが富を得て、美濃の守護土岐氏の重臣、長井家の養子になったというのだ。
その才覚を見込まれ、乞われて養子になったと言われているが、実は金にものを言わせて、家を無理矢理奪ったとも聞く。
兎に角一介の商人が、武家の、それも大きな家の婿になったのである。
その後、息子の利政が守護代の斉藤家を継ぎ、主君の土岐頼芸を追い出し、国主になったのだ。
だがその利政も、最後は家督を譲った息子に攻められ、討ち取られている。
元忠が気になったのは、利政の父親が油の行商をしていたというところだ。
目の前にいる生駒家長の父親家宗の代まで生駒家は、武家でありながら商いにも手を出していた。
鳥居の家が渡り衆であるのと同じ様に、生駒家は馬借と灰や油を商う家だったのだ。
油の商い・・・・・。
それが生駒家と、斉藤利政の父親をつないでいたのでは無いだろうか?
利政親子の美濃の乗っ取りに、生駒家が一枚噛んでいるのだろうか?
流石にそれは無いかと、元忠は思う。
しかし何かのつながりはあるのだろう、それを頼って蜂須賀正勝や坂井政尚は、信長に仕えるようになったのであろう。
それにしても利政と生駒家の関係を考えると、少し妙な気がする。
利政の娘は信長に嫁いだが石女で、今は落魄し出家していると言う話だが、その代わりに生駒の於類が子を産んだということだろうか?
聞いた話では、於類は出戻りだと言うが、なぜ出戻ったのだろう?
子が産めれるなら、出戻る必要はない。
或いは信長を取り込むために、斉藤利政と生駒家宗が組んで・・・・・。
「どうかしましたか?」
家長が尋ねてくるので、ああ、いえ、なんでもありませぬ、と元忠は首を振る。
おそらく家長は、何も知らないだろう。
真面目で実直な若者で、商いの才はない。
父親の家宗は早々に息子に見切りをつけ、信長に馬廻り衆として側に置いてもらう様に頼んだのだ。
その代わり生駒家の私財は、信長に譲っている。
ふと元忠が思うのは、信長が関所や座を廃止したり、瀬戸物を美濃に移すなど、商いに通じた政をするのは、利政と家宗の影響なのでは無いかとい事だ。
二人が信長を取り込んだのは、そう言った政策を進めるためなのだろうか?
信長を見込んでそうしたのだろう。
しかし信長の側から見ると、利政の家臣と家宗の私財を手に入れたと言う事になる。
色々と疑問はわくが、考えても仕方がないと元忠は思った。
既に斉藤利政と生駒家宗はこの世にいないのだし、家長は馬廻り衆として真面目に働き、信長に可愛がられてもいる。
その後も、何とは無しに話を続ける。
「ぜひ、今宵は泊まっていって下さい」
「いえいえ、ご迷惑でしょう」
泊めてもらう気ではいたが、一応、元忠は遠慮の素振りを見せる
「迷惑などありませぬよ」
織田の外戚である生駒の屋敷は広い、元忠が一人泊まるぐらい、どうと言うことはない。
「では、お言葉に甘えまして・・・・・」
元忠がそう答えると、家長は家人に、酒宴の用意をさせた。
酒も入り、松平と織田の近況を、二人は語り合う。
「そう言えば、先ほどの小六どの・・・・・・」
酔いが回り、首筋を朱に染めて家長は言う。
「今は木下どのという御仁の、与力でございます」
「木下どの・・・・・でございますか?」
聞かぬ名だ。
「その方も美濃の人で?」
いえいえ、とゆっくりした動きで、家長は手を振る。
「木下どのは、尾張の・・・・・小作人の出だそうです」
はぁ、と元忠は頷く。
信長の家臣には、卑賤の者や他国から流れてきた浪人者が多い。
それでも小作人の出とは、元忠も少し呆れる。
「昔は針の売り歩きをされておられて・・・・・・・」
家長の言葉に、はぁ、元忠は相槌を打つ。
美濃の関鍛治で針を買い、尾張三河で売り歩く行商は、儲けは少ないが、元手のあまりかからない商いなので、卑賎の者がよくやる仕事だ。
「陽気な口上を述べながら、売って回ると評判だったのですよ」
「ほぉ」
「それで父が気に入り、我が家に出入りしるようになり・・・・・・」
はぁ、と答えて、元忠は酒をクッと呑む、すぐに家長が酌をしてくれる。
これはこれは、と頭を下げて酌を受ける。
「それで殿が姉を訪ねて来るとき、姉の支度の間、相手をしていて貰っていたのですよ」
「そうなのですか」
「陽気でよく喋る御仁でしてねぇ」
思い出しているのか、目を細めて家長は微笑む。
「殿が気に入り、連れて帰ったのです」
「ははははっ、織田さまらしい」
元忠は笑う。
「最初は小者として殿の側にいた様ですが、そのうちに納戸役を任され、我が家にもよく顔を出して・・・・・・」
ほぉ、と元忠は呟き、今度は家長に酌をする、ああ、すいませぬ、と家長が酌を受ける。
「この度の上洛の後、京で奉行を任されておられます」
はぁ?と驚いて元忠は声をあげ、徳利を傾けすぎて、酒を少し溢す。
「ああっ、失礼」
「いえいえ、大丈夫です」
懐から布を出して、家長は袴を拭く。
「その、本当に、申し訳ござらぬ」
元忠が頭をさげる。
「お気になさらず」
笑顔で家長は答える。
「驚いてしまって・・・・・」
信長は弟と家督争いをした。
その時、殆どの譜代家臣は弟の方に付いた。
家督を継いだ後、帰参を許したが、信長は彼らを信用していない。
信長が浪人者や卑賎の者を家臣にするのは、その為だ。
しかしだからと言って、針売りをしていた小作人の家の子を、小者や納戸役ならともかく、奉行に、それも京の都の奉行にするなど、とんても無い話だ。
「一度、お会いにらなれると宜しゅうございます」
そういって家長が酌をしようとするので、ああ、大丈夫です、と元忠は断る。
酔いが醒めたのだ。
「紹介状を書きましょうか?」
「ああ、申し訳ない」
元忠は頭を下げる。
「そうして頂きますと、助かります」
茶屋のある京には、これから何度も木綿を運びに行く事になる。
奉行に顔が利き、便宜を図って貰えれば、大助かりだ。
「あ、いや」
そう言って、家長は首を振る。
「その必要はないでしょう」
「・・・・・・?」
怪訝な顔をする元忠に、家長は笑顔で告げる。
「藤吉郎どのならば、三河の渡り衆と言うだけで、ご自分から鳥居どのに会いに見えられますよ」
「藤吉郎・・・・・どの?」
「はい、木下どのの名です」
ゆっくり頷き、家長が言う。
「木下藤吉郎秀吉、と言うのが、木下どのの名です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます