第20話 弓の家

グッと力を込め、ギリギリと引き絞っていく。

その力が極に達した時、バッと矢が放たれる。

スッと進むその矢は、グンと伸びて的に当たる。

正しく言えば、当たると言うより、的を撥ね飛ばす。

「お見事」

その強弓を見て、内藤弥次右衛門家長は声をあげた。

射手である内藤甚一郎正成は、振り返り少し頭を下げる。

家長と正成は従兄弟だ、家長の父、清長の弟が、正成の父、忠郷なのだ。

しかし家長が清長の老いてからの子なので、正成の方が家長より一回り以上、年上だ。

今度は家長が進み出て、構える。

家長は細身で、長身というわけでは無いが、手足が長く顔が小さい為、スラリとしている。

対して正成は、背が低く肩幅があり、横に広いがっしりとした身体つきだ。

スッと弓を引く家長の構えは正成と違い、あまり力を込めていない。

ギリギリと引き絞ると言うよりは、スゥウッ伸ばしていると言う感じだ。

パッと放つ、矢はスススッと進んで、ストンと的に当たる。

「お見事」

静かな声で正成が告げる。

「・・・・・・・・・・・」

家長は黙って、ジッと遠くを見つめている。

一礼して正成は籠手を外し始める。

「兄者」

年上の従兄弟のことを家長は、そう呼んでいる。

正成が振り向くと、家長はグッと家宝の弓を突き出す。

内藤の家は、河内の藤原だから、内藤だ。

伊勢の藤原が伊藤の様に、加賀の藤原が加藤の様に、河内の藤原だから内藤だ。

藤原と言っても摂関家の藤原では無い、藤原藤太秀郷の流れを汲む藤原家だ。

平将門を討ち取った、英雄秀郷の子孫を自称する家は多い。

日ノ本全体で、数百はあるだろう。

その自称秀郷の子孫の家には大概、家宝として秀郷が大百足を射殺した弓、藤太の弓がある。

勿論、家長の内藤家にもある。

田舎の地侍の家宝としては、上等な弓だ。

「この弓は、やはり兄者が持つべきです」

そう家長は告げる。

正成の強弓の方が、自分の弓より数段上だと、家長は思っている。

物は全て、上から下に落ちる。

放たれた矢も同じだ。

矢は普通、緩やかに弧を描き、的に向かう。

しかし正成の強弓は違う、真っ直ぐ進み、的に当たる時、少し浮き上がるのだ。

そんな凄い弓を家長は見たことが無いし、おそらくどれだけ修練しても、自分が放てる様になる事は無いだろう。

「・・・・・・・・」

黙って正成は、差し出された弓を見つめる。

家宝の弓を譲ると言う事は、当主の座を譲ると言う事だ。

「わしの弓は・・・・・・・・」

しばらくして正成は、口を開く。

「下手くその弓じゃ」

「そんな事は御座らぬ」

「いや」

正成は首を振る。

「叔父御がそう言った」

「父上が?」

うむ、と正成が頷くと、遠くの方を見つめる。

「叔父御が弓は力で引くな、構えで引け、といつも言っておった」

その言葉は家長も何度か聞いている。

弓は正しい姿勢、正しい型を何度も習う。

そうやって余計な力を入れない様に、弓を引くのである。

「わしは力で引いているだけじゃ」

「それでも・・・・・・」

グッと正成を見て、家長が言う。

「戦さで兄者の弓が、活きておる」

「・・・・・・・・」

正成は家長の方を向く。

「そうだな・・・・・・・確かに敵は倒しておる」

だが、と正成は目を細める。

「お前が気にしておるのは、その事ではあるまい・・・・・」

「・・・・・・・」

正成の言葉に、家長は下を向く。

確かにその通りだ。

「私は・・・・・・・」

家長が絞りながら、声を出す。

「父上に・・・・・弓を向けた」

下を向いたまま家長は、身体を震わせて告げる。

内藤清長は、老いてから生まれた息子、家長を大変に可愛がっていた。

家長の方も父に甘えることが多く、家中でも評判の中の良い親子だった。

その二人が一揆の時、敵味方となったのである。

家長にとって、主君のためとは言え、父に弓を向けた事は、大きな悩み、いや心の傷といってもよい程のものとなった。

「私は・・・・・私は・・・・・」

「確かにな」

震えて言葉に詰まる家長に、静かに正成は答える。

「だがお前は幽艦さまに・・・・・」

幽艦とは清長の法名である。

清長は一揆のすぐ後亡くなった、家康が帰参を赦す前にだ。

そのため家長は、その死に目に会えなかった。

「矢を射なかった」

「それは・・・・・・」

家長は顔を上げる。

射なかった事は、逆に家長を苦しめている。

いっそ自分の手で父を討っていれば、主君のために忠義を尽くしたと、踏ん切りもつく。

しかしそれも出来なかった為、家長の苦悩は行き場をなくしている。

「わしは・・・・・・」

淡々と正成は言う。

「舅どのを射った」

「・・・・・・知っております」

正成は一揆側に与した、舅の石川十郎左衛門の両膝を射抜いたのだ。

「まぁ、殿が帰参を赦してくれたから、離縁は避けれたが、妻の実家にはもう行けぬ」

それはそうだろうと、家長は思った。

石川十郎左衛門にすれば、いくら敵味方になったとは言え、娘婿に膝を射抜かれたのだ。

それも正成は手加減を一切加えなかったらしく、石川十郎左衛門は両足を失ったらしい。

表面上は仕方ないと言う顔をしても、内心は許せないのだろう。

「金一郎」

正成は呼びなれた幼名で、家長を呼んだ。

「わしはむかし、叔父御に言われたのじゃ」

その時の事を思い出したのか、正成は一度目を閉じ、再びゆっくり開けて、話を続ける。

「力で弓を引かず、構えで弓を引け、そうすれば、その身に弓の神さまが宿る」

正成は天を見上げる。

「そう言われたのじゃ」

「弓の・・・・・・・神さま・・・・・」

うむ、と正成は頷く。

「弓の神さまがその身に宿れば、力を入れる必要はない、それに・・・・・」

足を開き、肩を上げ、弓を射る構えを、正成は取る。

「神さまが宿れば、射るという気持ちすら必要なくなる」

「気持ちすら・・・・・ですか?」

首を捻る家長に、そうだ、と正成は答える。

「射るべき時に神さまが射る、わしらが射るのではなく、その身に宿る神さまが射るのじゃ」

そう言って、正成は弓を引き、放つ仕草をする。

「お前は幽艦さまを射なかった」

正成は構えと解き、家長の方を見る。

「それはお前に宿る弓の神さまが、射なかったのだ」

「・・・・・・・・・」

黙って家長は、その言葉を聞く。

「わしは力で引いておる、だから舅どのを射てしまったのじゃ」

正成は家長に近づき、差し出している家宝の弓を、家長の方に押し戻す。

「その弓はお前が持て」

「・・・・・っぁ、でも・・・」

「その身に弓の神さまが宿る、お前が持て」

手を戻し、正成が告げる。

「それが正しい」

「・・・・・・・・」

ジッと正成の目を見て、家長が答える。

「分かったよ、兄者」

「・・・・・・・それと」

ポンと家長の肩を叩いて、正成が言う。

「何度も言うておるが、お前は当主でわしは家人じゃ」

正成は顔をしかめる。

「兄者と呼ぶな」

苦笑して家長が答える。

「二人の時は、よいでは御座いませぬか」

しかめた顔のまま、正成は言う。

「癖になって、口を滑らせる・・・・・お前はそう言うところがある」

ははははっ、と笑い、

「ああ、分かった兄者」

と家長が答える。

更に顔をしかめて、正成は歩き出す。

弓の一族である内藤家では、馬小屋の代わりに弓道場がある。

弓道場と言っても、庇のある射る場所と、的を置く盛り土があるだけだ。

その弓道場から正成が出ようとすると、幼い息子の四郎左衛門が待ち構えていた。

「父上、弓の稽古をお願いします」

息子がそう言うと、ああっ、と正成が答える。

その時、後ろから家長が来るので、正成は一瞥して息子に告げる。

「喜べ四郎、今日は特別に、ご当主さまが稽古をつけて下さる」

「まことですか?」

少年は目を輝かせて、家長を見る。

ムッと家長は顔をしかめるが、正成は素知らぬ顔だ。

まったとく・・・・・と心の中で呟きながら、家長は四郎左衛門に近づく。

「分かった、稽古をつけていやろう」

「有難うございます」

頭を下げる四郎左衛門の肩を抱き、弓道場に家長は戻る。

「よいか四郎、弓は力で引くな、構えで引くのだ」

家長は、チラリと正成の方を見る。

「正しい構えをすれば、弓の神さまが宿る」

意味が分かっているのかどうか、四郎左衛門は、はい、と大きな声で返事をする。

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