第19話 血槍

「爺、帰ったぞ」

本多平八郎忠勝が家に帰ると、老僕がいつもの様に芝刈りを終え、戻って来たところだった。

「ああ若さま、それに肥後さまも、お帰りなさいませ」

ニコニコ微笑みながら頭を下げる老僕に、チッと舌打ちして忠勝は言う。

「若では無い、ご当主と呼ばぬか・・・・・まったく爺は、何度言っても・・・・」

まぁよい、と機嫌を直し、忠勝は大声で告げる。

「それより爺、わしは今日、殿より役を貰うて来たぞ」

「はぁ、それはお目出度い」

笑みを絶やさず、老僕が尋ねる。

「で、どの様なお役ですか?」

「それは・・・・その・・・なんと言うたか・・・・」

助けを求めて忠勝は、振り返って叔父を見る。

「先手役じゃ、殿の馬廻り衆の将になったのだぞ」

呆れながら、忠真が言うと、

「そうじゃ、そうじゃ、先手役じゃ」

と忠勝が陽気に言う。

「それはよろしゅうございました」

歯の抜けて口で、嬉しそうに老僕が答えと、

「本当に爺は、分かっているのか?」

と忠勝が笑顔で言う。

「兄上」

大きな幼い声がする。

「おお栄子、良い子にしておったか?」

そう言いながら忠勝は、駆け寄って来る四歳の妹、栄子の小さな体を抱き上げる。

「はい、良い子にしておりました」

妹の返事に、そうか、そうか、と笑顔で答え、忠勝は家に向かう。

「お帰りなさいませ」

「喜べ久、わしは今日、役を貰うて来たぞ」

迎えに出てきた新妻の於久に、挨拶もせずに忠勝が誇らしげに告げる。

「おめでとうございます」

於久が頭を下げると、うむ、と頷き忠勝は家に入る。

それを見送り、忠真が苦笑していると、於久が忠真の方に、深く礼をする。

「ではわしは、小屋の方に居るからな」

そう老僕に告げると、忠真は馬小屋に向かう。

兄の忠高が死に、忠勝が家督を継ぐと決まった時から、忠真は当主と家人というけじめつける為、母屋には住まず、馬小屋で寝起きしている。

「肥後さま・・・・・・・」

老僕が呼び止める。

「せっかく若のめでたい日です、こちらで一緒にお食事を・・・・・」

その時、忠勝の大きな声が、家の外の二人のところまで響く。

母親に役を得た事を、得意げに話している様だ。

「いや、邪魔をしては悪い」

忠真は微笑み、老僕にそう告げると、馬小屋に向かって歩き出す。

「ああっ、肥後さま」

再び、老僕が呼び止める。

「いやいや、忘れておりました」

ペシペシと禿げた頭を、老僕は叩く。

「なんじゃ?」

「チヤリさまが戻って来られました」

「まことか?」

「はい、先ほど倅さまが、挨拶にみえまして・・・」

そうか分かった、と忠真は手を上げて老僕に答えると、馬小屋ではなく、敷地の外の雑木林の方に向かう。

少しずつ日が暮れ始め、辺りが薄暗くなっていく。

「・・・・・・・・」

雑木林の中を、少し入ったところで、忠真は足を止める。

その時、バッと黒い影が、躍り掛かって来る。

サッと忠真は身をかわし、相手を見る。

槍を構えた若い男だ。

忠真は構えを取らず、逆に全身の力を抜き、脱力する。

ズンと若者が踏み込み、突きを繰り出す。

突きは忠真の喉を狙ったが、ゆらりと忠真はかわす。

二度三度と若者は突きを繰り出す。

速く的確、それでいて大きく踏み込まず、体勢を崩すことは無い。

連続する突きを、ゆらりと忠真はかわしていく。

ここ、という感覚が、忠真、そして若者に生まれる。

若者はかわしずらい、胴の中心に突きを放つ。

それまでと違い、忠真は大きく身体を反らす。

そこに若者が踏み込む。

今までにない大きな踏み込みは、若者の構えに隙を生む。

突きを紙一重でかわし、忠真は腕を掴む。

若者は腕を振り払おうと、身体を引く、その動きに合わせ、忠真は相手を投げ飛ばす。

そのまま逆らわずに、若者は投げられ地面に倒される。

「・・・・・・・まりました」

「いや、お見事」

忠真は倒れた相手を褒める。

腕を掴んで瞬間、忠真は腕を捻った、もし相手が、投げられるのを抗えば、腕が折れていたかもしれない。

若者はそれを見抜いて、逆らわずに投げられたのだ。

相手を起こし忠真は、その手を放す、若者は一礼して、袴の泥を払う。

忠真の記憶が確かなら、若者は二十歳そこそこの筈だ。

身の丈は普通より少し低いくらい、痩せているが、華奢という風には見えない。

むしろ無駄な肉が一切付いていないその身体は、どこか鋭い刃物を思わせる。

着ている物は質素だが、綺麗いな奥二重をして、顔立ちには品がある。

「父が待っております」

若者はそう言って歩き出す、忠真も黙ってついて行く。

すばらく進むと、林が森になっていく、その奥に、崩れかけた炭焼き小屋が建っている。

「どうぞ」

若者が戸を開ける、忠真が中に入る。

薄暗い小屋の中、男が座禅を組んでいる。

痩せている、と言うよりは枯れていると言うべきだろうか。

若者が無駄な肉が一切ないとすれば、座っている男は、生きていくのに必要最低限のもだけで成り立っている身体だ。

肋は浮き上がり、肩も頬骨も、肉が無いか突き出ている。

年の頃は五十過ぎ、袴も履かず小袖をだけをまとい、髪も髭も真っ白で、唐土の画に出てくる仙人の様だ。

「お久しぶりです、チヤリどの」

忠真が声をかけると、ゆっくり頷き、男は答える。

「久しいな、肥後」

その時、忠真はある事に気がつく。

「チヤリどの、その腕・・・・・・・」

男の左腕が無いのだ、二の腕の辺りから、切り落とされている。

「ああ、立ち会いでね」

なんでも無いことの様に、まるで、ずっと伸ばしていた髭でも剃ったのだとでも言う様に、腕がない事を男は告げる。

「まさか・・・・・・」

忠真が声を上げる。

「チヤリどのの腕を奪う者など・・・・・・」

ニヤリと男は笑う。

「わしより強いものなど、天下に五万・・・・・は居ないが、五人はいるよ」

「そう・・・・ですか」

やはり、忠真は信じられない。

血槍九郎から、腕を奪う者など、この世にいるのか・・・・・?


男の名は、長坂九郎信政、信濃の名族、小笠原家の庶流の出である。

若き日、小笠原家でお家騒動があり出奔、その後、諸国を巡っているのである。

その辺りのことは、忠真も詳しくは知らない。本人もあまり語らないからだ。

初めて三河にやって来た時は、家康の祖父、清康の頃。

尾張の織田は信長の父、信秀の当主で、両者は激しく戦っていた。

信政は陣借りを申し出て、松平側として参戦、槍を振るった。

その槍捌きは鬼神の如くであったと、忠真は父や兄から聞いている。

それで付いた渾名が、血槍九郎。

清康は激賞し、是非、召し抱えたいと言ったが、信政は、宮仕えには懲りております、と笑って断る。

どうしても、と清康が迫ると、では食客という事で、と信政が応じた。

それから信政は食客として、松平家にしばし逗留したが、数年後、諸国を廻りたいと、止める清康を振り切って、三河を出て行く。

そのあと清康は、謀叛に遭って討たれ、息子広忠が跡を継ぐ。

それから数年過ぎた頃、信政がヒョッコリ三河にやって来た。

広忠も是非に召し抱えたいと言ったが、信政は笑って誤魔化し、しばし逗留。

その時、家中の寡婦に手を付け、子を成す。

しかし息子が産まれる前に、再び三河を出て行く。

広忠が亡くなり、今川の奉行が三河を取り仕切り始めて少しすると、三度、信政はやって来る。

今度は誰も召し抱えると言わない為か、それとも息子がいた為か、長く三河に滞在する。

しかし数年経つと、女が亡くなり、息子を連れて、再び三河を離れた。


忠真の知る限り、信政は東海一の武者だ、今川の岡部元信にも引けを取らないだろう。

勿論、信政の言う通り、信政より強いものは居るだろうが、それでもその腕を切り落とす武者が、そうそう居るとは信じられない。

「鍋の字は元気にしておるか?」

信政が笑顔で尋ねる。

鍋の字と言うのは、忠真の甥、忠勝のことだ。

信政は元服後の忠勝に会っていないので、その幼名、鍋之助しか知らない。

「元気すぎて困っておりますよ」

苦笑しながら忠真が答えると、それは良い、と信政は笑う。

「良くありませぬ」

忠真が眉を寄せる。

「鍋之助、今は平八郎と名乗っておりますが、殿が馬廻り衆の将に命じたのです」

「ほぉ、お殿さまと言うのは、善徳院さまのお孫で?」

善徳院とは家康の祖父、清康の法名だ、家中の古い者はそう呼ぶ。

「鍋の字に目をつけるとは、なかなかお目が高い」

「どこがですか」

忠真は呆れる。

「平八郎の奴、わがまま放題で、わしどころか、殿の言うことも聞きませぬ」

ジッと忠真は信政を見る。

「こうなったのも、血槍どのの所為でござる」

「わしの・・・・所為・・・かね?」

苦笑しながら、信政が問うと、ええっ、と忠真は頷く。

「拙者むかし、平八郎に、いえ、鍋之助に槍の手ほどきをして頂くよう、血槍どのにお願い致しました」

そうだったなぁ、と信政は痩せて尖っている顎を撫でる。

「そうしたら血槍どのは半日ほど鍋之助に槍を握らせ、免許皆伝じゃ、と言ってそれ以降何も教えなかったではありませぬか」

ははははっと信政は笑う。

「笑い事ではありませぬ」

目を細めて、忠真は言う。

「おかげでそれから、拙者が稽古をつけてやろうとしても、わしは既に免許皆伝だ、と言って、鍋之助の奴、稽古をせぬのです」

眉を寄せ忠真が言うと、くくくっ、と信政は笑う。

「鍋の字の才は、天賦の才じゃ、型にはめるべきでは無い」

「そうですか?」

忠真が不満そうに言うと、信政は首を振る。

「お前さんは叔父だから、彼奴の才が分からぬのよ」

グッと顔を突き出し、信政が言う。

「お殿さまは分かっておるのだろう?将に命じたのだから?」

いえ、と忠真は首を振る。

「殿は、大久保の七郎右衛門どのに命じようとしたのを、七郎右衛門どのが断り、代わりに平八郎が良いと言ったのです」

「ほぉ・・・・・」

「殿は反対だったのですよ」

ふん、と息を一つ吐き、信政は皮肉な笑みを浮かべる。

「善徳院さまのお孫にしては、人を見る目がないね」

「・・・・・そんな事は」

「その点、七郎は分かっていおる」

うんうん、と信政は頷く。

信政は三河にいる時、忠真や大久保七郎右衛門忠世など、家中の者に槍の稽古をつけている。

「彼奴は目が良い、人を見る目がな」

忠真は顔を歪める。

大久保忠世とは年も近いし、譜代一族の分家、それも当主の叔父と従兄弟という立場も似ているため、色々比べてしまう。

槍を持って戦う武者としてならば、自分の方が数段上だと、忠真は自負しているし忠世も認めているだろう。

しかし兵を率いる部将としてなら、忠世の方が上だと忠真も分かっている。

部将の資質として、忠世は良く人を見ている、その事は忠真も頷く。

しかし・・・・・・・。

「七郎右衛門どのが平八郎を買っているのは、血槍どのが褒めていたからです」

信政が褒めていたから、忠世は忠勝を買い被り、先手役に推した。

そう忠真は思っている。

そんな事はないよ・・・・・・と信政は首を振る。

「鍋の字は間違いなく、大器よ」

不敵な目をして、信政は言う。

「彼奴はいつか、化ける」

にやりと信政は微笑む。

「・・・・・・・多分な」

「・・・・・・・・」

はぁ、と一つ忠真はため息を吐く。

「ならそれまで、三河に居てくだされ」

「ああっ?」

忠真の言葉に、信政は眉を寄せる。

「拙者の言うことも、殿の言うことも彼奴は聞かぬのです」

少し首を傾ける信政に、グッと忠真が顔を近づける。

「血槍どの言うことは聞くのですから、ここに居て、彼奴に言う事を聞かしてくだされ」

「そ、それは・・・・・」

信政が困って声を上げるが、忠真は迫る。

「血槍どのの所為なのですから、責任を取って頂きたい」

「・・・・・・・・」

眉を寄せ、困惑した顔を信政はする。

「・・・・くっ・・・・くっ」

しかし少しすると顔を傾け、苦笑し始める。

「何か?」

不審に思い忠真が尋ねると、いやいや、と信政が手を振る。

「実を言うとな、此度三河に来たのは、仕官の為なのじゃよ」

「・・・・・・・仕官?血槍どのがですか?」

忠真は目を丸くする。

昔、松平清康や広忠が何度も頼んだのに、断っている信政の口から、そんな言葉が出るとは、まったく思わなかったのだ。

「わしではないよ」

手と首を信政は振る。

「倅じゃ」

そう言って、信政は息子小十郎信宅の指差す。

「此奴いくら、槍を仕込んでも一向に腕が上がらぬ」

才が無いのじゃ、と信政が切り捨てる様に言うと、信宅は静かに頭を下げる。

そうか?と忠真は信宅を見る。

信宅の腕は確かだ。

先ほどの攻撃を見る限り、家中の若い衆、渡辺守綱にも引けを取らないだろう。

たしかに血槍の異名を持つ信政と比べれば、天と地との差だが、それでも充分、優れている。

「槍の腕も鈍だが、性根も宮仕えが向いておる」

信政の言葉に、それはそうかもしれない、と忠真は思う。

飄々としている父親と違い、信宅は真面目そうだ。

何処かに仕え、その槍の腕を活かす方が良いだろう。

「分かりました」

信宅に向けていた顔を、信政に戻し、忠真は告げる。

「殿に申し出ますよ」

よいよい、と信政は手を振る。

「あんなに善徳院さまに言われたのに断ったのじゃ、今更・・・・・・」

「あ、はぁ、では・・・・?」

忠真が首を傾げる。

「本多の家で使って下され」

「当家でですか?」

驚いて忠真が言うと、うんうん、と信政が頷く。

「まぁ、水汲みでも薪割りでも、なんでもやらしてくれだされ」

信政の言葉に呆れながら忠真は、信宅の方を見る。

無表情のまま、信宅は頭を下げる。

これだけの槍の腕がありながら、水汲みをさせるかねぇ。

内心そう思いながら、

「分かりました」

と忠真は同意する。

「ただし、血槍どのにも、当家に留まって頂きます」

「・・・・・わしにも水汲みをしろと?」

信政が顔を歪めて言うと、勿論、違います、と忠真は首を振る。

「食客としてですよ」

そう言って、信宅の方を見る。

「・・・・・・お二人とも」

「・・・っぁ・・・まい良いさ」

信政が立ち上がる。

「では、鍋の字の顔で見に行くか」






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