第14話 三河一向一揆

「殿」

酒井忠次が呼びかけてくるが、元康は無視する。

「殿、お止めなされ」

静かに、しかし強く忠次が言う、だが無視する。

「殿」

そう言って忠次は元康の腕を掴む。

「その癖、お止めくだされ」

「・・・・・・・・」

ジッと元康は忠次を見る、忠次も元康を見る。

元康には苛つくと爪を噛むという悪癖がある、幼い頃はそれほど酷くなかったが、近頃はよくやる。

ふんと掴まれている腕を払う。

気の長い方ではない、それでも短気と言われれば違うという、しかし桶狭間の戦い以降、元康は思い通りにいかないことばかりで、爪を噛むのが止まらない。

石川数正が門徒衆を討伐しようと言い出した、忠次に如何思うと、尋ねると、

「お好きな様に・・・・・」

と答えた。

賛成はしないが、反対もしない、そういう事だ。

熱心な門徒であった本多作左衛門重次を、従兄弟の広考が説き伏せたので、元康は討伐の件を許可した。

数正が立てた策は、まず門徒たちの首領、空誓が住職の本證寺に罪人が逃げ込む、そして兵を遣わしその罪人を捕えるのである。

寺院には不入の権利がある、許しなく領主が境内に兵を入れてはいけない。

ましてや御仏の保護を求めて逃げてきた罪人を捕らえるなど、以ての外である。

当然、空誓は元康の抗議の使者を送って来た、当たり前のことであり、正当なことであった。

それを元康は突っぱねたのである。

空誓は驚き、そして怒り狂った、当然である、寺社として当たり前に認められている権利を、元康が踏みにじったのであるから。

直ちに空誓は元康弾劾の檄を、三河中の寺社に送った。

皆、同意すると思った。

当然であろう、寺社としての当然の権利を、領主である元康が踏みにじったのだから。

しかし空誓の浄土真宗本願寺派以外の、浄土宗、浄土真宗高田派はこれに賛同しなかった。

既に数正が手を回し、切り崩していたのだ。

それに空誓が頼みの綱としていた、松平家中の侍たちも、あまり主家を捨て、寺に集まることは無かった。

そこも数正が手を回してたからだ。

松平家を裏切り、空誓の側についたのは、元々協力関係にあった、酒井将監忠尚と、家中で身分の低い、夏目次郎左衛門吉信や渡辺半蔵守綱などである。

元康は彼らを攻撃した、吉信や守綱らは優れた武者だ、戦さ場に立てば勇猛果敢である。

しかし将では無い。

戦さの指揮は、忠尚が取るのだが、忠尚は将として凡庸で、また家中の人望もそれほど無い、吉信や守綱らも心服していないので、命じた通りに動かない。

そうなれば勝てる戦さも勝てない、ましてや断然、元康側の方が多勢なのだ。

各地で勝利を収め、門徒討伐は、数正の作戦通りに進んでいった。

正月に空誓が檄を飛ばして、一揆は始まった。

直ぐに元康が攻撃をかけて、順調に門徒勢を駆逐していく。

門徒は百姓が多い、田植えの時期になると、一揆を離れ田植えに向かう。

元康もそれは攻撃しない、そんな事をすれば三河が荒廃するのが分かっているので、田植え時期は、自然と休戦となった。

数正は当初、田植え前には終わらせると豪語していたが、流石にそれは無理だったが、それでも田植えが終わり、一ヶ月もすれば、ケリがつくだろいうと元康も見ていた。

だがここで事態が急変する。

田植えの後、門徒たちは勢力を盛り返していったのだ。

それまで統制が取れておらず、バラバラに戦っていた門徒が、組織だった動きをして、攻撃をかけてきたのである。

その上、元康が仕掛けた奇襲や待ち伏せを、次々読んで、逆に奇襲をかけたり、待ち伏せをしたりしてきたのだ。

一ヶ月二ヶ月経ち、稲刈りの時期が近づいてくる。

一揆は収まるどころか、勢力を増していく。

「どういう事だ?」

数正に問うが、

「分かりませぬ、全く見当も付きませぬ」

と青い顔で頭を下げて答えるだけだ。

当たり前だ、元康も全く意味が分からないのである。

「殿」

青い顔をした数正が、元康に言ってきた。

「織田に力を借りましょう」

「それは駄目だ」

即座に元康は却下する。

それだけは元康は、絶対に嫌なのだ。

信長は今川が攻めて来れば、いつでも助けてやると言った。

しかし元康は、未だに信長について、わだかまりがある。

義元の仇と、口に出して言わないが、それでもその事を忘れ去る事は出来ない。

今回、門徒の討伐に同意したのも、領内の門徒を叩いて、その力を削げば、今川と単独で戦える力を得られると思ったからだ。

だから信長に力を借り事は、絶対にできない。

そんな事をするくらいなら門徒と和睦して、彼らに従った方がましだ。

「・・・・・しかし」

と顔を歪めて数正が訴える。

数正の予定通りにならなかった事は、もう一つある。

そもそも今回の討伐の策、越後の長尾景虎が小田原の北条を攻めるので、北条を後ろ盾としている今川の目が、東に向いている隙に行ったものだ。

しかし景虎は関東諸侯に檄を飛ばして、十万の兵で小田原の城を囲んだにも関わらず、北条を攻めきれず、撤退した、

その後も、関東には出兵しているが、甲斐の武田が北信濃に攻め込み、牽制しているため、関東への攻撃は上手くいっていない。

このまま北条、武田が優勢になれば、今川も安心して三河に攻めてくる、それどころか北条や武田から援軍を頼むかもしれない。

そうなれば、松平は滅ぶだけだ。

その前に何が何でも、一揆は鎮圧しなければならない。

織田の力を使ってでもである。

「駄目だ」

しかし元康は、それだけは、その一点だけは受け入れない。

北条や武田が援軍の援軍が来た今川と戦う時なら、まだ信長に援軍を頼む事は我慢できる。

だがそれ以外で、信長の力を借りる事は、どうしても元康は嫌なのだ。

「織田の力を借りるくないなら、門徒と和睦する」

そう元康は数正に宣言する。

困った数正は、取り敢えず追加の矢銭を求めて、京の茶屋に向かう。

茶屋四郎次郎清延が用意した矢銭十万貫は、既に使い切った。

だが元康は、矢銭があれば勝てるとは思っていない。

口に手がいく、また爪を噛もうとする。

「・・・・・・・・」

ジッと忠次が見つめている。

グッと膝を掴む。

裏切り者がいる、間違いない。

元康の攻撃が、こうも次から次へと読まれているのは、こちらの攻撃を敵に知らせている者がいるからだ。

それが誰だか分からない。

近頃元康は、その事ばかり考えている。

疑えば全員疑わしくなる。

言い出した数正は問題ないだろう、しかし側に居て同意していた鳥居元忠は、その弟、四郎左衛門忠広が、一揆側にいる。

いま側に座っいる酒井忠次だって、信用できないといえばできない。

叔父の忠尚が一揆勢の大将であるし、今回の数正の策に反対はしていなかったが、明らかに賛同はしていなかった。

勿論、元忠や忠次をが怪しいとは思わない、思いたくない。

しかし元康は秘密にし、家臣の殆どの者に言わなかった奇襲攻撃が、漏れて待ち伏せにあったのだ。

疑心暗鬼にもなる。

数日前、元康は服部半蔵保長を呼んだ。

「敵に通じている者がいる、探せ」

そう命じた。

「殿・・・・・・」

手練れの伊賀者は、暗い目をした。

「それは止められた方がよろしいかと・・・・・・」

元康は驚いた、保長は物静かであり、殆ど口を利く事がなかったからだ。

そして同時に腹が立った、譜代の家臣でもない、伊賀者の忍びのくせに、主君である自分に口ごたえする事に。

保長の言いたい事も分かる。

ただでさえ、家中が二つに割れ敵味方で争っているのに、その上、味方の中の者を疑っていれば、それこそ一揆が終結しても家中に大きな溝を生むだろう。

だが今、そんな事を言っている余裕は無い。

それにやはり、内通者という者を元康は、許す気になれない。

「良いからやれ」

元康は厳しい顔でそう命じた。

はじめ元康は、保長を疑っていた。

服部半蔵保長は、代々の譜代家臣では無い、伊賀忍びだ。

普通忍びは、銭を貰い、間者や密偵などの仕事をする。

仕事が終われば、銭さへ貰えれば、それまで敵だった相手に着くこともある。

そう言う連中だ。

保長は元康の祖父、清康に雇われ何度か仕事をした。

その後、清康が保長を気に入り、三河に屋敷を与えて住まわせて、家臣として召し抱えたのだ。

祖父清康は変わり者だ、伊賀の忍びにそんな事するなど、聞いた事がない。

そんな保長にあるのは、清康に対する、恩や情だ、松平家に、忠義があるわけでは無い。

だから元康は保長を疑った。

わざと偽の偵察の任務を与え、違う場所を奇襲したのだ。

しかし敵は居らず、逆に帰り道に待ち伏せに遭ったのである。

保長だと疑って、偽の任務を与えたのに、保長では無かった。

いま逆に元康は、保長だけが信じられるという状態だ。

「・・・・・・・承知しました」

冷めた口調で保長は、裏切る者探しの命を承諾する。

明らかにその口調は、元康が真っ先に自分を疑っていた事を、見抜いているものだった。

こうして元康はこの数日、数正が矢銭を持って帰ってくるのと、保長が内通者を見つけて戻ってくるの、ただただ待っている。

苛々爪を噛みながら。

「失礼致します」

部屋に若者が入ってくる。

「弥次右衛門か・・・・・」

入って来た若者は、内藤弥次右衛門家長である。

幼名は金一郎で、元服する前は元康の小姓であった。

細身だがしっかりとした肩幅と、大きな手をしている。

「なんじゃ?」

「本多の平八郎どのが、謁見を願い出ています」

「平八郎が・・・・・・・」

元康は顔を歪める、正直、あの暴れん坊の相手をする気分では無い。

「またにせいと言え」

「はぁ・・・・ですが大事な話があると・・・・・」

切れ長の形の良い目を細め、家長が言う。

「よい」

元康は手を振って、追い払う仕草をする。

「彼奴の大事な話など・・・・・・」

どうせ大した事では無い。

「殿」

側にいた忠次が、ジロリと元康を見る。

「お会いになれば良い」

「しかし・・・・あの平八郎だぞ」

眉を寄せて元康は忠次を見る。

「そこでそうやって爪を噛んでいるより、平八郎であろうが、家臣の話に耳を傾けている方が、よっぽどましで御座います」

いつものムスッとした顔で、忠次は告げる。

「分かった、平八郎を呼べ」

仕方なく元康は、家長に命じる。

「殿・・・・・・ここでは無く、広間の方に」

家長は頭を下げて、そう答える。

「何故じゃ?」

「平八郎どのは、一人ではありませぬ」

家長の言葉に少し首をかしげるが、元康は広間に向かう。

広間に着くと確かに、そこには忠勝の他に二人の男が座っていた。

「殿、此奴は亀丸・・・・じゃなくて、えっと・・・・・そう小平太に御座る」

元康が上座に座ると、挨拶もせずに忠勝がいきなり、後ろの若者を紹介する。

「榊原小平太康政です」

忠勝に呆れながら、若者は丁寧に挨拶する。

年の頃は十五、六、色白で小太り、目は小さくおちょぼ口だ。

「小平太は、わしの小さい頃からの、幼友達で御座います」

康政が隣に座っているもう一人の男を、紹介しようとしているのに、忠勝が口を挟む。

元康は呆れながら忠勝を見る。

忠勝も十五、六のはずだが、身体は康政より頭一つ大きい、しかし中身は十五、六どころか、五、六才だ。

「こちらは大須賀五郎左衛門康高どのに御座います」

気を取り直して、康政が隣の男を紹介する。

お初にお目にかかります、と康高は深く頭を下げる。

三十路半ばの牛蒡のように、色が黒く痩せた男だ。

「で、なんの用じゃ?」

不機嫌さを露わにして元康が尋ねると、康政が、はっ、と言って喋り始める。

「我らは長らく、酒井将監さまにお仕えしておりました」

「なんと、まことか?」

康政の言葉を聞いて、元康は忠次の方を見る。

忠次は、まことです、と頷く。

酒井忠尚は忠次の叔父、二人のことを忠次が知っているのは当然だ。

それに二人が忠尚の家臣なら、元康にとっては陪臣、二人を見知ら無いのも当たり前だ。

「それで?」

「はい?」

顔しかめて元康が問うと、康政が戸惑う。

「それで将監は、なんと申しておるのじゃ?」

「あ、いえ」

「将監の使いで来たのでは無いのか?」

てっきり元康は、和睦の使者だと思ったのだ。

こちらの行動が読まれて元康は手詰まりだ、それでも形勢自体は元康が断然有利である。

忠尚とすれば、ここで出来るだけ有利な条件で、和睦を結びたいはずだ。

その為の使者だと思ったのだ。

「ではなんだ?」

元康はジッと康政を見つめる。

「こっちに付きたいのか?」

考えられるとすれば、そうだ。

一揆を抜けて元康の方に付く、今までも何人か居た。

「その・・・・そうなのですが・・・・」

康政は歯切れが悪く、一向に要領を得ない。

十五の陪臣の若者が、直接領主に口を聞いているから、緊張しているという事以上に、何か妙だ。

「実は・・・・・・」

代わりに康高が口を開く。

「将監さまは、既に駿府に落ち延びられております」

「・・・・・・・はぁ?」

元康が思わず、素っ頓狂な声を上げる。

「それも三ヶ月、いえ四ヶ月まえの事です」

「・・・・・・・えっ?」

目を見開き口を開け、元康は驚愕する。

康政はスッと、康高はゆっくりと、二人は異なった間で静かに頷く。

「待て・・・・・・・待て待て待て」

思わず立ち上がり、元康は声を上げる。

「どういう事だ?お前たち門徒を率いているのは将監であろう、それが居らぬだと?それも、それも・・・・・」

三ヶ月、四ヶ月前といえば、田植え前、戦さが始まってそれほど経っていない頃だ。

まだ数正の策が上手く運び、すぐに一揆を鎮圧できると思っていた頃だ。

その時に既に、忠尚が居ない・・・・・・・なら。

「では誰が門徒どもを率いている?誰が指揮をしている?」

「それが・・・・・・・」

ぽっちゃりとした頬を揺らして、康政が答える。

「分からぬのです。我らも・・・・・・」

「分からぬ?分からぬとはどういう事じゃ?」

元康の大声に、一瞬康政が怯む。

康高が代わりに答えようとするが、康政が目で頷き。居住まいを正して、話を続ける。

「空誓和尚からの使いという小坊主たちが現れ、その者たちが指示を出しておるのです」

「では・・・・・・空誓和尚が・・・・・?」

「しかし和尚も既に、上方に落ち延びておるようです」

「では誰が?」

それがまったく分からぬのです、と答えて康政が頭を下げる。

元康は忠次の方を見る、いつものムスッとした顔で、腕を組んでいる。

こいつ知っておったな・・・・・・・。

そのいつもと変わらぬ顔を見て、元康は悟る。

忠次は叔父の忠尚が三河にいない事を、既に知っていたのだ。

なぜ言わぬと、元康は忠次を睨む。

「殿」

康政が呼びかけてくるので、そちらを向く。

「将監さまも居られぬ今、これ以上殿に弓引くつもりはございませぬ」

バッと康政と康高は頭を下げる。

「是非に殿の元で、戦わせて頂きとうございます」

「うむ、分かった」

頷いて元康はそう答えるが、内心それどころでは無い。

酒井忠尚が居ないのな、門徒たちは誰が率いているのか、全く分からない。

夏目吉信や渡辺守綱など武者はいる、しかしそれを指揮する将がいなければ戦さにならない。

それなのに門徒たちは戦さをしているどころか、元康の攻撃を読んでいる。

全く理解できない。

一体何が起こっておるのだ?

「殿」

元康が考え込んでいると、忠勝が呼びかけてくる。

「なんじゃ?」

忠勝が康政の方を見る、康政が代わりに答える。

「実は門徒は上宮寺に集結し、一気にこの岡崎を攻めるつもりです」

「ま、まことか?」

元康は驚いきの声を上げる、康政は静かに頷く。

「殿、ここは打って出ましょう」

忠勝が大きな声で言う。

「集まったところを、一網打尽にするのです」

「まてまてまて」

目を輝かせて迫る忠勝を、元康は止める。

「少し考えさせろ」

「考える事など、なにもありませぬ」

グイッと忠勝が元康に近ずく。

「待てと言うておろうが」

迫る忠勝から視線を、康政に向ける。

罠かもしれない。

数の少ない門徒側が、集結して乾坤一擲の勝負に出ると言うのは理屈に合う。

だがそれを見越して、こちらが強襲したところを、門徒たちが待ち伏せしているという事も考えられる。

元康は康政の目を見る。

強い眼差しだ、嘘をついているとも思えない。

しかしこちらの打っ手打ってが、門徒に読まれている。

その理由も分からないし、門徒の大将も分からない。

むむむっ、と元康が悩む。

「殿」

忠勝がグッと迫る。

「分かったから、考えるから退がっておれ」

「それでは間に合いませぬ」

大きな声を忠勝は上げる。

元康は康政と康高を見る、彼らもジッとこちらに迫ってくる。

忠次の方に顔を向ける、むすっとした顔で何も言わず腕を組んでいる。

「殿」

再び、忠勝が迫る、

「いいから、退がっおれ」

元康は大声を上げる。

忠勝はプッと頬を膨らませるが、後ろから康政が袖を引くと、

「承知しました」

と答えて、広間から退がる。

忠次と二人になり、しばらく忠次の方を見る。

「おい」

「・・・・・・・・」

「小五郎」

元康が呼びかけるが、忠次が何も答えない。

「どうすれば良い?」

忠次は腕を組んだまま、元康の方を見ようともしない。

「何か申せ」

腹が立って元康が大きな声を上げる。

「・・・・・・・殿」

ようやく忠次が口を開く。

「拙者は殿の家臣で、殿は拙者の主君でございます」

「当たり前の事を申すな」

元康が苛々しながら言うと、その言葉を無視して忠次が続ける。

「家臣である拙者の申す事を、主君である殿がその通りに行えば、殿は拙者の命に従った事になります」

くっと元康は顔を歪める。

「それでは主従が、あべこべになります」

ジッと元康の方を見ながら、低く重い口調で、忠次が言う。

「家臣の策を採り上げるのは構いませぬ、助言に耳を傾けるのも良い事でしょう」

しかし・・・・・と忠次はグッと強い眼差しで、元康を見つめながら続ける。

「どうするかは主君である殿が決める事です、家臣である拙者に尋ねてはなりませぬ」

「・・・・・分かった」

顔を歪めて、元康が答える。

「では助言をせい、どう思うか言うてみい」

クッ忠次を睨んで、元康が問う。

「・・・・・それは」

「それは?」

目を閉じ腕を組む忠次を、ジッと元康は見つめる。

「拙者にも分かりませぬ」

「分からぬのか」

もったい付けおって、と元康は腹を立てる。

「ただ・・・・・・」

そう言って忠次は目を開ける。

「あの榊原の小平太という若者、幼き頃より知っておりますが、なかなか機転の利く賢き者に御座います」

「・・・・・・わしを騙しておると?」

いえ、と忠次は首を振る。

「その様な事は無いかと思います」

「何故じゃ?」

元康が問うと、忠次は顔を向ける。

「小平太は賢いですが、小狡くはありませぬ、殿を騙す様な事は無いでしょう」

それに、と忠次は更に続ける。

「大須賀の五郎左は、真面目が服を着て歩いている様な男、殿を罠にかけるなど、考えもしないでしょう」

「では、信用できるのだな」

「二人が信用できる、という事です」

「どういう意味だ?」

顔を顰めて元康が問う。

「二人が操られているという事は、考えられます」

「では駄目ではないか」

元康が苛つきながら言う。

「やはり動かぬ方が良いか・・・・・・」

「さは・・・・それは」

忠次は元康から視線を外し、正面を向く。

「このまま待つの、良い手ではないでしょう」

「罠かもしれぬのだろう?」

元康が強い口調で言う。

「待っておれば、今川が攻めてきます」

うっ、と元康が呻く。

その通りだ、時間はない、いつ今川が攻めて来るか分からない。

「どちらにしろ、今年中にはけりを着けるべきです」

それは元康も同感だ。

門徒を壊滅させるしろ、和睦するにしろ、今年中にどうにかしなければ、今川が攻めて来る。

だがどうすれば良い。

グッと唸り、元康は爪を噛もうとする。

「・・・・・・・」

それを忠次が黙って睨む。

「どうすれば良いと言うのじゃ」

怒りを爆発させて、元康が怒鳴る。

「・・・・・・殿」

低く声で、忠次が告げる。

「世の中全て、正しい道があるわけではありませぬ」

「・・・・・どう言う意味だ?」

はぁっと一つ息を吐き、忠次が続ける。

「殿の前にふたつの道があります、進むという道、退くという道」

ジッと元康は忠次を見る。

「その二つの、どちらかが正しい道かもしれませぬし、どちらも正しい道かもしれませぬ」

或いは・・・・・と目を細めて、忠次は宙を見る。

「どちらも正しい道でないかもしれませぬ」

「・・・・・そ、それは」

両方とも正しくなければ、どうしようもないでは無いか、と元康は言おうとして、言葉に詰まる。

「大切なのは、覚悟を決める事です」

元康の方を、ジッと見て、忠次が言う。

「殿は与左衛門に、剣術の稽古をするのは、胆力を鍛えるためだ、と申されたとか」

確かに元康は、高力清長にそう言った。

「ならば今、その成果を見せる時です」

うぐぐぐっ、と元康は唸る。

「どの様な決断をしても良いですから、腹を据えるべきです」

元康から視線を外し、正面を見る。

「殿はそれだけすれば、宜しゅう御座る」

「・・・・・・・・っ」

下を向き、拳を握る。

クソっと心の内で元康は怒る。

結局忠次は、相談してもどうすれば良いか言わない、これが数正であれば、正しいかどうかは別として、必ず、こうした方が宜しゅうございます、と言ってくれる。

だがその数正は上方にいて居ない。

もう一つ元康が腹立たしいのは、服部半蔵保長だ。

数日前に内通者を探せと命じたが、まだ分からないらしい。

勿論、数日で分かるわけがないが、それでも今その答えがどうしても必要なのだ。

無理なのは承知だが、内通者が誰か分からないのでは、どうしようもない。

くそっ、くそっ、と拳を握り、元康は心の中で唸る。

如何する?如何する?

どんなに悩んでも答えは出ない。

忠次は腹を据えろと言うが、そんな簡単に出来るわけがない。

「・・・・・・・・・っぁはっく・・・・う、打って出る」

悩み抜いて、元康は決める。

罠かもしれないが、このまま待っていてもどうしよう無い。

一か八か打って出るしか無い。

「打って出るぞ」

そう元康は忠次に宣言する。

「・・・・・承知しました」

いつものムスッとした顔で、忠次が応じる。




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