第13話 茶屋四郎次郎
元康が岡崎にもどると、本多作左衛門重次が、
「なぜ尾張などと、手を組みなさる」
と文句を言ってきたので、
「うるさい、組みに行くと言ったであろうが」
と怒る。
重次の隣で、本多平八郎忠勝が、なんだ騙し討ちに遭わなかったのか、と残念そうな顔をしていたので、何も言わず睨みつけた。
そんなことよりと思いながら、本多肥後守忠真と大久保七郎右衛門忠世の方を見る。
「肥後、七郎右衛門、お主ら二人は家中で鉄砲が使えそうな者を選べ」
信長は約束通り、気前よくポンと鉄砲を百丁くれた。
「その者たちに、滝川どのから鉄砲を習わせろ」
そう元康が命じると、忠真と忠世は顔を見合わせる。
「それが・・・・・殿」
申し訳なさそうに忠真が口を開く。
「既に滝川どのが家中の者たちを見て回り、数人選んで鉄砲を教えております」
「はぁ?」
元康は口を開いて、間の抜けた声を上げる。
「お主ら、滝川どのを城内で勝手に歩かせておるのか?客間に閉じ込めておかなかったのか?」
「それが・・・・・・」
忠世が口を挟む、両名とも戦さ場では比類無き勇士だ。それが身を小さくしている。
「見張りを付けていたのですが、いつの間にか抜け出し城内を回っており・・・・・」
「な、なんだ・・・・」
「そのうえ・・・・・」
忠真が続ける。
「滝川どのの手の者が、いつの間にか城内に十名ほど、鉄砲を持って入り込んでおり・・・・・」
唖然として元康は声を失う、忠真と忠世が、申し訳ございませぬ、と頭を下げて謝る。
「半蔵は何をしておった?」
元康と共に尾張に行っていた石川数正が、声を上げる。元康も頷く。
服部半蔵保長を、元康は騙し討ちの危機がないからと、先に岡崎に帰らしたのである。
優秀な忍びである保長なら、滝川一益に遅れはとるまいと、元康も数正も思ったのだ。
「いや、その服部の半蔵どのは・・・・・・」
少し迷って忠真は話を続ける。
「滝川どのと少し話をされて、あの御仁は問題ない、と申されて・・・・・」
「それで許したのか?」
数正が言うと、申し訳ござらぬ、と忠真が再び頭を下げる。
「もうよい」
元康がそう告げる。
滝川一益は甲賀の出だと言う、伊賀の出の保長と顔見知りなのだろうか?
そんな事を元康は考える、同じような事を数正も考えていたのだろう、黙って頷く。
「それにしても・・・・・・」
皆に聞こえないほど小さな声で、元康は呟く。
こうも簡単に手の者を、それも鉄砲を持たせて城内に潜り込ませる事が出来るとは・・・・・・。
元康は背筋が冷たくなる。
信長がその気になれば、いつでも元康を討ち取り、岡崎の城を奪う事など、造作も無いと言う事ではないか。
「取り敢えず・・・・・・」
気を取り直して、元康は命じる。
「滝川どのの指示に従い、鉄砲の部隊を早急に作れ」
ははっ、と忠真と忠世が応じる。
腰を低く落とし、踏み込む。
「えぃ」
気合いと共に、一刀を放つ。
身を引き、構え直す。
「やぁ」
もう一度同じように、太刀を振りおろす。
「とぉ」
幼き日より、剣術の稽古は元康の日課だ。
日々こうして、庭に出て素振りを行なっている。
数ヶ月前に滝川一益が、尾張に帰った。
松平家中の者数人に、鉄砲の手ほどきをしたのだが、元康にも一度、手ほどきをしてくれた。
「筋がようございますなぁ」
ニコニコと微笑みながら、一益は言ってくれた。
最初は世辞だと思ったが、家臣たちの屁っ放り腰を見て、そうでは無いなと思った。
ようは太刀であろうが、槍であろうが、鉄砲であろうが変わらない、武術の要は腰なのだ。
腰を低く落とし、腹に力を入れる、それだけの事なのだ。
「我が殿もなかなかの鉄砲上手でしてね」
手ほどきを受けている時、一益はそう教えてくれた。
「あに・・・・いや、織田どのも、鉄砲を修練されておられるのですか」
はい、と頷き、一益は話を続ける。
「拙者を召し抱える前から、橋本どのというお方から、習っておられまして」
ほぉ、と元康は頷く、話から察するに信長はかなり以前から、鉄砲に関心を持っていたらしい。
「橋本どのが、戦さで亡くなられたので、今は拙者が・・・・・」
そう言いながら一益は、スッと鉄砲を構えて放つ、その流れるような動作に、全く隙がない。
「手ほどきをさせて頂いておりますが、これがなかなかのもので」
撃ち終えて一益は、ニッと笑う。
うん、と元康は頷く。
なんとなく分かる、信長は腰云々ではなく、何をやっても様になる男で、よほど下手というものが無い。
器用というより、何事においても優れているとい事なのだろう。
一益が去った後、元康は何度か一人で鉄砲の練習をした。
しかしどうも剣術の方が合っている。
元康が剣術の稽古をするのは、戦さ場で太刀を振るうためではない。
腰を据えるためだ、腹に力を入れるためだ。
一度、高力清長に、
「剣術など匹夫の勇にございます」
と窘められたが、
「わしが剣術の稽古をするのは、胆力をつけるためじゃ」
と言い返した。
腰を落とし、腹に力を入れる事を訓練しておけば、胆力が付く。
元康はそう信じて、毎日稽古に励んでいる。
「殿」
稽古を終えて、元康が汗を拭いていると、天野康景がやって来る。
康景は顎髭を伸ばしている。
最初はそれを親吉と二人で、似合っておらぬとよく笑っていたが、最近では板についている。
「与七郎どのが、火急の御用があると」
うむ、と元康は頷く。
全く、と側に控える康景が見えぬように、元康は苦笑する。
それまで取次ぎ役だった平岩親吉を、息子の守り役にしたため、康景が取り次ぎ役になったのだが、康景は万事において気配りが行き届いている。
数正が火急の用だと言えば、親吉なら元康が剣術の稽古をしていようと、書見をしていようと、直ぐに言ってくる。
対して康景は、元康の様子を見て、稽古が終わるのを見計らい言ってくる。
そう言う気配りが、まこと康景は上手い。
親吉、康景、どちらが良いと言うことでないが、元康はどこか親吉の真面目さ、もっと言えば融通の利かなさが好きだ。
それは多分、元康自身もあまり融通の利かず、器用な方で無いからだろう。
そんな事を思いながら自室に戻ると、数正ともう一人、見知らぬ男が待っていた。
「殿、これなるは京の商人、茶屋四郎次郎に御座います」
元康が座ると、数正が男を紹介する。
「茶屋四郎次郎清延でございます」
改めて清延は名乗った。
年の頃はおそらく元康と変わらぬ二十前後、白く福々しい丸顔だが、目は鋭く、賢さというより抜け目なさを感じる。
「茶を売っておるのか?」
吝い元康は暗に、買わんぞ、という顔をして問うと、ニコリと微笑み、
「いえいえ、呉服を営んでおります」
と答えた。
「服を売っておるのに、茶屋なのか?」
「はい、むかし先の公方さまが当家にお立ち寄りの際、茶を振る舞ったところ、大変お喜びになりして、その時、これよりは茶屋と名乗るようにと、お言葉を頂き、以来、茶屋と名乗らさして頂いております」
流れるように清延は答える。
ほぉそれは、と元康が応じる。
品の良い喋り方のせいか、福々しい顔のせいか、話に貴人が出ても、あまり自慢のようには聞こえない。
本当にただの世間話のように語る。
「それで、服を売りにきたのか?」
わしゃ買わんぞ、と再び、そういう顔をして、元康は尋ねる。
清延という男には、多少人としての魅力のようなもの感じたが、だからと言って服を買う気は無い。
元康は吝い、特に身に付ける物には金をかけない。
服や足袋に穴があけば継当てをするし、褌も色褪せても使いづつける。
「奥の処にでも、連れて行ってやれ」
渋い顔で数正に言う。
妻の瀬名には約束通り、城の外に屋敷を建ててやった。
瀬名は万事派手好きなので、京から呉服屋が来たと知れば、喜んで買い漁るであろう。
まったく、つまらぬ出費じゃ。
そう忌々しく思いながら、清延の顔を睨む。
「殿、そうではありません」
数正が穏やかな声で告げる。
「では何じゃ?」
「三河では女子が多いと、言われております」
「そうなのか?」
話がいきなりあらぬ方に飛ぶ、しかし元康は気にしない。
数正のよくやる、話し方だからだ。
「それほど多いか?」
数日に一度、領内を見回るが、それほど多いとも思わない。
「三河では木綿作りが盛んで御座います、それで糸紡ぎをする為、女子衆がたくさん必要になるのです」
福々しい顔の清延が告げる。
「なるほど」
元康が清延に頷いて見せる。
「それでその木綿で、呉服を作ると言うことか」
「はい、しかし・・・・・・」
清延は顔を歪める、元が福々しい顔だけに、とても悲しそうに見える。
「三河の木綿は高う御座います」
「そんな事わしに言うな」
元康は眉をしかめる。
「作っている女子どもに言え」
「いえ、そうでは御座いませぬ」
清延が手を振る。
「銭は女子衆のもとには行きませぬ」
「うん?そうなのか」
「殆ど、座が持っていくのです」
「それこそ・・・・・」
わしに言うなと、元康は顔をしかめる。
商いは、それが木綿だろうが、紙だろうが、油だろうが、みな座が取り仕切っている。
多少の銭を受け取ることは出来ても、領主はそれをどうする事も出来ない。
「殿」
数正が鋭い眼差しで、元康に告げる。
「三河では、座は全て、門徒が仕切っております」
「ならばなおのこと・・・・・」
元康にはどうする事も出来ない。
三河の支配者は元康では無い、門徒衆なのである。
「殿」
グッと数正が元康に近づく。
「今、駿府の目は東に向いております」
関東では今、大きな騒乱が起きている。
その原因は小田原の北条が、関東管領上杉家を攻めた事に始まる。
攻められた管領上杉憲実は越後の守護代、長尾景虎を頼り、越後に落ち延びたのだが、その景虎が関東に攻め入ったのだ。
景虎は戦上手と名高く、北条に与していた関東諸侯は、草が風に靡くように、今度は景虎に従い、北条は小田原の城を囲まれているという。
このまま北条が滅べば、後ろ盾としている駿府の今川も一大事、氏真は北条から来ている妻からも懇願され、小田原に援軍を送っているとの事だ。
そう言った話を元康は、渡り衆の鳥居元忠から聞いた。確かな話だ。
「今この機に、領内の門徒どもから座の権利を奪うべきです」
「正気か?お前」
数正の言葉に元康はギョッとする。
グッと数正は頷く。
「家中にも門徒の者は多い、そんなことをすれば・・・・・・それに長老どもにも神仏は敬えと言われているではないか」
「家中の門徒は、少しずつ切り崩していけばなんとかなります、それに・・・・・」
数正は顔を近づける。
「門徒どもも、一枚岩ではありませぬ」
「そうなのか・・・・・・?」
静かに数正は頷く。
浄土を信じる教えは、源頼朝の頃に生きていた法然の浄土宗と、その弟子親鸞の浄土真宗に別れる。
門徒とは、浄土真宗の信者を指す。
更にその浄土真宗の中でも、親鸞の子孫、蓮如が興した本願寺派と、親鸞の高弟 真仏の流れをくむ高田派などがある。
三河にある本證寺の住職、空誓が蓮如の孫なので本願寺派が有力だ。
しかし松平家の菩提寺である大樹寺は浄土宗であり、高田派の寺院も多数ある。
「それに長老たちも、仲が良いわけではありませぬ」
「まことか?」
はい、と頷き、数正は話を続ける。
「桶狭間の戦さの後、この城で一同に会いましたが、あの様に皆が揃うことは珍しいそうです」
ふむ、と元康は頷く、確かにその後、長老たちが一緒に居るところは見たことが無い。
「特に酒井将監どのは・・・・・・」
「将監が?」
数正が顔を近づけ、声を潜める。
酒井将監とは、忠次の叔父、酒井忠尚の事である。
「どうも殿の方から本證寺の空誓和尚に会いに行くようにと、小五郎どのに言っておるようです」
「なんだと?」
更に声を小さくして、数正が告げる。
「将監どのと空誓和尚は、三河を加賀の国の様にしたいようです」
「な、なにぃ」
元康は大声を上げる。数正がスッと離れ、黙って頷く。
加賀といえば、八十年ほど前に、門徒たちが守護である富樫政親を追い出し、門徒たちが統治する国になったのだ。
つまり酒井将監忠尚と空誓は、元康を門徒にして、三河も加賀と同じように、門徒たちの統治する国にしようとしているのだ。
「だが、小五郎の奴、何も言って来ぬぞ」
「おそらく、のらりくらりと将監どのの言葉を、かわしておるのでしょう」
まったく、と元康は顔をしかめ、何も言って来ない忠次のひき蛙面を思い出す。
「殿」
強い口調で数正が告げる。
「此処は打って出るべきです」
「しかし・・・・・」
元康は戸惑う。
数正の言い分は分かる。かつて朝比奈泰能に、三河には内なる敵、門徒と、外の敵、織田がいると言われた。
今、その織田と手を結んでいる、新たに敵になった今川は北条の救援で手一杯だ。
この機に内なる敵を叩くと言うのは、理に適っている。
「小五郎は承知しておるのか?」
「・・・・・・・勿論にございます」
少し間があった。
言っておらぬな。
その間を見て、元康は察する。
そもそももし言っておるなら、この場に忠次が居るはずだ。
「彦右衛門の話では、甲斐の武田が動き出し、越後の長尾は小田原から引き揚げるそうです」
うむ、と元康は唸る。
当然だろう、今川と結んでいるのは北条だけでは無い。武田も氏真の姉が甲斐に嫁いでいる。
「そうなれば今川の目は、また我らに向かいます」
そうなる前に、と数正は強い口調で訴える。
「だが・・・・・・作左はどうする?」
渋い顔で元康は言う。
本多作左衛門重次は、三河者の見本のような男だ。
それだけに人望というと大袈裟だが、慕っている者も多い。
「彼奴は門徒であろう」
重次が裏切れば、同調する者も多く現れるはずだ。
「作左どのの説得は、本多の彦三郎どのにお願いします」
本多の彦三郎とは、本多の長老で重次の従兄弟の本多広考の事だ。
広考なら重次に、言うことを聞かせることが出来るだろう。
「しかし・・・・・・・」
「松平さま」
数正の説得に渋い顔をし続ける元康に、茶屋清延が声を上げる。
「もし戦さになりますれば、手前が矢銭を用意させて頂きます」
「矢銭・・・・・・?」
はい、と清延は頷く。
「十万、いえ、十五万貫、ご用意致します」
「え、あっ、はぁ」
あまりの額に元康は驚いて、口を開けすぎ顎が外れる。
「お、お主、何故そこまでいたす」
元康には理解できなかった。
商人は利に敏い者たちだ、いかに木綿が安く買えるからと言って、そこまで銭を出せば損になるだろう。
「松平さま」
ジッと清延は元康を見る。
「商人は儲けを求める者に御座います」
静かな口調で、清延が続ける。
「そして儲けを生むのに必要なのは、信義に御座います」
「信義・・・・・?」
元康が呟くと、清延が頷く。
「信用の無い相手からは物は買いませぬし、信用の無い相手に物は売りませぬ」
胸を張って大きな声で、清延は告げる。
「松平さまは律儀者で、なにより信義を重んじる御方と伺いました」
バッと清延は頭を下げる。
「手前、その様な御方の御用を、是非に務めさせて頂きたいので御座います」
「・・・・・・・・」
しばし元康は、頭を下げる清延を眺める。
「分かった」
「殿」
「松平さま」
元康の言葉に、数正と清延の顔に喜色が溢れる。
「ただし小五郎と彦三郎に話をしてからじゃ」
強い口調で元康は告げる。
「承知しました」
数正は頭を下げる、が直ぐに上げて清延に顎で合図を送る。
「実は松平さまに献上の品が御座います」
数正が後ろに控える康景に命じると、鳥居元忠が部屋に入って来た。
「これは・・・・・」
元康は思わず声を上げる。
「松平さまは、鷹がお好きと聞きまして・・・・・」
元忠が持って来たのは、立派な鷹だ。
「奥州から取り寄せた、逸品に御座います」
清延の言う通り、鷹は黒く大きく、目も鋭い。
「彦右衛門、それは百舌ではないだろうな?」
微笑みながら元康が尋ねると、
「ええ勿論、正真正銘、鷹に御座います」
と元忠も微笑みながら答える。
数正も康景も苦笑するが、意味が分からない清延だけは、キョトンとした顔をしている。
早速元康は鷹狩りに出た。
「殿・・・・・・」
鷹狩りをしていると、鷹匠が声をかけて来た。
「何をなさっておられるので?」
鋭い目をした、それこそ鷹の様な目をした、痩せた鷹匠が、そう尋ねてくる。
それもそうだろうと、元康は思う。
先ほどから元康は、歩きながら歩数を計ったり、川や丘を越えるのに、どれくらい時間が掛かるのかを調べているのだ。
その鋭い目には、さぞ主君の動きは奇妙に映ったであろう。
「・・・・・・・」
元康は鷹匠の目を見ながら、清洲での事を思い出す。
清洲で信長と野駆けに出ていた時、
「おい、竹千代」
と信長は、自分を追って来た元康に呼びかけた。
「わしが何故、今川に勝てたか分かるか?」
「あっ、いえ」
分かるわけがない。
今川は一万以上、織田は二千足らず、どうやって勝ったのか、元康には今もって謎だ。
「戦さというのはな、要は大将の取り合いよ」
鋭い目で信長が告げるが、今ひとつ意味が分からず、はぁ、と元康は応じる。
「相手が万の軍勢で、その一人が討たれたとする、こちらは数千で、一人を残し、みな討たれたとしよう、それでも・・・・・・」
信長はバッと胸を張る。
「その相手の討たれた一人が大将で、こちらの残った一人がわしなら、その戦さ、わしの勝ちじゃ」
「・・・・・・ぁ・・・」
元康が言葉を失うほど、信長は信長らしい理屈を言ってのけた。
確かにその通りだ、その通りだと思う。それが戦さで、それが勝ち負けだ。
しかしそれほど事が単純なのかと言えば、そうでは無い。
「では勝つために必要なものは、なんじゃ?」
「分かりませぬ・・・・・・・」
クッと顔を近づけ、信長はキャッキャッと笑う。
「お前はやっぱりダメじゃな、竹千代」
「・・・・・申し訳ありませぬ」
少しムッとしながら元康は答える。
「そんなもの色々じゃ」
「いろいろ・・・・・色々?」
あまりにも身勝手な答えに、思わず大きな声を上げる。
「そうじゃ、鉄砲が必要な時もあれば、大軍がなければならぬ時もある、こちらに通じている敵が欲しい時だってあるからのぅ」
ヒャッヒャッヒャッと甲高い声で信長は笑う。
元康は頬を膨らませ、真面目に聞いて損をしたという顔をした。
「大切なのは、わしに何が必要で、それをわしが持っておるかじゃ」
「はぁ・・・・・」
気の無い返事を元康はする。
どこまで真面目に聞けば良いのか、分からないからだ。
「今川が攻めて来た時、奴らは大軍を持っていた」
声を低くして、遠くを見ながら信長が言う。
「わしは鉄砲を持っていた」
信長は元康の方を見る。
「ならば城に籠り鉄砲で戦うか?」
普通ならそうだ、いや、鉄砲が無くてもそうする。
義元も元康も、今川の者は皆、信長がそうすると思っていた。
「しかしそれでは勝てぬ」
元康の心の内を読んでいるように、不敵な笑みを浮かべて信長は断言する。
「後詰め無いのに城に籠もれば、じっくりと締め上げられるだけよ」
確かにそうだと思った。信長の言葉を聞きながら元康は、確かにその通りだと思った。
しかし同時にそれしか無いのだから、仕方ないとも思った。
「だからわしは鉄砲を捨てた」
「あっ」
元康が声を上げる、その顔を見て満足そうに、ニヤリと信長は微笑む。
「使えぬ武器は、必要ないわ」
「あ、いや、そうですが・・・・・」
「どんなに時と銭をかけようと、どんなにそれを好もうと、使えぬ武器では意味がない」
だからそんな物は、すぐに捨てる、そう信長は平然と語る。
言うのは簡単だろう、しかしそんなに簡単にできるものだろうかと、元康は思う。
鉄砲を手に入れるのがどれだけ大変か、元康も知っている。
銭も伝も必要で、苦労と時間が多くかかる。
しかしそれが役に立たないなら使わない、直ぐに捨てる。そんな事出来るのは信長くらいだ。
「わしには別の武器があった」
「別の・・・・・・武器?」
「そうじゃ」
顎を反り、得意げな顔で信長は言う。
「尾張はわしの領内、地の利はわしにある」
「そうですなぁ・・・・」
「それに何度も三河に攻め込み、刈田狼藉を行なっておった」
こちらからすれば迷惑千万な話だと思いながら、元康は話を聞く。
「だから三河の西も、土地の事は分かる」
なるほど、と元康は思わず頷く。
だから今は美濃を何度も攻めているのかと、元康は考える。
「わしは尾張領内で、毎日野駆けをしておる」
馬をゆっくり進めながら、信長は語る。
「何処になにがあるか、何処の丘から何処の川まで、どの位かかるか、全て分かる」
振り返り、ニヤリと信長は笑う。
「今川勢がどれだけ大軍であろうと、その大将の居場所さえ分かれば良い、その大将さえ討ち取れば、こちらが何千人討ち取られても良い」
胸を張って信長は言う。その言葉に元康は衝撃を受ける。
単純だが、本当の事を言っている。
本当の事だけを、他の事は全て取り除いて、信長は本当の事だけを言っている。
「家臣の誰かが敵に通じていても関係ない、ただ今川の大将の居場所が正確に分かり、そこに襲いかかれば、それで良い」
元康は信長の言葉に戦慄した。
信長と義元を比べた時、義元は大人だ。大人として優れていた。寛容であり、教養があり、大器であった、主君として憧れる存在だった。
対して信長は子供だ。子供の単純な理屈で生きている、戦っている。
あの頃の、吉法師のまま、信長は戦っているのだと、元康は思った。
「わしの家来に、簗田四郎左という者がおってのう」
信長が楽しそうに語る。
「その者に庄屋のふりをさせ、今川の本陣に忍び込ませたのじゃ」
「な、なんと」
それで今川の本陣が分かり、義元の居場所を掴んだと言うのかと、元康は驚愕した。
「よいか、竹千代」
「あ、はい」
「出来るだけ、色々な武器を作っておけ」
信長が元康の方を、ジッと見ながら言う。
「鉄砲、長槍、地の利、城、間者、なんでもじゃ」
「・・・・・はい」
「多くを作っておけば、いざという時、必要無い物を、惜しげも無く捨てられるからよ」
なるほどと、元康は思った。
その時、スッと池田恒興が馬を寄せ、そっと元康に耳打ちする。
「殿は自慢げに、ご自分で思いついた様に申しておりますが、師である沢彦和尚から教わった事なのです」
あっと驚き、恒興の方を向くと、いつものすました顔で静かに頷く。
「うるさい勝三郎、一々ばらすな」
信長が怒ると、恒興は頭を下げて、元康の側を離れる。
なんだ、自分で考えたわけではないのか、と冷めた目で元康が信長の方を見ると、プイと顔を背け、利家の方に近づいていく。
それでも信長は凄いと、元康は思った。
教えられたからと言って、実際の戦いで、ああも上手くできる者など、まずいない。
利家と何か話した後、はははっと笑い合い、信長は大きな声を上げる。
「竹千代、いくぞ」
「はい」
信長は駆けていく、その後を元康は追う。
先を行く信長は速い、どんどん離されていく。
駿馬だという事もあるだろう。しかしやはり信長の馬術の腕が優れているのだ。
おそらく毎日野駆けをしているのだろう。
しばらく進むと馬を止め、信長は元康が追いつくのを待っていた。
「竹千代、野駆けをせい、あるいは鷹狩りでもよい」
「は、はい」
「毎日いたせ」
信長は顔を近づけ微笑む。
「その土地を知れ、地の利は最も簡単に手に入り、最も役に立つ武器じゃ」
そう言うと信長は、顎を上げヒャッヒャッヒャッと甲高い声で笑った。
「・・・・実はな・・・・」
そう言いかけて、鷹匠に何と説明するべきか、元康はしばし迷った。
「清洲で尾張の織田どのに言われたのじゃ」
迷ったが、なんとなく説明することにした。
「鷹狩りをしながら、土地を見るようにと」
ほぉ、と鷹匠は歓心したような声を上げる。
「土地に明るくなれば、戦さに勝てるとな」
「まことにございますか?」
「ああ、織田どのも、それで今川の軍勢を破ったと仰っていた」
なるほどと、鷹匠は頷く。
「では殿は、いずれ東海一円、そして東国、更に天下の隅々まで、鷹狩りせねばなりませぬなぁ」
「はぁ?」
鷹匠の言葉の意味が分からず、元康は眉を寄せる。
「殿が天下を望むのであれば、日ノ本六十余州、全てで鷹狩りをせねばなりますまい」
こいつ何を言っておるのじゃ?
そう思いながら、鋭い目をした鷹匠を見つめる。
真顔である。おべんちゃらを言っている様にも見えない。
本気で言うっておるのか?
少し薄気味悪くなり、また不快になり、元康は顔をしかめて言う。
「わしはそんなもの望まむ」
「はぁ?」
鷹匠から顔を背け、元康は告げる。
「わしは三河一国、いや・・・・・・」
グルリと首を回し、辺りを見回す。
「家臣領民が穏やかに暮らすことが出来るなら、半国でも構わぬ」
視線を鷹匠に戻す。
「それだけ守れれば、それで良い」
鷹匠は、そうで御座いますか、と冷めた口調で言う。
なんか、気味の悪い奴だな、と元康は思いながら、鷹匠から目を背ける。
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