第11話 牢人者

「おい、竹千代どの」

そう言ってその若者、犬千代はニヤニヤと笑いながら竹千代に近づく。

「わしはなぁ、決めておる事があるのじゃ」

胸を張り空を見上げて、犬千代は言う。

「わしは二十歳まで生きぬ」

「・・・・・・?」

言っている意味が分からず、竹千代は首を捻る。

犬千代はおそらく、竹千代より七つ八つ年上の十四、五歳だろう。

それで二十歳まで生きぬとは、あと四、五年で死ぬと言う事だろうか。

「いずれこの狭い尾張を出て、上方に上り、大きな戦で陣借りをして名を上げていくのじゃ」

遠い西の空を眺めながら、いつも持ち歩いている長い棒を掲げて、犬千代は大きな声で宣言する。

「そして天下を決める様な大戦さで、一騎駆けをして命を落とす・・・・・・」

「死ぬのですか?」

キョトンとして竹千代は問うと、そうじゃ、と犬千代は力強く頷く。

「人はどうせ死ぬ、ならばどう生きて、どう名を残すか、それが大事なのだ」

犬千代が空を見上げたまま、力強く言う言葉に、竹千代は、はぁ、と小さな声で答える。

正直言って、竹千代にはよくわからない。

「それが男じゃ、それが侍じゃ」

「侍・・・・・・それが立派な侍で御座るか?」

竹千代が強く反応すると、ニッと笑い犬千代が答える。

「ああそうじゃ、それが侍の生き方じゃ」

「竹千代さま」

勝三郎が声を掛けてくる。

「相手にする必要は、御座いませんよ」

いつもの冷めた口調で、勝三郎は言う。

「そやつは部屋住みの次男坊で、それが不満でそんな事を言うておるのです」

「おい」

犬千代が声を上げるが、勝三郎はチラリと見ただけで、話を続ける。

「それにそやつの兄上は良い方で、こんな阿呆の為に、方々頭を下げて回って、養子の口を探しておるのです、しかし肝心のこの阿呆が、阿呆な格好をして、吉法師さまと一緒になって、阿呆な事をしておるから、いつまで経っても養子の口が決まらぬのです」

「阿呆、阿呆、言うな」

「それは悪かったな、阿呆千代」

「誰が阿呆千代じゃ」

犬千代が長い手を伸ばし、勝三郎に殴りかかる。

しかしギョロ目の勝三郎は、それをヒョイっとかわす。

「よいのじゃ、誰が養子になど行くか」

ふん、と勝三郎から視線を逸らし、犬千代は大声で言う。

「わしはいずれ必ず、家を出て、尾張を出て、上方に上がり、戦さで名を残す」

胸を逸らし、そしてその胸をドンと犬千代は叩いて、宣言する。

「必ず、後の世まで名が残るような侍になってやる」

犬千代の言葉を聴きながら、竹千代は悩む。

立派な侍とはやはり、後の世に名を残す事なのだろうか?

しかし側で、呆れながら勝三郎が首を振っている。

ではそうでないと言う事なのだろうか?

竹千代には、まだよく分からなかった。

「くそぉっ」

「あ、兄上」

吉法師が丘を上がって来た。

ここは竹千代が住んでいる家の、すぐに近くにある丘だ。

何時もは吉法師が竹千代を迎えにくるのだが、今日は珍しく、犬千代と勝三郎がやって来た。

「まったく爺め、しつこい」

吉法師は走って来たのか、肩で息をしている。

はははっ、と笑いながら、犬千代が腰の瓢箪を吉法師に投げて渡す。

クッとそれを飲み、吉法師は顎を拭う。

「万千代の奴、奥の戸を開けておけと、言っておいたのに・・・・・・・」

万千代のと言うのは、犬千代や勝三郎と同じく、吉法師の家来の少年だ。

しかし竹千代は口を利いたこが無い。

犬千代や勝三郎と違い、吉法師と遊び回っていないからだ。

なぜ一緒に遊ばないのかと、勝三郎に尋ねると、吉法師は万千代を、守役の平手という老人の側に置き、平手爺が吉法師を捕まえようやって来る前に、合図を遅らせる為だ、との事だった。

それを聞いた時竹千代は、なんと兄上は悪知恵が働くのだと、半分感心し、半分呆れた。

「万千代のめ・・・・」

「仕方ないでしょう」

怒りを万千代にぶつける吉法師に、冷めた口調で勝三郎は言う。

「どうも沢彦和尚が、気づいておる様です」

「あの糞坊主か」

「まぁ、今まで気づかなかった方が、どうかしていたのですよ」

「うるさい」

竹千代は勝三郎に近づき、尋ねる。

「沢彦・・・・和尚?」

「ええ」

勝三郎は竹千代の方に向く。

「平手さまが、余りにも吉法師さまが遊び呆けおるので、京から高名なお坊さまを呼び、学問を教えて頂こうと・・・・・・」

「が、学問を教えて貰えるのですか?」

目を見開いて竹千代が問うと、ええ、と静かな声で勝三郎が応じる。

「それなのに吉法師さまはこうやって、逃げ回って沢彦和尚の授業を受けぬのですよ」

「・・・・・勿体ない」

竹千代は吉法師の方を見る。

フンと鼻を鳴らし、吉法師は顎を反らす。

「誰が坊主の説法など聴くか、くだらぬ」

それより・・・・・・と言って、吉法師が一同を見回す。

「今日はどうする?」

「吉法師さま、今はあまり出歩かぬ方が・・・・・」

ギョロ目を吉法師に向け、勝三郎が告げる。

「美濃の者たちが、吉法師さまを狙っていると言う話です」

「美濃とは和睦がなったのであろう?」

「だからそこ吉法師を捕らえ、自分たちに利のある様に話を進めたいのです」

はん、と一つ吉法師は鼻で笑う。

「関係ねぇよ、そんなこと」

「それでですね、若」

ニヤニヤしながら、犬千代が吉法師に近寄る。

「今日はなにをするかな・・・?」

「若、面白い話を持って来ました」

「駄目だ」

「え?」

鬱陶しそうに首を掻きながら、吉法師は犬千代に言う。

「お前の話は、いつもくだらない」

「なにいっているんですか、そんなこと無いですよ」

「じゃあ言ってみろ」

目を細めて、吉法師が問う。

「実はですね、上方から牢人者が、流れて来ているんですよ」

「ほれ、くだらぬ」

吉法師が一刀両断する。

「おまえはほんと、そう言うの好きだな」

「じゃあ、若は何がしたいのですか?」

勝三郎の方を向いて、吉法師が言う。

「おい勝三郎、大蛇の話はどうなった?」

「また、それですか・・・・・・」

今度は犬千代が、目を細める。

「まだ何処か分かりませぬ」

「さっさと調べろ」

冷めた目で、勝三郎は吉法師を見る。

近ごろ吉法師は、人を丸呑みにした大蛇が出た、という話がお気に入りだ。

方々で人に聴いて回っている。

「ほんとそういう話、好きですよね、若は」

呆れながら犬千代が言う、竹千代もうんうんと頷く。

吉法師はそう言った珍しい話が好きだ。

噂の出所を調べさせ、自ら出向いて確かめている。

竹千代からすれば、そんな事より、折角、京から偉いお坊さまが来ておるのなら、ためになるお話を聴く方が、何倍も良い気がする。

「犬千代、お前の方こそ、牢人なんぞ見に行きたがっているではないか」

「居るかどうか分からぬ大蛇より、ましでしょう」

「居るかどうか分からぬから、探しに行くのではないか」

吉法師と犬千代の言い争いに、勝三郎が溜め息混じりに

「どっちもどっちだ」

と言う、竹千代もうんうんと頷く。

「どちらにしろ、大蛇は居所が分からぬのですから、今日は俺に付き合ってもらいますよ」

犬千代は胸を張り、そう宣言する。

「まぁいい、仕方ない」

吉法師が応じる。

「では、行きましょう」

そう言って犬千代が歩き出す、仕方なしに三人はそれに続く。




「あれか・・・・・・?」

町外れにある、大きな木の下に座る男を見て、吉法師が呟く。

熱田の宮に向かう道、行き交う参拝者に頭を下げながら、見窄らしい格好をしたその男は、碗を差し出し、物を乞うている。

「ただの物乞いではないか」

そう言って興味無げに、顔を背ける吉法師に対し、犬千代は、

「確かめてみよう」

と言って近ずく。

「おい、おっさん」

犬千代が声をかけると、男は顔を向ける。

全身から鼻が曲がるような異臭を発し、髪も髷を結っておらず、虱だらけのボサボサ頭だ、着ている物も元の色が分からない泥だらけの着物だ。

「なんだい?」

男は顔を上げ犬千代を見る。

「おっさん、上方にから流れて来た牢人なんだろう?」

「ああ、そうだが」

その場にしゃがみ、犬千代が尋ねる。

「戦さの話を教えてくれよ、上方の戦さの・・・」

「・・・・・なんでそんな事知りたがる?」

男は首を傾げる。

「俺はなぁ・・・・・」

再び立ち上がり、胸を張って犬千代は答える。

「いずれこの尾張を出て、上方に上り、陣借りをして、大きな戦さで名を挙げる」

「・・・・・・・・」

男は犬千代の誇らしげな顔を見つめる。

「そして派手に討ち死にして、その名を後の世まで残すのよ」

犬千代の宣言に、男はクスクスと笑い始める。

「なにが可笑しい」

「ああ、すまねぇ」

かっとなって言う竹千代に、男は微笑みながら答える。

「お前さんがあまりにも、とんちんかんな事を言うからよ」

「なんだと」

頭を曲げ男は首筋を掻き始める、フケがまき散り虱が飛ぶ。

「陣借りの牢人者など、ただの使い捨ての駒よ」

男は淡々と語る。

「囮に使われ、盾にされ、逃げる時には置き去りにされる」

懐を掻きながら男は続ける、またフケと虱が飛ぶ。

「運良く生き残っても、褒美を貰える事などまず無い、よしんば銭を捨て与えてもらえても、牢人の頭の様な男が、全部奪っていくか・・・・・」

或いは・・・・と言って微笑みながら、男は懐から手を出し、その手をふっと吹く。

「博打を打って、みな無くすだけじゃ」

男の指から、垢が飛ぶ。

「わしもそのくちでのう、戦さが終わって博打で負けて、その負け分を踏み倒して、上方にはおれんなったので、逃げて来たのじゃ」

「・・・・・・・・その戦さには勝ったのか?」

しばし間を置き、犬千代が問うと、男は少しキョトンととした後、ははははっと笑う。

「勝ちも負けもわしら牢人には関係ない、生きておればめっけモノ、死ねばそれまでじゃ」

自分を見つめる犬千代に、男は静かに告げる。

「この世に牢人ほど惨め者はおらん」

男は乾いた笑みを続ける。

「村に近づけば、百姓どもの落ち武者狩りに遭い、戦さに出れば使い捨て」

天を男は見上げる。

「この天地に、牢人者の生きる隙間など、何処にもないよ」

男は碗を捧げる。

「だからこうやって物乞いをするぐらいしか、ないさねぇ」

そう言うと男は犬千代の前を離れ、熱田の宮に向かう裕福そうな身なりの男たちに近付き、お恵みを、と言っている。

「けっ、つまらぬ」

そう吐き捨てて、吉法師はその場を去ろうとする。

「そうですか・・・・・・そうでも無いですよ」

そう言うと勝三郎は、犬千代の方を向く。

「犬千代、あれがお前の望みの果てだ」

「なんだと?」

犬千代が勝三郎を睨む。

「家を出て、国を捨てれば、待っている先は、あの様に人に物を乞いながら生きるだけだ」

「俺はああはならぬ」

「ではどうする?」

勝三郎の問いに、うっと犬千代は詰まる。

「どうするというのだ?」

「戦さで・・・・・・手柄を立てて」

重ねて勝三郎が問うので、犬千代は言葉を絞り出す。

「お前、あの男の話を聞いておらなかったのか?」

冷めた口調で勝三郎が言う。

「陣借りの牢人者など、ただの使い捨てで、手柄の立てようなど無いと、言っていたではないか」

ふん、と犬千代は顔を背ける。

「これからは心を入れ替え、吉法師さまと一緒になって阿保な事などせず、真っ当に過ごすのだな」

「けっ、くそ真面目が」

犬千代ではなく、吉法師が答える。

「吉法師さまも同じですよ」

勝三郎はギョロ目を吉法師に向ける。

「その様な事だから、勘十郎さまに・・・・・」

ドンと勝三郎の肩を突き、吉法師が低い声で言う。

「その話はすんじゃねぇって、言ってんだろう」

「・・・・・・・・」

蹌踉めきながらも、尻餅を付かなかった勝三郎が、吉法師を見つめる。

二人の目がいつもと違い怖かったので、竹千代は固まった。

「・・・・・・行くぞ」

そう言うと、吉法師は一人歩き出す。

硬い表情の犬千代と勝三郎は、それに続く。

「・・・・・・・」

竹千代は何故か、今の吉法師の近くに行きたくなかった。

それで辺りを見回すと、先ほどの牢人が、汚い碗を持って、まだ行き交う人に食い物を恵んで貰おうとしているのが見える。

少し迷ってから、竹千代は牢人の方に向かう。

「何かね?ボウズ」

近づくとまた鼻が曲がりそうな悪臭がする。

「あ、これ・・・・」

竹千代は懐から、竹の葉で包んだ握り飯を取り出す、世話をしてくれている老人が、作って持たしてくれた物だ。

「どうぞ」

「くれるのかい、有難い」

牢人はニッと笑う。

近くで見ると、その目、その歯の感じから、意外に若い様に見えた。

二十歳か、そこら、或いはもっと若いのか、そんなくらいに思える。

「有難う、有難う」

何度も頭を下げる牢人から離れ、竹千代は吉法師たちの方に向かう。



「・・・・・・うん?」

数人の侍たちが、三人の前に立つ。

「なんだお前ら?」

吉法師が問うと、大柄の侍が一人、前に出る。

「お前、確か・・・・・井関の佐々の・・・・」

「佐々隼人正で御座います」

男は頭を下げる。

勝三郎はまずいと思った。

井関の佐々家と言えば、武辺者の三兄弟で有名である。

特に長兄の隼人正政次は、小豆坂の戦いで名を挙げた、尾張随一の剛の者だ。

三男の内蔵助は歳も近いため、吉法師や勝三郎とも交流があるが、次兄の孫介勝重は吉法師を嫌っていると言う話だ。

政次のすぐ後ろにいるのが勝重だろう、内蔵助の姿は見えない。

「我らに御同行頂きたい」

「嫌だ」

佐々政次の申し出を、吉法師は一蹴する。

「なんでお前らに、ついて行かねばならぬ」

何時もの様に、吉法師は尊大に答える。

「是非に、お願いします」

後ろから声がして、勝三郎は振り返る、いつの間にか、そちらにも人が数人立っている。

「お前・・・・・勘十郎の」

先頭に立つ若者が頭を下げる、目に少し険があるが整った顔立ちをしている。

確か名は、津々木蔵人とだったと、勝三郎は思う。

「吉法師さまは、人喰いの大蛇を探しておられるとか・・・・」

険があるため、蔵人の笑みは少し不気味だ。

「我らがその場まで、ご案内いたしましょう」

「ほぉ、お前が知っておるのか?」

吉法師が尋ねると、はい、と蔵人が答える。

「ただし、尾張では御座いませぬ」

にこりと笑って、蔵人が言う。

「美濃の稲葉山に御座います」

蔵人の周りの者たちが、ゆっくり広がり吉法師らを囲む。

「美濃の蝮か」

「ええ」

フンと吉法師は鼻を鳴らす。

「蝮にわしを差し出すのか?」

声を出さずに、蔵人が頷く。

そう言う事かと勝三郎は、納得する。

そんな事、当主である信秀が許すわけが無い。

では誰の命か?

津々木蔵人は、吉法師の弟、勘十郎の小姓である。

勘十郎が命じたのでは、吉法師を嫌っている佐々勝重は動いても、兄の政次は動かない。

では誰か?

勝三郎には、綺麗な顔で不気味に微笑む蔵人の背後に、吉法師と勘十郎の母である土田御前の姿が見える。

恐らく土田御前が命じ、それなりの重臣が政次を動かしたのかもしれない。

柴田権六勝家か、或いは・・・・・・。

勝三郎は、吉法師付きの家老でありながら、吉法師を嫌っている、林秀貞、通具兄弟を思い浮かべる。

流石に彼らが吉法師を売ったとは、考えたく無い。

だがどちらにしろ今は、この場を逃げ切る事、吉法師を逃す事が第一だ。

勝三郎と犬千代が吉法師を庇う。勝三郎は腰の脇差しに手を掛け、津々木蔵人に向く。

一方の犬千代は、持っていた棒を構えて、政次に向かう。

「無駄な事は、止められい」

政次が一歩前に出る。

「無駄かどうかは、やってみねぇとわかんねぇよ」

強がって犬千代は言うが、政次との技量の差は明らかである。

相手は全部合わせて十人、こちらは三人。

勝三郎は、なんとか自分とと犬千代が捨て石になって、吉法師を逃す事を考える。

政次が乗り気で無い事が、数少ない救いだが、それでも絶体絶命だ。

その時、うん?と蔵人が首を捻る。

「あ・・・・っ」

少し離れた所で、竹千代が固まって立っている。

「これはこれは、松平の若さまではないですか」

そう言って振り返り、蔵人は近く。

あっ、と叫んで、竹千代が逃げようとする。

「捕まえろ」

蔵人が命じると、周りの者が一人、はっ、と答えて竹千代を捕らえる。

「兄上、兄上」

震えながら竹千代が叫び、助けを求める。

「おい、離してやれ」

吉法師が前に出てる。

「そいつは、関係ねぇだろう」

ニヤリと笑い、蔵人が首を振る。

「しかしこの方は、千貫の値ですから・・・・」

そう言って、蔵人は竹千代に顔を近づける。

「折角の千貫さまを、逃すのは勿体ない」

細く白い美しい指で蔵人は、竹千代の顔を撫でる。

「駿府にでも売れば、捨て値でも五百貫にはなるのでしょう」

「・・・・・・おい」

吉法師が、更に前に出ようとするのを、勝三郎と犬千代が止める。

「そいつを、千貫て、呼ぶんじゃねぇ」

白い吉法師の顔が、少しずつ赤みを帯びていく。

「千貫は、千貫でしょう」

不敵な笑みを、蔵人は浮かべる。

「さて、吉法師さまは幾らになるのでしょうかねぇ」

「てめぇ・・・」

怒りで震える吉法師が、勝三郎たちが抑えるのも構わず前に出ようとする。

「兄上・・・・」

竹千代が悲鳴をあげる。

すぅううう、と息を吐き犬千代が、政次の目をジッと見る。

「捕らえろ」

そう蔵人が命じる。

バッと鋭い踏み込みで犬千代が、政次に突きを放つ。

スッとかわし、政次は棒を掴む。

グッと両者は引き合いになる、互角に見えるが、犬千代は両手、政次は片手、勝負は見えている。

「吉法師さま、お逃げください」

背中で吉法師を押しながら、勝三郎は言う。

しかし吉法師は逃げるどころか、前に出ようとする。

万事休すか。

そう勝三郎が思った時、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッと音がする。

「ぐはっ」

「うぐっ」

「あがっ」

佐々勝重を初め、男たちの半数が、その場に蹲る。

どうした?

何が起こったのか分からず、勝三郎は周りを見る。

「な、なんだ貴様?」

蔵人が大声をあげる。

黒い影が、彼に飛び掛かる。

「な、な・・・・・」

「お前さんらの事情は知らぬがね」

蔵人の上にのし掛かった黒い影が、口を開く。

「そこの坊ちゃんには、握り飯を貰った」

黒い影、先ほどの物乞いの牢人が竹千代の方を見る。

「侍は恩義は忘れぬものさ」

竹千代を捕らえていた男も、その場で蹲っている。

「き、貴様・・・・・」

勝重が立ち上がる、その額が割れて血が出ている、どうやら牢人は飛礫を投げたらしい。

「どうされますかい?まだ続けますかい?」

牢人は佐々政次に問う。

「・・・・・・引こう」

「兄者」

勝重が不満の声を上げる。

「勝手は許さぬ」

牢人に組み伏せられている蔵人が叫ぶ。

「さっさとなんとかしろ」

「おおっおおっ、綺麗な顔して勇ましいね」

サッと牢人は、蔵人の脇差しを奪って抜く。

「その綺麗なお顔に傷がつくよ」

そう言って刃を顔に向ける。

グッと、蔵人は唸る。

「わしは引く」

掴んでいた犬千代の棒を放し、政次が言う。

「後は好きになされい」

政次はそのまま去って行く。

「兄者」

勝重は、一度、吉法師を睨むが、そのまま兄を追う。

二人に従っていた者たちも、それに続く。

「で、如何されます?」

「くっ・・・・・分かった」

牢人の問いに、蔵人が答える。

そうですか、と言って、牢人は蔵人から離れる。

「・・・・・っく・・・」

勝重と同じように、一度、吉法師を見たあと蔵人は、行くぞ、と言って手下を連れて去る。

「はははっ、これは関鍛治のなかなかの良いものですな」

蔵人から奪った脇差しを眺めながら、牢人は言う。

「貰っておいて良いみたいだから、失敬しておきますか」

そう言って脇差しを仕舞うと、それでは、と竹千代に声をかけ、牢人は去って行こうとする。

「おい待て、おっさん」

吉法師は大声を上げる。

「名乗っていけ」

「え?」

牢人は振り返る。

「おれは那古野、織田の吉法師」

「ほぉ」

「いずれ家督を継げば、尾張半国の主人だ」

吉法師は胸を張って告げる。

「そうなれば、必ずお前を召し抱える、だから名乗っていけ」

「はははははっ」

牢人は大きな声で笑い、そしてゆっくり名乗る

「滝川右衛門・・・・・・・一益」

「そうか、そうか」

吉法師は頷く。

「憶えた、憶えたぞ、滝川右衛門」

そうですか、と滝が右衛門一益は前を向き、歩き出す。

「必ずわしの元に来い」

その背に吉法師が告げる。

「お前が望む禄で、お前が望む戦さをさせてやる」

「・・・・・ははははっ、考えておきますよ」

笑いながら振り返らずに、一益は答える。

「いや、必ずだ」

夕日に向かい去って行く一益に、吉法師はそう強く告げる。


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