第6話 対決 桶狭間 下
「殿・・・・・・」
「・・・・・・・」
「殿」
「ああ、なんじゃ?」
平岩親吉が心配そうな目で、こちらを見ている。
「大事ない」
本当はまた、吉法師の事を考えていた。
考えるなと思えば思うほど、考えてしまう。
「半蔵が、そろそろ敵が参ると・・・・・・」
「そうか、数は?」
「二百足らずだと」
うむ、と元康は頷く。
松平の手勢は四百余、その内、荷駄隊に百ほど回した。
残りは三百、その内五十は鳥居彦右衛門元忠率いる囮の隊だ。
「二百か・・・・・そんなものだろう」
駿府での評定では織田方は二千だと言っていた、勿論、織田の当主三郎信長に忠実な者たちという意味でだ。
まだ今川の本隊が来ていないので、日和見の連中も信長に従っているだろう。
四、五千は居る、その内の二百。
「彦右衛門が敵を引きつけている間に、回り込んで逃げ道を塞げ」
「承知」
天野康景が短く答える。そして部隊の先頭を進む本多忠真と大久保忠世に、告げる。
「しかし・・・・・・」
元康は呟き顔をしかめる。
忠真と忠世は正しく言えば、部隊の先頭ではない、その遥か前に忠真の甥、忠勝が一騎で進んでいるのだ。
先ほど、また重次と何やら言い争いをしていたが、その内、勝手にせい、と重次が言うと、一騎で前に進んでいったのだ。
あまり、元忠の囮に近づき過ぎれば、織田の者たちに暴露てしまう、元康とすれば勝手に動かれれば困るが、あの調子では言うことは聴くまい。
諦めて放っているのだ。
元康は自分が率いる部隊と、元忠の囮部隊を二里以上離している。
見つからない為と元忠に言われそうしているが、始め、少し離し過ぎではないか?と心配していた。
しかしすぐに元忠の言い分が正しいと分かった、尾張の地は起伏の少ない、のっぺりとした平地で、見通しが良い。あまり近くにいれば、伏兵がばれてしまう。
康景から指示を聞いた忠世が、部隊を分けて進む。
よし、と元康は頷き、進んでいく。
小高い丘を越えると、目の前が開けた。
そこでは荷車を盾にして戦っている元忠の荷駄隊、それに襲いかかる、織田の兵、横から回り込んでいる忠世の部隊が見える。
「皆の者、かかれ」
元康が下知をくだす。
その前から、うぉおおおおおと大声を上げ、忠勝が一騎で突っ込んでいく。
「あの馬鹿、先走りおって」
元康は顔を顰める、しかし全体を見れば、三方から敵を囲み、悪くない戦況だ。
織田の軍勢は元忠の囮部隊への攻撃を止め、元康の部隊に向かってくる。
おや?と元康は違和感を持つ、しかしそれが何か分からない。
こちらを向いた織田の軍勢は槍衾を構える。先走った忠勝はその槍に突かれ、慌てて引く。
まったく、と元康は呆れる、そうしているとこちらも槍を構え、槍衾同士の戦いとなる。
「あっ・・・・・・」
敵が槍を持ち上げた時、元康は違和感の正体に気づく。
槍隊の戦いは、まず叩き合いから始まる、槍を持ち上げ、相手に叩きつけるのだ。
その後、近づき突き合いになるのだ。
しかし明らかに織田の軍勢は、離れたところから槍を上げている。
そしてその槍が落ちて来る。
「な、長い」
思わず元康は叫んでしまう。織田の槍は明らかに、こちらの槍より長いのだ。
離れた位置から、織田の軍勢は槍を叩きつけて来る。なんとかこちらは防ごうとするが、防ぎきれず、槍衾が崩れる。
まずい・・・・・。
元康は焦る、このまま敵が叩きつけから突きに変われば、元康の部隊は壊滅だ。
どうする?
考えるが何も浮かばない、どうしようもない。
その時、こちらの槍衾の列の一角が開く。
ハッと元康が見ていると、男が一人、前に出て弓を構える。
胴丸しか着けていないその男は、肩と腕が異常に張って、また手も大きい。
あっと元康が見つめていると、男は矢を放つ。それが織田の槍兵に刺さるのだが、次の瞬間、槍兵が後に吹き飛ぶ。
えっ?と元康が驚く。男は続けざまに、二矢、三矢と放つ。いずれも当たると、相手は後ろに吹き飛んでしまう。
な、なんたる剛弓、と元康は目を見開き驚愕する。
その敵の崩れた槍衾の一角に、武者が一人突撃をかける。
「渡辺半蔵守綱、一番槍」
若いその武者の名乗りが響く。
続けて、もう一人若い武者が飛び込む。
「蜂屋半之丞貞次、押して通る」
二人が突っ込み、敵中で槍を振り回す。
遅れじと忠勝が続き、その後を忠真が追う。
そうやって数人が攻め込むと、敵方が乱れる。
今が好機、と元康は思う。
「全員、とつ」
「皆の者、突っ込め」
元康の声を遮り、重次が大地が裂けるほどの大声を上げる。
わぁぁぁああ、と家臣たちが攻めかかっていく。
元康は、作左衛門め、と重次を睨むが、重次は、行け、行け、攻めろ、と号令をかけ続けている。
懐に入り、乱戦になれば、長い槍は使えない。織田の兵は長槍を捨て、短槍にするか太刀に代えるかして、応戦する。
しかし単純な戦さになれば、三河者の方が精強だ。織田の軍勢をどんどん押していく。
その時、元康はある事に気がつく。
長い槍が出た時、元康は慌てた。見た事ない長い槍だったので、どうして良いか分からなかったのだ。
だが家臣たちは慌てず、淡々と対処していた。
考えてみれば、何度も織田とは戦っており、あの長槍も始めて見たわけではないのだ。
距離を取らせず、懐に入り込めば良いということが、皆、分かっていたのだ。
家臣のその勇猛さ、そして戦左慣れに、元康は改めて感心する。
その時。
「殿、危ない」
と言って元康に誰かが飛びかかる。
あっという間に、押し倒される。
「何を・・・・・」
元康が言いかけると、パァンと音がする。
「な、な、何じゃ?」
「鉄砲でございます」
「て、てっぽう?」
元康に飛びかかり、押し倒した四十近い家臣が頷く。
鉄砲が日ノ本に伝わり十数年、元康もその名は知っている。
一度だけ駿府の城で、試し撃ちをしているのを見た事もある。
しかしとても高価で、今川家でも数十丁しか所有しておらず、戦さで使用する事はまず無い。
それを織田は持っている、それも二百余の手勢の中に、それを使う者がいる。
「ま、まさか・・・・?」
元康には信じられない話だ。
しかし家臣の顔を見るに、本当の事らしい。
「殿、ご無事で」
酒井小五郎忠次が、近寄って来る。
「夏目次郎左衛門、ようやった」
忠次は、元康を助けた家臣を褒める、ははっ、と夏目次郎左衛門吉信は頭を下げる。
「殿」
元康の側に、忠次は跪く。
「後ろの方におさがりください」
「だが・・・・・・」
「殿」
忠次は元康の肩に手をやる。
「殿のこの鎧は目立ちすぎます」
うっ、と元康も唸るしか無い。
「これでは狙うてくれと、言うておるようなものです」
確かに金に光る元康の甲冑は、戦さ場、特に家臣たちが見窄らしい三河衆の中では目立ちすぎる。
「こちらが押しておるし、このままいけば勝ち戦です」
三方から攻めて、兵も強いし、数も多い、まずこちらが有利だ。
「しかし殿が討ち取られれば、負けになります」
顔を寄せ低い声で、忠次は告げる。
「大将が討たれれば、負けなのです」
「・・・・・・分かった」
仕方なく元康は従う。
「後ろに退がる」
「はっ」
そう言って、忠次は立ち上がる。
「次郎左衛門」
「はい」
名を呼ばれ、夏目次郎左衛門吉信が近づく。
「殿が退がられるので、側についておけ」
「承知」
吉信は頭を下げた後、元康の方に近寄る。
「まて、小五郎」
中腰になり、元康が告げる。
「一ヶ所、敵の逃げ道を作ってけ」
「・・・・・・はっ」
「逃げ道がなければ、敵は死に物狂いになる」
兵法書を読んで学んだ事を、元康は口にする。
「承知しました」
そう言うと、忠次は顔を上げる。
「米津三十郎」
三十路半ばの色黒の男が、はい、と答え近づいて来る。
「お主、弟や倅、あと数人連れて、鳥居彦右衛門の手助けに言ってやれ」
「承知」
「逃げ道を作って、敵はわざと逃せ」
「分かりました」
低い声で応じると、米津三十郎常春はその場を去る。
「内藤甚一郎」
「はい」
続けて忠次が呼ぶと、今度は、先ほどの胴丸だけ着けた剛弓の主が、低い濁声で応じる。
「鉄砲衆を狙えるか」
「・・・・はい」
無表情に忠次が問うと、無表情で内藤甚一郎正成は頷く。
「では行け」
「承知」
内藤正成も去って行く。
「・・・・・・・・」
何も言わず忠次が見つめるので、
「分かった、退がる」
と言って、元康は後ろの方に退がって行く。
平岩親吉、天野康景、夏目吉信を引き連れ、来る時に通った小高い丘まで退いた。
此処なら戦さ場が見渡せる。
戦さは確かに、忠次の言うとおり、こちらが優勢に進んでいる。
敵陣深く、渡辺守綱、蜂屋貞次、本多忠勝、そしていつの間にか、阿部善九郎正勝も加わり、縦横無尽に暴れて、敵をなぎ払っている。
回り込んでいる大久保忠世の隊も、忠世の弟、治右衛門忠佐と植村新六郎家存が先頭に立ち、敵を追い散らしている。
二人とも家中で、一二を争う巨漢だ、尾張兵を全く寄せ付けていない。
更に、内藤正成の剛弓が敵を次々討ち取っていく。
「退くな、押し込め」
重次の大声は戦さ場中に響き渡り、離れていても聞こえてくる。
三河衆の猛攻に、織田勢は明らかに浮き足立ってきている。
そこへ荷車を盾にして戦っていた、鳥居元忠の囮部隊が、兵をまとめ始めた。
隙が生まれる。
織田勢はそちらの方に向かい、少しずつ退却を始める。
よし、と元康は頷く。
そうやって少しずつ退いて行く織田勢の中で、将が一人、仁王立ちで大声を上げる。
「山崎多十郎、此処にあり、我首とって手柄と致せ」
そう男が名乗りを上げた、こうなれば一騎討ちだ。
戦さ場はただの殺し合いの場ではない、武士が武勲を上げる場だ。
だからそこには作法と決まりがある。
雑兵の首は当然、手柄にならない、だから彼らが逃げても追いかけはしない。
逆に将の首は、一番の手柄だ、そしてそれは皆の見ている前で、自分が討ち取ったと見せねばならない。
数人で囲んで討ち取ることは卑怯だし、誰かが取った首を、拾って奪うのは、拾い首と言って、恥ずべき行いとされている。
上方などではそうでは無いと聞くが、東国ではその武士の作法、戦さ場での決め事が大事だ。
東海の三河と尾張はその中間、尾張の人間は上方寄りだが、三河者は東国気質だ。
おそらく山崎多十郎は、そこを狙ったのだろう。
自分が名乗りを上げれば、他の者が逃げるのを三河の者たちは追わない、その上、数人で囲んで討ち取るなどはしない、正々堂々の一騎討ちだ。
「本多平八郎忠勝、お相手致す」
大きな声で、忠勝が出る。
「来られい」
ゆっくりと山崎多十郎は槍を構える。
ブンブンと槍を振り回しながら、うわぁああああ、と雄叫びを上げ、忠勝が打ち掛かる。
多十郎がその槍をかわす、忠勝が再び打ちおろすと、それを槍で受ける。
「彼奴、全然ダメでは無いか」
忠勝と多十郎の戦いを少し見て、元康は声を上げる。
元康は日々、剣術の稽古を怠らない、その剣術好きの元康からすれば、武術の基本は槍だろうが太刀だろうが、腰を落とす事だ。
忠勝は上背があり、その腕力は並では無い、しかしその力で槍を振り回しても、雑兵を薙ぎ払うことはできても、遣い手との一騎討ちでは通用しない。
「もっと、腰を落とさぬか」
槍を振り回す忠勝を見ながら、元康は叫ぶ。
山崎多十郎の方を、忠勝の技量を見切ったらしく、腰を落とし、小さく構え、忠勝の攻撃を受け流している。
おそらく、大振りを何度もさせて、疲れ切って隙が出来たところを突くつもりだろう。
「ああっ、それでは、ダメじゃ馬鹿者」
「殿・・・・」
夏目吉信が声をかけてくる。
「近くに行かれますか」
「そうだな」
戦は終結し、後は忠勝と山崎多十郎の一騎討ちだけだ。
むしろこんなところに居て、逃げた敵が迂回して、鉄砲で狙い撃ちでもされれば、それは困る。
よし、と頷き、元康は戦さ場に向かう、吉信や、平岩親吉たちもついて来る。
近くで見れば、もう決着は殆ど付いている。
忠勝はフラフラで肩で息をしている、対する山崎多十郎は余裕の笑みを浮かべている。
身体はそれほど大きく無いが、山崎多十郎はなかなかの武者だ。
三十路後半というところか、多くの戦さで経験を積んでいるのだろう、その構えに風格がある。
「わぁあああああ」
吠えて忠勝が槍を振るう、小さくそれを避けて多十郎は突きを繰り出す。
「ぐっ」
腿に一撃を喰らい、忠勝は蹲る、踏み込みが浅かったから、致命傷では無い、だがおそらくわざとだ。
動きを封じ、とどめを刺す為だろう。
「ご覚悟」
ゆっくり多十郎が近づく、一騎討ちだ、周りにいる者は手出しできない。
その時、槍が飛んで来て、忠勝と多十郎の間に刺さる。
直ぐに本多忠真が走って来る。
「武士の情けにござる」
忠真は頭を下げる。
「勝負を代わって頂きたい」
「・・・・・・・・」
多十郎は振り返り、忠真を見る。
「その者は、それがしの甥、此度は初陣でござる、まだ十と三にござる」
大きな声を忠真が上げる。
「なにとぞ、お頼み申す」
受けるわけがない、元康はそう思った、ここは戦場で、忠勝は一騎討ちを受けた。
ならば負ければ、死ぬのだ。
可哀想だとは元康も思うが、それが戦さ場の決まりだ。
「お手前、名はなんんと申される?」
山崎多十郎が静かな声で尋ねる。
「本多肥後守忠真でござる」
顔を上げ、忠真が名乗る。
ほぉ、と多十郎は声を上げる。
「三河にその人ありと言われた、肥後守どのか」
構えていた槍を収め、多十郎は忠真に正面を向ける。
「・・・・・・・分かりもうした、その申し出、受け入れましょう」
えっ?と元康は驚く、まさか多十郎が受け入れるとは、思わなかったのだ。
「甥御どのは稽古が足りぬようで、討ち取っても手柄にも自慢にもなりませぬ」
ははっと笑う多十郎を忠勝が睨むが、疲れ果てて口もきけぬらしい。
「かたじけない」
忠真は礼を言って、もう一度頭を下げる。
「なぜ・・・・・?」
元康は呟く、何故山崎多十郎が受けたのか、理解できなかったのだ。
手柄にならない、と言っていたが、それが理由ではなかろう。
「駆け引きでございます」
側にいる夏目吉信が呟く。
元康が顔を向けると、小さく頷き、話を続ける。
「これであの御仁、肥後殿を倒せば、この場から去ることができます」
あっ、と元康は声を上げる。
確かにそうだ、一騎討ちを変わるなど、武士の作法に反する行いだ。
ましていつも尾張人間のことを卑怯者だと呼び、自分たちを正々堂々した侍だと叫んでいる三河衆だ。
当然、負い目を感じる。
こうなって忠真が討ち取られれば、誰も山崎多十郎に手出しが出来なくなる。
忠勝を見逃してくれた以上、こちらも多十郎を見逃すしかない。
「そうか、それで・・・・・なるほど」
元康は納得して頷く。
さすが尾張の者じゃ、と山崎多十郎の駆け引きに感心する。
「しかし・・・・・・・肥後殿を討ち取ればの話です」
淡々と吉信が告げる。
その声には明らかに、忠真が討ち取られる事はないという、自信が見える。
元康は忠真を見る、確かに骨太の武者で、かなりの力量なのは見ればわかる。
しかし相手の山崎多十郎はなかなかの遣い手の上に、駆け引き上手だ。
戦いに大切なのは、腕力などの力や、腰を落とすなどの技や術よりも、読み合いと駆け引きだと元康は思う。
どれほど力量があろうと、それを発揮出来ない、或いは発揮さてもらえなければ、負けてしまう。
そう言う意味で、山崎多十郎はかなりの難敵だ。
どうなる?
元康はジッと戦いを注視する。
多十郎はゆっくり構えを取る、先ほどの忠勝の時と違い、少し大きめの柔らかい、ゆったりとした構えだ、忠真の出方を見るためだろう。
一方の忠真は、腰の太刀を抜いた。
えっ?と元康は驚く、多十郎も不審顔だ。
槍と太刀では間合いが違う、槍の方が当然、間合いが遠い。
懐に入られれば、勿論太刀の方が有利だが、多十郎の腕だ、易々とは懐に入れるとは思えない。
どうする気だ?
元康は首を捻る。
山崎多十郎はゆっくりと左に回り込もうとする。
これは槍使いの定石だ。
普通槍は、左手を前にして柄を握る、だから身体は槍の左に来る。
だから相手に身体のある方向、左に来させないため、左に左に回り込む。
多十郎の動きが止まる。
槍の間合い、どれだけ忠真が跳躍しても懐に入る事はできない、それにもし万が一斬り込んで来ても、槍の左側にいるから、受ける事が出来る。
今だ、と思ったんだろう、多十郎の鋭い突きが放たれる。
パッと忠真も踏み込み斬りかかる。
えっ?と元康は驚く、多十郎の槍の柄の先が綺麗に切られ、穂先が宙に舞う。
あっ、という間に、忠真は更に踏み込み一撃を見舞う。
ぐっと辛うじて、多十郎は槍で受けるが、その槍ごと袈裟斬りに遭う。
ぐはっ、と呻き多十郎は膝をつく、静かに忠真は太刀をしまう。
「な、なんじゃ?あの太刀」
忠真の技量もとんでもないが、それ以上に、太刀だ、おそろしく斬れる。
おそらく元康が今川義元より貰った、五条義助並みの逸品だ。
「あの太刀は、三河文殊どございます」
吉信の言葉に元康は驚く。
「あれが村正か・・・・・」
村正とは関鍛治の流れをくむ天下に名高い刀工で、伊勢桑名を拠点にしていた。
その初代村正の弟が正真で、その一族が三河に住み三河文殊正真と呼ばれているのだ。
そうなれば納得の斬れ味だ。
「昔、ある戦さで肥後殿が手柄を立てた時、先代さまが、三河一の武士じゃと言って、褒美として与えたのです」
「そうか・・・・・父上が」
吉信が告げると、元康が頷く。
本多肥後守忠真とは優れた武者であり、その武者に釣り合う太刀が三河文殊正真なのである。
「負け申した」
傷を負った胸を押さえながら、多十郎が言う。
「とどめを・・・・」
忠真が首を振る。
「傷を塞げば、命は助かります」
ニヤリと多十郎は笑顔を見せる。
「二太刀目、わざと踏み込みを甘うされたか」
「甥を見逃して頂いた」
ふっ、と一つ多十郎は息をする。
「拙者に武士の情けは無用」
「・・・・・・・山崎どの」
「傷が癒えても、性根が折れました」
ハハッと多十郎は笑う。
「お手前ほどの遣い手がおると思うと、怖くてもう戦さ場に出れませぬ」
ジッと忠真は多十郎を見つめる。
「それがし、死ぬのは戦さ場と決めておる」
兜を脱ぎ、山崎多十郎は首を伸ばす。
「さぁ、討ち取られい」
忠真がゆっくり近づき、太刀を構える。
「あ、少し・・・・」
多十郎が手を上げる。
「甥御どの・・・・」
忠勝の方を向き、微笑みながら多十郎は告げる。
「もっと真面目に稽古に励まれい」
そう告げると多十郎は忠真に向き、では、と声をかける。
「御免」
一太刀で忠真は、山崎多十郎の首を落とす。
その太刀筋もまた、見事であった。
「天晴れ見事じゃ、肥後」
元康が大声を上げる。
ははっ、と言って忠真はその場に伏せる。
「他の者も、皆。見事であった」
家臣一同を見回し、元康が大声で告げる。
「我らの大勝利じゃ」
元康は拳を握り締める。
「勝鬨を上げるぞ」
家臣たちも拳を握る。
「えいえい」
元康が大声を上げる
「おう」
家臣たちが答える。
三河衆の勝鬨が辺り一面に響き渡る。
「持って行かれい」
山崎多十郎の首を落とした後、忠真はその遺髪と太刀を、従者の男に渡す。
老いたその従者は、手を合わせてそれを受け取り去って行く。
その後、多十郎の首を布で包む。
「ほれ、大将首じゃ」
その首を忠真は、甥の忠勝に渡そうとする。
「・・・・・・・」
忠勝は疲れ切って座り込んだまま、叔父を睨む。
「持っていけ、手柄になる」
「・・・・・・・いりませぬ」
「鍋之・・・・いや、平八郎」
忠真が近づき、無理にでも持たせようとすると、忠勝は立ち上がり、叔父に背を向ける。
「手柄は己で立てるものでござる、拾うものでも、人から貰うものでもありませぬ」
ふらつく足取りで、忠勝は去って行く。
はぁ、と一つ溜め息を吐き、忠真は告げる。
「勝手にせい」
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