第3話 友垣

「竹千代どの」

名を呼ばれ、竹千代は振り返る。太くて鋭いきりりとした眉の少年がそこに居た。

「半弥どの」

「一緒に帰りましょう」

ええ、と竹千代は答えて席を立つ。

律儀に生きなされ。

そう太原雪斎に言われたあの日から、竹千代にとってその言葉は絶対となった。

この行いは律儀であるか?この言葉は律儀であるか?

それを日々、自分に問いながら過ごしている。

七之助や又五郎がたち家来が、何かしてくれたら、ご苦労と、声をかけ、また彼らがこうした方が良いと言えば、その言葉に耳を貸す。

臨済寺であう寺僧や、国衆地侍の子供達に対しても、丁寧に律儀に接するように心掛けている。

「竹千代どの、困ったことはござらぬか?」

きりりとした眉の岡部半弥が尋ねる。

「何か困ったことがあれば、いつでも言ってくだされ」

大丈夫です、と竹千代は答える。

律儀な御仁だ、半弥どのこそ、律儀者だと竹千代は感心する。

岡部半弥は今川譜代の家来衆、岡部家の嫡男で、歳は竹千代と同じ十一になる。

今川譜代の家だから、当然、屋敷は駿府にあり、そこから臨済寺に通っている。

その上、重臣の家柄のため、裕福である。

だから先の台詞、困ったことがあれば、助けましょうというのを、いつも言ってくれる。

ただ勿論、裕福だからと言う理由だけで、他人を助けるわけではない、やはり岡部半弥と言う人間が、困った者を見過ごせない、親切な人柄だから、助けるのだ。

それを家康は律儀だと思い、好ましい人物だと感じるのだ。

竹千代は半弥に好意を持つようになり、仲良くなっていった。

或る日竹千代は、雪斎に言われた義元の話をした。

半弥は今川譜代の家の子だ、当然、義元が幼き日寺に入っていたのは知っている。

しかし雪斎の言う、律儀を心掛けていたというのは、初耳らしく、えらく感心していた。

「我らも御屋形様のように、律儀であろう」

そう竹千代が言うと、おおっ、その通りだ、と半弥は応じた。

それから二人は、何かあると、自分はこんな律儀なことをした、なんの自分は誰々に対し、こんな律儀な行いをした、と言い合い、律儀競べのような事を二人の間で行うようになった。

そうやって二人、いつもの様に臨済寺から帰ろうとしていた。

「あれは・・・・・・」

門まで来たところで、半弥が境内の奥の方を見て、顔をしかめる。

「どうなされた?」

竹千代も同じ方を見て、同じように顔をしかめる。

二人は頷き合い、奥の方に向かう。

「何をしておるか、助五郎」

竹千代たちが近づくと、龍王丸の甲高い声が響く、見ると、龍王丸が鞠を蹴り、七つほどの小さな子どもにぶつけている。

「申し訳ございませぬ」

ぶつけられた小さな子どもは、地べたに伏せて龍王丸に謝る。

「まったく、何を教えても、物覚えの悪いやつじゃ」

龍王丸の言葉に、助五郎と呼ばれた少年は伏したまま、黙って震えている。

「なんじゃ、助五郎、泣いておるのか?」

いえ、と小さな声で助五郎は答える。

ふん、と鼻を一つ鳴らし、龍王丸は伏せている助五郎を、見下ろしながら言う。

「泣きたのは、こっちの方じゃ」

助五郎に顔を近づけ、龍王丸が続ける。

「お前のようなすぐ泣く役立たずを、弟にせねばならぬのだからな」

「・・・・申し訳ございませぬ」

蚊の鳴くような声小さな声で、助五郎は謝る。

「はぁ?何を申しておる、聞こえぬわ」

甲高い声で龍王丸は、助五郎を責め続ける。

「龍王丸さま」

半弥が進み出る。

「この様なまね、お止めください」

ふん、と龍王丸は鼻を鳴らす。

「なんじゃ半弥、また父上に言いつけるか?」

龍王丸は半弥に近づく。

「五郎兵衛が父上のお気に入りだからといって、調子にのるなよ」

「叔父上は関係ありませぬ」

睨みつけてくる龍王丸に、半弥は一歩も引かない。

「拙者は龍王丸に、御屋形様のような主君になっていただきたいだけです」

「・・・・・・・・」

しばし龍王丸は半弥を睨んでいたが、ふん、と言って助五郎の方を見る。

助五郎の側には竹千代がいて、立ち上がるのに手を貸し、肩や袴の泥を払っている。

「助五郎、小田原とは違い、我が今川は公方さまにも繋がる名家じゃ」

竹千代や半弥を無視して、龍王丸は助五郎に言う。

「嗜みとして、蹴鞠ぐらい出来るようになっておれ」

そう言うと、取り巻きを連れ龍王丸は去っていく。

「はい、兄上」

隣にいる竹千代にすら、聞こえないような小さな声で、助五郎は答える。

「助五郎さま」

半弥が助五郎に近づく。

「目に余る行い、御屋形様に訴えるべきです」

「よ、よいのです」

初めて大きな声を出し、助五郎が慌てて答える。

「しかし・・・・・・」

「わたくしが至らぬのが、悪いのです」

そう言うと助五郎は、二人に頭を下げて去っていく。




義元という名君を戴き、駿河、遠江、三河を領す今川家の、目下の悩みの種は、跡継ぎ問題である。

龍王丸の器量、云々ではない、龍王丸一人しかいない事だ。

義元にはもう一人男子が居たが、盲目のため仏門に入っている。

そのため、たとえば病や事故にでも遭って龍王丸が亡くなれば、今川家は断絶してしまうのである。

そんな時、転機が訪れる。

太原雪斎主導の下、それまでなにかと争っていた、相模の北条、甲斐の武田との和睦が成立、三家でそれぞれ婚姻を結ぶという盟約が成ったのだ。

今川から義元の娘が、武田の嫡子義信に嫁ぎ、北条当主、氏康の娘が龍王丸に嫁ぐことになった。

しかし氏康の娘が未だ幼いという事もあり、祝言は延期され、代わりに人質として氏康の四男、助五郎がやって来たのだ。

このことを受け、義元の母、寿桂尼が助五郎を養子にしてはどうか?と義元に言ってきたのだ。

助五郎の母は寿桂尼に娘、寿桂尼にすれば外孫、だから良い考えだと思っている。

義元は迷ったが、龍王丸一人では万が一の事もある、取り敢えずの事を考え、母の考えを受け入れる。

当然、龍王丸は気に入らない。

今川家の唯一の跡取りとして、絶対的な地位にいたのに、それを脅かす者があらわれたのだ、いい気はしない。

やって来た助五郎を兎にも角にも、虐め続ける。

国衆地侍の子供らを虐めていた時、それを雪斎に注意されれば、一応は止めた、しかし助五郎に対しては、何度注意されても止めないし、

「告げ口をしよって、この卑怯者め」

と言って更に助五郎を虐める。

それは周りの子供らが、眉を顰めるほどだ。

「父上、御屋形様に申して下さい」

家に帰った岡部半弥は早速、父久綱に訴える。

「龍王丸さまのなさりよう、あまりに非道ござる」

「・・・・・まぁ、そう騒ぐな」

「父上」

静かに息子を宥めようとする久綱に、強い調子で半弥は声を上げる。

美濃守久綱は岡部家の当主であるが、武将では無く奉行で、戦さ場に出ず、他国に使者として赴く、上品で温厚な人物だ。

その為、十一の息子の気迫に押されてしまう。

「分かった、分かった」

はぁ、と溜息を吐き、久綱は答える。

「御屋形様の御耳に入るようにしておく」

そうやって取り敢えず、血気盛んな息子を納得させる。

義元の耳に入れておくと言っても、久綱もそんな話、直接義元に出来るわけがない。

本来であれば、龍王丸の守役である三浦備前守正俊に訴えたいが、この人物はとにかく龍王丸を庇う。

「龍王丸さまに文句を言うなど、無礼千万」

そう言って、逆にこちらを責めてくる。

久綱にしろ、他の国衆地侍にしろ、龍王丸に対する文句は、結局、雪斎に言うしかない。

「・・・・・実は倅が申しますには・・・・」

雪斎のもとを訪れ、話を切り出す久綱に、雪斎はニヤリと笑う。

「龍王丸さまと助五郎どのの事でございましょう?」

あはっ、と久綱は頭を掻く。

「さすがは和尚、何でもお見通しで・・・・」

クククッ、と雪斎が笑う。

「まぁ待たれい、少し拙僧に考えがあるのでな・・・・・・」




その日雪斎は、寺に集まっている子供らに、話があるので講義が終わった後、残るようによ通達した。

境内のに集められた子供らは、何だろうと顔を見合わせている。

そこは、寺僧を従えた雪斎が現れる。

「龍王丸さまこちらへ」

そう言って、雪斎は龍王丸を側に呼ぶ。

一瞬、眉を寄せたが、龍王丸は黙って従い、皆の前に立つ。

「来月のはじめ、龍王丸さまの元服の儀が執り行われる」

雪斎がそう告げると、おおっと皆から声が上がる、龍王丸は胸を張り、鼻を膨らましてふんと一つ大きく息をする。

「その後、龍王丸さまのお祝いの為、皆で催し物を行う」

うん?と龍王丸は首をひねる、少年らも顔を見合わせる。

「皆で戦試合を執り行う」

おおっ、また皆から声が上がる、しかし肝心の龍王丸は首を捻ったままだ。

「和尚、戦試合とは如何なるもので御座いますか?」

龍王丸が尋ねると、雪斎は後ろに控えるよう寺僧らに顔を向け頷く。

寺僧らは、紅と白の旗、同じく紅と白の鉢巻き、そして布で包んだ竹の棒を持っている。

「これを使い・・・・」

布で包んだ竹の棒を寺僧から受け取り、雪斎は、皆の前で振ってみせる。

「打ち合って」

今度は鉢巻きを受け取り、その大きな頭に巻いてみせる。

「これを頭に巻き、取られた者は負けとなり試合の場から出て行き」

紅と白の旗を持った寺僧が、雪斎の両脇に立つ。

「この旗の下に居る大将の鉢巻きを取った方を、勝ちとする」

雪斎の説明に、少年らは顔を見合わせガヤガヤと話し始める。

「それで白の大将は・・・・・」

少年たちを見回し、雪斎は告げる。

「龍王丸に務めていただきます」

おおっと龍王丸の取り巻きたちから歓声があがる、当の龍王丸は少し驚いてる。

「龍王丸さま、そちらへ」

そう雪斎に言われて白旗の下に龍王丸は向かう、雪斎が何を考えているのか分からず、少し警戒している。

「それで赤の大将じゃが・・・・・」

皆、はて?と首をひねる。

龍王丸の元服の儀の日に、龍王丸の相手となる大将など、誰かいるのか?と皆顔を見合わせている。

「助五郎さまにお願いいたします」

少し間を置き、少年たちは騒つく。

「すけ・・・・ごろうさま・・・?」

竹千代も驚き、助五郎の方を見る。

当の助五郎は意味がわかっていないのか、呆けた顔で雪斎の方を眺めている。

「助五郎さま、こちらへ」

「・・・・・・・」

「助五郎さま」

呆けていた助五郎が、雪斎の大きな声に驚き、慌てて、

「は、はい」

と返事をして前に出る。

「こちらへ」

雪斎は、青白い顔で震えている助五郎を。紅い旗の下に立たせる。

「はははははっ、これはよい」

てっきり雪斎が、自分を懲らしめる為、何か仕掛けてくると思っていた龍王丸は、事が思ったのと違うように進んで、笑顔になり、口も軽くなる。

「小田原者の助五郎には、平家の赤旗がよう似合っておるわ」

助五郎は顔を伏せ、はぁ、と小さな声で答える、

「では、皆」

少年たちを見回して雪斎は告げる。

「それぞれ好きな大将の方に、加わりないさい」

雪斎の言葉に少年たちは顔を見合わせる、そして前にる龍王丸と助五郎を見る。

龍王丸はニヤニヤ笑みを浮かべ、助五郎の方はオドオドと顔を伏せて、たまに顔を上げても、ビクッと震えて、また伏せる。

「・・・・・・・」

少年たちは黙ったまま次々と、龍王丸の方に向かう。

「おいおい、皆、わしの方に来たのでは、戦さにならぬのではないか」

はははははっと龍王丸は、大きな声で笑う。

「可哀想じゃ、誰ぞ助五郎の方にも付いてやれ」

俯いたまま黙っている助五郎に、龍王丸の甲高い声が飛ぶ。

「・・・・・・・・」

隣にいた岡部半弥が、竹千代の方を見て頷く、竹千代も応じて頷く。

そうして半弥は、助五郎の方に向かう。

「半弥、お前はそっちでよいのだな?」

龍王丸が目を細めて、訊いてくる。

「ええ、戦さにならねば、龍王丸もお困りでしょう」

ふん、と一つ龍王丸は鼻を鳴らす。

続いて竹千代も、助五郎の方に向かう。

「竹千代、お前もよいのだな?」

龍王丸の問いに、はい、と言って竹千代は頷く。

そうこうしていると、少年たちは皆、龍王丸の方に行って、結局は竹千代と半弥だけが、助五郎の組みになった。

「では皆、それでよいな?」

雪斎が少年らを見回し、告げる。

「それぞれ自軍に与力を連れて来てもよいこととする、ただし元服前の者だけじゃ」

少年たちが黙って頷く、龍王丸だけはニヤニヤ笑っている。

「場所は安倍川の河川敷とする」

それでは以上である、と言って雪斎は去っていく。

「わしの元服の儀の催し物じゃ」

雪斎が居なくなると、龍王丸は助五郎に近づき、低い声で告げる。

「あまり無様にならぬように励めよ」

そう言うと取り巻きを連れて龍王丸は去っていく、他の少年たちもそれに続き境内を後にする。

「・・・・・・・あ、あの」

皆が居なくなると、助五郎が蚊の鳴くような小さな声で告げる。

「すみませぬ、わたくしの為に・・・・」

「そのような事、お気遣い無用ですよ」

半弥が竹千代を見る、竹千代は黙って頷く。

「我らは望んで、助五郎さまの方に着いたのです」

「かたじけのう御座います」

顔を伏せて、震えながら助五郎が礼を言う。

「しかし・・・・・二人だけとはな」

「もう少し来るかと」

竹千代と半弥は顔を見合わせる。

龍王丸を嫌っている子供らは多い、しかし面と向かっては逆らえぬのだろう。

「竹千代どのは、与力になる者はいるか?」

「家の子の者を、二人、いや三人出そう」

七之助と又五郎の顔を浮かべながら、竹千代は答える。

「わしのところからは、五、六人出そう」

「心強い」

「・・・・・・・・」

二人は黙って居る助五郎の方を見る。

「申し訳ございませぬ・・・・・わたくしには・・・その・・・頼める者が・・・・」

そう言って助五郎は、頭を下げる。

確かに助五郎の小田原から来ている供は、大人ばかりで子供はいない。

「合わせて十人というところか・・・・・」

「そうだ」

竹千代は閃き、手を打つ。

「菅沼の竹千代どのに声をかけよう」

「それは・・・・・よいな」

半弥はニヤリと笑う。

菅沼の竹千代とは、東三河の国衆、野田菅沼家の嫡子、竹千代のことである。

竹千代という幼名は、それほど珍しくもない、それでも同い年ということもあり、二人は親しくしている。

その菅沼の竹千代、今は駿府にいない。

龍王丸にからかわれた時、怒って反抗して殴りかかったのだ、当然取り巻き取り抑えられたが、そのことでヘソを曲げ、東三河の勝手に帰ってのである。

勿論、人質が勝手に帰ってよいわけがない、父親に叱られ、近日中に戻ってくるという話だ。

戦さ試合の話を聞けば、必ず助五郎方、というより龍王丸の敵方に付くであろう。

「では菅沼の竹千代どのに、声をかけておこう」

「ああっ」

竹千代と半弥が話し合っていると、助五郎が顔を上げジッと二人を見つめる。

「助五郎さま」

視線に気づき、半弥が助五郎の方を向く。

「お任せくだされ、龍王丸さまに一泡ふかせてやりますよ」

ニッと半弥が笑うと、あっ、はぁ、と助五郎は小さく呟く。




屋敷に戻ると竹千代は、七之助と又五郎に戦さ試合の話をした。

「まことにございますか?腕が鳴ります」

七之助は興奮しながら腕を振り回す、隣で又五郎が黙って頷く。

「よし、後は・・・・・・」

「徳千代を呼びましょう」

「そうだな」

竹千代は又五郎の言葉に同意する。

阿部徳千代は竹千代より一つ上の、黒目がちの小さな目をした小柄な少年だ。

何も喋らず、笑うことも怒ることもない、竹千代は駿府に付いて来た者の中で、一番よく分からぬ者だ。

以前、今川義元が国衆地侍の子供らを年始の酒宴に呼んだことがある。

酔いが回っていた義元は上機嫌になり、子供らに唄でも舞でもなんでも良いから、芸をやれと命じた。

竹千代は困った、唄も舞も芸事は何も出来ないのだ。

そうやって悩んでいると、竹千代の番が回ってきた。

しかたがないと諦め、下手な舞を見せるため竹千代が立ち上がろうとすると、後ろに控えていた徳千代がサッと立ち上がり、義元の前に出た。

「治部大輔さま、竹千代さまは今、喉を枯らし、足を痛めております、代わりに拙者が一舞致します」

そう言って見事な舞を見せたのである。

うむ、見事である、と義元も徳千代の舞を褒めていた。

一礼して自分の後ろに戻った徳千代に、

「お前、舞が出来るのか?」

と竹千代が問うと、ええ、と短く答えるだけだ。

誰に習ったかも、いつ修練したのかも、何も言わない、何時もの無表情で座っている。

阿部徳千代とはそういう男であり、竹千代にはよく分からない相手なのだ。

しかし今は、一人でも必要。

「よし、徳千代を呼ぼう」

「後は・・・・・」

又五郎が呟く。

「鶴之助どのを・・・・・」

その又五郎の言葉を聞き、竹千代は目を瞑る。

百舌鳥の一件の後、鶴之助は三河に戻り、その後一度だけ駿府に来たが、竹千代は会っていない。

「・・・・・・・・・」

七之助と又五郎が、ジッと竹千代を見つめる。

「・・・・・・そうじゃな」

竹千代は目を開く。

「では・・・・・・」

うむ、と竹千代は頷く。

「鶴之助も加えよう」

はい、と答え、七之助は笑顔になる。

「若」

少し高い綺麗な声がする、振り向くと色白の細長い顔をした青年が近づいてくる。

「なんじゃ?与七郎」

青年は七之助の隣に座る。

「なんでも戦さ試合をするそうで・・・・」

「悪いがお前は加えられぬ、元服しておるでな」

はい、と細長い顔の青年、石川与七郎数正は頷く。

「しかし知恵をお貸しすることはできます」

「知恵?」

竹千代が問うと、コクリと頷き数正は、ニヤリと笑う。

「拙者に策があります」




「むむっ、卑怯な」

エラの張った少年、菅沼の竹千代が対岸を睨んで声を上げる。

元服の儀が終わり、龍王丸は彦五郎氏真となった。

その氏真の軍と助五郎の軍が、安倍川を挟んで対峙している。

白の旗のもと、氏真方は百人近くいる、対する助五郎方は、大将の助五郎を含めても十七人しかいない。

だがそれは仕方がない。

菅沼の竹千代が腹を立てているのは、氏真が明らかに元服を終えているであろう、十七、八の若侍を四、五人、一味に加えていることだ。

「あれが次期御当主のすることか」

ご丁寧に額に前髪を貼り付けている若侍たちを見て、菅沼の竹千代は吐き捨ている。

「あ、あの・・・・・・」

青い顔をして震えながら、助五郎が声を上げる。

「すみません・・・・・」

何に対して謝っているのか分からないが、今にも泣き出しそうな怯えた顔をして、助五郎は周りにいる十六人の少年にそう告げる。

「助五郎さま、御安心を」

一同を代表して半弥が答える。

「戦さは数ではございませぬ」

隣にいた竹千代が頷く。

「やる気でござる」

たしかに氏真方は百人近くいる、しかしその大半の子供らはやる気がない、後で何か言われるのが面倒だから、氏真の方についているだけだ。

おそらく真面目に戦うのは四、五人の若侍と、取り巻きの七、八人だけだろう。

「数は向こうが上でも、やる気はこちらが上です」

「おう、そうとも」

半弥の言葉に菅沼の竹千代が同意する。

こちらは十六人、全員、やる気がある。

「・・・・・・・」

ゆっくり顔を上げ、助五郎は周りの十六人を見回す、皆、強い視線で助五郎を見つめる。

「それに・・・・・・」

半弥が竹千代の方を見て、頷く。

「こちらには策があります」




「よいしょと」

両軍が向かい合う対岸の上流に陣を張り、義元は床几に腰掛ける。

チラリと横にいる雪斎を見る。

師父め、何を考えているのやら。

最初、催し物の話を聞いた時、何か氏真を懲らしめる為の策だと思った。

しかし両軍を見る限り、氏真方の方が多勢だ、あれでは懲らしめるどころか、増長するだけだ。

ただ正直なところ、義元は嫡子氏真のことを、周りが言うほど気にしていない。

たしかに狭量だし惰弱だ、侍として、或いは人の上に立つ大将として、どうしたところで情け無い。

しかし器が大きく、勇猛果敢なら良いのかと言われれば、義元はそうは思わない。

例えば娘を嫁がせた武田の嫡子、義信は中々気骨のある若者らしい。

だがそんな息子なら、父親に噛み付くかもしれない。

まぁ武田ならそれも仕方なし、と心の中で皮肉に笑う。

しかし武田の事は別にしても、戦乱の世、息子が父の家督を奪うというのはない話でない。

その点、氏真なら天地がひっくり返ってもそんな事はない。

そういう意味では安心出来る息子だ。

一人しかいないので、万が一という事は心配事だが、器量の事についてはあまり気にしていない。

義元は今、三十五、後十五年、二十年は生きるつもりだ。

それまでに今川を盤石にしておけばよいし、その大体の目星も付いている。

盤石にした大家なら、阿呆な殿さまでも充分やっていける。

そう考えている。

「まぁ、よいわ」

うん、と一つ伸びをして、雪斎の方を見ると、パチンと扇子をならす。

「それでは」

雪斎が義元に一礼し、周りの者たちに目をやる。

陣太鼓がドンドンとなり、法螺貝が吹かれる。

うわぁあああああ、と両軍から歓声が上がる。

氏真の手勢が川の浅瀬を進んでいく、助五郎の方は一箇所に固まって河岸で迎え撃つつもりだ。

自軍の攻勢に、きゃっきゃきゃっきゃと氏真が喜んでいる。

その姿を見ながら、あんな阿呆でもなんとなる家を作らねばと、義元はため息を吐く。

そうやって義元が眺めていると、突然戦況が一転する。

川の浅瀬を進んでいて氏真の手勢が、川の中ごろ、中洲になっているところでいきなり止まる。

「あれは・・・・・落とし穴か」

目を凝らして義元は川の中ごろを見つめる。

どうやら中洲に落とし穴をほっており、そこに氏真の手勢が足を取られる、右往左往しているらしい。

それを見て、今だとばかりに、助五郎の方の一部が、上流の方にやって来る。

「あれは・・・・・・」

「三河の・・・松平の子らのようです」

ああっと、雪斎の言葉に義元が頷く。

五人ほどの子供らが、川の上流、底の深い場所に進む。

「どうする気じゃ?」

義元が目を細めて見ていると、松平の子供らは、川の中から何かを引っ張っている。

「綱か・・・・」

その綱を伝い、松平の子らは対岸に渡る。

「師父」

「はい」

「松平の倅は何と言ったかな?」

「竹千代にございます」

そうか、そんな名前だったか、と義元は呟く。

「この試合合戦の話、何時、子供らにした?」

「十日ほど前です」

ほぉ、と義元は小さく声を上げる。

では、十日の内に、穴を掘り、綱を仕掛けたという事か、と思い、その子供らの働きに感心する。

しかし義元は首をひねる。

対岸に渡る事が出来たが、松平の子供らは五人、それに対し氏真の周りには八十人くらいの子供らがいる。

とても勝負になるまい。

そう見ていた。

だがその読みは外れた。

五人しかいない松平の子供らが、次々に氏真方の子供らを打ち取り、鉢巻を奪って退けていく。

「なんじゃ・・・・」

思わず義元がこぼすほど、氏真方の子供らはやる気がない。

どうやら最初に、川の中程まで攻めた手勢以外、氏真方の子供らは、皆、やる気がないらしい。

戦場でやる気のない味方は、敵よりも邪魔だ。

「なにをしておるか、防げ、防げ」

声を枯らし氏真が叫ぶ、流石に子供らも松平の者を捕らえようとする。

しかし松平の子供らが、奮戦する。

手足の長い少年が、その手足を生かし棒を振るう。

それをかわした相手に、小柄な少年が近づき、サッと鉢巻を取っていく。

その小柄な少年に、義元は見覚えがあった。

なんの折だったか、酒宴の席で舞を披露した子だ。

そのアッと言う間に鉢巻を取る動きは、まさに舞うようであった。

「あの手足の長いのは・・・・・」

雪斎が告げる。

「渡り衆の子ですよ」

「渡り衆・・・・・?」

ああっ、と義元は思い出す。

その渡り衆の子と、舞上手の子以外の二人も、互いに背を向け庇いあって、相手と戦っている。

「大した者だ」

義元は感心する。

更に松平の竹千代である。

腰を低く落とし、相手が打ってくると小さく払い、隙の出来た籠手を打つ。

相手が蹲ると、いつの間にか背後に回っている舞上手の子が、パッと鉢巻を取る。

「あれに、やっとう(剣術)を教えておられるのか?」

扇子で太刀を振るう仕草をして、義元は尋ねる。

「まさか」

雪斎が笑って首を振る。

「竹千代どのは、毎日、屋敷で素振りの稽古をしておるそうです」

ふぅうん、と義元は顎を撫でる。



相手が打ち掛かってくる、その目を、ジッと竹千代は見る。

その目にそれ程の意気はない、氏真に言われたから、仕方なく戦っている、そんな感じだ。

腰を落とし、大振りのその一撃をかわす、空いた胴に、一撃を与える。

ぐっと呻き、相手はくの字に曲がる。

いつの間に背後に回っていた徳千代が、すかさず鉢巻を奪う。

ふぅ、と息を吐き、次の相手を見る。

皆、ぐぐっ、と言って構える。

竹千代腰を落とす。

「剣術の、そして武術の基本は全て、腰を落とす事にあります」

尾張にいた時、ギョロ目の勝三郎に教わった事だ。

駿府に来てからも、剣術の稽古は欠かさない。

やぁ、と言って、二人、三人と打ち掛かってくる、それを棒で受け流しながら、籠手や肩、胴を的確に打っていく。

他の者たちの頑張りもあり、氏真方はみるみる減っていく。

「竹千代さま、ここは我らが」

鶴之助が叫び、敵を引きつける。

うむ、と頷き、竹千代は駆ける。

「彦五郎さま」

遂に氏真を追い詰める。

「御覚悟」



「あああっ、まったく」

顳顬を指で押さえて、義元は呆れる。

松平の小倅に追い詰められた氏真は、いきなり逃げ出したのだ。

まさに脱兎の如くと言う感じだ。

「いやはや、大将の器ですな」

ははははっ、と雪斎が笑う。

義元がジロリと見る。

「戦さは大将が打たれれば負けでござる」

ニヤリと雪斎が笑う。

「どんなことをしても、大将は生き残るべきです」

「そうかも知れぬが・・・・・ああ、そうだな」

雪斎の皮肉に目を背け、義元が顔をしかめて答える。

しかしここで、形勢が逆転する。

川の中州で落とし穴にはまっていた連中が戻り、松平の小倅を囲んで捕らえる。

更に松平の子供らの、二人組を捕らえ、渡り衆ののっぽを捕らえる。

舞上手が散々逃げ回るが、遂に捕らえられる。

安心したのか、氏真は、攻めろ、攻めろ、と狂ったように叫ぶ。

やる気のない子らにたいしても、

「真面目に攻めねば、どうなるか、分かっておろうなな」

と恫喝する。

そうなれば、全軍上げて、助五郎の陣に攻め込むしかない。

落とし穴をかわし、対岸に辿り着く。

まぁ、詰んだな、と義元が見ていると、それでも助五郎勢は川岸で奮戦する。

「あの、先頭におるのは、岡部の倅か?」

義元の問いに、ええっ、と雪斎が答える。

「親父に似ずに、五郎兵衛に似たか」

そう呟くと、まったく、と雪斎が応じる。

だが多勢に無勢、岡部の倅も敗れ、大将の助五郎だけになる。

しかしここで意外なものを目にし、義元は、ほぉ、と声を上げる。

一人になった助五郎が、それでも向かってくる相手に、果敢にも打ち掛かっていくのだ。

無論、結果は見ている、直ぐに取り押さえられたのだが、それでも気弱なあの北条の甥っ子にしては大したものだと、義元は感心する。

「師父」

勝負が終わり、義元が雪斎に呼びかける。

「何が見せたかったか、大体分かりましたよ」

その義元の言葉に、雪斎が静かに頭を垂れ、周りの者に目で合図を送る。

ドンドンと陣太鼓が鳴らされ、法螺貝が吹かれる。



「皆、見事な戦さ試合であった」

集まった子供らに義元は声をかける。

「いずれ元服し、まことの戦さに出る事となるであろう」

子供らを見回しながら、強く大きな、それでいて優しさをもった声で話を続ける。

「その時、今日のように勇敢に戦え」

子供らはジッと黙り、義元の話を聞く。

「我が今川は、勇敢に者は必ず厚く遇する、その奉公には厚い恩を施す」

また、と少し声を低くして義元は続ける。

「もし武運拙く討ち取られても、そなた達の親兄弟、子ども、家族は、責任を持って、今川の家が養おう」

ジッと静かに聞いている子供らに、最後、改めて大きな声で義元は告げる。

「命を惜しむな、名こそ惜しめ、それこそ立派な侍じゃ、皆、立派な侍になれ」

子供らは、はい、と大きな声で返事をする。

よし、と頷き義元は雪斎の方を見る。

「皆に振る舞えと、御屋形さまより善哉を頂いた」

雪斎の言葉に、わぁあ、と子供たちから歓声が上がる、義元はニコリと微笑み頷く。

「手足を洗い、顔の泥を落とし、いただくように」

はい、と返事をして、ありがとうございます、と義元に礼を言い、子供たちは善哉を用意している寺僧らの方に向かう。

「彦五郎」

騒ぎ疲れて、ヘトヘトになり、団子鼻の取り巻きに支えられながら、善哉の方に向かおうとする息子氏真を、義元は呼ぶ。

「話がある、お前はの残っておれ」

肩を落とし、はい、蚊が鳴くような声で、氏真は答える。




「助五郎さま」

竹千代と半弥、それに菅沼の竹千代が臨済寺の奥の竹藪を進むと、そこに助五郎が座っていた。

以前ここは龍王丸こと氏真が、いつもたむろしている場所だったが、元服し、寺に通わなくなった為、その姿はない。

三人は助五郎に近づき、顔をしかめる。

助五郎の顔に大きな痣があるのだ。

「それは・・・・・」

「まぅたく」

半弥と菅沼の竹千代が、それぞれ不快感を露わにする。

大体の予想はつく。

戦さ試合の後、氏真は義元に呼び出され、説教をされていた、その腹いせに助五郎に八つ当たりしたのだろう。

「よいのです・・・・・よいのです」

言っている言葉は変わらないが、以前より助五郎の声は大きくなり、なにより顔に怯えが無くなったように、竹千代には感じられた。

「それで今日は・・・・・」

三人を見て助五郎が呟く。

ニッと笑い、菅沼の竹千代が前に出て、小さな陶器の壺を出す。

「これは?」

「酒にござる」

そう言って、半弥が小さな器、かわらけを四つ取り出す。

戦さ試合の後、何か助五郎を元気づけることをしようと、三人は話し合った。

その時、竹千代は尾張で吉法師と酒を呑み、兄弟だと言われたことを思い出した。

竹千代にとって、もっとも嬉しい思い出だ。

それを助五郎にもしてあげようと思った。

「酒を呑み、皆で誓いをたてるのです」

竹千代がそう言うと、誓い・・・?と助五郎が聞き返す。

はい、と竹千代が頷く。

助五郎は今川の養子、主家の御方だ、さすがに義兄弟になるというわけにはいかない。

だからどうするか考えた時、半弥が提案したのだ。

「お互いに、自分がどの様に生きていくか、誓いをたてるのです」

「な、なんと・・・・」

半弥の言葉に、助五郎は大きく目を見開く。

では、とそれぞれのかわらけに、菅沼の竹千代がさけを注ぐ。

「よろしいか?」

半弥がかわらけを取り、皆を見る。

二人の竹千代も、それぞれかわらけを取る。

「・・・・・・・・」

助五郎は、悩んでいる様で、なかなかかわらけを取れないでいる。

「助五郎さま」

竹千代が声をかける。

「思うがままの事を、誓われればようございます」

「思うがまま・・・・?」

コクリと竹千代は頷く。

「助五郎さまが、こう生きたいと思う事を、誓われませ」

「いきたい・・・・」

少し迷った後、助五郎はかわらけに手を伸ばす。

「呑んだ後、その場に投げて割ってください」

張ったエラをそらして、菅沼の竹千代が言う。

「それが誓いの儀の作法でござる」

「そう・・・・・ですか」

自慢げに説明する菅沼の竹千代に対し、助五郎は素直に返事するが、他の二人は苦笑する。

では、と半弥が言う、皆、かわらけを持ち頷く。

「律儀に」

先ずは竹千代が声を上げる。

「信義を重んじ」

少し低い声で、岡部半弥が続く。

「卑怯なまねをせず」

大きな声で菅沼の竹千代が言う。

「ゆ、勇敢に」

上ずった声で助五郎が告げる。

「その言葉に恥じぬ生き方をすることを、我ら互いに誓いましょう」

そう半弥が締め、皆、頷き、バッと酒を呑む。

そして・・・・・。

「ぐはっ」

「ごほぉ、ごほぉ、ごほぉ」

「す、すけ、ああっ、助五郎さま、だ、、大丈夫ですか」

「あ、ああっ、あっ」

皆、その場で吐いた。

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