第32話 教わるという事、読むという事。
とある物書きの話だ。Aとするか。BでもCでもいいのだけど。とにかくAはある日、私という無名の物書きに、こう言った。
「ちゃんとした文章が書けない。どうしたらいいのか」と。
他の物書きから文章の事で相談されるというのは、私の場合、珍しい事だ。私は、文章の専門家では無い。ただの、趣味の物書きなのだ。だから、好きなように書いたらいいのだ、としか答えられなかった。
Aは他の物書きから、文章の下手な事をからかわれていた。確かにAの文章は、読みづらかった。物語であれば、誰が何を言っているのか、分からないのだ。
しかし公平な意見を言うならば、趣味の物書きであれば、まあ、よく見る感じの読みづらさであった。決して、突出して読みづらい訳では無かった。いい大人が書いた、もっと読みづらい文章がある事を知っている私としては、Aの文章を「クソ」と評価する人達の、神経の方を疑う。君らはじゃあ、Aに何を教えられるのか、と。多分、大した事は言えまい。「好きな事を書いたらいいよ」くらいしか。
よく、文章の書き方を講釈する物書きがいる。まあ、日本語文章論とか何とか、講義出来るんなら、やってくれていいんだと思う。知識ある者が、学校で得た知識を披露してくれるのなら、無学な者は助かるのだし。
問題なのは、本当に悩んでいる物書きに対し、その者が分かるように講釈出来る人間は、あまりいないという事だ。難しい事を更に難しく言うのは、まあ、平たく言えば「ド下手」という事だ。そしてド下手が普通に沢山いる。これが、趣味の物書きというものなのだ。つまり何が言いたいのかというと、趣味の物書きが、他の趣味の物書きの書いたものを笑うのは、何だろなあ。悲しい事だからやめなさいという事だ。
Aに関しては、素直な聞き手だったと私は思う。少なくとも私にとっては。
ある日、問題が起きた。Aが、他の物書きと喧嘩になった。それはまあ、いつもの事だったので、別に良かった。良くなかったのは、Aを見捨てろと、他の物書きが私に対し要求してきた事だった。名目としては、Aは、悪人だからという事だった。
まあ、これもよくある話だ。前にもあったし、これからもあるんだろう。いつも通り過ぎて近頃では笑えてくる。
ハッキリ言って、物書きは、悪人だろうが善人だろうが、関係無いと思っている。獄中記はなぜ、存在するのか。個人の性癖の吐露はなぜ読まれるのか。悲惨な実体験を書いた本は人気が無いのか? 善とは。悪とは。そんな事を考えるに、まあ、頭が痛くなる。
例えば、こんな内容の文章があったとする。
「今日は、豆腐のお味噌汁を作りました。ちいちゃんのお誕生日だったので、ショートケーキも作りました。なんたらかんたらどうたらこうたら-中略-楽しかったです。」
……楽しいか、こんなの読んでいて。楽しいと思う人間がいるとするなら、これを
書いた子の祖父母くらいのもんだろう。あとは、メチャメチャ疲れている人か。
わざわざ大人が時間を割いて読むものがあるとするならばそれは、刺激的な文章ではないか。あるいは、他では読めない文章。それを書けるのは、どんな人間か。
それは、他とは違う人間では無いだろうか。少なくとも、人生五年目の子が書いた人畜無害の日記とか、母親でも無ければ興味が無いだろう。読むなら、人生詰んだ男の転落記とか。常時、情事が絶えない女の顛末記とか。そして、そんなもの書く人間の性格は、最悪じゃ無かったら何だって言うのだろう。大嘘つきか。妄想癖か。露出狂か。自傷癖か。
まあ、好みは人それぞれだから……Aの話に戻る。とにかく、Aは子供のように素直だった。指摘が苦手なようなので(指摘を受けると反射的に喧嘩する)、Aの文章の中で、良い所だけを見つけて、褒めた。良いものが伸びれば、他も良くなるだろうと思ったからだ。
子供のようだったので、子供に対するように接した。思えば短く、悲しい時間だった。Aは、本当は子供では無いのだし。しかし他に、やりようが無かったのだ。そんな私の様子を見て、馬鹿にする物書きが数名いた事を知っている。
じゃあ、君らは、Aに分かる言葉を、Aに言えば良かったじゃないか。届かなければその言葉はただの、記号でしかない。
結論として。
物ごとの、表だけ把握しても、実体にはならない。読む事は、実体を掴む事だと、私は思う。そしてそれは、難しい。一方だけ見て、全体を知ったつもりになるのは楽だ。多くの人は忙しくて、楽な方を選ぶ。それもまた、仕方が無いというものなんだろう。
そうやって、だんだん、色んなことを諦める。諦めたら、楽になるのか。楽には、ならない。ただ、胸の中に何かが降り積もって、喉を圧迫するだけなのだ。
温泉行こう。
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