佐々木さんの持つ佐々木さんの世界が、好きなのですー。未だかつて読んだことが無い物語。詩の世界。なのでじんわりと、自分の為にゆるゆると書いてくださいな。
佐々木さんの書く世界は、文章に持つメッセージ性が強く、鮮やかにあると思うのですよ。読めば何かしら残りますから。火星刑務所、好きな作品のひとつ。
物書きとして大成するのならば、必要な才だと思いますし、それが敵を作ってしまうのも、表裏一体なのやもしれません。難しいものです。
一昔前だと、感想は手紙で書く。これが今は思ったら直ぐにメッセージですものねぇ、私事なのですが、妹がおりまして……
ちょっとした行き違いで過去何回か、姉妹の縁を切らせてもらいます←イラッとしたら、直ぐに縁切りラインしてくるのですよ。姉の私はまたか←放置。なので旦那からは、私は冷たい奴だと思われております。
多分、何処かしら世の中を見る視点が、私はズレてて違うのだろうなと思う今日この頃。視点や、思想を合わす気は全くありません(^o^)/
これが手紙やら、ジーコロコロ電話だと、手間がある分、ひと呼吸置けるのですけどね←途中で何やってんだか?と冷静になると思うのですよ。ああ!懐かしきスローだった昭和な時代。
作者からの返信
秋の桜子さん、読んでくださってありがとうございます!
いつも励ましてくださりm(__)m
何ですかね、ある種の人を怒らせる才能があるんですかね、私は。怒ってきた人達にはある共通点があるんですが、ここに書くとまた誰かに怒られそうだから、書かないでおきます。
手紙、いいですよね。何度も書いて、直して、書いて。出来上がる頃には、書こうと決めてから数日経っている。ああいう時代にはもう、戻れないですよ。世の中から電気が無くなりでもしない限り。
なんですかね、我々物書きが世の中で社会性を失わないで暮らすには、方便の力が大事ですね。例えばある人がある主張をしながら私に対し激高している。しかし私はその大層な主張の背後にある矮小な感情を読み取り、軽蔑します。しかし、それを本人に指摘してはならんのです。なぜならそれをやると、激高している人物は壊れる可能性があるから。そういう時、本当にイライラしますよね。だから、書くのです。別の話にして。
きのこさんの作品をカクヨムで初めて見たのは、確か1年半前くらいです。「この作者はちょっと恐いヒトかも知れない」いい歳したオッサンの私は当時、でも少しビビったのを覚えてます。きのこさんの作風は僕の目には「ブッ飛んでいる」と見えたのです。いやこれはいい意味でです。異世界転生モノとか、そういったファンタジックでおとなしめなイメージの文芸界隈で、出合いガシラに本格的なパンクロッカーに出くわしたような、そんな衝撃があり、弾き語りでグランジ系の洋楽を声を枯らして野外で歌い、道行く人達から大顰蹙を買っていた私は、なんだか嬉しくなるのと同時に、そんな私から見てもきのこさんは相当本格的にトンガって見えました。人となり、ということではなく、作風についてです。難解で理解を拒絶するイメージがあり、でもなかなかカッコ良くて味があり、カート・コバーンの歌う姿を連想したりしました。
拒絶反応を示す、きっとそういう人も中にはいるのでしょうが、きのこさんの作品の価値は絶対的なものがあるし、その文章の絶妙なテイストは唯一無二で、他の何者も真似できない魅力があります。
すみません、何だかマジメにいろいろたくさん書いちゃいましたが、
応援してます。
作者からの返信
刈田狼藉さん、読んでくださってありがとうございます!
あらー、怖がっておられたんですか。知らなかった。
刈田さんの音楽活動は、そんな感じなのですか。道行く人からの大顰蹙って、辛いじゃないですか。それでも歌うのは、一体……何かこう、マグマのような何かを感じますね。
難解で理解を拒絶する作風は、たぶん、説明の省略のせいかもしれないです。あった事をそのまま見せるだけ、という。作者の解釈はどうでもいい、読者がそれを見て何か考えればいいし、考えなくてもいい。
私、いわゆる感動モノが嫌いなんです。心理学の実験台にされている感覚が、気持ち悪いんです。音楽とか絵とかフレーズとかストーリーとか記号とか、泣きましたっていうレビューとか。いらん、と思ってしまうんです。泣けると評判の話は大抵だから、避けますね。私は。
そういう意味では、感動モノの作品を私は、嫌っている。感動モノの作者も多分、説明不足で意味不明な作品を、読まない。お互いに、拒絶反応しあっているのではないか、と思うのです。たぶん。