第29話 得るもの失うもの
「
その昔、視覚障害者が芸能の道……楽器を演奏をする事・歌う事など……に入る理由というのは、まずは生きていくためでした。しかし現代では、瞽女のような人達を目にする機会はほとんど無いといっていいのです。なぜなら、障害者が自力で生きていけるように「芸」を身につける、という事の代わりに、福祉等の社会保障制度が出来たからです。
しかし、なんだろうなあ。小学生の頃ですね……体育館で見た、知的障害をもつ人達のバンド、「ミックバラーズ」の事を、今でも時々思い出すのです。彼らは今でも、バンドやってんのかなあ、と。
いや、ミックバラーズというのは営利目的の一座でも何でもなくて、ただの趣味のバンドだったと思うんですが……しかも、演奏が素晴らしかったとか、演出がド派手だったとか、そういうんじゃないんですね。うん。当時の印象は、「何か楽しそうだなあ」というものでしかなかった。だけど、今でもたまに思い出すんですね。ミックバラーズの事を。
何でだろうなあ。有名でも無けりゃ、彼らが「売れた」とか、聞いた事も無いんだけど。
障害というものを当事者だった者として考えるに、ただの、生きていく上での障害でしか無いのです。私の場合は「場面かんもく」という、大勢の前に出ると話せなくなる、不安障害だったんですが。
今では接客業をするまでに「何とかなっている」とはいえ、やっぱり、意識して、話そうと努力しないと、どうも人前に出て話すという事は苦手だなあと思います。
例えば、こういう感覚なのですよ。「今から、仕事をする。だから、店員としての、私になる」って、役者として人前に出る感覚といいますか。だから、職場で働いている私は、コンビニの店員という役を演じている、私なのです。
大抵、仕事云々に関わらず、私はその場に応じた役を演じる癖があります。無意識に。例えば傷ついた人が泣いていれば、優しい人として対応する。
しかし、害を為して他者を食い物にする人間が現れたら、ありとあらゆる方法で対抗する。その際、鬼になっているんですね、思考が。「そうしなければ、二千万という借金を負わされる」という現実等が、私から慈悲を奪い去るといいますか。
でも本当は、逃げたいんですよ。鉄火場(人生の駆け引き)は好きじゃない。争うのなんかめんどくさい。だけどまあ、責任を果たさなければならない時は、役者になるんです。仕方なしに。「やるならやってみんかい!」って、言いながら、胃が痛いんですよ。眠れないし。
まあ、何の話かと言いますと、何だろな。ある成果を得ようとすれば、何かが失われるという事ですかね。鬼になれば、優しさは無くなる。弱いと、誰かを守れない。そして、弱さと優しさは、似ている。
でもたまに、どこかでいつか捨てたであろう弱さとか優しさの事が、思い出される。それが、私にとっての、「ミックバラーズ」なんだと思います。そういう時、無性に彼らの演奏をまた、聞きたいなと思うんですが……
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