応援コメント

第28話 言葉を信じるな」への応援コメント

  • 言葉は思念そのものだ。

    僕は今までそう思って小説を書いてきたのですが、きたのですが、このエッセイを読んで、少し考え方が変わりました。いや、本当は気付いてた。だけど素通りしてきた事実を分かり易く説明して貰った、そんな感じです。
    言葉の力はもの凄く強くて、思念自体を捻じ曲げ、時に不合理をも覆い隠してしまう。言われてみれば、確かに、確かにそんな言葉の力を逆手に取って、小説を、文章を書いている自分がいる。今この瞬間も、、
    色々考えさせられて、面白かったです。

    作者からの返信

    刈田狼藉さん、読んでくださってありがとうございます!

    そうですねー。今こうして、刈田さんからの感想を読んで、感じた事などを頭の中で言葉に置き換えて文字にしている瞬間、もう既に「想い」の方は「終わった何か」になっているという。しかし、そんな事を気にしていたら、何にも書けなくなってしまうので、あるていどの「見ないふり」というのは、大事だな、と思うのです……

  • おはようございます!


     若い頃、相手に言葉を伝えるために、言葉を継ぎ足し継ぎ足ししながら文章を綴っていたときのことを思い出しました。


     言葉というのは共通認識です。そんな風に感じています。
    その時代やその場所で生きる人たちが、伝達手段として発達させたものですよね。
     だから、それぞれの土地でしか通用しない、砂漠だけにある言葉や、海にしかない言葉があるのでしょうし、
    その時代でしか分からない言葉の使い方が、あるのでしょう。

    例えば、ネットと聞いて網しか思い浮かべられない時に住んでいたり、かなしいと聞いて愛しいと読み替えられない時に生きていたりすることもあるでしょうね。


     そこに住む人たちに、その集団の中で通じる言葉が作られていったのですから、通じる言葉だけが形になったわけですから、他で通じないことがあるのは当たり前です。そんな風に思っています。


     個人の心は、本当に別々です。
    その個人だけが持つ、全く違った世界をそれぞれが持っている。
     言葉は不自由ですよね。でも、それは当たり前ですよね。
    伝達手段として共通に認識できるものを、個人の考えの同じ部分、思考の上澄みの部分だけを形にしたのが言葉なんですから。


     人は、だから、言葉が不自由で全てでなく完全でないことがわかっているから、言語外のメッセージで意思を伝えているのだなと、最近は思うようになりました。←エッセイなどで、きのこさんとお話しする機会があったからです。どうもありがとうございました♪


     会話にしても文章にしても、言葉だけでは情報としては不十分で、
    会話の外の、あるいは文字の枠外の情報があることを認識して、
    そこを想像しながら、相手の言いたいこと、伝えたいことを組み上げてゆく。
     めんどくさいし大変です(苦笑)
    でも、当たり前にやってきたはずなんですよね、みんな。
    最近思うのは、どこからか想像することをしなくなって、組み上げることをサボりはじめて、だからもめ事を多く目にするようになったのかなということですね。←単純に、察しの文化と言われていた日本の時代に終わりが来る。そんな時代の境界に遭遇しているだけかもしれませんけど(笑)


     まあでも、物書きの端っこを自称する自分としては、言語外のメッセージというのは興味深いことですし、文章の枠外を意識して文章を読んだり、文章の外に気持ちを込めることは、とても面白いと感じています。←読み取りをよく間違えたり、言葉の選び方を間違えて、相手を混乱させる失敗をしてますけどね(苦笑)



     言葉は不完全で不便。
    手間がかかるものだけれど、手間をかける価値がある。
    時おりそんなことを考えて、のそのそと物書きをしてる自分です(笑)


    長々と講釈を垂れてしまい、大変申し訳ありませんでしたm(_ _)m

    作者からの返信

    みなはらさん、読んでくださってありがとうございます!

     文章の枠外。うん。色気のある文章ともいえますよね。そういうものを描ける人は、たぶん、会話も面白い気がしますね。優しいといいますか。

     文章を作る事は、色んな不自由さがあるから、面白いのかもしれない。次はこうしよう、とか、考える事が楽しいといいますか。そういうのって、とても贅沢な遊びのように、思います。