はてさて、何の、誰のハナシやろな?(苦笑)
まぁ、ソレはさて置き。完全に自己満足と割り切れてる、或いは内なる衝動のままに書いとるんやったら、そんでええとワイも思うやで。ソコに要らん欲をかかんのやったら、な。
「人から称賛されたい」だの「出版社から書籍化されたい」だの言わんのやったら、やな。
ましてや、人様や人様の書いたモンにエラソーにケチつけといて、自分は手放しで誉めて貰おーなんて思おとる手合いは《※じしゅきせい♡※》やなぁwwwwwwwww……やで。
他者からの称賛を得たいのであれば、自分では無く、他者の認めるところの相応の才能が必要であり、その為の努力も当然必要だわな。
ちゃいますやろか?
作者からの返信
ROKUOさん、読んでくださってありがとうございます!
そうですねー、他作への批判。批判された本人は怒って当然だと思いますよ。特に、ドヘタだと思っている相手から批判されたら、普通の作者は怒ると思います。お互いに、馬鹿にしあって喧嘩になるのは、よくある風景です。
しかし! 大御所作家から批判されたら(そんな事は滅多にないが)どうか。たぶん、創作界隈から姿を消すか、下手したら……そんな風にも思うのですよ。何の権威も無い、なおかつトンチキな作風の人からマヌケな指摘されても、痛くも痒くも無いと、私は思ってしまうのです。
あとは、書けない人のビッグマウスはある種の逃避行動か、創作者に起こる発狂の類であると思うので、私はそういうのを見ると「気の毒に。夏が来ればきっと良くなるよ」と手を合わせているのです。怒ったりはしないです。
こんばんはー。
自分、人称理解できてませんよ(苦笑)
そもそも文学作品の理解が浅いので、その辺りがよくわかってない。
自分は一人称で書いているようですね。ほとんどが、「僕」、「私」で始めてますから。
二人称が難しいと聞き及んで、「あなた」で始める文章を試したこともありますが、書きづらい、くらいしかわかりませんです(笑)
書いてみて、ちょっと面白かったということ。それだけです。
いつか三人称のお話も書いてみたいものです。←四半世紀ほど前に、初めて書いた文章(書きかけ)は三人称だったはずですが、もう、どう書いていたかはさっぱりです(^_^;)
勉強、積み上げは自由ですよ。個人の自由だと思います。
ただ、やっておくとあとが楽そうで(笑)
自分も書いてると悩むくちで、できないと腹が立つ人です。
だから、試してみて身になりそうならやってみる。面白そうならやってみる。
書いていることで、新しいものが見えてきて楽しい。だからまた書く。
そんな繰り返しですかね(笑)
勉強って知る楽しさと、あとが楽になる今のたいへんさとが混じっているのかもと、ちょっと思いました。
できれば楽しく勉強したいですね(*´∀`)♪
先が少ないんだから(笑)
作者からの返信
みなはらさん、読んでくださってありがとうございます!
文章って、分かんないですよ。ある人気作は一人称で、物凄くテンション高めな主人公なんですが、数作読んだらですね、話の流れがハンコみたいに同じだったのですよ。これね、他の人は気にならないでしょうけど、私は気になっちゃうんです。ちゃんと書けてるけど、もう読めない。
あとは、ある実験的作品を読んだ際。人称がメチャメチャなんですが、普通に読みづらくて半分も読まなかった。誰得なんだと思いました。
読者ならこういう事、よくあるんだと思うんですが……自分が書くとなると、もうね。どんな作者も、叩きたく無いですよ。たまに発狂したり、するのも分かるし。情緒不安定な作者見ると、飴あげたくなります。
もしかするとあたしもやっていたりして……。
一人称視点→作者視点。
あわわ!
まあ少し前によそで書いた英語小説はめちゃくちゃでしたね。
今英文法学習していて改めて思います。
ただ直す気力は今のところ皆無です。
自分より下手な人がいた方が励みになるっていう箇所がよくわからないのですが。
あたしは、自分よりうまい人がいたら打ちのめされるから。
そういうものかもしれません。
作者からの返信
ベリーさん、読んでくださってありがとうございます!
何でもやってみないと分かんないもんですよね。小説など、読んで「こりゃあつまらん」とか思う事もあるんだけど、その訳の分からん文章を本一冊分書く事自体が凄いという事が、書いてみて分かったというか。根気があるって凄い事だと思うのです。
そりゃあ、あんまりにも上手すぎる人を見たら、このやろー、って思うんですよ、私も。だけど、「このやろー」って気分って、辛いじゃないですか。できればずっと脱力していたいのです。
そうした時に、覚えたてのような文章見ると脱力出来るのですよ。そういう意味での「励み」なのです。ネコとか、赤ちゃん見た時のような気持ちになります。