第19話 ボヤく

 そろそろもういいだろう、命を削って書いたものをその辺にぶちまけておくのは。ある話を作り終えた深夜、脱力しながらそう思った。


「一生懸命書いてます」


 とか言うのが嫌だ。なぜって、だからどうしたと思うから。本屋に行けば、読み切れないほどの面白そうな本がある。買って読めばいいのだ、体裁の悪い文章など公表してないで。たぶん、自分以外にとって無意味な文章、それが私の作品なのだ。もしかしたら自分にとってすら、無意味かもしれない。だけどどうだろう、産まれて生きて死ぬ、そのこと自体無意味かもしれないのだし。そんな考えがループし始めたらもう鬱に突入だから、ここいらでやめにしておくのだ。


 私は大抵、他人の作品に対して欠点を言わない。むしろいい所だけ伝える。悪い所が無いわけじゃないんだけど、例えば、微塵も同意できないエッセイとかそういうのを見ても、いちいち「そんなのは嫌だ」とかコメントしないです。なぜなら喧嘩が嫌だから。あとは、おもしろかったら容赦なく「ヤバい、面白すぎる」と感想をコメントします。だけどこれってある種の暴力でもあると思う。なぜなら以前それをある作者にやっていたらですね、その方は急に創作論を投稿し始めたのです。私は喜んで読みましたよ、師匠の創作論を。回を追うごとに、変になっていったけど。そして、師匠は消えちまったのです。ある日急に。たぶん、恥ずかしくなったんだと思う。もしも自分がそういう事したら、やっぱり恥ずかしくて消えると思う。


 大勢に貶(けな)されるのも嫌だけど、大勢に褒められるのはもっと危険だと思う。毒物なのですよ、甘い言葉って。病気の時だけ飲んでいい、薬。元気な時は飲まない方がいい。さて、自分が今元気なのか病気なのか。それは、自分自身の体や心に問うてみるしか無いのです。辛ければ、病気。


「辛くないか」

「別に」

「機嫌悪いぞ」

「こういう顔なの」

「前はもっと優しかったな」

「今はこれが普通の私」

「何怒ってんの」

「うるさいわね」

「せっかく心配してやってんのに」

「余計なお世話。そういうの疲れるからやめて」

「何だよ」

「はっきり言って、あんたがストレス源」

「……人のせいかよ」

「ほっといてくれる?」

「気分悪い。そうするわ」


「ああ、自由っていいわね!」

「恩知らずな奴だ! (さみしいな)」


 人は変わる。変わってしまった人を見て、がっかりするだろう。だけど受け入れるしか無いのだ。いつもあった幸福が実は、誰かの我慢によって成り立っていたならそれは、いつまでも続いていい訳が無いだろう。愛するとは、相手の幸福を「願う」じゃなくて、実行する事だ。相手があなたを嫌うなら、去るのが愛する事なのだ。だから愛するのは時に辛い。行動出来ないならそれは、弱さだ。あるいは、狡(ずる)さ。狡い奴は愛されない。渇望すればするほど、さらに飢えるのだ。


 胸の中で燃えるこの痛みは何だ。どんな理屈も、その炎には勝てない。その衝動が、整列しようとする六角形の白いタイルたちをバラバラにして中身をぶちまけ元に戻るなと猛る。

 

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