閑話 滅びの前奏曲
「……どうしたものか」
遥風という女性が部屋から出て行ったあと、俺は頭を悩ませていた。
その原因は、遥風の「部屋を元に戻せないか」という切実じみたお願いである。
マグカップをスポンジで洗いながら考えを巡らせる。きっと、記憶を失う前の俺はいとも簡単に問題を解決できたのだろう。だが、今は頭の中が霞がかったように。
うんうんと唸り続けること数分。諦めた俺は、部屋の中に置いてある四角て薄いあいぱっどなるものを手にする。
これは、遥風が就職してから初めて貰った給料で買ったものらしい。画面にそっと触れると、数字を入力する画面が出てくる。遥風に教えてもらった番号を入力し、ロックを外すと、今度はあぷりなるものが無数に表示された画面に切り替わった。
遥風曰く、この世界の人間は皆、このあぷりを大変に重宝しているらしい。あぷりを使ってげーむなるものをしてみたり、道を探したり、日々の料理の献立を探したりと、八面六臂の活躍をしているというのだから、この世界の化学技術はとんでもなく進歩しているのだろう。
遥風から教えられた検索サイトを用いて、『きおくそうしつ 回復』と検索する。
僅かの間をおいて表示された結果の、2番目をタップ(1番目は広告だから絶対にダメだと念を押された)して表示させ、書いてある文章をひたすらに読み進める。どうやら、記憶喪失はいつ記憶が戻るのかはっきりしないらしい。数日で戻る事もあれば、数年や数十年など、長い期間記憶が戻らない場合もあると書かれていた。
「なるほどな。つまり、今の状態を打破する方法は、経過観察以外に無いと。そういうことか」
他にも、投薬という手段もあるようなのだが、遥風はパスポートも戸籍もない人間が病院に行ったところで、ケイサツのお世話になるだけだ、と言っていた。
ケイサツが一体なにを指すのかは存じ上げないが、きっとこの国の法を司る機関かなにかに違いない。
それは置いておくとして、俺は件のクローゼット(とは名ばかりの卵型の機械)の前に仁王立ちする。どうやら俺は、この卵のような形をした何かから出てきたらしい。中を覗いてみれば、赤や青のボタンやら、複数並んだ計器やらが座席の前や横にごちゃごちゃと並んでいる。
「ほほう。この機械、きっと科学技術の粋を集めて作られたに違いない。どれ、よっ
開かれた入り口は屈んで入らなければならないほど狭かったが、いざ中に入ってみれば人一人が立てるほどに広くなっていた。
「……へぇ、快適じゃないか。これは動かせるのか?」
浅い水色をした、一人掛けのシートに腰かける。座ると硬すぎず、かといって柔らかすぎることもなく。座る者の身体に余計な負荷をかけないように絶妙に調整されていた。
「これは、なかなか。きっと、これを設計した奴は相当優秀だったんだろうな」
外観もそうだったが、中の作りも煩雑としているようで、その実とても効率的な配置の仕方がされていた。
この装置の電源らしきボタンは、目の前の小型モニターのすぐ隣に。左右で形の違う操縦桿は、握ってみれば随分と手に馴染んだ。上下左右至る所についているボタンやスイッチは、操縦する者が分かりやすいようにナンバリングが施され、小さな文字の書かれた付箋が貼ってあった。
(――ん?)
と、俺は左の操縦桿の脇、スロットルレバーと思われるものに、紐でくくられた何かが引っかかっているのを発見した。
紐を手に取ってみれば、長さ3㎝程の黄色い鉱石が括り付けられていた。恐ろしく複雑にカットされているその鉱石は、反対側が透けて見えるほどの透明度で、僅かに温かな光を灯していた。
「なんだ、この鉱物は? まるで、――うぐっ!」
詳しく見る為、鉱石を手に取った瞬間、それは起こった。
頭に奔る激痛と、走馬灯のように駆け巡る、様々な光景や言葉の数々。それらがまるで濁流の様に押し寄せ、脳内を埋め尽くしてゆく。
(――アトリア、まだそんな玩具で遊んでいるのか? 既に滅んだ文明の者どもの情報など、我らには不要)
(――アトリア、俺は往く。父上の狼藉、これ以上見逃せはせぬ。お前が開発したという、あの機械。アドヴェンチャーを借りる)
(ねえ、アトリア。いつか、あなたの前にも、とても重大な選択肢が訪れるの。それはとっても残酷で、あなたにとっては過酷な道のりにつながる可能性が大きいものだけれど。それでも、決して迷わないでね)
(はい、母上)
「な、んだっ、この情報は! 頭が、割れる!」
(時空間跳躍航行船、アドヴェンチャー。俺の理論が正しければ、これでもう一度地球へ戻れる)
(人為的に開けた小規模なブラックホールへ強制的に侵入。特異点での光速限界機動により、4次元軸に強制的に干渉する。もし船が耐えきれなければ、ブラックホールに侵入した時点でチリ屑になる)
(3次元空間での機動実験は全て完了。電力と船のシールドの問題は、黄宝石の使用による莫大な電力で解決する)
(これで、やっと会いに行ける。――遥風)
「っ! はるか、だと!?」
脳内では、白衣に身を包んだ俺が同じような服装をした人間たちと様々な実験を繰り返していた。
時折掠める光景の中で、この卵型の機械は"アドヴェンチャー"と、そう呼ばれていた。
今なら分かる。アドヴェンチャーとは、ガリバー旅行記という小説の中に出てくる船の名前。嘗て、この次元の空間に跳躍する前の俺が、遠い
気付けば、頭痛は収まっていた。後には、奇妙な爽快感と僅かな焦燥感。
俺は無数に並んだボタンの中から、青く点滅しているボタンを押した。これは、アドヴェンチャーの電源ボタン。起動者である俺がコクピットから出たことで、省電力モードになっていたアドヴェンチャーの機能を復旧させる。
次に、キーボードをモニターの下から引き出し、コマンドを入力する。
『4次元転送システム作動。現時刻から72時間前の、現空間内の物質を回帰させる』
《コマンド、了解。警告、4次元空間内へのアクセスには、亜空間ゲートの開放が必要です》
電子音声で警告を伝えてくるが、それを無視して作業を続ける。
『主電源の全エネルギーを、ゲート開放に回せ。亜空間ゲートへの接続確認。セーフティ解除』
《セーフティ解除確認。警告、4次元空間内の物質とのコンタクト、良好》
『第2セーフティ解除。パラドクス効果による強制力を、現空間内に留める。予備電源の全エネルギーをシールドへ。シールド固定』
《セーフティ解除、確認。シールドエネルギー最大。警告、強制力による時空間湾曲波導により、アドヴェンチャーは4次元空間へジャンプします》
それでいい。遥風を構成する物質が戻って来るのなら。
俺は小さく頷くと、キーボードと側面のモニターを取り外してアドヴェンチャーのコクピットから出る。これさえあれば、4次元空間に放り出されたこいつをいつでも追跡できる。
……まあ、俺が記憶を保っていられたらの話だが。
《4次元転送システム作動まで、あと12秒。警告、操縦者が不在です。警告――》
「また会おう、アドヴェンチャー。もし運が良ければ、未来で会えるかもな」
寂寥を堪え、嘗ての俺が開発した相棒を見送る。シールドを最大限にしてあるとはいえ、アドヴェンチャーはきっと無事では済まないだろう。そして、俺という存在もまた。
今から行おうとしているのは、一度過去に出現させた物質(アドヴェンチャー)と、コイツの代わりに4次元空間へと消えた遥風のクローゼットとの時間を超えた交換作業。
様々な制約が伴う時空間干渉を僅か数日の間に2度も行うのだから、こいつと黄鉱石で繋がっている俺は再度記憶を無くしてしまうか、最悪俺の存在がどうにかなってしまうけれど。
それでも。
俺たちにとっては死の宣告とも思えるようなカウントダウンが、遂にゼロを迎えた。その瞬間、アドヴェンチャーは眩く発光し、俺もその光に飲み込まれた。
次回の投稿は、2月28日(金)の、22:30を予定しています。
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