第8話 そして始まる、共同生活

 「おはよう」

 「ああ、おはよう」


 西暦2019年、4月3日。午前7時23分。

 私と突如部屋に現れた全身真っ白けの男――改めセイヤは、2人で朝食の準備をしていた。

 今日の朝ごはんは、チーズとベーコンを挟んだホットサンド。

 耳を切り落とした食パンにバターを塗って、スライスチーズ(とろけるあいつ)とベーコン、スライスしたトマトを挟んでフライパンで焼く。

 パンがこんがり焼けたら、対角線に沿って切る。断面から溶けたチーズがトロリと溢れだして、思わず涎が垂れそうになった。


 「パンか。間に挟んであるものはなんだ?」

 「ベーコンとチーズ。美味しいよ?」

 「いい匂いだ。お腹が鳴りそうになる」


 セイヤはそう言って、お腹を押さえる。

 その仕草があまりにも子供っぽくて、思わず笑みが零れる。


 ――結局、あの後話し合いを続けた結果、私とセイヤはこの部屋で一緒に暮らすことになった。

 といっても、ずっとじゃない。彼の記憶が戻るまでの、期間限定で。

 セイヤの記憶がいつ戻るかなんて分からなかったけれど、あのまま彼を外に放り出す事だけは、絶対にしたくなくて。

 不思議だった。目の前に見ず知らずの男がいるというのに、全然嫌じゃない。それどころか、セイヤを見ていると懐かしい気分になって来るのだ。


 コーヒーの入ったカップを手に固まる私を、セイヤが訝しがる。

 そんな彼は、炬燵に足を突っ込んで料理の並んだテーブルに目を輝かせている。既に準備は完了しているようだった。


 「おい、どうしたんだ? 遥風が座らないと、食事が始まらないだろう」

 「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事しててさ」

 「そうか。だが、おれはお腹が空いたんだ。考え事なら後にしてくれ」

 「はいはい。分かりましたよー」


 駄々っ子の様に、不貞腐れた表情かおでフォークとお箸を持つセイヤに苦笑しながら、私は彼にコーヒーを差し出す。

 セイヤはそれを目を輝かせながら受け取ると、中身を見てふんわりと微笑んだ。


 「コーヒー 、好きなの?」

 「ああ。何故だかわからないが、舌に馴染むんだ」

 「ふーん、そっか」


 そんな他愛ない会話をしながら、私たちは向かい合っていただきますを言う。私は両手を合わせて、セイヤは右手を握って、左手をピンと伸ばす。

 なんだか不思議な合掌の仕方だけれど、きっとそれがセイヤの当たり前なんだろうな。

 私は追及することなく、目の前の朝食に手を伸ばした。



 「――そういえば、さ?」

 「うん?」


 私が食事の手を止めてセイヤに話しかけると、セイヤも口にパンを限界まで詰め込んだまま私を見る。

 見た目は完全にリスかハムスターだ。

 いや、話題にするべきは、それじゃない。


 「私のクローゼット、あの機械のコックピットになっちゃってるでしょ?」

 「ああ、そうだな」

 「あれ、何とかならない? 私の服とか夏物のスーツとか仕舞ってたんだよね」


 そう言いながら、私は斜め後ろにあるクローゼットを指さす。

 開けっ放しのクローゼットの中は、セイヤが乗って来た変な機械の中身が見える。小さなボタンが幾つも付いている操縦桿とか、スラスター的な何かを吹かす為であろうレバーとか、変なスイッチがいっぱいくっついているモニターとか。

 見る分には退屈しないけれど、私の服が消えてしまったのは痛い。

 まさか休みの日にまでスーツを着るわけにもいかないし、かといってセイヤの前で下着姿になるわけにもいかない。

 そこまで考えて、私は大事な事に気が付いた。そう、下着である。


 今現在、私はベッドの下の収納ボックスの中身から使えそうな下着とブラを見つけてなんとか凌いでいる。だって、流石に不味くない?

 職場にまさかのノーブラ。考えられへんやろ。

 元々収納ボックスの中に入っていたのだって、捨てる予定の物ばかりだったし(サイズが合わなくなったとか色々)。これから暑くなっていくだろうし、服は早めに用意しておかないと。


 「なんとかって、俺にどうしろと?」

 「だからほら。私の服が無くなっちゃったわけじゃん? 正直、ものすごっく困る」

 「……うん」


 私が「困る」の所を強調して言えば、セイヤは素直に頷く。この反応、彼も申し訳ないって思ってくれてるのかな?


 「今から買い替えるとしても、お金だって掛かるし。特にスーツなんかはさ」

 「そう、なのか」

 「うん。だから、記憶喪失っていうのは分かってるし、正直無茶なお願いもしてるって分かってるけど。なんとかならない?」


 私がそう言うと、セイヤは顎に手を当てて考え込むような仕草をした。


 「もちろん、セイヤが無理って言うなら潔く諦めるよ」

 「だが、服を買うにもお金が掛かるんだろう?」

 「うん。だから、今日1日頑張ってみてどうしても元に戻せなかったら、私もすっこり諦める」

 「……分かった。なんとか、してみる」


 セイヤが神妙に頷いて、パンの欠片を口に放り込む。私はこの話はお終いと笑って手を軽く叩くと、壁に立てかけてある時計を見た。

 針は8時35分を指している。いけない。もうそろそろ出かける準備をしないと。

 ご馳走様と言ってシンクの中に浸し、歯を磨いて寝ぐせを軽く直す。化粧をするかどうか迷ったけれど、誰かと会う訳でもないし、しなくてもいいだろう。

 こんな所、紬ちゃんに知られたら怒られること間違いない。


 私が出掛ける準備をしていると、のんびりとコーヒーを飲んでいたセイヤが不思議そうに私を見る。


 「……今日も仕事なのか?」


 そう言えば、セイヤには話してなかった。

 今日は近所のスーパーで朝のタイムセールがやっているのだ。自家製パンの詰め合わせに、いつもより格段に安い野菜。卵はまだ1パック丸ごと残っているから、後は醤油のボトルとか買い足せばいいだろう。

 私はコートのポケットの中に入れっぱなしにしている自転車の鍵を引っ張り出す。

 そうして、鍵を指に引っかけてくるくると回しながら、思いっきりカッコつけてこう言った。


 「お買い物! 今日の晩御飯は期待しててよねっ」



 次回の投稿は、2月14日(金)の22:30を予定しています。

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