第7話 その男、記憶喪失に付き

 「それで? あなたは、どこから来たの?」


 私の問いに、男はバッと顔を上げた。

 こちらから聞かれるなんて思わなかったのだろう。彼の瞳には、困惑の色が浮かんでいる。

 ……私から聞くの、そんなにおかしいかなぁ?


 「……」

 「えっと、ほら。あなた、あの機械に乗って来たんでしょ? あれ、今の地球の文明ではあり得ない代物だから。だから、地球じゃない別の星から来たのかなって思ったんだけど、違う?」


 湯呑を両手で持った姿勢のまま固まる男に、私はしどろもどろになりながら弁明する。

 いやその。家主であり、1番の被害者である私が慌てているの甚だ疑問なのだけれども。目の前の男に、私は無性に庇護欲を掻き立てられてしまう。


 「ええと、その」

 「その、いろいろ急展開過ぎて混乱してるかもだけどさ。てか、私もなんだかよく分かってないし。でも、お互いこのままじゃいけないから」

 「あっ、ああ。そう、だな……」


 そう。お互いに、このままで良いはずがない。私も自分の生活があるし、見ず知らずの男が無断で部屋にいるなんてばれたら、大家さんに何を言われるか分からなない。

 そして、彼もまた。どこから来たのかは存じ上げないが、この国の戸籍も無い、保険証も無い、パスポートも無いとなればそうとう不味い事態になる。

 最悪、警察のお世話になるだろう。それも、私も一緒に。

 だが、男は私のマシンガントークに頷きつつも、また下を向いて黙り込んでしまった。


 (……えぇー。なんなの、この反応。ちょっとイラっとするわー)


 私は彼の反応に嘆息すると同時に、僅かな怒りを抱く。

 どうして、この男はこんなにウジウジするのだろう。まるで、私が悪者みたいではないか。尤も、私が一方的に男に話しかけているだけだから、見る人によっては彼を詰問してる風に見えなくもない。

 断じて、そんなつもりは無いが。

 部屋に、重苦しい沈黙が降りた。先ほどまで広がっていた温かな空気は霧散して、外からの冷気がそろそろと忍び寄っている。


 ――ああ、もう。ほんとじれったい。

 私が何気なく、知らないはずの男の性分にそんな私の内心を読みとったのか、男が恐る恐る顔を上げて、小さくこう言った。 


 「わからないんだ」


 分からないって、何が?

 私が男に顔を向けると、 彼は泣きそうな顔で私を見ていた。


 「分からないって?」

 「俺の、名前が。俺が何処から来たのか。俺がなぜ、ここに居るのか。俺が本当に、あんな機械に乗って来たのか。本当に分からないんだ」


 ……わあお。これは、思わぬ衝撃の展開だ。

 頭を抱えて項垂れる男の姿は憐憫の情を抱かせるには十分だったが、生憎と頭を抱えたくなるのはこちらの方だった。

 身元不明の男が部屋に上がり込んできて、かと思えばそいつは記憶喪失で。

 もうほんと、今日一日で色々ありすぎて、私の頭はオーバーヒート寸前だ。それでも、現実逃避したくなる衝動を何とか堪えつつ、男に話しかける。


 「あの、傷心の所申し訳ないんだけどさ。なにか、思い出せるやつ無い?」

 「……無い。さっきも言ったろ、名前もどこから来たのかも分からないって」

 「それは聞いた。けどほら、このままだと私も困る。何かないの? 身分を証明できそうなもの」


 そう訊ねると、男はゆるゆると顔を上げて私を見た。ああ、その顔。

 捨てられた子犬みたいな、雨の中で新たなご主人様を待っている子猫のような、寂しげな瞳。

 そんな顔をされたら、色々諸々世話を焼きたくなる。

 けれども、男が何者であるかが分からなければ、如何ともし難いのもまた事実だった。


 「えっと、そうだ! あなた、年齢は?」

 「年齢? ――ああ、うん。年齢なら、思い出せる。1万とんで、21才だ」

 「ああ、そう。あなた、結構長生きなのね……」


 ドン引きである。

 まさかとは思うが、記憶を失った衝撃で妄想癖が出てきてしまったのだろうか。

 でもまあ、取り敢えず。


 「21歳ね。未成年じゃなくてよかったわ」

 「いや、1万とんで、21歳だ」

 「そういうのは良いのっ! 取り敢えず、年齢は分かったし、後は名前だよね」


 この人を今後どうするかは置いておくとして。

 いつまでもあなた、とか君、とかいう訳にも行かないし、やっぱり名前が必要だよね。

 しかし、どうしたものか。RPGのアバターに適当に名前を付けたことはあるものの、人に、ましてや見ず知らずの他人に名前を付けた経験など無い。

 そして、私は壊滅的にネーミングセンスが無いらしい。昔飼っていた猫ちゃんに名前を付けようとした時は家族に大反対され、実家で飼い始めたワンちゃんに名前を付けようとした時も大反対された。

 可愛いと思うんだけどな、漆黒雷龍ブラックサンダ・天大魔王アレキサンドロス

 私があーでもないこーでもないと悩んでいる間、男はテレビにくぎ付けになっていた。画面に映っているのは、あの人気アイドル、星也せいや君。

 画面を興味深そうに見る彼の顔は、とても悲しそうで。とても嬉しそうで。


 無意識だった。ふと頭に浮かんだ彼の名が、口からポロリと零れ出た。


 「……セイヤ」

 「え?」

 「だから、セイヤ」


 言った直後、少し恥ずかしくなって顔に熱が帯びる。ぶっきらぼうになりながらもう一度口にすると、男は不思議そうに私を見る。

 あ、こいつ分かってないな?


 「あなたの名前。名前が無いんじゃ、この後色々不便だし。あなたが記憶を取り戻す為の間だけ。あなたはセイヤって名乗ればいいよ」


 自分でも何を口走ったのか分からないし、きっとこの事を思い出すたびに、後悔し続けることだろう。

 それでも。何かせずにはいられなかったから。


 「――」

 「だめ、かな?」


 ぽかん、と口を開けたまま固まる男に、恐る恐る問いかける。

 あんまり反応がないものだから、失敗だったかな、なんて思ったその時。

 私を見る彼の顔に、非常にゆっくりとだが、笑顔の花が咲いた。


 次回の投稿は、1月31日(金)の、22:30を予定しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る