第6話 思いがけない夕食
「きゃああああ!」
「わあああああ!」
私と全身真っ白けの男は、玄関先で目が合った瞬間、ほぼ同時に悲鳴を上げた。
だって、そうでしょ。上機嫌で帰ってきて、いざ玄関を開けたと思ったら、見ず知らずの男が目の前に突っ立っているんだもの。しかも全裸で。
鎖骨とか、僅かに筋肉が付いた胸板とかお腹だったらまだ良いんだ。男の人の、なに? アレがもう否応なしに目に飛び込んできて、そういうことに耐性のない私としては咄嗟に下を向くことで被害の拡大を防ぐことしか出来なかった。
男の人は、思いっきり飛び上がったかと思ったら脱兎の如く逃げ出して、シャワールームに飛び込んだ。
中からどたんばたんと何かをひっくり返した時の音に加えて、「
そんな男の様子を見ていたら、何故か私の方が落ち着いてしまって。
「……ここ、私の部屋なんだけどなー」
と、内心で大きなため息をつきながらシャワールームを突っ切って、キッチンへ向かう。
コロッケの入った袋を冷蔵庫に仕舞い、棚からコップを取り出して水道水を入れる。脳内に蘇って来た男の裸体を振り払うようにぐいっと一気飲みしてから、リビングの机の上に鞄を置いた。
男が寝ていたはずのベッドは、掛け布団からシーツに至るまで綺麗に畳まれ、皺も伸ばされていた。
炬燵の上に置いておいた食パンの袋は開封されていて、中身が何枚か減っている。ピーナッツバターのケースは開けられた形跡が無いから、きっとそのまま食べたんだろう。
(おにぎり位、握っておけばよかったかな?)
私は、部屋で1人パンをもそもそと食べる男の姿を想像して、少しだけ悲しくなった。男の素性は分からないが、昨日は気を失う直前まで私の名を呼び続けていたし、きっと私が憶えていないだけで何か関わりがあるんだろう。
そう考えたら、左の薬指がほんの少しだけ温かくなった、気がした。
ご飯を食べたら、話だけでも聞いてあげよう。――そう考えた矢先、シャワールームから出てきた男の一言によって、私の粉々に打ち砕かれた。
「
「……は? 私」
「
はて?
この男は一体何を言っているのだろう。ここは当然、私の借りている部屋だ。東京都新昴区の、『メゾンしらかば』の一室。家賃は水道光熱費込みで7万2000円。
それとも、この建物が建っている土地自体を言っているんだろうか?
「ここ? ここは私の借りている部屋だよ」
「
「この場所はって。――ああ、そういう事。ここは、地球っていうの。ってあんた、
私はそう言って、様変わりしてしまったクローゼットの中を指さす。
昨日の夜以来、クローゼットの中はこの男が乗っていた機械? のコックピットのままになっている。
コートやスーツを仕舞えないのが非常にもどかしいが、戻らないのであれば諦めるしかない。仕方なく、私は壁にハンガーを引っかけている。
「
「そ、地球」
男はそう言うなり、下を向いて黙り込んでしまった。
この反応、もしかして何かしらの手違いでもあったんだろうか?
声を掛けようか迷ったけれど、結局そのままにして私はキッチンに行く。いい加減お腹が空いたし、きっと何か質問があれば勝手に話すだろう。
私が料理を作っている間、男は何かを確認しているようだった。クローゼットの中の機械を覗きに行ったり、かと思えばぶつぶつ独り言を呟いては頭をがりがり掻いてみたり。
彼の行動は、今にも癇癪を起しそうな子供そのものだ。
「――はい、これ」
「え?」
私は見かねて、カップに注いだジャスミンティーを差し出す。といっても、家に本格的な道具がある訳ではないので、お茶のパックをカップに入れてポットのお湯を注いだだけの、簡単なものだが。
男は恐る恐るそれを受け取ると、カップを両手で持つ。そして、顔を近づけてみたり、匂いを嗅いでみたり。
「ジャスミンティー。飲むと、気分が落ち着くんだって」
「ジャス……
「不思議な匂いって……。飲み物だよ、それ。毒なんか入ってないから、安心していいよ」
懐疑的な視線をカップに向ける男に、私は小さく笑いながら否定すると飲むように促す。
男はしぶしぶ頷きながら、カップに口を付けた。一口飲んで、ほぅ、と大きく息を吐いた。僅かに微笑んだ口元を見るに、どうやらこのお茶は彼の舌に合ったらしい。
男がちびちびとお茶を飲んでいる間に、私は夕ご飯の準備を進める。
炊飯器の中のご飯を大きめのボウルに入れて、市販のおにぎりの素を適当に入れる。しゃもじでさっくりと混ぜ合わせたら、手に少し水を付けて手早く握る。
大きいのを2つ、小さいのを2つ作り終わったら、水を入れた鍋をコンロへ。だしの素を入れて、沸騰させる。
その間に、豆腐をさいの目に切り、水で戻した乾燥ワカメを一口大の大きさに。
沸騰したお湯に豆腐、次いでワカメの順に入れたら、一度火を止めて味噌を溶かす。
冷蔵庫に入れた置いたコロッケをお皿に移し、電子レンジで温めている間に半玉だけ残っていたキャベツをみじん切りに。2人分のお皿に盛りつけたら、今日の晩御飯の完成だ。
すっかりお茶を飲み終わって、炬燵で暖を取っていた男の前に、料理の乗った皿を置いていく。なんの変哲のない、1人暮らしの夕ご飯に目を丸くした男の反対側に自分の皿を置くと、私はコーヒーが入ったカップを持って座る。
「
「正確には、私達"の"ご飯だよ。あなた、お腹空いてるでしょ?」
そう言うと、さっきまでどんよりと沈んでいた男の目に、僅かだが光が灯る。
結局、どんな世界の住人だろうと、空腹には勝てないのだ。
「
「コロッケ。近くの商店街で売ってるんだ。久々に寄ったらおまけしてくれたから、あんたにおすそ分け、してあげる」
「コ、ロッケゥ? 随分と不思議な発音だ」
そう言いながらも、男はコロッケを口にする。一口分を口に入れて嚥下した途端、男の顔が驚愕に染まる。
「――う」
「?」
「
そう叫ぶや否や、男はがつがつとコロッケを頬張る。
お箸の使い方を知っている所を見るに、この男はこの国の文化を理解しているらしい。男の食べっぷりになんだか嬉しくなって、私は余っていたコロッケも男の皿に乗せた。
そうして、時折入る質問に答えながら、私も夕飯を口に運ぶ。1人では味気なかったはずのご飯が、今日は何故だか美味しく思えた。
「……
「謝らなくていいよ。誰かと家でご飯食べるのなんて久しぶりだったから、私も楽しかったし」
「
突然舞い込んだ、心温まる夕ご飯を終えた私たちは、再び炬燵で暖を取りながらまったりと寛いでいた。
元来、お喋りな方ではないのだろう。男は時折、湯呑に注がれたお茶を見ながら眉間に皺を寄せている。きっと、彼の脳内では自分の事やこの機械のことなどを話すかどうか、会議が行われているのだろう。
決意を固めた瞳で時折口を開きかけては、しかし私の顔を見ては噤むをくり返す。
(――不安、なのかな?)
頭に浮かんだ疑問に、そりゃそうだと頷く。
妙な機械に1人で乗って、たどり着いたのは人の家のクローゼットの中。気を失ってまた起きてみれば、今度は知らない家の中。
これじゃあ、男が臆病になるのも無理はない。私だったら、泣きわめいて卒倒する自信がある。
だから、私は自分から聞くことにした。
「それで? あなたは、一体どこから来たの?」
次回の投稿は、1月17日(金)の22:30を予定しています。
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